ep.4 誰がエストニア旅行の発案者だろうか
登場人物。
阿部寛 助教授。阿部サワ。三浦直孝 助教授。阿部平蔵。阿部トミ。お手伝いの珠子。
人狼の家族、幸夫、ホロ、キリ。
1926年10月17日(昭和元年)満洲
*)老人からの案内状
時は少し遡る。
昨年の十月十七日に、阿部平蔵に会いたいという謎の人物がいると社の受付女史がやってきた。平蔵の執務室はとても賑やかだ、安易に踏み込めば平蔵の餌食になるのはほぼ確定だと言ってもいいだろう。因みに綺麗な社長室は隣にある。
「会長、今よろしいでしょうか、……!……面会を求めて男性が来社されてあります。」
「誰? 用向き次第だが、」
「はい、ひとことの発音が幸夫さま? と聞えるのですが、このお名前はご存じでしょうか?」
この受付女史が幸夫の名前を知っていることはない。
「あぁ知っている、直ぐに会おうか。」
「では第二応接室にご案内しておきます。」
「歳は分かるか?」
「はい、三十歳くらいには見えますが、モンゴルの方ですから、その、それ以上に私では判断が付きません。」
「そうか……だろうな、分ったから黙って通すように。」
「はい、何時ものようにドアを開放しておきます。」
「あぁ、それがいい。」
阿部平蔵は直ぐに会うからと言って受付女史を退室させる。平蔵は引き出しから封筒と財布を取り出して準備を始める。
また、応接室のドアを開放させる意味は、相手の意表を突く上で有効といえる。不貞不貞しい態度をとっている輩は、急いで態度を改めるので慌てるのだという。
幸夫ではない、謎の人物と会えば単なる使いだけの人物であり、平蔵が欲する情報となれば、簡単なメモ程度の書き付けと、相手は老人だという収穫しかなかった。
「入るぞ、」
「……、」
平蔵は応接室に入る前にやや大きな声を出して相手に知らしめる。椅子を蹴るような、ガタンと大きな異音が聞えたら平蔵はもう部屋の中にいた。直立不動……?
「待たせた、……で?」
「はい、この手紙を貴方様に渡すように頼まれました。」
平蔵は急いで封を切り乱雑に取りだして目を通した。そこには「幸夫さんが会いたがっている、だが正確な日時は新年会の後でないと判らない」とだけの、三行の文字に「幸夫は生きている、善かった」と安堵した。二枚目の紙はモンゴル辺りの地図だと直ぐに理解出来た。
バルーン・ウルト……満洲からは遠くない地点のように見て取れる。これならな独りで行っても大丈夫だろう。
「そうか、誰からとか判るのかな?」
「すみません、老人というだけです。俺の村にやってきて頼まれました。」
「もしかしてバルーン・ウルトか。」
「はい。」
「他には……、」
「何も判りません。」
「そうか、俺は必ず出向くからと、そう伝えて欲しい。」
「はい、必ず伝えます。」
気の良い青年に見えたが、受付女史にはモンゴル人の判断は出来ない。阿部平蔵と老人の仲立ちをしてくれた人物に、色々と尋ねるも「知りません」としか言わないのだから、用意しておいた金一封を渡してお終いとなる。
「そうか……ありがとう。これで家族に土産でも買ってやって欲しい。」
「あ、ありがとうございます。では俺はこれで。」
「モンゴル辺りまでか、注意して帰ってくれたまえ。」
「はい……。」
「?……あぁ~俺の名刺か、無事に役目を果たした証拠がないと金を貰えないよな。」
「いえ、それだけでは……はい確かに名刺を頂きます。」
青年は思わぬ収入で心が踊るような感じで退室する……ことはなかった。役目の低い兵士とも思われる。そうでなければ何日にも亘ってモンゴル辺りから出てこられるような暇はないだろう。
