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一、羽影差す

        序


障子から僅かに入る薄い日の光が滲む室内には、否応なしに不安を掻き立てる独特の臭いがあった。淀んだ空気を少し傷んだ一枚畳が毒消しを行うように懸命に中和しようとしてはいるものの、確実に忍び寄る不吉な影までは誤魔化しきれない。

長く床についたままの女の白い顔は、もうこの世のものではないように思えた。吐き出す息はその都度大義そうで、以前は力強く輝いていた瞳も、とろとろと常に微睡(まどろ)んでいる。

「いつか、禍の種になるかもしれない…」

 女は囁くように言った。細く掠れた声には、こちらの胸を締め付けるのに充分な効力があった。

「秘密は墓場まで持っていけば良かったのかもしれないけれど…禍が起きてしまった時に、秘密を知って尚、味方になってくれる人が必要だと思ったのよ」

 女は少し潤んだ目を細めた。

「ごめんなさいね…」

 卑怯だと思った。そんな風に言われたら、責めることも出来ない。だが、これから死を待つしかない無力さを痛感しているからこそ、全てを託せる人間が必要だったのだと理解していた。そして、自分がその気持ちを踏みにじるような真似が出来ないことを予想した上で秘密を打ち明けたに違いない。

 布団から弱々しく伸ばされた、目を疑うほどに細い腕を受け止めた。二年前までは女の身で米俵を難なく担ぐくらいに健康的だった腕だ。

 女はそんなこちらの憐れみを見抜いたかのように、悪戯っぽく笑って見せた。

「そんな顔をしないで。私は私に満足しているの。心配なのはあの子のことだけ。私がいなくなっても、あの子を支えてくれる?」

 それは言われるまでもないことだったので、間髪入れずに頷く。するととても嬉しそうにその瞳は輝いて、以前の生気を一瞬取り戻したように思えた。勿論それは、錯覚であったのかもしれないけれど。

「あの子を、お願いね」

 女は笑顔だったが、その声は震えていた。自分が死ぬことよりも、それによって我が子が孤独になることに怯えているのだ。その気持ちが痛いほど伝わってきたので、ただその壊れそうな手を握り、深く頷いた。

 この家の大黒柱が居なくなることは、自分にとっては憧れであった日だまりのような空間が消失することでもある。帰る家、互いの帰りを待つ家族。普通の人間であれば当たり前に手に入るはずのそれらを自分に与えてくれたのは、この女だった。本来であれば自分など受け入れる必要はないだろうに。

 外には穏やかな日差しが優しく満ちているのに、自分の体は隙間風に晒されているように冷たく感じた。だが、その奥にほんの少し、またあの日だまりを取り戻せるかもしれないという淡い期待もあった。女の宝物を同じように大切にしていれば、いつかまた、きっと。



       一、()(かげ)差す


小さな子供が囁きあっているような音で風に揺れる木の葉と、ちらちら流れる川の音が涼しげな初夏。まだまだ身の丈が伸びきらない子供たちは、思う存分に流れの緩やかな川の水と戯れた後、日当たりの良い川辺の草むらに引き上げた。

一番年長で温厚な顔立ちの(たか)(なり)に、少し気難しい印象の(きり)、腕白盛りといった悪童ぶりの(とび)に、一番ちびの(ゆき)(おり)は、着物のままで川に飛び込み水を掛け合いながら涼むという大人が見たら溜め息をつきたくなる遊びの末に、少しでも叱られる材料を減らそうと着物を脱いで水を絞り出すことに必死になった。

「…あれ?」

着物を木の枝に引っ掛けた後、びっちょりと濡れた髪を絞り終えた隆成が呆気にとられたような声を出したので、雪織は不思議に思って振り返った。隆成の後ろに控えていた彼の従者である飛と霧も同じように目を丸くしてポカンと口を開けていたので、雪織は首を傾げる。

「どうしたの?兄様。飛くんも、霧くんも」

 雪織の声に我に返った三人は、そろって体ごと後ろを向いた。

「どうしたのって…」

 首の後ろを掻きながら尻すぼみに言った飛が「若様」と、隆成の横腹を軽く肘でつつく。

「雪、お前…」

 後ろを向いているのに、その困惑した表情が手に取るように伝わるような声で、隆成は「女だったのか」と繋げた。水に濡れた着物を脱いだ際に褌一丁になった三人に対し、雪織だけは腰巻き姿だったからだ。

 目をぱちくりさせた雪織は、この川での水浴びで初めて彼らが自分の性別を知ったのだと納得し、恥ずかしいような怒りたいような、なんとも言えない気分になった。

「雪、男の子だと思われていたんですか?」

 聞くと、三人は同じような動きで首の後ろを掻いた。

「隠し子といえば…男だろう」

 なんだかよく分からない理由を述べた隆成の背を、霧がぽんと叩いた。

「隆成様。雪織様が男子(おのこ)のような格好をしていたことは事実です。咲枝様に事情を聞かれてはいかがでしょうか」

「そ、そうだな…」

 三人のぎくしゃくしたやり取りを不満に思いながら、雪織は濡れたままの着物の袖に腕を通した。そうしないと彼らは、二度とこちらを振りかえらないような気がしたからだ。

 着物が水気で張り付き、体温を下げるのが心地良かったのは最初だけ。しばらくすると一同は寒さに縮こまりながら、雪織の家へ帰り着いた。雪織の母、咲枝は全てを見抜いていたようで、裏庭には樽の風呂が二つ用意してあった。

「あらあら。やっぱり服までびしょ濡れにしてきたのね。夏になったとはいえ、まだ夜は冷えますからね。どうぞ若様お風呂に入って下さいな。差し支えなければ、皆一緒に…」

「咲枝殿!」

「はい?」

 隆成の思わぬ強い口調に、咲枝が目を瞬かせた。

「その…なぜ、秘密にしていたのですか!」

「若様?秘密とは…」

「とぼけないでいただきたい!女の雪織に男のような格好をさせて…」

 隆成はびしりと雪織を指差した。普段から行儀の良い兄がこんな風に人を指差すとは、余程自分が女であったことに驚いたのだろう。そんな兄を今まで騙していたことになるのだろうかと、雪織は少し不安になった。優しい兄に嫌われるのは、悲しいことだ。

 しかし咲枝は次の瞬間、勢い良く噴き出した。

「さ、咲枝殿!笑い事では…っ」

「ご、ごめんなさい!でも、まさか今まで気付いてなかったなんて…っ」

 喉を引き攣らせるようにして笑う咲枝に、隆成とその従者たちは顔を赤くした。軽く咳払いをした霧が、気を取り直すように隆成の隣に進み出た。

「ということは、咲枝殿。隠していたわけではないのですね?」

「隠す必要もないことでしょう!…ふふっ、もし隠したとしても、成長すれば分かってしまうでしょうに」

「それは、確かに」

 納得した飛の足を、霧が踏みつける。

「い、いってぇ!」

「雪、男の子に見える?」

 素朴な疑問を口にすると、三人はそれぞれ息を呑んで彼女を振り返った。

「ゆ、雪!そんなことはないぞ!その…」

「雪織様、女子(おなご)の格好をすれば、必ず女子に見えます」

「霧…それ、酷いだろ」

 自分の前でわたわたと慌てる三人を見て雪織が首を傾げると同時に、弾けるような笑い声が再び響いた。笑いの発作を起こした咲枝は、目に溜まった涙を拭いながら「と、とにかくお風呂へ…」と、なんとか声を絞り出した。昔からこの人は笑い上戸なのである。

 顔を見合わせた三人は、同時に「一緒に入るのは…」と声を合わせ、更に咲枝の笑いを誘った。

「あぁ可笑しい!雪は七つよ?一緒に入って温まっておいでなさいな」

「田舎では、そういうものか…雪、一緒に入るか?」

 溜め息まじりにそう言った兄の顔がいつもの優しい表情を浮かべているのに気付き、雪織は嬉しくなってその手をとった。

「はい!」

 元気な返事をした雪織の笑顔を見て複雑な表情になったのは、濡れた着物の懐に片手を突っ込んでいる飛だ。

「樽は二つ。ということは…俺と霧が一緒に入るってことか?」

「断る」

 嫌そうに顰めた顔での霧の断言に、咲枝はまた腹を抱えて体を折り曲げた。

 風呂からあがると川で獲ってきた鮎の塩焼きをおかずにした夕食をとり、皆で縁側に座った。井戸水で冷やしておいた瓜を口に頬張りながら、取り留めのない話をする。そんな他愛のない時間が、穏やかに過ぎて行く。

「兄様は他に兄妹がいますか?」

「あぁ。姉が一人、妹は雪を入れて三人だ」

「みんな雪より年上ですか?」

「いや、一番下が雪より二つくらい下だったかな」

「雪に妹がいるんですね!会えますか?」

 兄の着物の裾を握りながら聞くと、横から「雪!」と母の叱責が飛んだ。

「若様を困らせてはいけません。何度も言って聞かせたでしょう?私たちがお屋敷に行くことは、一生ありません」

 咲枝は強い口調で言った。この手の話題になると、必ず目を吊り上げて怖い顔になるのだ。

 雪織がおずおずと隆成の顔を窺うと、そこには困ったような笑みがあった。

「すまないな。私がここに来ていることも、雪がここにいることも、屋敷では秘密のことなんだ」

 今まで同じことを何べんも母から言われてきた。その度にそういうものかと納得してきたつもりだったが、兄の口から出るとなるとどうやら勝手が違うようで、ひどく悲しい気持ちになってしまう。目に涙を浮かべた雪織を見て、隆成は慌てて周囲をきょろきょろとした。助けを求めて視線が泳いでいる。

