八尾柳 美由紀
一方、翔也が結界の中に閉じ込められている最中。
凄まじいまでの荒地、いや、荒地と化してしまった地面の上で、黒い虎が傷だらけで倒れていた。
辺りの木々はすべて薙ぎ倒され、平坦だった地面は殆どが瓦礫と化し、粉塵が漂っている。
あたかもこの場で想像を絶する激戦が繰り広げられたようなこの地は、見るに絶えない事だろう。
そして、数多く存在するクレーターの中の、一際大きいクレーター、その中心で弱弱しく鳴く黒い虎を、美由紀は見下ろしていた。
《グ・・・・・・・ァァ・・・・・・・》
「所詮・・・・・四神、ランク的にはCランクの神ですし・・・・この程度ですわね、どうせなら黄竜が良かったですわ・・・・アレならBランク級にはなりますのに・・・」
美由紀は無表情で目を細め、失望の念を込めて呟いた。
僅かとはいえ、淡い期待を秘めていたが為に。
そして美由紀は身を翻す。
その後、黒い虎を倒した美由紀は少年を隔離させた自らの《結界》の前にやってきていた。
「この少年には少し悪い事をしましたわね・・・・気を失っていなければ良いのですけど」
目の前には卵の様な形をした黄金の球体、その表面に右手をそえ、解くための言霊を唱えようとしたその時、異変が起きた。
パキッ・・・と、まるで硬質な物体に皹が入るような音が響いた。
「まさか・・・・・・・」
美由紀は目の前の自分の結界に皹が入っているのを見て、思わず目を瞠る。
何故なら自らの結界が壊されようとしていたからだ、こんな事はありえない。
そして、美由紀の困惑の最中、結界の皹は全体にまで広がり、やがて------------------砕けた。
キッ・・・・ィッ・・・・・・ッ・・・ン・・・
甲高い、悲鳴をあげるようにして目の前の黄金の結界が砕け散り、その破片が辺りに散らばる。
その瞬間、結界の中から木刀を振りぬいた格好で目を閉じている翔也の姿があった。
居あい斬りを放った直後の様にして停止している翔也に、美由紀は思わず目を細めるのだった。
「お・・・・・・? やっと出られたか・・・・・?」
「あなた・・・・・・」
「あ・・・・・」
翔也の呆然とした呟きに、美由紀は困惑を込めて呟いた。
そして翔也は目の前に立っている金髪の美少女を見ると、目を見開いた。
探していた人物が目の前にいるのだからそれは驚くだろう。
「無事・・・・だったのか・・・・?」
「・・・ええ。 って、あなた・・・まさか、わたくしの結界を破ったんですの・・・・?」
美由紀の呆然とした声に、翔也は後悔した。 余分な事を言うべきではなかったのだ。
「一体どうやって・・・アレは正式な魔術・・・霊域守護級の結界を・・・・その木刀で・・・・? というよりも、どうして? 結界内ならば安全だというのに・・・」
「いや・・・・君が心配だったから・・・」
そんな翔也の俯いた顔に、美由紀は吹きだすと、笑い出した。
「ぷっ・・・あははは! 貴方、相当に愉快な性格ですのね!」
「そ、それより・・・・あの虎は・・・・・・」
翔也はそう告げるなり、美由紀の背後にある特大のクレーターの中にボロボロで倒れる虎の姿を視認する。
「ぁ・・・・・・・」
翔也は呆然となった。
まさか、あの絶対的な威圧感を放っていたあの虎が、ああもぼろぼろにされているなど、想像も出来なかった。
「ああ、丁度いいですわ、あなたはあの白虎に良いように扱われていたんですよね? であれば、よく見ておいて下さいな、あの愚かな神の・・・最後を」
美由紀はそう告げるなり、虎の姿を見下ろすと、こう告げる。
「さて、終わりにしましょう」
美由紀の両手には黄金の光が宿っていた、その光の粒子が渦を巻き、右手に集まっていく。
それは一本の細い槍となり、辺りを照らす。
夜であればその全てを照らしてしまえるであろう程の黄金の光が森一体を包み込んでいく。
「《堕ちた神》に、せめてもの救済を-----------------------」
《オノレ・・・・・神ノ使徒ガ・・・・・・・》
美由紀の《詠》と共に光の槍が掲げられ、切っ先が黒い虎を向いた。
そして、一部の隙も与えることなく、光の槍が黒い虎に突き刺さる。
「穿て、『神槍』」
美由紀の声が響き、黄金の槍が黒い虎を完全に射抜いた。
《グォォォォォ・・・・・・・・!》
雄叫びを上げながら消滅していく黒い虎を見つめ、美由紀は身を翻した。