平蔵は色々と考える、小さな紙切れに書かれた文字に、幸夫に関する欲しい情報はあった。ほんの少しだけだとしても信憑性は疑ってかかる案件だな。平蔵は考える、家族には知らせない方がいいだろう結論を出す。
手紙の内容としては「幸夫さんが会いたがっている、だが正確な日時は新年会の後でないと判らない」と言うから平蔵も心穏やかでは過ごせなかった。大いに疑う余地はあれど、「断る」という選択肢は選べない。幸夫の代理と会う日は平蔵に合せたような日時指定に、必ず行きます! と返事を返す。
今月末には家族共々、日本へ帰国すると決めていたから、新年会が終われば慌ただしく引っ越しの準備を始めなければならない。トミには申し訳ないが、嘘を吐いてモンゴルまで出かける準備も始めておいた。
「用向きは……そうだな、シベリア鉄道の保守点検とでも言っておこうか。場所はザバイカリスクでいいだろう。」
1927年1月7日(昭和2年)モンゴル
新年会の二日酔いが醒めた平蔵は、社のトラックを駆ってバルーン・ウルトへと向かう。いや~実に遠かったという言葉か感想か、判らないでもないが漏れ出ていた。貰った手書きの地図は距離感を掴んだものとしては、実に良く描かれているから見たら近くだと感じていた。
満洲とモンゴルの間には見えない国境線があるものだから、直線距離で国境を越えるような道はなかった。在るのは在るんだが実に遠回りをさせられてしまう。あの日……目の前に道案内が居たというのに、老人は先を見越しての若い男を寄越したというのに、平蔵は手紙を読んだばかりに平常心を無くしていたようだ。
「あ~俺はドジったのか、いい案内役を金を渡してまで見捨てたのか。」
道路とは、河川があれば道は途切れる、山があれば回り道を行かされる。鉄道の線路もしかりだ。目と鼻の先に行きたくても道はない、線路なんて歩いて越えればいいんだろうが車で行くとしたら大回りとなるのが世の常だ。国境となれば尚更に回り道を余儀なくされるから、モンゴルの大地は広すぎて敵わない。
地図を広げて道順を辿れば情けない言葉が漏れていた。誰か、運転手を雇う事も考えたが諦める。
「俺はまだ若い……。」
*)謎の老人と再会
平蔵は苦も無くモンゴルのテント・ゲルを探し当てる。突き出た柱の上の更に上に黄色いハンカチがはためくならば尚更だ。
「ここか、入るよ。」
「ホッホッホー。若いの、随分と久しぶりじゃのう。」
「?……あの時の爺さんか?」
平蔵も歳を食ったからか、それとも幸夫事で頭がいっぱいだった所為かは判らない、平蔵の口調はぞんざいになっている。
「そうじゃ。生憎と娘のホロはな、ロシアの暗部と戦っておるでの。これ以上の説明は要らんだろう?」
「あぁ……そうらしい。」
平蔵の質問に答える気はない、老人の言葉はそういう言い回しのようだ。ならば敢て尋ねるはやめておこうか。
結果論であるが幸夫は来ていない。期待は、大いに再会を望んでいたというのに空振りで終わる。でも会える日が少し遠のいたのだと、己に言い聞かせて気を収める。老人にはむかつくから睨んではいるのだが、笑って俺を煙に巻く、更に紫煙で以て俺を煙りで燻る。
「俺はタバコは嫌いなんだがな。」
「ホッホッホー……。」
モンゴルに行ったのは場所や日時の指示を受ける為だけになった。これが本当の理由だと伏せられているから平蔵も期待を裏切られた感情は否定出来ない。
「こりゃすまなんだ。ま~これを見てからでも遅くはないじゃろて。」
そう、目の前に幸夫が着ていた子供服を見せられてしまえば、親ならば誰だって直ぐに信用してしまう。それに「お父さんごめんなさい……。」という手紙を添えられてあるんだ、涙も流れてしまうさ。