 隆成と目の合った霧が縁側から降りて来て腰を屈め、雪織と目線を合わせた。

「雪織様。雪織様と咲枝様の存在は、他の人間には決して知られてはいけないのです。知られれば必ず、お二人を利用したり害そうとしたりする者が出てくるのです。ですから…」

 霧の淡々とした口調から繰り出される別世界の単語に雪織が目を白黒させていると、いつの間にか傍に来ていた飛が、食べ終えた瓜の皮を庭先に放り投げて雪織の手をとった。

「霧の言葉は難しい!」

「何だと?」

 霧の睨みもなんのその。飛は雪織を庭先へ引っ張り出し、その細い腕を振り回して踊った。

「俺たちだけの秘密なんだ!格好良いだろ?」

「格好良い…?」

 飛に振り回されながら、雪織は「そっかぁ」と呟いた。

「そうそう!それに俺たち、時々雪に会いに来るよ!そうすりゃ、寂しくないだろ?」

「本当?」

「ほんとほんと!」

 飛が白い前歯をいっぱいに覗かせて笑うと、つられて雪織も笑った。

 二人のめちゃくちゃな踊りを見ながら、隆成は苦笑する。

「飛には敵わないな」

「頭の年齢が近いんでしょう」

 霧が少し口を尖らせ気味に言ったので、隆成と咲枝は失笑を押さえた。今笑われたら、いささか気位の高いこの少年が傷つくと知っているのだ。

 雪織は七つ、飛は十、霧は十二という幼さでの約束は、この時はその場の勢いでの無邪気なものに過ぎなかった。幸いにも平和な世の中に育ち、十六でようやく家督を継ぐという自覚が芽生えたばかりの隆成もまた、その口約束を微笑ましいものとして心の隅にしまった。

        

       ◆◆◆

     

 木板で作った簡素な位牌に手を合わせ、線香の代わりに薬草を乾燥させたものに火を点けた。この(しら)()と呼ばれる野草を乾燥させたものを燃やすと、虫よけにもなる。線香代わりにするには安上がり過ぎるとも思えるが、雪織はそれで母が気を悪くすることはないと分かっていた。

 薬草の知識は全て、母咲枝から教わった。おかげで、近くの山野に生えている草木の種類は殆ど知り尽くしている。食べられるもの、毒となるもの、傷に効くもの、腹痛を治すもの…様々な植物を処理、調合して薬を作り、それを売って生活するのが生まれてから十五年、雪織の日常だった。

 しかしそんな日常は今、大きな変化を迎えていた。

 二年ほど前から咲枝は物を食べられなくなっていった。本人が言うには、徐々に臓腑が弱っていく病気なのだという。下手な医者よりも病に詳しい咲枝は自分の状態を正確に見抜き、あと二年くらいの命だと早々に雪織に告げていた。

 少しずつ弱っていった咲枝は、亡くなるひと月程前にはもう意識が朦朧としていることが多くなり、とうとう七日前に眠るようにして息を引きとった。

あちこちぼろぼろなこの家で病気の母と二人きりであれば、もしかしたら雪織は寂しさのあまり頭がおかしくなっていたかもしれない。

「雪ちゃん、薬草採ってきたよ」

 土間から響いた声に、雪織は自然と笑みを浮かべた。雪織が泣き暮らさずにいられるのは、彼のおかげだ。

「飛くん!」

 雪織は仔兎が駆けるような様子で土間へ移動し、手足に土をつけたままの青年を見つけた。彼は笑顔で背負っていた籠を降ろして傾け、こちらに中身を見せる。

「結構採れてるでしょ」

「おかえりなさい。毎朝ありがとう」

「鍛練のついでだから、何てことないよ」

 ザンバラの短髪は、後ろ髪だけ尻尾のように伸びて一つに括られている。薄いのに太めの眉と、大きめの口、子猿のようにきょろきょろとよく動く瞳は、もうお馴染みの居候のものだった。

 以前から飛はよくふらふらとこの家に遊びに来ていたが、二年前に咲枝が病気と知るやいなや、しばらく居候になると断言し、そのままこの家に居座ったのだ。

「飛くん…そろそろ、兄様のところに戻らなくていいの?」

 本当は戻って欲しくない。でも、飛は隆成の従者だ。飛が屋敷に何と言ってここに長期間滞在しているのかは知らなかったが、流石に二年も留守にして首にならない方が不思議だ。心配になって度々こんな風に質問をするのだが、飛の答えはいつも同じだった。

「大丈夫。戻る時は向こうから知らせがくるから」

 この笑顔にどれだけ救われてきただろう。雪織が泣きたい時は傍に居てくれたし、叫びだしたい時には頭を撫でてくれた。まるでもう何年もここに来ることのなくなった兄の代わりのように。

「飛くんは、兄様の命令で居てくれるの?」

 これも、過去に何度もしてきた質問だ。飛はその度に、やはり同じことを言う。

「命令でもあるし、俺の意志でもあるよ」

 たとえその言葉が自分を気遣う為の嘘であったとしても、雪織はかまわなかった。事実、彼は二年もの間、咲枝と雪織を支えてくれていたのだ。

「今日は傷薬を作るって言ってたよね?俺は今持ってきたヤツを日干しにしてから手伝うよ」

 湿った空気の漂う土間からするりと板の間に移動した飛は、いつの間にか小脇に抱えていた丸まった茣蓙(ござ)をぽんと叩いて見せた。すれ違い様に草の匂いが通り抜ける。

昔はそう大きく違わなかった目線がもう大分上の方へ伸びているため、雪織は彼を見上げるのに首を少しだけ後ろへ傾ける必要があった。だが黒いとっくりの上に薄い灰色の小袖を羽織って、下は袴をつけずに黒い膝上までの股引という簡素な出で立ちは、子供の頃と変わらない。そしてその小袖の袖口が直しようもないくらいにぼろぼろに破けているのを、雪織は大分前から気付いていた。

「飛くん。仕事の前に、飛くんにあげるものがあるの」

 縁側から降りて庭先に茣蓙を広げた飛の背に追いつき、雪織は部屋の隅にたたんでおいた草色の着物を彼に渡した。町で薬を売った金で新品の生地を買い、夜な夜な縫い針と闘って出来上がったものである。

「余計なことかと思ったけど、お世話になってるし。いつ飛くんが帰っちゃうか分からないから…」

 草色の着物を広げた飛は、目を見開いた。すると着ていた小袖を脱いで、新しいそれに腕を通す。雪織は彼が突然目の前で着替えはじめたことよりも、小袖の下に着ていたとっくりの上に鎖帷子(くさりかたびら)をつけていることに気付いて驚いた。

「似合う?」

 飛が照れたように笑う。その様子に、雪織の頭から鎖帷子のことが抜け落ちた。やはり雪織が想像した通り、飛には草色がよく似合う。

「うん。似合う」

「ありがとう。古い着物は雑巾にでもしてくれればいいから」

「もったいないよ。袖口だけ違う布にするとか…それだと、目立つかなぁ?」

 真剣に悩み始めた雪織に、飛は「任せるよ」と言って笑った。

 飛の古い着物をたたみながら、雪織は自分の腹が空腹を訴えているのに気がついた。

「そうだ。昨日の雑炊の残りを食べちゃおう。朝ご飯まだでしょう?」

「それを言ってくれるのを待ってたんだ」

 飛は悪戯っぽくそう言って、いそいそと家の裏手の浅井戸へ手を洗いに消えた。

 床に埃がないのも、障子に穴がないのも、土間が綺麗に片付けられているのも、飛のおかげだった。それまで当たり前のように行ってきた家事を、母が苦しんでいる間にも同じように行うことは大変な気力が必要だったからだ。一緒にご飯を食べてくれる人がいることは、十分にその気力の源になった。

雪織は鍋を吊るしたままの囲炉裏の灰をかき、中の火種に藁をくべた。しばらくするとぱちぱちと小気味よい音が響いてくる。戻って来た飛と二人で囲炉裏を囲んでいると、家の中を涼やかな風が通り抜け、火を勢いづけようと囲炉裏を撫でていった。

「そういえば、今日昔の夢を見たの」

「昔?」

「うん。初めて兄様と飛くんと霧くんがうちに遊びに来た時の」

「じゃあ、八年くらい前のことかな」

「そうだね。四人で水浴びをしてて、そこで初めて兄様たちは私が女の子だって気付いたの」

「あ~…あったね、そんなこと」

 飛はばつが悪そうに首の後ろを掻いた。その様子が夢の中の仕草と似ていたので、雪織は思わず笑ってしまう。

「ひどいよね。何日も一緒にいたのに、気付いたのは最後の方でしょ?」

「そりゃあ、咲さん小袖一枚しか着せてないんだもん。しかも夏だからって、つんつるてんのさ」 

「田舎ではそれが普通なの」

「そりゃ、俺だって田舎で育ってるから、子供は皆一緒の格好だっておかしくはないと思うよ?だけど確か雪ちゃんが着てたのはあんまり女の子らしくない色の小袖だったし、それに若様が弟だって信じ込んでたから」