その瞬間、巨大な爆発が背後で轟き、黒い虎の気配も消え去った。
爆発によって発生した凄まじい粉塵が吹き抜ける中で、美由紀は胸元で十字をきった。
「どうか、彼の神に永遠の眠りを」
美由紀の快活な笑みに、翔也は思わず見とれたが、先程の出来事を思い出すと、顔を引き締める。
「あの・・・今の黄金の光の事なんだけど・・・・・」
気になってしょうがなかった、目の前のこの少女が起こした奇怪な出来事の数々。
そのどれもが、科学で説明がつくものではないと翔也は考えていた。
そんな翔也の様子に、美由紀は思い切り目を見開き『あちゃぁ・・・』と呟くと、息を吐いた。
「失念していましたわ、そういえば貴方にはわたくしの『力』を見られたんでしたわね。 あぁ~面倒くさいですわ・・・・」
失念も何も、今目の前で堂々と見せたじゃん、という翔也の問いは、恐れから憚られた。
「あ、あの・・・・・・」
「貴方、今日、この場で見た一切の事を黙認する事を約束してくださいませんか?」
「へ・・?」
突然の美由紀の言葉に翔也は呆然と口を開く、それに美由紀は失笑を漏らす。
「貴方はわたくしが闘勇士である事は分かりますわね」
美由紀は赤と黒の特徴的な制服らしきものを見せつけ、翔也は黙ってソレに頷いた。
ここまで特徴的な服装をしているのは、この辺りでも、いや、全国的に見ても闘勇士関連の教育機関だけだ。
そして、闘勇士とは一般人を災害から守るという意味不明で疑わしい理由を秘めた特殊な存在である事も、政府直下の組織である事も翔也は理解している。
「今回の出来事そのものが国家機密事項に匹敵する事象である為、貴方にはこの事を誰にも話さないでいて欲しいんですのよ。 尤もわたくしのミスが招いた事ですけどね」
美由紀は肩を竦め、目を閉じる。
そんな中、翔也は先程の事を合わせ、自分なりに思考してみた結果、美由紀は先程の不思議な力については伏せておきたいようだった、理由は不明だが。
「うん・・・・さっきの事は内緒にしておくけど・・・・・あの黒い虎は何なんだ?」
翔也がどうしても聞きたかった事、二日前からずっと悩みの種となっていた存在。
商店街で出会い、空を紅く染め上げ、翔也を非現実的な世界に放り出した存在。
美由紀はそんな質問を投げかけた翔也の目をじっと見つめると、小さく息を吐いた。
「貴方に話したところで信じられないかもしれませんが、アレは___神ですわ」
金髪の髪を弄りながら呟いた美由紀の言葉に、翔也は瞬きを繰り返す。
そして、先程の言葉を再度思い返した。
「神? 神って・・・・神様の神?」
「ええ、アレは神。 性格には堕落し、人間にとって、世界にとって有害となった存在。 言うなればそう、邪神とでも言えば良いですわね」
絶対的に非現実的な単語の数々に、翔也は思わず瞠目する事しかできない。
当たり前だ、神など、宗教学における信仰対称なだけであり、世界に確固として存在を容認されるような存在ではないのだ。
いや、そもそも神などといった存在は、信仰という手段により人間の自己収束的な意思を引き出す為に存在するものなのだ、それが実際にこの世に存在するなどありえる筈がない。
だが、翔也は気づけばこう答えていた。
「そ、そっか・・・・・・神・・・か」
翔也のそんな様子に、美由紀は首を傾げる。
「貴方、信じますの?」
「いや・・・信じるも何も・・・・目の前であんなものを見せられたら誰でも信じるって・・・・」
翔也の脳裏で思い返されたのは、先程の禍々しいオーラを放っていた黒い虎と黄金の光を放つ美由紀の姿だった。
そこで、翔也はあるひとつの疑問にたどり着いた。
「ま、まさかと思うけど・・・あの不思議な光を使っていた君も・・・・神様なのか?」
目の前の金髪の少女・美由紀もまた、あの虎と同じように理解不能な超常の現象を以ってして黒い虎を圧していた。
ならば、この少女もまた人外なる存在なのではないか__そう思うのはある意味当然だと翔也は思った。
だが、翔也の危惧していた疑問は、美由紀の笑みによって解消される事となった。
「まさか、わたくしは正真正銘、人間ですわよ? ただ、少し特殊な力を使えるだけで」
「特殊な力?」
「ええ、詳しくは教えられないのですけど、先程の力こそが闘勇士にとっては必須となる力ですから」
美由紀の言葉に、翔也は思わず硬直する。
『闘勇士には必須となる力』?