「九州弁?」
「ゴホン、いや……あんたの倅は生きておる。今は~ちーとばかし遠い世界じゃて会えんのう。」
「どこですか、こちらから、息子に会えるのならば行きます。」
「そう慌てなさんな、時期に会えるて。今は大きくなって結婚もしたよ。それでの~めんこい娘も産まれたよ。」
「おぉ……素晴らしい。孫ですな。」
「ほな、これがぁ~行き先と日時じゃ。費用は儂が出してやる。」
「ここは……ヨーロッパ、いえ東のロシア領でしょうか?」
「そうだ、ここは盛り返すから投資にも良い物件じゃよ。」
「遠すぎますね、移住にも無理があります。」
「日時はそこに書いた通りじゃ、間違いは無いから遅れるな。」
「はい肝に銘じて、必ず幸夫に会いに行きます。」
「儂の孫娘をも頼む。」
「はい、必ずや見つけてみせます。」
「……。」
この人物がエストニアへと招待してくれると言うではないか。しかし金勘定に優れる平蔵の見立てに、
「でも、大人数で行くのでしたら五百万は必要でしょう。」
「賄賂がな……お主が考えているように必要じゃな。これ、これを売れば原野商法みたいに高値で売れる。やるから持って帰れ。」
「……これが……です………雪だるま??………か~ぁ~あ~~ありがとうございます♡」
「ホッホッホー値が高い。」
「いえ、目が高いです。」
渡航費用にと渡されたのは明朝時代の壺とか、これって安物のお土産品じゃありませんか? 今ではルソン壺の茶壺は国宝級のお宝だ。それを一億で売却できたとなれば現在の二十億はくだらない。満洲では売買が闇で行われるのだ、税金なんて払っていないさ。軍の上層部に百万も渡せば現金なんて楽に日本へ持ち帰りも出来る。
これから先の未来は、平蔵が観る満洲はインフレに悩む国民の姿が見ている。インフレに強いのは金銀と宝石に、歴史の長い中国ならば骨董品は投資の対象となり、細部をみれば最優良物件だろうか。特に成金には善いお得意様っていう処か。
休日の平蔵は、趣味丸出しで露店を見て回っては掘り出し物を物色している。未来の阿部寛の家に多くの壺が在るのはこれが原因なんだ、決して幸福の壺ではなかったが、値打ち物でも無いガラクタだな。だから末永く保存されてもいた訳だ。平蔵曰く……ガラクタは勉強代だと割り切っているから、間違いない平蔵も成金の部類に入れてもいい。
「こら、戻ってこい。」
「あ、すみません、つい考え事をしておりました。」
平蔵も意表を突かれたら平常の言葉使いに戻るようで可笑しい。
「購入相手も選んでおいた。満洲の……ほれ……あれだ……なんと言ったか……あ……愛新だ。」
「あいしん……あいしんかくら・ふぎ? ですか!」
「そうだろうが儂は知らん。お主は早く満洲から手を引くように勧める。」
「この日本を潤す満洲を手放してしまえば日本に発展はありません。」
「……戦争じゃていいから手を引け。」
「その点は俺も考えています。それに高インフレも怖いですしね。」
「なに、儂は戦争もインフレも怖くはないぞ。」
「な~にが怖くないか、片足を突っ込んでいるくせに。」
「ホッホッホー、まだいい足りないならば言ってもいいぞ?」
「いえ、己が惨めに思えて来ますので遠慮しますわ。」
それから世間話に進む。そろそろ俺も帰る準備と言うのも変だが、宿泊先を探さなくてはならない。なにせ……一億ものお宝を頂いたならば心ここに非ずだな、何故って夜盗も怖くなってしまったから。実にこの老人は引き際を考えているように、俺を追い出しにかかる。
「後は娘夫婦に会って聴け。儂は疲れたから……けぇれ。」