「そうなの?」

「うん。お城で突然俺と霧を呼びつけてさ、神妙な顔で言ったんだ。『おい、二人共。大変なことが分かった。絶対秘密にするんだぞ。私に弟がいるんだ』ってさ」

 飛は隆成の台詞を、自分も神妙な顔つきになって言って見せた。真面目くさった言い方がそっくりで、雪織は噴き出してしまう。

「そんな言い方したの?」

「そうだよ。それから大姫湖に静養へ行くって言い張って、城に上がったばかりで歳の近い俺たちを連れてこの家に遊びに来たってわけ」

「大姫湖って…山の反対側だよ?」

「そう。城から更に遠い大姫湖に行くには、ここからでも一日かかる。だから、俺たちは行き帰り二日分をこの家で余計に過ごせたってわけだ」

 雪織は真相を知って、ほぅと息をついた。

「そこまで計算していたの」

「まぁね。まさか泊めてくれるとは思ってなかったけど。俺たち野宿する覚悟だったんだぜ?霧は反対したけどね。『もし泊めてくれなかったら、町に引き返してそのまま城へ帰るべきです』ってな」

 今度は霧の淡々とした口調を真似た。

「ところが俺は更にそれに反対したわけだ。もし泊めてくれなかったら、本当に大姫湖まで遊びに行くべきだ!ってさ」

 飛らしい意見に、雪織はころころと笑った。子供の頃から、遊びに関して飛は天才的な才能を発揮していた。虫採りも木登りも魚の追い込みも砂かけ遊びも、みんな飛が一番だった。

「だけど残念ながら、咲枝さんは俺たちを喜んで泊めてくれたわけだ。おかげで雪ちゃんと遊ぶのに忙しくて、大姫湖までは行けなかった」

 飛はわざとらしく肩を落として見せる。

「じゃあ今度、お弁当を持って行ってみる?」

「それはいいね!ふんぱつして卵焼きも持って行こう」

「また勘ちゃんに食べられちゃうよ」

「あいつ…共食いだって教えてやらないとな」

 舌打ちでもしそうな勢いで言うのが、可笑しい。勘ちゃんこと勘太郎は鴉だ。飛が居候して間もなく拾ってきた巣立ちに失敗した子鴉で、飛を親だと思い込んでいるふしがある。懐に入れたり肩に乗せたりして歩く姿は確かに親子のようだが、雪織は少しそれが気がかりだった。

「飛くん、お城に帰る時には勘ちゃんも連れていくの?」

「そうだな。雪ちゃんにも懐いてるけど、俺を親だと思ってるからなぁ…」

 勘太郎を連れて帰ったら、一体城の人たちはどんな顔をするのだろう。隆成は優しいから何も言わないかもしれないが、特に飛には厳しい霧などは怒りそうだ。

「お、噂をすれば。食事の匂いに気付いたか?」

 外の羽音にいち早く気付いた飛が、縁側に降り立った一羽の鴉に目を向けた。

「雪ちゃん、ちょっともらっていい?」と、鍋を指差す。

「うん」

 鍋の蓋を開けると、ふわりと良い匂いが広がる。話をしているうちにかなり温まっていたようだ。飛の後ろでばさりと羽を広げてはたたむ音がする。

「分かった、分かった」

 飛は苦笑しながら鍋からひと匙すくうと、縁側まで持っていった。勘太郎はその匙に待ってましたとばかりに嘴を伸ばした。

「仕方ねぇなぁ…もう自分で餌もとれるのに」

「きっと、飛くんからもらうのが嬉しいんだよ」

雪織は雑炊を椀によそいながら言った。

 匙の中身を堪能した勘太郎は、気が済んだように縁側の前に生えている柿の木の上にとまった。

「そういえば勘ちゃん、家の中に入って来ないよね」

「入るなって言ってあるからね」

 いつの間にそこまで躾けたのだろうか。囲炉裏の前にもどった飛は「いただきます」と手を合わせてから雑炊を一瞬でかき込むと「おかわり」と椀を突き出した。雪織は苦笑してその椀を満杯にしてあげた。

 まだ蝉の泣き声も控えめな初夏の朝は、とても静かだ。雪織が緩やかな気持ちで自分の椀を空にした時、飛が突然立ち上がった。

「飛くん?」

「雪ちゃん、そこに居て」

 厳しい表情でそう言うと、飛は流れるような動作で立ち上がり、懐に手を入れつつ縁側に出た。突然姿を見せた仮親に、勘太郎が少し首を傾げる。

「鈍ってはいないようだな」

 声と共に木の影から現れたのは、なかなか整った顔立ちの青年だ。真っ直ぐに伸びた綺麗な黒髪を高い位置で一つに束ねている。涼しい目元とへの字の口元に、雪織は懐かしさがこみ上げた。

「霧くん!」

「なんだ、霧か」

「なんだとはなんだ」

 霧は雪織の記憶の中よりもずっと背が高くなっていて、顔からは随分と丸みがとれたように思えた。飛とは違い、しっかりと武家の従者に見える格好をしている。藍色の小袖に、下は袴と具足。正しい旅姿だ。小袖の中から手甲が覗き、その手は腰に下げた大刀に添えられている。

「霧くん久しぶり」

「お久しぶりです、雪織様」霧はその場で片膝をつき、頭を下げた。

「や、やめて!私はお姫様でも何でもないんだから!」

「雪織様は、隆成様の妹君です」

「雪ちゃん、いいんだよ。かたっ苦しくするのは、霧の趣味なんだ」

 肩を竦めて見せた飛を、霧はぎろりと睨む。

「お前はくだけすぎだ。あまりだらしのないことをしていると、そのうち首になるぞ」

 その言葉に慌てたのは、飛ではなく雪織だ。

「や、やっぱり長い事お屋敷を留守にしていたから…私のせいで飛くん首になっちゃうの?」

 立ち上がった霧は、雪織の動揺がそっくり移ったかのように声をどもらせた。

「い、いえ違います。普段からだらしのないこいつの態度そのものが、首に繋がりかねない、という話で…」

 気真面目に説明してから、霧は家の中に視線を移した。

「…咲枝様は」その先は言葉にせず、飛に目で問う。

「あぁ、七日前に」

「……そうか」

 霧は立ちあがって雪織に深々と頭を下げた。

「この度は…お悔やみを申し上げます。俺も咲枝様にはとても良くしていただきました。病に伏せっていられることは承知しておりましたが、一度も見舞いに来ることなく申し訳ございません」

「そんな…」

「まぁ、参っていけよ」

「お前に言われたくない」

 霧を位牌の前に案内すると、彼は手を合わせた後で物言いたげな視線を二人に寄越した。その理由はすぐに知れたので、雪織は恥じ入るように身を小さくした。

「あの、位牌は飛くんの手作りなの。お線香も手に入りにくいから、薬草を代わりに…」

「虫よけにもなる白葉だよ。もう夏だし、丁度いい。雪ちゃんは頭がいいよな」

 霧は位牌と燃えかすになった薬草の入る小鉢を見つめて、小さく笑った。

「こう言っては失礼かもしれないが…どこぞの坊主を呼ぶより。咲枝様は喜ばれるかもしれないな」

「はい!」

 雪織の返事に「カァ!」と勘太郎の鳴き声が重なる。

 三人が振り返ると、縁側に降りて来ていた勘太郎が可愛らしく首を傾げ、御影石のようなその瞳をこちらへ向けていた。

「霧に興味があるみたいだな」

「……あの鴉がこの家を見ていたのは、思い違いではなかったようだな」

「気付いてたか」

「当たり前だ」

 霧は自分と同じくらいの背丈の飛を下から睨み上げた。

「お前は…二年間こうして鴉と遊んでいたわけか」

「人聞き悪いこと言うなよ!薬草採りも薬作りも手伝ってるし、ご飯の調達もしてたんだぞ?な、雪ちゃん」

「う、うん!霧くん、本当だよ!飛くんが居てくれて、とっても助かったの」

「飛の馬鹿さ加減をわざわざ庇われるところは、お変わりないようですね」

 雪織に言うふりをした、飛への当てこすりだ。飛は天井を仰いで「これだよ」と嘆息した。

 雪織は食後のお茶に霧を誘って、鍋の代わりに鉄瓶を囲炉裏へ翳した。湯が湧く間に鍋を土間で洗う雪織の胸には、もやもやとした不安が湧きあがっていた。霧に会えたことは嬉しいのだが、彼はお屋敷の遣いだ。もしかしたら、お屋敷に戻れという伝言を携えて来たのかもしれない。

 濡れ手を拭いた前掛けをはずして土間の足掛けの隅に置き、急須と茶筒、茶碗を三つお盆に載せて囲炉裏の輪に入った。

「お待たせしました」

「いや、お構いなく。俺は客人としてではなく、遣いとして来た身です」

 雪織の心臓が飛跳ねた。やはり想像していた通りだ。

少し震える手で茶を入れる雪織の顔を、飛が横から覗きこんできた。

「雪ちゃんどうしたの?」

「え?ううん。何でもない…」

「ふぅん」

 飛は胡坐の上に頬杖をついた。

「霧、用件さっさと言えよ。雪ちゃんが不安がってるだろ」

「不安?」

 霧の訝しげな視線が頬に刺さった。

飛は勘がいい。加えて二年も一緒に暮らしているのだから、馬鹿正直に思ったことが顔に出る雪織の心の内などお見通しなのだろう。

 霧は飛とは対照的にぴんと伸びた背筋に綺麗な正座で、雪織が茶を配り終えるのを待ってから本題に入った。

「無礼を承知で申し上げます。咲枝様が近くお亡くなりになることは分かっていました」

 霧の茶椀から立ち昇る湯気が少し乱れた。

「それを見届けた後、飛は屋敷へ帰還すべしとの隆成様からのご命令だ」

 飛は何も言わずに、だらしのない姿勢で霧の真面目な顔を見返している。対して雪織は、目の前が暗くなるのを感じていた。

「それと、雪織様も屋敷に来られるようにと」

「……え?」

 一瞬、何を言われたか分からなかった。茫然としていると、横からぐんと腕を引かれた。

「わっ!」

「雪ちゃん!やったな!」

 飛が雪織の肩を抱いてにこにこしている。

 霧はその様子に眉を顰めながら続けた。

「詳しい話は聞いていないのですが、隆成様は雪織様が一人でこの山奥に暮らすことを大層心配されていました。城下町に別邸を用意するか、あるいは何か他の提案があるものと思われます。屋敷までの道中、雪織様の護衛には飛、お前がつけ…と言いたいところだが」