「ちょっと待て・・・それって、まさか闘勇士っていうのは全員がさっきみたいな意味不明な力を扱えるって事か!?」
翔也の絶叫に、美由紀は目を細めると、鋭い口調で言い放つ。
「残念ですけど、これ以上貴方に何かを教える事はできません。 確かに貴方は神という化け物を見ても物怖じしない凄まじい精神力を持っているようですけど、貴方は一般人。 人の世界に生きる者、私達とは相容れませんの」
「っ・・・・・・」
翔也は思わず口を噤み、目を細めた。
だが、ここで引くわけにはいかなかったのだ--------------------決して。
何故ならこの少女は翔也にとって聞き捨てならないことを言ったのだから。
闘勇士には必須となる力、だとすれば父親の竜也、彼もまた闘勇士だった。
ならばもしや竜也もこんな意味不明な力を使うことが出来たというのか?
「貴方は闘勇士について、世間一般的に知られる情報を超えた、機密情報に部類される部分に触れてしまっています。 故に、貴方には黙秘権が存在する事になりますわ、本当に勝手な事で申し訳ないのですけど・・・・貴方には今日のことは黙っていてもらいます-------------もしそれが出来なければ貴方は社会的に抹消される事となりますわ」
美由紀の口から発せられる辛辣な言葉の数々に、翔也は轟沈してしまった。
もはや言い返す気力すら湧かなかった。
流石にここまで言われてしまえば、言い返すことができる人間はいないと翔也は断言できる。
「とはいえ、貴方に何も言わずに去るのは流石に後ろめたいものはありますわね。 改めて名乗りますわ、わたくしは闘神明星学園所属の闘勇士、八尾柳 美由紀と申します」
黄金の髪をなびかせた少女はすらすらと言葉を紡ぎ、優雅とも言える雰囲気を纏い、微笑んだ。
その笑みに翔也は呆然と魅せられたのだが、美由紀の視線に『貴方も名乗りなさい』という意志が含まれているのに気づくと、自らも名乗りを上げた。
「お、俺は尼神翔也と言います・・・・」
そして、美由紀は翔也が名乗りを上げた瞬間に眉を吊り上げた。
「尼神ですって? あなた、まさか・・・いえ、《会長》に弟が居たなんて聞いてなどいませんし・・・」
美由紀は思考の海に埋もれてしまったようにぶつぶつと呟いている。
「あの・・・どうかしたんですか・・・・」
「あら、わたくしとした事が、他人を前にして考え込んでしまいましたわ」
美由紀ははっとなると、黄金の槍から手を離した。
すると黄金の槍が空間に溶けるように消えてしまった。
翔也が不思議そうな目で槍を見ているのに気づくと、美由紀が目を細めた。
「あなた、闘勇士に興味がありますの?」
「い、いや・・・不思議だな~と・・・・」
「そうですの、もしも闘勇士に興味があるのならば、闘神明星学院に来なさいな。 それと、あなた中々面白そうですからアドレスを交換しませんこと?」
美由紀はピンク色の携帯を取り出した。
「メールアドレスですか? 良いですよ」
翔也も携帯を取り出すと、お互いにアドレスを送りあった。
「完了ですわね」
「はい」
「では、わたくしはこれで失礼いたしますわ。 これから学校がありますし、それともしも今日の様に不可解な出来事で困った事があれば連絡してくださいな、直ぐに駆けつけますわ」
美由紀の真摯な言葉に胸が熱くなった翔也だが、何故ここまで熱心なのか尋ねることにした。
「あ、あの・・・・どうして俺の為にそこまで・・・・・」
「そうですわねぇ・・・・単純にあなたが面白そうだからというのもありますけど・・・・」
美由紀は一度言葉を切ると、翔也を見つめる。
「そういう不可解で理不尽な災害から人々を救う事が、闘勇士の使命ですもの」
「ッ・・・・・・・・!!」
翔也は目を見開いた。
「では、失礼いたしますわ」
美由紀が告げた瞬間、姿が光の粒子となって消え去った。
翔也は美由紀を見送る事が出来なかった、それどころではなかったのだ。
頭の中に、ある映像が流れたからだった。
それは小さい頃の記憶、自分がまだ六歳の頃の記憶。
家を出ようとする父親の後姿。
《お父さん・・・もう、行っちゃうの?》
《ああ、すまないな翔也。 だがそれは仕方が無いんだ・・・・・理不尽でどうしようもない天災から人々を・・・お前を守りぬくことが・・・俺の使命だからな》
親父はそういって笑っていた。
今日という日が、翔也にとっての分岐点である事は、誰も知る由も無い事だった。
そして、世界が望んだ救済の力が誕生する事など・・・・誰も・・・・