「はい、この足で満洲国へ行きます。」
「フン!」
この老人がモンゴル人と言うのも怪しいが、更に西日本の方言で話すからバリバリに怪しい。崩れた方言はニュアンスで感じとるしかないのか、平蔵も道産子だから理解できない程でもなかった。何故ならば、満洲には日本全国から、地方から寄せ集めをしたような人々が来ている訳だし、地方の数だけ多くの方言も飛び交っている。
「これ、満洲の行き先の地図じゃ、訊いても誰も知らない隠遁先じゃな。」
「へ~ここがあの愛新覚羅溥儀の隠れ家ですか。」
「行けば会ってくれるように儂が頼んでおいたぞ、阿部の名前を出せば間違いなく会えるじゃろ。」
「ありがとうございます。」
*)イザ・愛新覚羅溥儀を訪ねて
今度は老人の地図を頼りにして、満洲国の幼い皇帝、未来の満洲国皇帝の愛新覚羅溥儀を訪ねる。ラストエンペラーと言われる最後の皇帝となられる人だった。憂慮する未来に自暴自棄にはならず自己保身を考えている。その一手が壺などの古美術だった。現金は見つかれば誤魔化しようがないでも、骨董品は誰も価値なんて分らない雇われ兵にの検問に遇えば、「親の形見」とでも言えば済むと。
ここでも「無くす現金よりも、資産は古美術で保管」という哲学をお持ちだった。愛新覚羅溥儀は幼すぎるから、平蔵の相手は後見人と言う男が応対している。名前を明かさないつもりらしいから善い奴ではないな。だからか? 悪人面にも見えてくる。
買い手が一億もの大金を払う理由がなんとも泣けてきそうだった。満洲国は時期に滅亡してしまうと言うから、それで隠し財産として「明朝時代の壺」を買うという。
滅亡の理由がなんと、
「日本は戦争を始めるも直ぐに敗れる。この満洲国も併せて敗戦国となって中国に接収される未来が見える。」
「ウソ……でしょう?」
「信じないならそれでもいいが、壺は売りたいのであろう?」
「はい、二億はくだらないかと考えております。」
「ふっかけたの~、俺にそこまで金は持っておらん。ここに用意したから持って帰れ。」
「はは~っ、有り難き幸せでございます。」
「その金を持ってエストニアへ行くが善い。」
「はは~っ、有り難き幸せでございました。」
「ひとこと言いたい、ロシアの陸軍には注意するように。」
「陸軍ですか?」
「あれは手強い、特別な飛行機も保持した最強の軍隊だから。」
「特別な?……何でしょうか。」
「飛行船のように聞き及んでいるが定かではない。ま~行けば判るだろう。」
この人物こそがエストニアへと招待してくれたと言えそうだ。
平蔵は大きな資金を得たが期待していた幸夫との再会は願いは叶わない。しかしこのラストエンペラーの後見人とあの老人が言う不可解な、「日本は開戦し直ぐに敗れる」の言い回しに、平蔵は信じてみようと考えた。工場等は従業員の生活も懸かっているから閉じる訳にはいかない。でも帰国に併せて持てる財産は全て日本へ持って帰ると考えた。
「今度の投資は日本だ~。」
平蔵の雄叫びは二億だ……札幌の地場企業の買収と、夢の札幌飛行場建設への資金と変わる。
幸夫に会えなかった、それはあの老人でも予見出来なかった事件が起きてしまったからかであり、平蔵は考えた……もう一人の陰の人物がいたのだろうか、と。
「未来予知をしたのは……誰だ?」
ようやく走り出した北海道の経済力はまだ弱く、大風呂敷の平蔵の金を得んとする有象無象が磨り寄るのはまだまだ先の事。
紙に記された日時……この日のこの夜に並行世界と繋がると判っていたから。
闇に蔓延る人物もまた、目的とする子どもを欲している。人狼の巫女……を。