「何だよ?焦らすなって」

「お前一人では心配だ。俺もお供させていただく」

「結構!」

 飛は上機嫌でぐりぐりと雪織の頭を撫でた。されるがままの雪織を飛の腕の中から無言で救い出した霧は、やはり無言で飛の頭を刀の鞘で殴った。

「痛ぇな!」

「無礼が過ぎる」

「なぁに言ってんだよ!俺と雪ちゃんの仲だぞ?」

 刀を握りしめた霧に、飛が反射的に飛退く。咲枝が生きていたなら、その様子を笑って見ていたことだろう。でも、今の雪織には全てが夢のように思えて上手く笑えなかった。

「雪ちゃん?」

「ゆ、雪織様!」

 二人の素っとん狂な声で自分が涙を流しているのに気付き、雪織は慌ててそれを拭うと今度こそちゃんと笑って見せた。

 母咲枝の墓が気になるため、今すぐの引越しは考えられなかったが、兄に会うための旅を雪織が渋る理由はなく、三人でお屋敷へ向かうことはすぐに決まった。明日の日の出と共に出発ということで話がつくと、雪織はすぐに家の片付けと旅の準備に追われることとなった。

 飛と霧は疲れ果てた雪織が眠りにつくのを待って、二人で縁側に座った。久しぶりに肩を並べた同僚同士、少し落ち着かない雰囲気がある。

「…飲むか?」

 霧がぶっきらぼうに差し出したのは、竹筒だった。飛が勘良く「酒か」と聞くと、ばつが悪そうに「まぁな」と答える。

「珍しいこともあるもんだ。堅物のお前が仕事の前に酒とはね」

 茶化しながらもしっかり竹筒を抱え込んだ飛を横目で確認しつつ、霧は縁側に置いた刀を無意識に撫でた。

「たまにはな。二年間御苦労だったな」

「苦労という苦労はないさ」

 飛は早速竹筒の栓を抜いて口をつけた。喉に流れこむ酒が月の光に一瞬煌めく。

「雪ちゃんは知っての通り良い子だし、咲枝さんも…」

 言いかけて飛は手元を見つめた。そんな飛の横で、霧が軽く腕を組む。

「最後は…苦しまなかったのか?」

「あぁ。朝様子を見に行った雪ちゃんも、最初は眠っていると思っていたな。安らかな顔だった」

 二人はしばらく無言で月を見上げた。薄雲のかかる夜空に煌々と輝く月は、痩せ細った下弦。月光を浴びる澄んだ山の気は静かに流れ、動物の気配は遠く、故人に思いを寄せるには出来すぎた晩だった。

しばらく目を閉じていた飛が、脚を組みながら霧に竹筒を返した。

「ところで城の方はどうだ?ここ二年ってもの、便りらしい便りもなかったが」

 竹筒を受け取りながら、霧は眉間に皺を作った。

「それが…どうも不穏なのだ。何がどうというわけではないのだが、城全体がどこか浮き足立っているような気がする。しかし、その原因が分からん」

「分からんとは霧らしくないな」

「何だそれは。とにかく、政継様が半月ほど体調を崩されていてな。隆成様の様子もそのあたりから落ち着かないのだ」

「城主様の体調不良が原因じゃないのか?その不安が城に広がっているだけとか」

「それだったらいいのだがな。何にしろ、隆成様は雪織様のことをかなり気に掛けていらした。今回城下に雪織様が来られることで、少しでも荷が軽くなるといいのだが…」

「若様は繊細なお方だからなぁ…」

 飛は月の光に照らされた山際を眺めながら、自分の(あるじ)の顔を思い浮かべる。誠実をそのまま張り付けたような優しい顔立ちは、特にその目が雪織と似ていた。こう言っては失礼かもしれないが、子犬や小栗鼠といった小さな生き物を彷彿させるくりくりとした瞳が人好きのする兄妹だ。腹違いとはいえ、他の姉や妹たちの中でも一番似ているのではないか。

「飛、お前が戻ってくれば、隆成様の安心も増すだろう」

 珍しくこちらを持ち上げるような発言に思わず飛は目を剥き、対して霧は横目でそちらを見た。

「隆成様が不安を感じていられるのは間違いない。お前のような者でも居らぬよりましだろう」

「…そうですか」

 飛が脱力した横で、霧が竹筒を軽く振りながら飛を睨んだ。

「全部飲んだな」

「美味かった」

 歯を見せて笑った飛に、霧は大きく肩を落とした。


       ◆◆◆


 大きな六つの島からなる和津奈(わつな)列島のうち一番大きな本島は、幾つかの国に分かれている。

その中でも西海に浮かぶ堀島と、西海寄りの四国を合わせて西部五国と言い、これらはニ十年前に同盟で結ばれた国々だった。堀島を治める金山(かねやま)、本島の北に位置する下条(しもじょう)、西の(かしわ)、東の五十土(いかづち)、南の上津(うえつ)とあり、それぞれ城主が国を治めている。

 一番内陸の東にあり、五国のうち唯一海の存在しない五十土が、雪織の兄である隆成が今後治めることになる国だ。

 家紋は(いかづち)。身分の高い腹違いの兄の刀にその紋を見つけてから、雪織は自分がとんでもない生まれであると知ってしまった。母は決して雪織の出生について多くを語らず、隆成は国の偉い人の息子であるとしか雪織は聞いていない。だが飛や霧の言う『お屋敷』が、国の中心にそびえ建つ『五十土城』であることは承知していた。

 日が登ると同時に目を覚ました雪織は、急いで旅支度を済ませた。持っていくものはそう多くない。

 仕立て直した母の着物に珊瑚色の帯を締める。目の覚めるような空色の小袖の柄は、生成りの雲と鳥だ。絵柄が入ったそれは雪織が着ると少し子供っぽくも見えるが、一番のお気に入りだった。帯の上あたりまで伸びた髪は、いつものように桜色の飾り布で束ねてある。小袖の下に脚絆を身につけ、手甲は母の物を箪笥の奥から引っ張り出した。

 振り分け荷物には着替えと水筒と握り飯、それと少しの薬。後は――

「これも…」

 雪織が位牌の置かれた棚の引き出しから取り出したのは、赤い布で出来たお守りだ。それを帯の間に入れ込めば、完璧だった。

 戸締りは済んだ。家の裏にある墓にも、花を供えた。

 三人で咲枝の墓に旅の無事を祈ると、飛の肩の上に舞い降りた勘太郎が「カァ」と鳴いた。

「やはりその鴉も連れていくのか」心底嫌そうに霧が言う。

「当たり前だろう。俺が親代わりなんだから」

 あんまりに飛が楽しそうに言うので、霧は嘆息しそれ以上は何も言わなかった。

 霧は着た時と変わらない格好だが、飛は小袖の上から合羽を羽織っている。紅鳶色と山吹色の棒縞模様が、雪織の仕立てた草色の小袖に妙に似合う。

「飛くん、合羽似合うね」

「そうだろう、そうだろう」

 飛はくるりとその場で回って見せたが、ひらりと舞う合羽の裾を霧が邪険に払った。

「あぁ、あぁ。川の河童も驚くだろうさ」

「良く分かったな。俺は泳ぎも得意だ」

 軽口を叩きながら三人は、草木を掻き分けつつ山道に入った。

 雪織の住む家は曾地(そち)という名の土地に入る。五十土領の東の外れに位置する大姫山の麓に存在しており、田舎というよりは山の中だ。しかも雪織の住む家は一番近くの村からもかなり離れた山腹寄りに建っているため、旅をするには村の者より余計に歩かなければならない。

五十土の城下街に続く街道に出るにはまず、この大姫山の山道を抜ける必要があった。おそらくそれだけで一日が終わってしまうだろう。飛と霧だけならいざ知らず、雪織の足では城までたっぷりと丸三日はかかりそうな道のりだ。

 道中の足手まといを自覚し、雪織は二人に頭を下げた。

「飛くん、霧くん、お城までよろしくお願いします」

 すると飛の手が雪織の下げたままの頭を掴んで掻き回した。

「任せといてよ」

「こちらこそ…」言いながら霧は刀を鞘ごと一閃させ、飛の腕を跳ねのけた。

「…至らない点が多々あることと思いますが、お許し下さい」

 至らない点とは、主に飛の振る舞いにかかるようだった。腕を押さえて不満そうな顔をする飛と、冷たい目でそれを一瞥する霧。一見仲が悪そうに見える二人だが、そうではないことを雪織は昔から知っていたので、にこにこと見守った。

 若葉が力の限り空を覆い始めるこの季節には、雨が少ない。旅をするには都合の良い時期だ。人の足で踏み固められた山道を、丈の短い草がどうにか主導権を握ろうと気張っている。それをささやかに鼓舞する小さな虫が行き交い、木漏れ日が彼らを柔らかく照らした。

 しかし、風や日差しが心地よく感じられたのは最初の頃だけである。山道に入って半日も経てば、聞こえる涼やかな葉擦れの音も体を暖めてくれるお天道様の光も一生懸命に働く虫たちも、全てが恨めしくなる。当たり前のような顔で飛の肩にとまったままの勘太郎さえ憎らしい。そんな雪織の視線に気づいたのか、勘太郎はこちらをちらりと一瞥してから悠々と飛び去った。

