その5
「ここですよ。あれ、おたくの水巻君ですよね?」
一階の裏窓付近に立っている隊長が、その外を指差している。
「え? どれどれ」
警部がそこから顔を覗かせてみると、何故だか数人の捜査員が腰を屈めており――その輪の中には、一人の男が倒れているではないか!
「はちゃあ……」
「す、すみません! 警部」
すでに立ち上がっている部下が、しきりに頭を下げている。
二人が今いるところは、建物の裏庭とでも言おうか、所謂“猫の額”ほどの敷地である
「いきなり『すみません』と言われても、何のことだがわからんじゃないか!」
水巻刑事三十四才こと、通称“左巻きクン”である。
「ああ、それもそうでした。実は年甲斐もなく、つい緊張しすぎちゃいまして」
その彼が、さかんに頭を掻いている。
「緊張? 当たり前じゃないか。気が緩んでいるよりは、はるかにマシだ」
上司のこの言葉に一安心したしたのだろうか、部下の口調が軽くなった。
「そうですか! いや、それで用を足したくなりまして」
「はあ? ま、まあ、続けろ」
「それで、このブロック塀に向って……」
「た、立ちションしたのか?」
「は、はあ。この場を離れるわけにもいかなかったもんで」
まあ一理あることはあるが、それにしても
「それと、そこで昼寝したことと、どう関係してるんだ?」
警部がこう言ってくるのも無理はない。
「えっと、その中途で、いきなり後から頭を殴られまして」
無意識なのか。はたまた意識しているのか、彼はしきりに首を回している。
「はあ、それで倒れていたのか? で、犯人の顔は?」
「それが、まったく」
「もう! 頼りにならんな!」
この怒りの矛先は、もちろん目の前の部下は当然のことながら、残り半分くらいは己自身にも向けられていたのだった。要所に“左巻き”を採用した、この点にである。
「くそ!」
思わず、天を仰ごうとした船虫さん。だが、その顔が塀に隣接している田んぼで止まってしまった。折りしも夜半に降った雨により、そこが多少湿っている。そして、そこにハッキリと見て取れるのが――遠ざかって行く一足分の足跡だった。
「やはり、ここから逃げられたか」
悔しげな顔の警部ではあるが、まだ運に見放されていないとも思っているのだ。何しろ昨夜の雨は、十日ぶりの天からの恵みだった。もしこれが昨日だったら、乾き切った田んぼには足跡なんて残らないはず。
船虫警部が元気よく、少し離れたところの部下に叫ぶ。
「非常線だ! すぐに非常線を張るんだ!」
こう言って、すぐに顔を戻し
「水巻君よ。おまえさんは、今後もう少し気をつけるんだ」
これに部下が恐縮している。
「は、はい。もう立ちションなどはしないように……」
いやはや、さすがの左巻刑事である。
行内に戻った船虫警部は二階で行われている事情聴取に加わり、そこで磯目刑事から渡された記録に目を通している。
どうやら、一通り終わったようだ。
「警部、何かありましたら」
「ああ」
一つ頷いた船虫さんは、目の前の三人全てに目やり
「重複するかもしれませんが、掻い摘んで質問させてもらいます」
そして向って右に座っている髪を後で一まとめにした女子に、早速話しかけてきた。丸い顔なので、アップがそれに拍車をかけている。
「では、そちらから。お名前は?」
「新宮ゆかり、です」
極度の緊張によるものだろうか、青い顔した米茄子を思い起こさせる。
「ああ、新宮さんね。それで、あなたの業務内容は?」
「は、はい。カウンターで接客を……あ、一階です」
「わかりました。では……」
そう言いながら彼はポケットから一枚の紙を取り出し、目の前のテーブルに置いた。先ほど一階で部下から渡された、ここの見取り図である。