わたしは、魔法使いになれない
「ナルル・アートラッズ。残念ながら君は魔法使いには向いていない」
淡々と冷たい宣告が心に突き刺さった。
――魔法使いになれない……。
それは夢多き少女だった8歳の夏のこと。
初等学舎で行われた「潜在的魔法力検診」で、王都から来たという、偉そうなローブを纏った魔法使いの判定員に、残酷な現実を突きつけられた。
魔法使いになるには内包する「魔法力」が足りなすぎる。魔力も濁っている。
きっと君が純血のエルフではなく混血のハーフエルフだからだねと、そいつは嗤いながら言った。
わたしはハーフエルフ。若草色の髪に少しだけ先の尖った耳。クラスメイトに比べて身体は細くて、おまけに運動音痴でどんくさい。他人と違う自分が恥ずかしくて、嫌だった。
けれど、ただ一つだけ密かな自信があった。それは、わたしは生まれながらにして僅かな魔力を持っていたということだ。
森では「精霊」を見て感じる事ができたし、村にやって来た魔法使いが唱えた魔法の呪文が、空中で光を放ち不思議な魔法円を紡いでゆく光景を「視る」事ができたのだから。
中途半端だけれど、きっと鍛えれば魔法使いになれる! そうなれば誰にも負けないはず。という密かな根拠のない自信だけはあった。
心の拠り所だった密やかな夢は、そして儚くも打ち砕かれた。
「魔法の素質を持つ子どもが居ると聞いて、こんな辺鄙な村まで出向いて来たが、とんだ無駄足だったよ」
濃い赤色のローブを翻しながら魔法使いが背を向ける。
「わたしは……魔法使いに……なれないの?」
悔しさで震える唇から、なんとか言葉を絞り出す。
視界が歪み、涙の粒がゆっくりと足下の地面へと落ちて吸い込まれてゆく。夢も希望も一緒に、消えてゆくかのように。
「……お嬢さん、そう気を落とす事はない。そうだ、魔法工房の下働きぐらいなら、君にもできるかもしれないね」
「魔法工房……?」
「そう。本来、私のように偉大な『魔法使い』だけが使える魔法の力を、僅かな魔力を道具に宿らせることで擬似的に再現する……そんな紛い物の魔法を売る商売さ」
それは生活を便利にする「魔法道具」を作り売る工房のことだった。
例えば、水晶に魔法の力を宿らせて輝かせる『水晶ランプ』、お湯を沸かす石『火炎石』など、日用品として使うための魔法道具のことだ。
中でも魔法工房は、街角の占い師や魔法薬師と同様に、『魔法使い』という称号を得られなかった、半端な魔力を持つ者が生きる糧を得る一つの道だという。
王国の正式な魔法使いたちは、そんな彼らを蔑みバカにしているのは風のうわさで知っていた。
わたしは、その場から逃げ出していた。
現実を突きつけられて、辛くて、悔しくて、悲しくて。
――悔しい。
けれど、いつか見返してやりたい。
偉そうにふんぞり返っている魔法使いや、戦争ばかりしているような魔法使いになりたいわけじゃない。誰かを笑顔にできるような、感謝されて認めてもらえるような、そんな「わたし」になりたかった。
がむしゃらに走って、村の学舎を後にしたわたしは、気がつくと村の中心部にある広場へと来ていた。
と、その時。
不意に、ものすごい数の「シャボン玉」に視界が覆い尽くされた。風に乗り舞うシャボン玉の嵐。それも1つや2つじゃない。まるで春の「渡り蝶」の群れのように広場全体を舞っていた。
「わ、わぁっ!? 何これ……!?」
「あー、ごめんね君、驚いた?」
「あ……こんにちは」
若い男の人が笑顔で近づいてきた。道化のような紫色の衣装がすごくて思わず後ずさる。けれど、悪い人じゃ無さそう。旅の大道芸人だろうか? 他にも派手な衣装を身に着けた仲間らしい人たちが広場で踊っていた。
何よりも私が興味を惹かれたのは、お兄さんが手に持った箱だ。そこから猛烈にシャボン玉が噴き出ている。ふしゅー、と音がして次々と泡の球が飛び出している。キラキラと光るシャボン玉は消えることもなく周囲を雪のように風に乗って浮かんでいる。
「綺麗なシャボン玉……」
「すごいでしょー? これ、魔法道具。僕が作ったんだよー」
歌うように踊りながら、トントンッとリズミカルに四角い小さな箱を叩く。すると更に穴から泡が噴き出す。
「えっ、お兄さんが作った!?」
わたしはシャボン玉の渦に巻かれながら、目を瞬かせた。
「そう、これ『シャボン箱』っていうんだけどネーミングセンス無いね、あはは」
広場では、小さな子供たちが大喜びではしゃいでいる。みんな笑顔で駆け回っている。厳しい顔をした屋台のおじさんも、普段は若者に小言ばかりのおばあさんも、美しい虹色のシャボン玉を目で追って、にこにこと顔がほころんでいる。
「これでも僕は魔法工術師のはしくれなのさ。知ってる? 魔法道具を作る職人なんだけど……どうも役に立たないものばかりでね。失敗作ばかり」
金髪の若いお兄さんは、おどけた仕草で身体をくねらせて、大げさに胸に手を当ててお辞儀をすると、更にシャボン玉を周囲に撒き散らした。
「……すごい! すごいよ! だって、こんな綺麗なシャボン玉沢山だもん!」
「あはは、そう言ってもらえると嬉しいよ」
わたしは泣いていたことも嫌なことも忘れ、空に向けて手を伸ばしていた。風に舞い上がる虹色の球を手で捕まえようと、跳ねる。
夢みたいに儚ない光の玉を捕まえると、不思議と心が軽くなった。
「あはは、嬉しいなー。本当はね、洗濯を便利に……って作ったんだけど出来損ないで売れなかった。でも……君みたいに泣いている子を笑顔にする事はできたみたいだねー」
キザったらしいセリフを吐いて、ウィンクするとくるりとターン。道化姿のお兄さんは、大道芸をしている仲間の方へと向かっていった。
「うんっ! 素敵だと思います」
気がつくと、わたしは笑っていた。
涙はいつの間にか消えて、お兄さんの魔法道具が笑顔をくれたのだ。
たとえ役に立たないと言われても、出来損ないでも、こうして誰かを少しだけ、幸せにすることが出来る。
まるで神様からの福音みたいに、目の前がぱっと開けた気がした。
いつかわたしも皆を笑顔にするような魔法道具を作りたい……!
「決めた!」
空に吸い込まれて消えてゆく透明な光を見つめながら、わたしは新たなる決意を、そっと胸に秘めた。
<つづく>