体力には自信のある方だったのだが、ここのところ薬草の収集を飛に任せきりにしていた

せいか、思っていたよりも疲れやすくなっている。

 切れる息と、顔の輪郭をなぞって垂れる汗。じんじんと痛む足。荷物の重みで凝った肩。今すぐお風呂に入って冷たい飲み物を飲んで横になれたら、どんなに幸せだろう。

「雪ちゃん、休む?」

 飛が顔を覗きこんだので、雪織は慌てて顔を上げた。

「い、いいえ。大丈夫。まだ半日しか歩いてないんだから」

「半日歩けば充分」

 飛は先頭に歩く霧に一方的な休憩を告げ、雪織を近くにあった石の上に座らせた。

「無理して倒れたら俺が若様に叱られちゃうよ。それに俺も丁度腹が減ってきてたんだよね」

 飛が腹を擦っているところに、霧が急ぎ足で引き返してきた。

「雪織様、大丈夫ですか」

「はい。ご迷惑おかけします…」

「迷惑ではありません。水筒を貸していただけますか?新しい水を汲んできます」

 霧は淡々と言って雪織から水筒を受け取ると、踵を返した。

「霧!俺のも頼む」

 飛が投げた水筒を後ろ手で受け取ると、霧は林の中に消えた。

「霧くん、水場知ってるのかな」

「何度か行き来してる道だから大丈夫。それにしても、腹減ったなぁ~」

「あ、おにぎり食べる?」

「待ってました」

「でも、霧くんが帰ってきてからね」

「はい」

 飛は大人しく雪織の隣に腰かけた。

「雪ちゃんさ」

 飛が珍しく風に吹かれたら飛んで行きそうなくらいの、小さな声を出した。

「なに?」

「えっと…その着物って、咲枝さんの?」

「そうだよ。見たことあったっけ?」

「いや。鳥の絵柄なんて、珍しいと思ってさ」

 飛が指摘したのは、雪織の身につける雲と鳥の柄が入った空色の小袖だ。生成りの鳥が晴れた空に舞う様を生き生きと表現している。

「そうだね。でも色が綺麗だし、鳥の絵も可愛いから気に入ってるの」

「そっか」

 木々を縫うようにして吹く風が、良い具合に汗を冷やして心地よい。疲れた足も、石にお尻を預けているうちに血の巡りが良くなっていくのを感じる。木の葉の緑とお天道様の光が体の中に沁み込んでいくようで、雪織は自然と目を閉じた。

「雪ちゃん、どこまで知ってる?」

 周囲の景色に同化した気分でいたところへ突然放り込まれた言葉に、雪織は目を開いて隣の青年の横顔を見た。その顔には、何の表情もない。血は確かに通っているはずなのに、どこか作り物のようだ。

「…飛くん?」

 声をかけると、飛の顔に表情が甦った。しかしそれはいつもの笑顔ではなくて、母咲枝が亡くなった時にも見せたような、神妙な面持ちだ。

「咲枝さんから、自分の生まれについて。何か聞いてる?」

 雪織は素直に想起した。だが母から聞いていることなど、思い返す必要もないくらいに何もない。

「お母さんは、何も教えてくれなかったよ」

「そうか」

「でもね」

 言ってはいけないように思っていたこと。でも、飛には言っても大丈夫な気がした。

「兄様が五十土城の若様だってことは知ってるよ。小さい頃、刀に家紋があったのを見ちゃったから」

「え?」飛が俯けていた顔を跳ね上げた。

雪織はその反応に、やはり言わなければ良かったと少し後悔した。しかし飛は目を丸くして、やや呆気にとられたように言った。

「咲枝さんそんなことも教えてくれてなかったの?」

「…え?」

 飛はきまりが悪そうに小袖の懐に片手を入れて、もう一方の手を首の後ろに当てた。

「それなのにお屋敷に行くって決めたのか…雪ちゃんはすごいな」少し苦笑し、すぐにその笑みを引っ込めた。

「本当に何にも言ってないんだなぁ…雪ちゃん?」

「はい」

「城に身内を呼ぶのはね、城主様の許可がいるんだよ」

「そう、なの?」

「そうなの。しかも何て言うか…お妾さんの子を呼ぶなんて、普通城主の身内でないかぎり有り得ない」

「お妾さん…」

「え、まさかそれも知らなかったとか?」

 飛が驚きのあまりのけ反ったので、雪織は思わず膨れっ面になった。

「そ、そのくらいは分かります!そうじゃなくて、お母さんはお妾さんだったんだなぁって、改めて思って…」

「そうか…」

「ねぇ飛くん」

「ん?」

「お父さんの名前はなんて言うの?」

 飛はごくっと勢い良く息を呑んだかと思うと、おもむろに立ちあがって「霧~」と叫んだ。

「何だ!何かあったか?」

 霧はすぐに林の中から現れた。

「霧!」

 飛は霧の肩をがしっと掴んだ。

「だから何だ!気色の悪い」

「雪ちゃんさ、お父さんの名前も知らないんだって」

「お父さん…城主様のか」

 霧は何とも言えない顔で雪織を見た。何だかよく分からなかったが、二人の反応は失礼な気がして、雪織はまた膨れた。

「仕方ないでしょ!お母さんに聞いても何にも教えてくれないし!聞くと困った顔するから…っ」

「わかった、わかった」

 飛は雪織を落ち着かせるようにその頭をぽんぽんと叩いて「とりあえず飯にしよう」と雪織の手にしていた風呂敷を取り上げた。

「城主様のお名前は、政継様です。二十年前の戦を五国同盟に持ち込んだことで賢君と呼ばれ、民にも慕われる素晴らしい方です」

 にぎり飯を頬張る飛に代わって、霧が説明をした。

「政継様には三人の奥方がいらっしゃいます。正室の桜子様、側室の美露様と暮葉様です。五十土家の直系男子は、美露様のご子息である隆成様お一人。したがって、隆成様が次期城主となります」

「咲枝さんは、きっと雪ちゃんに城に関わってほしくなかったんだろうなぁ」

 二つ目の握り飯を飲み込んだ飛が、何となしに呟いた。

「…どうしてかな」

「そりゃあ、なんていうか…身分が高くないお妾さんの子じゃあ城で肩身が狭いからね。雪ちゃんに苦労をさせたくなかったんだよ」

 飛の言葉に少し考えた霧は、雪織を正面から見つめた。

「…雪織様。もし雪織様が咲枝様の遺志を汲んで城に入りたくないのであれば、俺が隆成様にその旨を伝えます」

 霧の態度は真摯なものだ。それだけに、雪織の胸は痛んだ。自分は彼らとは関係のない世界の人間だと言われたような気がしたのだ。けれど、雪織は雪織なりに城へ行きたいと思う理由があった。

「あの…」

 雪織は帯の中から赤い袋のお守りを取り出した。

「これを、お父さんに渡したいの」

「これは?」霧はお守りを手にとる。

「迷惑かもしれないけど…中に、お母さんの髪と、結紐が入ってるの」

 霧と飛は沈黙した。

「お城に入っても、もしかしたらお父さんには会えないかな…?その、ほら、他の奥さんたちは、きっと良く思わないでしょう?」

「会える」

 断言したのは飛だ。

「お前…また勝手なことを」

「城主様に会う気がなくても、俺が責任持って会わせてあげるよ」

「飛…お前な」

「じゃあ霧は、雪ちゃんが亡くなったお母さんの形見を自分が持ってるんじゃなくてお父さんにあげようとしてるっていう健気な気持ちを無視するんだな?なんて冷たい奴!こんな奴が若様の次代だなんて、若様の未来も暗いよな」

「……飛」霧の声が地を這った。

「雪ちゃん、たとえ霧が全く頼りにならなくても、俺が必ずお父さんに会わせてあげるからね」

「と、飛くん。霧くんが…」

「調子に乗るな、猿」

 霧の刀が鞘ごと飛の頭に落ちた。

「誰も協力しないとは言っていない。ただ、不確実なことを軽々しく口にするなと言っている」

 飛は頭を押さえながら、雪織に笑いかけた。

「だって。良かったね」

「うん!ありがとう。あの…」

「ん?なに」

「次代って、なに?」

 二人が固まった。何かおかしなことを聞いただろうか。少しの間の後、再び霧の刀が飛の頭にめり込む。

「雪織様。我々は隆成様の従者です」

「?うん」

「従者たちを束ねる任に当たる者を、筆頭と呼びます。俺は次の筆頭に推挙されているので、次代と呼ばれることもあるのです」

「そうなんだ。じゃあ、霧くんは一番偉い従者になるんだね」

「い、いや、一番偉いわけでは…」

 ごにょごにょごにょ。何を言っているのか分からない。

「珍しく照れてるな」

「やかましい」

 賑やかな昼食が終わり、出発の時間になる頃には、雪織は心に引っ掛かっていたものを出せた事で、少しすっきりとしていた。足の疲れがとりきれてはいないものの気分は軽く、まだまだ頑張れそうな気がする。

「そういえば、飛くんと霧くんて、初めに会った頃にはもう幼名じゃなかったよね?」

 歩きながら何気なく聞くと、二人の背筋が少し伸び上がったように見えた。

「…うん。どうして?」

「従者って、良い家柄の子がなるんでしょ?そういう家の子は、元服したらもっとごつごつした名前になるんじゃないかと思って。あ、でも飛くんは田舎で暮らしてたって言ってたよね。どこか地方の地主さんの子なの?」

 沈黙が続く。

「?何か、いけないこと聞いた?」

 首を傾げる雪織の前で、飛と霧が頭を寄せ合った。

(これは、わざとか?)

