18.女神の接吻
美瑛を出て東へ向かいしばらく走り、三国峠のパーキングで一休みする。
本来ならば、少し前に分かれた石北峠を抜ける道が中標津へは近いのだが、
シルビアが話した情報によると石北峠には数人の待ち伏せがあるかもしれない
との事なので、多少大回りにはなるが三国峠を越えて足寄から
阿寒、屈斜路方面へのルートを取る事にした。
また、石北峠から網走に抜ける道にはおとりの車も走っている。
おトイレに行かれるアイシャ様に付き添う私の後ろを少し離れてベアとウルフがついて来る。
トイレに入る寸前、ベア達は足を止めて付近の警戒を始めた。
トイレに入り、私はアイシャ様が入られた個室の前に立ちさりげなく周囲を警戒する。
アイシャ様がトイレから出た後、ベアの所までお連れしてから
「ベア、私もおトイレ済ませちゃうから、アイシャ様をお願いします」
と言い、私の後ろに隠れる様にしてベアの様子を伺っているアイシャ様を
ベアに向かって押し出してウインクする。
それを見たウルフがふっと微笑みながら車の方へ歩き去っていく。
「セラ!?ウルフ!?」
アイシャ様が戸惑った様に叫んだが、私はしらんぷりでトイレに入ってしまった。
セラがアイシャ様を俺の方へ押し出してトイレにささっと入っちまった上、
何の積もりかウルフも笑いながら俺にウインクして車に戻ってしまったので
俺はアイシャ様に近づきながら声を掛ける。
「お疲れじゃないですか?」
…我ながら、気の利かないセリフだぜ…
「は、はい…大丈夫」
アイシャ様が俯きながら答える。
まだ、シルビアの件で怒っているらしいな…まあ、仕方ない事だが。
俺がふっと自嘲気味に笑い、久しぶりに見る三国峠の風景に目をやった時、
「ベア!あの!その…さっきはごめんなさい…」
と、アイシャ様の謝る声が聞こえてきた。
俺が少々驚きながら振り返ると、美しい紅き瞳に涙を一杯に溜めた女神が俺を見詰めている。
やべぇ、胸がキュンとか鳴って、鼓動が早くなっちまった。
「あ…いえ、こちらこそ、アイシャ様のお気持ちを考えずに申し訳有りませんでした」
バッと頭を下げる俺。
「ベア、顔を上げて下さい」
ん?と思いつつ顔をすいっと上げると、目の前にアイシャ様の美しい顔が有る。
うおっ!と俺が驚くと同時に、アイシャ様がふっと眼を瞑って俺の唇にキスをした。
ちゅっ
軽く、本当に極く軽く触れた女神の唇はとても暖かく、そして柔らかかった。
「ひょえっ!?」
突然響いた奇声にがばっと振り向くと、そこには真っ青な顔をしたロナウドと、
ロナウドに監視されているシルビアがニヤニヤしながら立っていた。
「ああああああああアイシャ様、今、ベアと……」
凄まじい勢いで挙動不審に陥っているロナウドを見てアイシャ様がくすっと笑う。
「えへ、ベアにキスしちゃった」
輝く様な微笑で二人に向かってペロっと舌を出すアイシャ様。
「あらあら、愛し合っちゃってるのねぇ」
意味有り気な微笑を見せながら言うシルビアにロナウドが喰って掛かった。
「な、何を言ってるんだ貴様ぁ!アイシャ様は、アイシャ様はなああああ!!」
…なに泣いてんだロナウド…
「あのね、ロナウド。私、さっきベアに酷い事を言っちゃったから
お詫びと仲直りの印にキスしたの」
ロナウドの錯乱振りにさすがに驚いたのか、アイシャ様がフォローを入れる。
「で、では、アイシャ様!俺にもなにか酷い事を言って下さい!!」
…おーい、何言ってんだこのボケ柔術家は。
「何の騒ぎなの?」
ハンカチで手を拭きながら近づいてきたセラが首を傾げながら聞いてくる。
「えへへ、ベアと仲直りしたの。ね、ベア!」
ウインクしながら俺に振り向くアイシャ様。
「ええ、そうですね」
「ななな仲直りするなら俺とも仲直りで酷い事を言って下さい!!」
おい、何言ってんだか自分でも理解して無いだろ、お前…
「ロナウド…どうしたの?」
半泣きになって喚いているロナウドにアイシャ様がすっと近付き、
背伸びをして頬にちゅっとキスをする。
「あ”!アイシャ…様…」
にへらーっとだらしなく溶ける柔術家の情けなさったら無ぇな…
「お取り込み中申し訳ないんだけど、私もトイレに行っていいかしら?」
苦笑したままのシルビアがやれやれと言った風に声を掛けてくる。
「あ、じゃあ私が付き添うわ。ベア、ロナウド、アイシャ様をお願いね」
シルビアの後ろに立ち、トイレへ三度向かうセラを見送りながら
俺はデレデレになってアイシャ様と話をしているロナウドを苦笑しながら見ていた。