呪いを越えてゆくもの
わたし達は焦りを感じ始めていた。
呪いの指輪、『独身指輪』を外せない事に、
「無理しないで。いいのよ……。この指輪の呪いって、お仕事が増えるだけだし……。前向きに考えるって事も大事かなーと……」
マルボーンさんは既に諦めムード。引きつった笑いを浮かべながら、指輪を眺めて溜息をつく。
「そんなの、ダメですよっ!」
「良い訳ねぇだろマル!」
声を荒げたのはランツ先輩だった。立場上は上司でありオーナーのマルボーンさんをマルと呼び捨てにして。
「ランツくん……」
「仕事ってもんは生きるための手段だ。メシを食う為、人生を楽しむためのな。だから仕事に縛られて、やりたいことも出来ない人生なんて、真っ平御免なんだよ。マルだって結婚したいって、夢があんだろうがよ」
ランツ先輩が檄を飛ばし、沈痛になりかけたムードを吹き飛ばした。
さすがです、先輩。わたしは尊敬の眼差しを向ける。
「……そうよね、その通りよね」
マルボーンさんが俯くと、綺麗な金髪がさらりと横顔を覆い隠した。
ランツ先輩の名を呼ぶ声は、少し嬉しそうだった。
けれど、このままだと本当に大変なことになっちゃう。
呪いの効果は強くて、わたしたちの魔法工房『みのむし亭』が大繁盛することになる。もちろんこれ自体はお金儲けにもなるし、とても喜ばしい事だろう。
けれど何事にも限度ってものがある。
いつもなら一日に舞い込む仕事はせいぜい一つか二つ。
お茶を飲みながらのんびりムードで、魔法道具を直したり作ったり……。時にはトンテンカンと鈑金工の真似事をして過ごすぐらいが、わたしたちの調度良いペース。
そこに、呪いの力で大量の仕事が舞い込む事になる。
次々と押し寄せる膨大な仕事を全部まともに引き受けていたら、わたしたち連日連夜、過酷な激務を強いられる。
正直……耐えられる気がしない。きっとわたしが最初に過労死しちゃう。
「でも、仕事が忙しくなったら、結婚が遠のくわよねぇ」
マルさんが顔を上げ、苦笑しながらつぶやく。
「マルさん……」
なんとかしてあげたい。
いつも外を駆けまわって仕事を見つけてきてくれるオーナー。
工房長のランツ先輩に「じゃ、あとはよろしくねっ!」と言って手を振って、またどこかへでかけてゆく。
行き先はお得意様や、若手経営者さんとの会合、ギルドめぐりと様々で、バリバリのキャリアウーマンという感じ。
わたしは、そんな大人のマルボーンさんの姿に憧れと眩しさを感じていた。
「ん?」
その時、一瞬、指輪が変な波動を放った気がした。
気のせいかもしれないけれど、まるで勝ち誇ったような笑いのような。
人生を諦めて、仕事に打ち込む事を受け入れようとするマルさんの事を嗤っているような……そんな嫌な波動を感じたのだ。
この指輪、仕事だけしてろって言っているの? 寂しくて、冷たい、意地悪の塊みたい。
「よし、もう一度行くぞ」
ランツ先輩はシャツの腕をまくり上げ、闘争心の炎を瞳に燃え上がらせた。
三人がかりでも壊せなかった指輪に、再び挑むつもりらしい。
先輩はあくまでも正面突破、魔力の「殴り合い」で指輪に勝つつもりなのだ。
けれど――。
そこで、わたしは単純に「他の方法は無いのかな?」と考えた。
こんな風に、どうしようもなく抗えない事態に直面した事なんて、過去に何度もあった。
その時わたし自身はどうしたか、どうやってその局面を切り抜けたのか、思い返してみた。
「あ、あのっ!」
わたしは発言しようと手を挙げた。
ティリアくんとマルさんが最初に私に注目し、次に半分キレ気味でランツ先輩が、ぐりっとわたしに顔を向けた。
「なんだ?」
ひぇっ、怖い顔。
「あ、あのですね。例えば、意地悪なクラスメイトに絡まれたり、街角で本物の魔法使いに鼻で笑われたり、嫌味な魔法使いに絡まれたり……。そんな時、わたしの力じゃどうしようもないんです」
「ナルルねーちゃん……」
「おまえ、いつもそんな目にあってんのか?」
ティリアくんは途端に同情したような、悲しげな顔になり、ランツ先輩も哀れみを讃えた瞳でわたしを見る。
「ち、違っ!? たとえ話ですよっ! たとえ話!」
ティリアくんもランツ先輩も、そんな憐れむような目で見ないで!?