(雪ちゃんにそんな芸当は出来ねぇ。言葉の全部が表側だ)

(…タチが悪い)

「あ、あの…」

 飛がくるりと笑顔で振り返った。

「雪ちゃん」

「はい」

「俺と霧はね、貰われっ子なんだよ」

「え……」

「自分で言うのも何だけど、とっても可哀相な身の上なんだ。だから、あんまり深く聞かないでほしい」

「そ、そうなんだ。ごめんなさい!私…」

 しゅんとして俯く雪織の肩に、飛は優しく手を置いた。

「気にしないでよ。俺たちと雪ちゃんの仲だろ?俺たちが仲良しってことは、何にも変わらない」

「…うん」

 雪織が控えめに笑うのを確認し、飛は顔に笑顔を張り付かせたまま前を向いた。

(誤魔化せたぞ)

(…良心は痛まないのか)

(嘘は言ってねぇ)

「…あ」

 雪織の声に、二人の肩がびくりと跳ねた。

「どうしたの?雪ちゃん」

「今、勘ちゃんの声が聞こえたの。ちょっと探してくる」

「そのうち帰ってくるよ。餌でも探してるんだろ」

「うん…でも、また喧嘩して、怪我でもしてるのかも…」

 野生で育っていないからかまだ幼いからかは知らないが、勘太郎は他の鴉と争うと、大概負けて帰ってきて、哀れっぽく鳴くのである。雪織も、何度か手当をしてあげたことがあった。ここは雪織の家の周りとは違い、他の鴉がいた場合は確実に縄張りを主張して、新参者の勘太郎に襲いかかってしまうだろう。

 雪織は周囲をきょろきょろとしながら藪に紛れていく。

「雪織様!危険ですので、俺も行きます」

「あ、俺も…」

そう言いつつ、二人は雪織の後ろで大きく息を吐いた。

「いや~危なかったな」

「全くだ」

「咲枝さんからお願いされてたこと、すっかり忘れてたぜ」

「不覚だが…俺もだ」

「こりゃ、城に着いてからも油断出来ねぇな」

「城に着いてからの方が危険だろう」

「だけど、雪ちゃんだったら誤魔化せるかもしれねぇぞ」

「お前、あれだけ懐いておきながら失礼だろう」

「あんな無垢な子を『これは、わざとか?』なんて疑ってた奴に言われたくないね」

「あれだけ堂々と聞かれたら、疑いたくもなる!」

「だからあの子は全部が表なんだって」

「威張るな!二年も一緒に居たんだから、少しは方向を変えて差し上げろ」

「仕方ないだろ!あれは絶対咲枝さんの仕込みだ!」

「咲枝様か…ならば……仕方ないか」

「おう」

 二人が訳の分からない言い合いをしていると、茂みの奥で短い悲鳴があがった。

「雪ちゃん?」

「雪織様!」

 飛と霧は同時に動いた。

 二人は自然と二手に分かれ、雪織の名を呼びながら草木をかき分けるも、すぐそこに居たはずの雪織の着物の裾さえ見当たらない。

「霧!近くに転落しそうな土手や崖はあるか?」飛が声を張り上げる。

「川の近くに土手がある!」

「分かった!」

 ざざざと風のように草を切る音が木々の間を鋭く抜けるが、人が通り抜けるにしては気配が少なく、驚いて移動を始めるのはそこに巣を張る蜘蛛くらいのものであった。

一方雪織は、ぐるぐると考えながら藪の中を移動していた。飛と霧が養子だったなんて、雪織は夢にも思っていなかった。二人はどこかの地主や城に努める家臣の息子か何かに違いないと思っていたのだ。能力のある有力者の子供が小さいうちから将来の主のところへ奉公に出されるのは、珍しい話ではない。

 勘違いから無神経なことを聞いてしまった自分に恥じ入る雪織の視界に、ひゅっと黒い影が過ぎった。呆としていた雪織は、一瞬だけ捉えたその影を勘太郎だと認識した。

「勘ちゃん?」

 呼んでみるが、返事はない。

「勘太郎~勘ちゃん」

 呼べば飛んでくるか「カァ」と返事をする良い子の勘太郎は、姿を見せない。雪織は鴉に見捨てられた気がして、更に落ち込んだ。そのせいで、足元のちょっとした段差に気付くのが遅れてしまう。

「……っ」

 短い悲鳴だけを残して、体が落下していく。下には浅い川が見えた。あんなところに落ちたら、切り傷打ち身は当然として下手したら骨を痛めて動けなくなってしまう。雪織は咄嗟に木の枝に掴まろうと腕を伸ばしたが、最早体は宙に浮いてしまっていて届かない。雪織は派手な衝撃を予想して受け身の体勢になりながらも、反射的にぎゅっと目を瞑った。しかし、いつまでたっても衝撃は襲ってこない。目を開けると、目の前には黒い人がいた。

「降ろすぞ」

 黒い人は短く言って、雪織の体を縦にして立たせた。どうやら落ちてきたところを、受け止めてくれていたらしい。

「あ、あの、ありがとうございます」礼を言いながら、まじまじと黒い人を見る。

 目つきは厳しく、口元もきゅっと引き締められており、何となく怖い印象だ。歳の頃は霧より少し上といったところか。黒い髪はまるで罪人のように襟よりも短く、そして何より変わっているのは、その服装だった。これまで雪織が見たことのない着物で、丈の短い黒の上着の中に腹当てのような黒い布地が見える。腰から下には頑丈そうな黒い布地で出来た、股引を少しゆったりさせたようなものを履いていて、その裾から出ている足には草鞋でも下駄でもなくつるつるとした黒い履物が覆い、やはりそれも頑丈そうに見えた。

 不躾な視線に気づいた黒い男は「なんだ」と厳しい口調で聞いた。

「す、すみません。あの、お着物が変わってるな、って思って…」

 思ったことがすぐ口に出てしまう性分を少し恨んでしまう。一瞬男の目がカッと開いた気がして、身を竦ませた。

 怒られる!そう思ったのだが、男は予想に反して「分かるか?」と話に乗ってきた。

「これは洋服。プリカトナの服だ」

「ぷ、ぷりかとな?」

「お前、プリカトナを知らないのか?」

 語気の強さに思わず小さくなって「すみません」と謝る。しかし男は気にした様子もなく話し続けた。

「村娘ならば知らぬのも無理はない。遥か北西の方角にある、海向こうの大陸の国だ」

 雪織は海向こうに大陸があり、そこにも国があることは知っていたが、その名前までは知らない。

「この列島に縛られることなどないのだ。俺はプリカトナを目指し、彼の地の文化を学ぶ」

 男はどこか遠い目をしている。何だか色々と不思議な人だと思ったが、恩人は恩人だ。雪織は礼儀正しくお辞儀をした。

「あの、本当にありがとうございました。私は雪織といいます。よろしければ、お名前を聞かせて頂けますか?」

 男は遠いところから視点を雪織に戻した。

「うむ、俺は(かつら)という。山道では足元に油断しないよう、以後気をつけるように」

「はい」

「ところで娘」

「はい」

「ここはどこだ」

「……はい?」雪織は首を横に傾けた。

「ここが大姫山であることは分かっている。俺は下条の方へ抜けたいのだが、これでは正反対だ。しかも先程から山道が見当たらん。方位磁石を使ってはいるが、一向に道に出んのだ。しかも今の時間帯は日の向きも当てにはならん」

 桂はビシッと真上を指差した。今は正午なのでお天道様は東西どちらにも傾いていないと言いたいようだ。

「えっと…下条へは、東に伸びる山道の先の大姫峠を北に行かなければなりません」

「何?」

 桂は厳しい目元を更に厳しくさせた。

「ご、ごめんなさい!」思わず謝ってしまう雪織だ。

「そうか…おそらく峠の分かれ道を逆に来たのが敗因だな。不覚」

 雪織はそっと桂の顔を盗み見た。厳しい顔だが、特にこちらへ危害を加えようという意図は感じられない。

「あの、山道までならご一緒しましょうか」

「山道までの道が分かるのか!」男の目は軽く見開かれた。

「はい。私は山道から林に入って来ましたので、来た道を戻るだけです」

「そうか…恩にきる!」

 きびきびとした動作で頭を下げた桂に、雪織は小さく笑ってしまった。出会ってから短時間ではあったが、この男に感じていた怖さが、ただ律儀で大袈裟な態度からくるものだと気付いたからだ。

「あ、でも…ここを登らないといけないですね」

 雪織は自分の背丈よりも高い斜面を見上げて溜息をついた。

「仕方ありません。他の道を…」

 登ろうと思えばやってやれないことはなかったが、まさか男の人の前で大股を広げて斜面を登るわけにはいかない。今の服装だとはしたないことになってしまう。

「いや、問題ない」

 桂はそう言って屈むと、雪織の腹から背にかけて腕を回した。

「えっ?あ、あの」

「俺が担いでいく」

「い、いいです、いいです!やめて下さい!」

「遠慮するな」

 足が地面から遠ざかり、混乱した雪織はばたばたと手足を動かした。

「こら暴れるな!」

「雪ちゃん!」

 体がふわりと浮いた。次いでガガガッと硬い音がして、視界に飛の合羽の裾が目に入る。その足元には、鉄の杭が三本ばかり打ち込まれていた。

「飛くん!」

「お前、何もんだ?その子をどこへ連れて行く気だ」

 飛の声がいつもより低い。目も、いつもと違って厳しく光っている。今まで見たことのない気迫の飛に、別人を見ているような気がした。

「飛!」

 飛の横に霧も降り立つ。そして状況を彼なりに把握し、刀を抜いて構えた。抜かれた大刀は何故か鞘よりも刀身が幾分短く見える。

「忍刀…黒羽(くろはね)か」

 呟いた桂は、片手で肩の上の雪織を支えたまま、もう片方の手で懐に素早く手を入れると、二人に向けて取り出したものを放った。

 黒い十字型の鉄が二人を狙って回転しながら飛んでいく。雪織は必死に首をもたげてその様子を目撃し、小さな悲鳴を上げた。しかし霧は十字の鉄を刀で弾き、飛はいつの間にか手にしていた短い刃物で同様にそれを弾いていた。川と地面に落ちたそれを見て、雪織は握りしめていた手にじわりと汗が滲んだのに気がついた。

