15.熊と狼
「アイシャ様!ご無事ですか!」
ベアの声が響く。
私がはっとアイシャ様を見ると、運転手に抱かれて呆然としている。
運転手の足元には、シルビアという女が昏倒していた。
「殺したの?」
私の問いに運転手が答える。
「いえ、とりあえず眠ってもらいました。
後ほど、尋問などが必要でしょうし」
不敵に微笑む男の腕の中で、アイシャ様がハッと正気を取り戻した。
「ベア!セラ!運転手さん!みんな無事ですか!?」
思わずふっと微笑んでしまう。
「ええ、大丈夫ですよ。アイシャ様こそお怪我は御座いませんか?」
優しく微笑みながら問い掛ける運転手。
「私は大丈夫。ヨーゼフは!ヨーゼフが刺されたの!」
そうだ!あのセントバーナードは…!
「キューン…」
アイシャ様の声に応える様に犬の鳴き声が響く。
「ヨーゼフ!」
アイシャ様は運転手の手から降りて犬の元へと駆け寄った。
続いて運転手、私が駆け寄る。
「俺は庭で伸びている奴等をしっかりとふんじばって来る」
言い様にひょい、と三人の死体を抱えるベア。
アイシャ様の意識がヨーゼフに向いている間に死体を片付けるのね…
私はベアにウインクして、アイシャ様が抱き締めているヨーゼフの様子を見た。
「ちょっと、宜しいですか?」
運転手がアイシャ様の手の中の犬の傷口を調べだす。
「…うん、それほど深くは無いですね。
ヨーゼフの毛がふさふさだったのと、ナイフが折れていたのが救いです。
内臓には達していないので、命に別状は無いでしょう」
魅力的な笑顔でアイシャ様に微笑み掛ける運転手。
「本当!ヨーゼフは大丈夫なのね!?」
涙を流しながら聞き返すアイシャ様。
「ええ、大丈夫です。こう見えても私は獣医師資格を持っていますのでご安心下さい」
「ありがとう!えと、運転手さん!」
ぱあっと微笑むアイシャ様。
「きゅーん…」
ヨーゼフがアイシャ様に甘える。
ヨーゼフにお顔を舐められながら、アイシャ様が運転手に問い掛けた。
「運転手さん、あなたのお名前は?」
心なしか頬を染めながら、運転手が応える。
「アイシャ様のお好きな様にお呼び下さい」
「え…?」
アイシャ様は少し戸惑ったが、にっこりと笑いながら言った。
「じゃあ、あなたはヨーゼフとも仲良しだし、牙みたいな刀を持っているから狼さんね!
ウルフ、って呼んでいいですか?」
運転手が少し驚いたように頷く。
「私の刀の名前は、まさにその通り”牙と言います。
凄いですね、アイシャ様…ウルフ、と言う名前、謹んで頂戴します」
”ウルフ”はアイシャ様の手を取り、口付けをした。
二十分後、周辺を片付けたベアが縛り上げた生き残りを一室に閉じ込めた。
また、死体を外に出しておくとヒグマを呼び寄せかねないので、
厳重に梱包してから物置小屋に入れ、しっかりカギを掛けた。
アイシャ様はしばらく脅えた様子だったが、ヨーゼフとベアに挟まれて寝息を立てだした。
私はその間に札幌の神崎家に連絡を入れ、事後処理の手筈を整え
こちらに処理用の人員を派遣させる手配をした。
今回の件は警察には報せず、また一応上から手を廻すようにも手配しておく。
オーナー夫婦もなんとか寝入り、そろそろ空が白んでくる頃に
ようやく私とベア、そしてウルフは一息つくコトが出来た。
「それにしても、貴方には驚かされたわ」
私がウルフに向かって話しかける。
「ああ、それは申し訳ありませんでした。
まあ、私の本分は運転手ですから…」
穏やかに微笑むウルフには、先ほどの殺気や迫力は微塵も無い。
「ねえ、ベア。貴方はウルフの事を知っていたの?」
ベアはさっきからウルフ、と言う言葉に反応してニヤニヤ笑っている。
「ああ、知っていた。
しかしまさか神崎家で、しかも札幌の屋敷で再会するとは思わなかったがな」
ふっとウルフも微笑む。
「それはお互い様さ。お前がボディ・ガードなんぞをやっているとは驚きだったよ」
二人は目を合わせてニヤリとする。
「しかし、アイシャ様には敵わんな。お前のニックネームが狼、とはね。
あの頃のCNと全く同じだとは笑っちまうぜ」
ウルフが苦笑する。
「そういうお前だって、灰色熊から熊になっただけだろう。
たいして変わらないさ」
苦笑いしながらも懐かしそうに話す二人にまったく入って行けない。
「ね、もし良ければ二人の経緯を教えてくれないかしら?
私だけ置いてけぼりじゃ納得出来ないわ!」
私の不平に二人は肩を竦め、ベアが話し出した。
「ああ、俺とウルフは昔、同じ部隊で戦ったんだ。
アフリカの、ジャングルでな…」
遠い目をするベア。前にちょっとだけ聞いた、あの哀しい話の時の事ね…
「生き残った五人の内の二人って事…?」
質問する私に今度はウルフが答える。
「ええ、そうです。あの時、最後に残ったのは何故か全員アジア人だったな。
その内の二人が俺とベアなんですよ」
ウルフも遠い目になる。
「そうだ、今回北海道に来る前に陳さんに会って来たぜ。
横浜で怪しげな中華料理屋兼オリジナル武器の闇商店やってる。
相変わらす陳さんの造った武器は良い出来だ」
ベアの言葉に微笑むウルフ。
「ああ、あの時も陳さんがジャングルの木や有り合わせの材料で造った
武器や罠のお陰で戦えた様なモノだったな。
彼が居なければ、きっと全滅していた…」
「そして、彼女、か…」
ベアの呟きにウルフが応える。
「ああ、彼女が居なければ…」
昇る朝日に二人の顔が染まり、表情が見えなくなてしまう。
でも、二人とも何故かとても哀しい顔をしていたのだけはいつまでも私の心に残った。




