27.守護者再来
「おはよう、ベア」
タケルさんとの邂逅の後、アイシャ様と添い寝していたセラがドアを開けて部屋を出て来た。
「ああ、おはよう。っつっても、お前も寝てないんだろ?
あと、アイシャ様の様子はどうだ?」
セラの瞳の下に現れている、うっすらとしたクマを確認した俺は苦笑交じりに呟いた。
「まあ、ね。アイシャ様は今のところ落ち着いてお眠りになっているわ。
ところで、ウルフはどうしたの?」
「ああ、仮眠させている。
いくら俺たちでも眠らなきゃバテるからな。
この後、朝飯喰ったらウルフと交代で俺も眠る。
お前もミホか誰かと交代してもらって眠っとけ。
今後、今まで以上に事態は切迫してくる気がする……」
俺は天井を見上げながら今までの出来事を整理し始める。
神坂の主水老を初め、神崎家の要人が集まってくるのだから、
もし今回の騒動の黒幕が神崎家を混乱に陥れる事を目的としているなら、
これからが本番と言えるからな……だが、もし俺の予想が正しいとしたら、
これから集まってくる要人達への警戒は殆ど要らないだろう。
それよりも、アイシャ様へのガードをもっと引き締めなければならない。
「ベア、おはよう……」
静かにドアが開き、目を真っ赤にしたままの女神がおずおずと俺に挨拶して来たのに気付き、
「おはようございます、アイシャ様」
と無理矢理に微笑んで応えながらそっと華奢な体を抱き上げると
「ベア、そんな怖い顔しちゃイヤ……」
女神は俺の首筋を手を回して抱き締めながら顔に頬擦りをしてくれた。
「大丈夫ですよ。もう、貴女を怖がらせる者は誰も居ませんから」
我ながら気休めだよなと思いつつも、そう言わずには居られない。
そして、その言葉を嘘にしないように気合いを入れ直す。
「うん、ありがとう……ね、セラも休んで。私はもう大丈夫だから」
俺に抱かれたままにっこりと優しげに微笑むアイシャ様の頬にセラがキスをして、
「ありがとうございます、アイシャ様。私もちゃんと眠っていますのでご心配なく」
と嬉しそうに答える、が、さすがにそれは無理が有るだろ、お前……
だが、アイシャ様のお世話をミホか誰かに交代してもらえと言ったものの、
現状を考えるとミホであってもアイシャ様が襲われた時に対応をしきれるとは思えない。
いや、それどころかミホ自身の身まで危険に晒す事になっちまう……
そうなると、現役のメイドの中では最強クラスの護衛能力を持つセラ以外に
アイシャ様のお世話を出来るスタッフが居ないんだよな……
「ベア、私は大丈夫だから心配しないで。とりあえずアイシャ様のご洗顔をお手伝いしてくるわね」
青い顔をムリに微笑ませ、俺の心配を察したようにセラが耳打ちしてくる。
「……ああ、頼む」
こう言う時に、男ってのは本当に役に立たねぇな。
俺が歯痒さに身悶えしそうな程の気分になりながら、セラに向かって小さく答えた時。
「Bonjour」
透明感の有る美しい声が、俺たちの耳を心地良く撫ぜた。
「!」「!あなたは……」
しかし、いくら寝不足気味とは言えセラと俺に全く気配を感じさせずに、こんなに接近しているとは……
「Comment allez-vous?」
美しい顔に柔らかな微笑を浮べながら静かに廊下を歩いてくる姿には全く隙が無い。
「ドルフィン!」
俺の腕の中の女神が、ぱあっと笑顔になりながら自らが付けたニックネームを叫ぶと
「アイシャ様、ご無沙汰ですね」
しなやかな細身の体を白いスーツに包んだフランス人女性が両手を広げる。
と、俺の手から降りたアイシャ様がダッと駆け出して彼女に抱き付いた。
「ドルフィン!いつ来たのですか?」
ひょい、とアイシャ様を抱き上げて頬にキスをしたドルフィンにセラが聞くと
「たった今着いたばかりよ。神坂のご老公様に付いてね」
と青い瞳を俺に向けながら、セラに答えた。
「貴方が噂のベアね。初めまして、私はドルフィン。知ってるわよね?」
少女の様に悪戯っぽい微笑を浮べつつ、アイシャ様を片手抱きにして俺に空いた手を伸ばしてくる。
「ああ、キミの噂も聞いているよ。よろしくな」
俺はピアニストの様に細く美しいドルフィンの手を自分のゴツイ手で握り、握手をした。
彼女がドルフィン、か……
アイシャ様から動物のニックネームを頂いた、女神守護者の一人。
あのナポレオン・ボナパルトの出身地で知られるフランス領・コルシカ島を故郷とし、
フランス陸軍の少佐まで勤めた女性だと聞いている。
最初はアイシャ様の音楽と水泳の家庭教師として雇用されたらしいが、
その卓越した戦闘能力と人柄によってアイシャ様のガードを中心とした特殊業務を遂行する様になり、
モンキーと俺、そしてセラのチームがアイシャ様を担当する様になってからは
神崎家の要人ガードが中心になってしまっている、が……
「セラ、ベア、アイシャ様のお世話は私に任せて休んで。
まだまだあなた達には頑張ってもらわなきゃならないんだから」
腕に抱いたアイシャ様の体を愛おしそうに撫ぜながら俺達に言うドルフィンに
「でも、貴女は主水様に付いていなくていいのですか?」
とセラが聞くのに、
「セラ、私の本業はアイシャ様の家庭教師よ?
今回はたまたま人手が足りなくて主水様のガードをして来たけど、
これからは本業に戻らせてもらう事は正臣様も承知して下さってるわ」
とウインクしながら答えてくれる。
こりゃ、まさに百人力ってヤツだな……
俺はドルフィンの美しい顔を見ながら、安堵の為か大きな欠伸を噛み殺しきれず、ふわあと伸びをしてしまった。