「御同業かよ」

 飛は舌打ちをした。と同時に、こちらへ突っ込んでくる。

「飛!」

 霧の声が制止を求めるものなのか、それとも別の何かを指示する声なのか、雪織には分からない。再び大きく体が揺さぶられたので、落ちないように桂の衣服に摑まるだけで精一杯だ。

 キンキンと鉄を打ち合う金属音がする。だがそれもすぐに止んで、飛の手にしていた短い刃物が地面に突き刺さっているのが見えた。慌てて飛の姿を探すと、彼は右手を押さえて桂を睨んでいる。

「飛!無茶をするな!」

 飛の横に霧が降り立ち、桂に刀を向けた。

「貴様、どこの国の者だ」

 霧が問うと、桂は胸を張った。その動きで雪織はずり落ちそうになり、慌てて彼の衣服を掴み直す。

「俺はどこにも属してはいない」

「あぁ?」

 柄の悪い調子で桂を睨み上げる飛。しかし桂は意に介さず続けた。

「俺はもう黒羽などではない。俺は自由なのだ!」

「…はぁ?」

「風流れか?君主を持たぬはぐれ者が、なぜ雪織様を狙う」

 そこで初めて桂は顔を顰めた。

「何を言っている?この娘は道案内だ。俺は迷子だからな。連れとはぐれてしまっている」

 桂が更に胸をはるので、いい加減雪織の体勢に限界がきていた。

「あのっ!お、降ろして下さいぃ~」

 雪織の情けない声が、川の流れに乗って響いた。


       ◆◆◆


「まっぎらわしいんだよ!」

 飛は不機嫌だ。身のこなしからして桂がただの迷子ではないことは明白であったものの、その目立つ罪人のような髪型から、どこの城の間者としても有り得ないであろうと、話し合いから結論は出たようだった。しかし飛にしてみれば、どうやら単純に戦闘において遅れをとったことが許せないらしい。

「おいあんた、この子を助けてくれたことは恩にきるがな、早くこの場を立ち去ってくれねぇかな」

 睨み上げつつ巻き舌気味にそう言う飛に対し、桂は実に涼しい顔である。

「断る。俺は迷子だからな。山道に連れて行ってもらえるまで離れるわけにはいかない。そして山道に出たところで、お前たちは恩人となる。礼をせねばなるまい」

「胸張って言うことじゃねぇ!ったく、なんでこんなお荷物を…」

飛の剣幕に少しびくびくしながらも、雪織は彼の赤く腫れつつある手首に持参した軟膏を塗って、包帯をあてがった。

「ご、ごめんね、飛くん。私がもう少し足元に気をつけていれば…」

 消え入りそうな雪織の声でようやく我に返った飛は口をぱくぱくとさせ、次いで大きく深呼吸をした。

「……いや、悪いのは俺だ。ごめん雪ちゃん。油断してた」

「それは俺も同じだ。申し訳ありませんでした、雪織様」

 四人は川原に腰をおろし、頭を突き合わせていた。何となくまだぴりぴりとした男連中の雰囲気に、雪織の緊張も解けない。

 桂は腕を組んで三人を見ていたが、やがて「雪織はどこかの姫なのか?」と聞いた。

 霧と飛は同時に顔を見合わせた。雪織も自分の立場をどう説明していいのか分からずに困っていると、桂が訳知り顔で頷いた。

「そうか。雪織は城外の妾腹か」

 三人は揃って目を剥いた。特に雪織は、思わず桂の顔を凝視してしまう。

「ど、どうして分かるんですか?桂さん」

「いや。カマをかけた」

 飛がこれみよがしな舌打ちをしたが、桂はやはり表情を変えないままだった。

「これでも元黒羽でな。お前たちがそこそこの手練れであることくらいは分かる。質の良い黒羽が二人付いている時点で、国にとっての重要人物ではあるが、それが若い娘となると、立場は限られるだろう」

「…?黒羽ってなんですか?」

「何?黒羽を知らんのか?ではお前と一緒にいるこいつら…もごもご」

 飛と霧は瞬時に桂の両脇に移動し、彼の口を塞いでいた。

「もごもごもご…何をする」

 解放された桂は、飛の張り付いた笑顔と霧の冷たい視線に首を傾げた。

「そうか。お前たちが黒羽だということは、雪織には秘密なのだな」

「……気付いたなら言うんじゃねぇ!」 

 ばっしん!と桂の頭を叩いてから、飛は包帯を巻いた右手を使ってしまったことにその痛みで気付き、しばらく無言でそれに耐えた。

「と、飛くん大丈夫?」

 駆け寄った雪織の横で、霧も肩を落として眉間を押さえている。

「ふむ。ばれてしまっては仕方なかろう。雪織。黒羽というのはだな、各国の城主が所有している超戦闘集団のことで、護衛から間諜、あんさ…もごもご」

 霧が再び桂の口を塞いでいる。

「桂殿…頼みますから、それ以上口にしないで下さい」

「もごもご…しかし、雪織は何も知らないままお前たちを連れていていいのか?」

「え?」雪織は目を瞬かせる。

「一時のことであれば問題なかろう。だがお前たちの関わりが長期になるというのであれば、妾腹とはいえ一国の姫が黒羽について何の知識もないのは危険ではないのか」

 桂の指摘に飛と霧は黙りこんだ。

「何らかの事情があるのだろう。だが、その事情は命の危険に勝るものなのか」

 桂の言葉にへの字の口元を引き締めた霧は、その場に正座をして雪織の方を向いた。川縁の砂利の上なので脛が痛いのではないかと心配したが、霧の姿勢は崩れる様子がない。

「…俺が責任を持ってお話しします」

「うむ。潔い」

「おい霧!」

「飛、この方の言う通りだ。例え咲枝様に呪われようと、この先雪織様が危険に晒される可能性を少しでも低くしておく必要がある。雪織様が城に向かうのであれば、否が応でも黒羽と関わることになるのだ」

 霧の言葉に、飛は押し黙った。

「雪織様」

「は、はい」雪織は霧のただならぬ気迫に背筋を伸ばした。

「先程聞いたことを、もう一度聞きます。雪織様が城に行かれずにこのまま曾地に帰られるのであれば、黒羽についてはお話ししません。それが咲枝様との約束でもありました。しかしもし城に行かれるのであれば、お話します。城主様の血に連なる方々が城下で黒羽について何も知らないということは、お命の危険が増すことに繋がるからです」

 霧は呼吸を落ちつけて雪織を真っ直ぐに見た。

「どうされますか?」

 咲枝は雪織に、出生に関わる殆ど全ての情報を与えなかった。それは、雪織に普通の村娘として生きて欲しいと願っていたからなのだろう。だが、そこで疑問が芽生える。城に関わって欲しくないのなら、何故隆成たちを家に迎え入れたのか。何故飛が居候として居座ることを許したのか。その矛盾を問いたいが、その相手はもうこの世にはいない。

 雪織は、思案している間伏せていた目を霧に向けた。

「私、城に行きます。だがら聞かせて下さい」

「雪ちゃん!」

「だって、お母さんはお城のことは何にも教えてくれなかったのに、兄様や飛くん霧くんと仲良くすることは止めなかったの。お母さんのことだから、きっと何か理由があると思うんだけど、私にはそれが分からない。知りたいと思うし、それに…お父さんにお守りを渡したい」

 雪織の縋るような視線に、飛が下唇を噛み締めた。それを一瞥して、霧は姿勢を正す。

「承知しました、雪織様。…黒羽とは、各国に存在する隠密集団です。仕えるのはその国の城主唯一人。例外として、隆成様のような次期城主や側近の有力者なども含まれます。黒羽の名前の由来は闇に紛れて戦場を駆けるその鳥のような素早い動きから、黒い羽、と。仕事の内容は多岐に亘ります。戦場で正々堂々と戦う武士とは違い、主に人目につかぬ所で動きます。表向きの仕事には護衛もありますが、裏では諜報、暗殺なども行います。我々黒羽は人にあって人にあらず。幼い頃からそれらの仕事に必要な能力のみを学び、城主様とその血に連なる方々のために働くことを生涯の勤めとしております」

 いつものように音が均一な霧の声は、いつも以上に淡白に響いた。

「飛くんと、霧くんも…」

「はい。黒羽の名は一字と決まっております。民衆の中にはそれを知らずに一字の名を己の子につける者もおりますが、城に関わる者は皆それを承知していますので、城下で己の子に一字の名をつける者はおりません」