まぁ、ちょっと実話も混じっているけれど……。
話がややこしくなるので、心配そうな二人には構わず話を続ける。
「そういう時、相手を理屈やケンカで、つまり『力ずく』で変えるなんて無理なんです。だったら……わたし自身が、自分が変わればいいって、そう考えるようにしてるんです」
「自分が、変わる?」
話を聞いてくれたマルボーンさんが、目を瞬かせた。
「はい。自分の方が変わればいいんです。なんていうのかな……。そう、別の大きな視点で見て、気持ちを切り替えるんです」
これは、弱くてちっぽけなわたしの自己防衛術。
辛い目にあっても、めげない。
『工房に戻れば素敵な仲間がいる』とか『わたしは一人じゃない』とか、そんな風に考える。辛いとだけ思わないで、別の場所に心を逃してあげる。
「戦わねぇで逃げちまうのかよ……情けねぇ」
ランツ先輩は鼻で笑う。けれど違う。そうじゃない。
「そうじゃなくて、許しちゃうというか、真正面から戦うんじゃなくて……飛び越えちゃうんです」
わたしは両手でグーをつくってから、それぞれの人差し指を立てて、天井を指差した。そして上へ小さく飛び跳ねてみせる。
「あー、なんとなくわかった。ナル姉ちゃんの言っていること。嫌なことなんて、前向きに飛び越えて、踏んづけちゃってこと?」
ティリアくんが、澄んだ紫紺色の瞳を輝かせる。
「そう、多分そんな感じ?」
「なんで疑問形なんだよ」
「だって上手く言えなくて……」
呆れ顔のランツ先輩に、わたしは「たはは」と困った笑みを返す。
「……わかったわナルっち! そうよね。この『独身指輪』だって、私が結婚したい! 仕事なんてしたくない……って思う気持ち、弱さに付け込んで仕事をわざと沢山させてやる……! っていう意地悪さんなのよね」
なるほど、言い得て妙。
指輪は「意地悪さん」なんだ。
「ずいぶんと根性のクソねじ曲がった呪いだな」
「ランツくん。そんなふうに考えたら私ね、急に、この指輪に棲む呪い……精霊なのか悪霊なのかしらないけれど、意外と可愛く思えてきたわよ? きっと、すごく寂しくて、可哀想な子なのよ」
マルボーンさんが、何か吹っ切れたような表情で笑い、慈しむような視線を指輪に向けた。
「可哀想……?」
「えぇ。だから、こんな呪いなんてナルっちの言うとおり飛び越えて、仕事を自分で見つけてくるわ。そして、ちゃーんといい人を見つけて恋愛して、結婚だってしてみせるわよっ」
ティリアに微笑みかけてから、マルボーンさんは自由になる左手で指輪をそっと撫でた。
と――その瞬間。
風が吹き抜けた。
清涼な草原を渡るような。そんな波動が指輪の周囲から流れてくる。
「あれ?」
「……むっ?」
呪いの気配が、波動が急速に退いてゆく。
闇の気配が朝日に溶けるように指輪から解けてゆく。
それをわたしたち魔力の感じられる三人は、風として感じ取ったらしい。
「あらっ? 取れたわ、指輪が取れたわよ!?」
それは、あっけない幕切れだった。
もう外れないのかとさえ思われていた呪いの指輪が、何の抵抗もなくスルリと抜けた。
指に食い込んで、破壊することの出来ない太古の指輪。
それは、マルさんの心の寂しさに根を下ろしていたのだろう。
けれどマルさんが吹っ切れた。前向きに生きていこう。仕事にも人生にも、真正面から。
――あぁ、この人間に意地悪をしても通じない……。
敗北を認め諦めたかのように、指輪は自ら束縛を解いたのだ。
まるでそんなふうに諦めたような、そんな気配を残し、呪いが退いていた。
「呪いを乗り越えた!? 本人の気持ちの切り替えだけで? そんな、ばかな」
ランツ先輩が信じられん、とばかりに頭をかく。
「……え、ぇえ!?」
一番驚いたのはわたし。
マルボーンさんが左手の先で『独身指輪』をつまみ上げる。
それはもう、何の変哲もない骨董品のような指輪だった。
ランツ先輩はそれを手に取ると、静かに魔力糸を差し入れた。
それは何の抵抗もなく吸い込まれてゆく。
「……対象者の精神感知術式……。そうか! 効果を存分に発揮できる相手か、効果の無い相手か、自ら判断したってことか。まぁ、肝心な呪いの術式の中心部は覗けねぇが。おそらく本当に精霊、魂か何かを封じてやがるんだ。これが……本物の遺物ってやつだ」
険しい顔で指輪を眺めていた先輩は、感心しきりだった。
そして「俺たちの手出しの出来る代物じゃねぇ」といって魔法封じの紙で包んだ。
指輪の中に入っているのは魔法術式の塊ではなく、本当に精霊や霊魂、つまり太古の魂が封じられているのだろうか?
