魔・再臨
一方、由真に関してそんな出来事が起きているとは露知らず、翔也は自分の部屋の窓から外を眺めていた。
夜の風が吹きぬけ、心地良い、しばしその夜風に身を委ねる。
風呂上りに夜風に当たるのは由真から禁止させられているのだが、中々どうして、この爽快感を理解する事が出来ないのだろうと翔也は疑問を持つ事がある。
目をじっと閉じて、夜の気配を感じ取る。
「・・・・・・・・・・・好い夜だな」
海の香りが雑じった潮風、それはこの街だからこそ感じ取れる匂い。
生まれてから今までずっと共に在った匂い。
そんな生まれてから共にあった街の事で、知らない事があるのだと、翔也は今日始めて理解させられた。
高天山の事、この地の神様の事。
「はぁ・・・・」
ゆっくりと、体の中の嫌な空気を吐き出すように息を吐く。そしてそのまま外を見つめ、目を細めた。
「そういえば母さん・・なんであんなに山の事に詳しかったんだろ・・・・まるで・・・・・行った事があるみたいな言い方だったな・・・・・」
《高天山の頂には祠があるの》
「祠・・・・かぁ・・・・・・今日変な出来事に遭遇したばっかりだし、御祓いを受けてみるのも良いかな・・神様を祭ってるのなら・・それくらいの力はあっても良さそうだしな」
翔也は呟き、無数の星々が瞬く夜空を見上げる。
「夕方の事・・・・あの黒い虎が言ってた『幻想』って、何のことなんだろ・・・・・」
翔也は何となく気になったことを口に出してしまった。
あの黒い虎が言っていた言葉、妙に気になって仕方が無い。
そんな疑問の中で、翔也はひとつの回答にたどり着いた。
「決めた、明日高天山に昇ろう。 朝の四時に行けば丁度上り下りくらいはできる筈だ」
今日起きた出来事のお祓い的な効果があればラッキー、無くとも何らかの秘密を見つけられれば・・・・・・。
・・・・・・・・・・。
翔也はため息を吐くと、窓とカーテンを閉め、ベッドに入った。
翔也の意識が途切れたのは、五分後の事だった。
ごそりと布団が擦れる音が部屋に響き、布団から翔也が顔を出した。
部屋はまだ真っ暗で、時計の針が時を刻む音だけが響いている。
「う・・・・・・ん・・・・・朝・・・・か」
翔也は呟き、自分の横に置いてあったタッチパネル形式の携帯電話をタッチで起動させると、画面には三時半という表示が成された。
「朝の三時・・・・・・今から行けば時間は十分あるな」
翔也は眠気の残る頭を振り、惜しそうにしながらもその眠気を断ち切る。
ベッドから降りて、体の筋肉を確かめる。
「う~ん・・・・昨日、変な出来事に会ったからかな・・・体が重い・・・・」
屈伸や腕を伸ばしたりした後、壁のハンガーに架かっていた白のジャージを手に取り、それを羽織る。
カーテンを勢い良く開くと、シャッ!という音が響き、町の景色が目に入る。
翔也の自宅は比較的に高天山に近い位置にあるため、かなり高い位置に家が建っている。
高天山から離れれば離れるほど、土地の高低差が低くなっていくのだ。
最も、今はまだ太陽が昇って来てすら居ないので、建物の光がちらついているだけだが。
翔也は欠伸を噛み締めると机の横に立てかけてある木刀を手に取る。
その木刀を暫し眺め、目を閉じて、部屋を出た。
リビングに降り、そのままキッチンの奥にある裏勝手口から家を出て庭へと降り立つ。
突き刺すような冷気が肌を蝕む。
翔也はそんな感覚を物ともせずに、庭の柵を越え、森林へと着地する。
そのまま森林の中へと足を踏み入れた。
湿り気を帯びた土の匂いが翔也の鼻から入ってくる。
目を細めながら翔也は息を吐く。
昔からこの山の新鮮な空気が翔也は好きだった、体中が清涼感に満たされるこの感覚が。
そのまま数十分ほど歩くと、昨日の朝に木刀を振るっていた場所へと辿り着いた。