「そう、なの…」

 それで名前のことを聞いた時に、二人の様子がおかしかったのだと思い当たる。

「二人は、お母さんから何か言われていたの?私には何も言うなって?」

「俺と飛は、黒羽についての情報を雪織様に伝えないでほしいと、咲枝様から言われておりました」

「その理由は…聞いてる?」

 霧は、小さく息をついた。

「理由はお聞きしませんでした。聞くまでもなく、明らかだからです。黒羽のような汚れた職種の者に、自分の子を関わらせたいと思う親はおりません」

 やはり、そこで矛盾する。雪織は身を乗り出した。

「それはおかしいよ!だって、お母さんは飛くんと霧くんに優しかったし、仲良くするのを嬉しそうにしてたんだよ?」

「それは……」

 霧は口ごもり、困ったように眉根を下げた。

「…咲枝様の性分ではないでしょうか。我々のような者にも分け隔てなく接して下さるような、心根の優しいお方でした」

 今度は雪織が言葉に詰まった。

「で、でも、でも…」

 咲枝の快活な笑顔が頭に浮かぶ。雪織はふと過ぎったその思いつきを声に乗せた。

「もしお母さんが本当に城にも黒羽にも関わって欲しくないと思ってたなら、もっと徹底的にやったよ!兄様が訪ねてきた時だって追い払ったと思う!」

 霧と飛は顔を見合わせた。どちらも似たような、何とも言えない表情をしている。

 雪織は両手の拳を握りしめていきり立った。

「私お城に行ってお父様に会って、聞いてみる!」

「えぇ?」

「雪織様…」

 困った顔の二人に、膨れっ面を向ける。

「さっきは二人共、お父様に会うのに協力してくれるって言った!」

「それは…」

 飛が口を開きかけた時、上空から黒い塊が舞い降りた。

「勘太郎」

 飛の呼びかけに「カァ」と答え、翼を数回羽ばたかせて彼の肩に泊った勘太郎は、しきりにカァカァと鳴いてみせた。

「勘太郎?何だ?」

「来るぞ」

 険しい目つきで告げたのは桂だ。彼は先程飛が手にしていたのと同じ形状の刃物を構えている。一瞬遅れて、飛と霧も立ちあがって同じように得物を構えた。雪織は彼らの背にその姿を隠される。

 雪織の耳にザッザッと草木の間を素早く何かが移動する音が聞こえ、一同の緊張が一気に高まった頃、彼らは姿を見せた。

 川辺に降り立った、鉄黒色の装束を身につけた集団。人数は八。全員頭巾と覆面をしており、背格好も似たり寄ったりで、際立った特徴がないように見える。

「木の影にもいる…二人、いや三人か」

 桂の言葉に、先頭にいた男が少しだけ肩を動かして反応したように見えた。

「どこの国の者だ」

 刀を構えた霧が問うが、返事はない。鉄黒色の装束の男たちは、じりじりと間合いを詰めてくる。その手にはいずれも刀や小刀、あるいは飛や桂の持つ刃物と同じ物が握られていた。天気の良い昼下がりだというのに、それらの刃物はお天道様の光を反射して眩しく光ることがない。雪織が暢気にもそんなことを不思議がっていると、ひゅんと空気を裂く音がした。

 その後キンキンと高い金属音が響いたのでそちらを見ると、雪織の視界を覆うようにして飛の広い背中があった。彼の足元に転がる二本の尖った鉄の杭を見て、自分がその標的であったことに気付き、血の気が引く。突然の攻撃に驚いた勘太郎が、羽ばたいて空へと逃げた。

「俺たちが何者か知った上での攻撃か?」

 怒気の混じった飛の質問に答える者は、やはりいない。

 左に飛の背中、前方に霧の背中。その間で雪織は震えた。

 足を擦るようにしてほんの少し後ずさった霧が、前を向いたまま言った。

「桂殿。申し訳ありませんが、御助力をお願いできますか?」

「仕方あるまい。請け負った」

 桂はそう答えると同時に、懐から取り出した手の平大の鉄筒を勢いよく林に向かって投げた。先程鉄の杭が飛んできた方向だ。雪織が飛の背中ごしにその軌道を目で追うと、筒は林に吸い込まれると同時、凄まじい破裂音と共に周辺を火と煙で覆い尽くした。

 爆風によって、大小様々な木の破片と土が四方八方に撒き散らされる。

ぱらぱらと頭の上に降る土、川辺に転がる燃えた木の破片。そして先程まで草木が密集していたはずの所に開いた穴。それらに度肝を抜かれたのはどうやら雪織だけではないようで、鉄黒色の装束の男たちは顔を見合わせながら少し後退した。

「桂殿…」

「火薬を使うなら先に言ってくれ」

「先に言ったら意味がなかろう」

 先頭にいた男が、片手をサッと斜め下に動かした。すると他の者たちは体をこちらに向けたままで徐々に後ろへ下がり、やがて来た時と同様の身軽な動きで林の中に飛び込むようにして消えた。

 男たちが消えてしばらく待ってから、一同は体の力を抜いた。

「あいつら一体なんだってんだ」

 飛が舌打ち混じりに言うと、桂がさらりと「明らかに雪織を狙っていたな」と応えた。飛と霧が同時に睨んだが、当の桂は会った時から全く変わらぬ涼しい顔だ。

「事実だろう。雪織、今のも黒羽だ。昼間にああいう揃いの装束を身につける時は、戦か暗殺の時と相場が決まって…」

「黙れ」

 今にも噛みつきそうな飛の威嚇に怯えたわけではないだろうが、桂は素直に口を閉ざした。

「何故、雪織様が…」口の中で呟きながら、霧は刀を鞘にしまう。

 無言で川原に散らばる鉄の杭を手にとった桂は、それをお天道様の光に翳して目を細めた。

「形は一般的な棒手裏剣だ。何の特徴もない。これではどこの国の者たちか、判別がつかんな。ただ、あの装束は南の方の者でないことだけは断言しておこう。まぁ着ている服なんぞ、いくらでも誤魔化しがきくものだ。大した情報にはならんな」

「南の方…あんた、火野か青香あたりの出身か?」

 飛が聞くと、桂は短く頷いた。

「元、だがな」

 すると、霧がハッと桂の方を振り返った。

「火野の桂!」

「霧、知ってるのか?」

「十五の若さで火野城主の筆頭となった黒羽だ。内乱で見せた戦闘能力は黒羽の歴史においても百年に一度の逸材と言われながら、城主の死と共に風流れになったと…」

「百年に一度かどうかは知らんが、概ねその通りだ」

「風流れ…」

 そう呟いた飛の瞳が珍しく迷いを映しているのを雪織は見た。しかしそれは一瞬のことで、すぐに落ち着いたいつもの視線を雪織に向ける。突然目が合ってしまい竦む雪織に、大股で近寄った。

「雪ちゃん、無事か?」

「う、うん…」

「桂さん、とりあえず礼を言うよ。おかげで切り抜けられた」

「あぁ。あの人数を俺と飛だけで巻くのは至難だ。しかし、火野の火薬というのはすごいのだな。何発も大砲を撃ち込んだ様な爆発だった。火薬玉ではなくあのような小さな筒であれだけの威力があるとは…」

「あれは火野の物ではない」

 二人が首を傾げると、桂はそれ以上の説明をする気はないらしく、話を変えた。

「それより、雪織が狙われる理由は?」

 飛と霧は苦々しい顔で互いを見た。

「心当たりはないようだな。それでは、お前たちの知らないところで何らかの陰謀があるわけだ」

「陰謀…」

 雪織が呟くと、飛が気遣わしげな視線を送った。

 一人平然としている桂は、三人に向かって手の平を掲げて見せた。

「一、雪織の身内。二、雪織の身内の側近。三、第三勢力。首謀者はこのどれかだろうな」

 一、二、三と、指折り説明する桂に、霧が喰ってかかった。

「まさか!雪織様の存在を知っている者は、お身内でもごく僅か。政継様と隆成様の周辺くらいだのものだ…考えられん!」

「権力者の身内を黒羽まで使って害そうとするなど、城に関係する人間以外にありえんだろう。しかも妾腹の子たった一人を相手にあの人数。お前たちが護衛をしていると知った上での襲撃だな。誘拐して利用するならまだしも、他国が雪織を殺して利益になることがあるとは考えにくい。となると、身内か身内の周囲が一番妖しいだろう」

「そんな馬鹿な…」

 霧が悲壮な声を出す。その肩に、飛が軽く手を置いた。

「まだそうと決まったわけじゃない」

「…そうだな」

「だが若様が雪ちゃんを城へ呼び寄せることを知って、それを阻止したいと思う奴がいるかもしれない。妾腹を快く思わないような自称忠臣だって、居ても不思議じゃない」

 その言葉に眉根を寄せて考えた霧は、強い視線を飛に向けた。

「飛。俺は一足先に城へ戻る」

「霧?」

「もし城の中にそのような動きがあるとしたら、隆成様に知らせる必要がある」

「だがもし道中にまた奴らが襲ってきた場合、お前がいないのは痛いぜ?」

 霧は桂に向けて、突然片膝をついて頭を垂れた。

「桂殿!旅の途中である貴方にこのようなお願いをするのは申し訳ないのですが、」

 霧が言い終わる前に桂は「承知した」と答えた。霧は首を起こし、その切れ長の目を大きく開いて桂を見た。

「困った者を捨て置くほど堕ちてはいない」

「し、しかしお連れとはぐれているとのこと。その方は…」

「なに、心配いらん。俺が迷子になるのはいつものことだからな。そのことについてはあいつも諦めている。五十土城に寄ってから下条へ向かったところで、その程度の遅れはおそらく想定の範囲内だろう」

 普段から何日も迷子になっていると公言するにはやたら偉そうな物言いに、三人は呆気にとられた。

「それに、厄介事には慣れている」

 桂は口元を薄っすらと歪め、不敵に笑った。


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