その10
「うっ」
すっかり、今飲んでいる最中の華乙女のことを忘れていた探偵。答えは火を見るより明らかだ。それに加え、テーブルの上には助手から差し出された、どこぞの名産品の塩辛である。
彼女は、これを横目で見ながら、ゴクリと生唾を飲み込み
「じゃ、じゃあ先行くね、警部」
「どうぞ、どうぞ……あ、よだれが!」
「お?」
慌てて己の袖で口元を拭く木俣さん、その作業も終え
「あのさあ、話を聞いて思うんだけど、いくつか引っかかるんだよね」
「たとえば?」
またまた、ハイライトに火を点ける探偵。もう何本目になるのだろうか。ちなみに、一日で軽く三箱はいってるはず。そして、彼女は旨そうに煙を吐きながら
「まずね、二十名だっけ? いや、行員も混じってるから、それ以上だ。まあとにかくさ、彼ら全員をみすみす見逃がしているのが、どうも不思議に思うんだ」
「人質は少数のほうが扱いやすいとか」
「ふーん、そう来るんだ」
そして、その両目をさらに近づけてきた。
「ねえ。銀行強盗らが最も優先すべきものは、なーんだ?」
これに対し、即座に警部が吐いてきた。
「そりゃ当然、金の確保、そして素早く退散することですね」
「だよね? ならさ、逃げた客たちから通報を受けた警察がさ、すぐにやってくるじゃん。そうなってしまえば、退散できなくなるよね?」
相手が腕を組んできた。
「確かに、ね」
「いい? 身の危険が迫ってきてからの“人質”なんだよ? 一見ごく当然っぽく映るけどね、この事件のココが腑に落ちないんだ」
「なるほど。先に人質を確保している点か」
さすがに頷くしかない船虫さんだ。反論も、もはや出てこない。よって、探偵の舌がさらに滑らかになってくる。
「だいたい大勢の客らが逃げていくのを、指を咥えて見ていた犯人がさ、支店長だけはズドン、だよ。それも至近距離から」
指でピストルの形まで真似て、相手に目がけて一発撃ってきた。
「それは、支店長が警報ボタンに手を差し伸べたから……」
中途で相手に睨まれた警部は、即座に
「あ、いえいえ、先をどうぞ」
「素直でよろしい。で、ココも気になるのだ。逃げ惑う客らに『こら、貴様ら! 動いたらぶっ放すぞ!』くらい言って銃口を向けるんならさ、支店長の件も納得するんだけどね。どうも、イメージが違うんだよね」
「イメージ、ですか? は、はあ」
反論さえ出てきてはいないが、船虫さんは納得できかねている様子だ。
「じゃあ、これは一旦横に置いといて」
そう言いながら、木俣さんはその件を見えない箱の中にいれ、テーブルの端に追いやった。
「それとさ、次にアレッって思ったんだけど、福津クンは誰に縛られたって言ってた?」
いきなり話が飛んだので、警部は答えを出すまでに少しだけ時間を必要とした。そして、ようやく
「あ、ああ。犯人Bにですね、確か。あとの女子二人とも、ですが」
木俣さんは、これに我が意を得たように
「だよね。じゃあ、何で彼氏のロープはすぐに解かれたのに、あとの二人のはさ、なかなか解かれなかったんだろう? SATの隊長さんの話ではさ、相当手間取ってるみたいだったよ。はて、この歴然たる差は、どうしてかな?」
実に細かい指摘である。加えて、『何故?』と言われても――ただただ、薄いオツムを捻るばかりの警部殿。
その時、いつの間にか木俣さんの隣に戻ってきている助手が口を開いた。
「そ、それって、もしかして……」
それに
「ワアーワアーワアーワアー」
露骨に声を上げて邪魔しにかかった船虫警部さん。捜査のプロである意地が、思わずそうさせてしまった。
「もう、警部って大人気ないなあ」
田部助手が目の前を一旦睨みつけたあと、すぐに隣に向かって
「木俣さん。もしかしたら、福津さんだけが軽く縛られてたってことですか?」
これに、さも然りと頷く探偵。
「そうとしか思えないね」
頭を捻って逆正三角形になったおにぎり君が、今度は呟いている。
「何故、福津さんだけが軽めに縛られたのか……」
「あのさ、犯人が彼氏一人だけを軽く縛るって意味ある?」
「わ、わかりません」
「キミさ、いつまでも助手に甘んずる気か? 立派な探偵になるにはさ、もっと発想を変えなきゃ」
そう言って、彼女が親指を己の“無い胸”に向かって指している。
「は、はあ。発想の転換ねえ……」
別に探偵になる気など毛頭なかった彼氏だが、やがてその頭が光った……ように見えた。
「そ、そうだ! 自分で縛ったんだ!」
「後ろ手で縛られてんだぞ! 無理、無理」
相手に一刀両断にされ、うなだれるおにぎり君の代わりに、ここでプロがその片鱗を見せてきた。
「ま、まさか、二人の女子行員が縛った?」
「お、さすが警部。そう、それしかないよね。背中合わせで彼女らが福津の手をロープで縛った。だから、それくらいの強さでしかできなかった……ユーシー?」