けれど……マルボーンさんはその呪いを跳ね除けた。
呪いに付け込まれていた心の弱さを乗り越えた。
それはつまり、呪いを自力で解呪したということ。
「ナルっち! キミのおかげだよっ!」
万力から腕を外し、呪いからも開放されたマルさんが、私をぎゅっと抱きしめた。甘くて優しい、大人の女性の香りと暖かさに包まれる。
「マルさん! よかったです」
「やったね、ナルルねーちゃん!」
「うん、ティリアもありがとうね……!」
わたしはティリアくんも一緒に抱いてもらいながら、心底そう思った。
そっか。
ひとりじゃない。
みんなが一緒に、マルさんのことを考えて、気持ちを支えた。
だから呪いの『独身指輪』は居心地が悪くなったのかな。
「さぁ、感動ごっこは終わりにして鎧の修理に戻るぞ! 時間が押してるんだからよ」
ランツ先輩は手に魔法のトンカチを持つと、ニッと微笑んだ。
「そ、そうだった!?」
残ったのは進んでいない仕事の山……。とほほ。
◇
翌日――。
「で、イスラヴィアの闇商人が捕まったって?」
お茶をすすりながら、ランツ先輩が眉を少しだけ持ち上げた。
「はい、長ったらしい名前のお役人さんが捕まえて……えと」
「王政府内務省特別税務監察官、シローヘッゼ・ミュッヘルさん」
わたしの記憶力を、ティリアくんがすかさずフォロー。
この界隈に目をつけている、お役人さんだ。
たまーにも「怪しげな物を売ってないか?」と魔法工房に監査をしてお茶を飲んでゆく。
「そうそう! ミュッヘルさんが『正義を貫く私の目は、決して不正な輩を見逃さん!』とか言って、裏路地で大捕り物。呪いの指輪の売人を捕まえたんだよね」
堅物の役人さんも、ちゃんと仕事をしているみたい。たまにはやくにたつのね。
「取り調べの後で、違法売買の品物のお金は、お客さんに返金させるるみたいだよ」
「マルさんもお金がもどってくるかな?」
と、トタタタと軽やかな足音が近づいてきた。間違いない。魔法工房のオーナーのマルボーンさんだ。
バコン、とドアが勢い良く開き、ドアベルがカランカランと激しく打ち鳴らされた。
「ちょっとぉお!? ランツくん! ナルっち! ティリアくぅん! 聞いてよぉお!」
「るせーな……」
「な、何ですか?」
「どうしたんですか?」
ハァハァと肩で息をするマルボーンさんの姿があった。自慢の金髪も乱れ放題、全力で走ってきた事が窺える。
「指輪がたくさん売られてたらしくて、お城の衛兵窓口が大混乱なのよぅ! みんあ『指輪を返品するから、代金をかえせ』って、モメてるのよ!」
「え、えぇ!?」
きっと返金すると聞きつけて、押しかけたのだろう。怪しい商人から買った妖しい指輪を。でも、本当にその闇商人から買った品物化かどうか、証明しないと返金はされないのだとか。
「お願い! 一緒に来て。これが闇商人から買った指輪だってこと、証明してほしいのよぅ!」
じゃないと私の100ゴルドーがぁあ! とマルさんは本気で涙目。
わたしとティリア君は顔を見合わせて困惑する。
「だって、それって」
「マルさんしかわかんないよね?」
「えぇ、そんなぁ……」
「……やれやれだぜ」
ランツ先輩はいつもの様に険しい顔で、眉間にしわを寄せた。
こうして。
わたしたちの魔法工房の、いつもの一日が始まりました。
<第二話、完>
【作者より】
この後、お金はちゃんと返金されましたとさ。
さて、次章は……広がる世界。
個性的な人々が暮らす路地裏を、ナルルとティリアが探訪します。
次回、『忘却希望通り(フォガーホプス)、路地裏探訪』
おたのしみにっ!