時間は四時ジャスト、漸く空が薄暗くなってきた頃だ。
翔也はそのまま木刀をぶらんと手に提げたまま、その場を後にした。
今日向かうのはこの場所ではなかったからだ、今日向かうのはこの山の頂。
今まで竜也と一度だけ言った事があるらしいのだが、如何せん翔也が小さい頃の話の為に覚えては居ないのだ。
「記憶にある限りじゃ、俺は始めて行くんだな」
翔也はひとりごちると、いくつもの木々を横ぎり、時には段差を跳躍して飛び越えながら、頂へと向かう。
途中、大地欠裂の様な大きい亀裂があったときは驚いたが。
そんな頂へと向かう途中に頭に浮かぶのは、翔也の父、竜也の事だった。
翔也の父親、『尼神 竜也』は闘勇士だった。
それなりに名を知られた強力な闘勇士だったらしく、小さい頃にはマスコミが家に詰め掛けて来た事が十数回ほどあった。
当時、五歳だった翔也には詳しいことなど知る由も無かったが。
「母さんに聞いても、親父の事と闘勇士の事は教えてくれなかったしなぁ・・・・・・」
翔也が知っているのは、闘勇士の中でも指折りの猛者であったことと、天才的な刀使いであったことの二つだけだった。
闘勇士についても、具体的に何をする組織なのかも、教えてはもらえなかった。
翔也が毎朝行っている木刀の練習も、竜也が日課で行っていた事を、翔也がまねしたに過ぎない。
因みに。
尼神家というのは刀においては一流の家柄で、『剣の一族』とまで呼ばれる程、有名だったらしい。
今は廃れてしまったらしいが、『知る人ぞ知る』一族なんだそうだ。
後は、何か《特殊な事情》を抱えていた一族だとも聞いた事があった。
「ま・・・・・俺には関係ないけどな」
翔也は苦笑すると、前方を仰ぎ見た。
翔也の頭上、即ち頂へと向かう山道には濃い霧が発生しており、あたかも行く手を遮っているようにも見えた。
翔也はそんな考えを振り払い、歩みを早めると、頂へと歩いていった。
そして、遂に、高天山の頂へと到着した。
「はぁ・・・・・やっと、ついた・・・・・」
霧が漂う広い空間。
密林の中を円状に切り抜いたかのように、翔也が立つ辺りは、草木一本生えていない。
「おいおい・・・・霧で周りが見えないってどんだけ濃いんだよ・・・・」
360度、全てが深い霧で覆われ、頂がどうなっているのかすら分からないが、ただ円状の広場の様な空間であることだけは、翔也でも理解できた。
翔也が前に手を伸ばしながら霧の中を手探りで進んでいき、やがて何かゴツゴツした石の様なものに触れた。
「っ・・・・・・おっと」
翔也は慌てて立ち止まり、前を注意深く見つめる。
すると、急に霧が晴れていき、一本の巨大な石碑が現れた。
大きさは約二十メートル程、これだけの大きさを持つ石碑があるとは、予想していなかった。
「す、凄いな・・・・本当にご利益が有りそうだぞ・・・・・・」
翔也は石碑から放たれている妙な威圧感に息を呑み、再度石碑を見上げる。
白い石灰の様な石で作られた石碑を前に、翔也は目を閉じ、思わず願掛けをした。
意味が無いとは分かっていても、やはり試してみたくはなる。
「どうか平穏な日々がこれからも続きますように・・・あんな事にはならないように・・・・」
一通り勝手な願掛けをした後、翔也は石碑に書かれている文字に気づいた。
石碑の真上から下まで縦に何らかの文字が記されていた。
まるで蛇が暴れたような妙な文字に、翔也は首を傾げた。
「読めないぞ・・・・・これ。 母さんが言ってたのはコレの事か・・・?」
翔也が呟いたとき、背後から妙な違和感を感じた。
それは悪寒、背筋を虫が這うような、そんな悪寒。
誰かが背後に立っている。
そう感じ取った瞬間、翔也は思い切り叫び振り返った。
「ぁ・・・・・・・」
そこにいるのは、先日に出会った黒い虎。
その虎が、こちらを激しく睨んでいた。