第30話 わし、花咲く未来を信じる
七色の光をまとった蝶が、ふわりと宙を舞う。
「こっちだよ……。
君のことが大好きなおじいちゃんが、待ってる。」
どこからともなく、少年の声が響いた。
その声に導かれるように、シュエルは蝶を追いかける。
身体の奥に絡みついていた黒い靄が、光に溶けるようにほどけていく。
体も軽くなり、少しずつ歩幅も大きくなっていく。
やがて光は満ち、柔らかに身体を包み込んでいく。
────そして。
「シュエル!!」
名を呼ぶ声に引き戻されるように、ゆっくりと瞼を開く。
ぼやけた視界の向こう、真っ先に飛び込んできたのは、必死な表情をしたアレクの顔。
その瞳には、小さな雫が揺れていた。
「……おじい……ちゃん?」
掠れた声が自然と漏れる。
次の瞬間、シュエルはアレクの胸へ勢いよく抱きついた。
「帰って……きた……」
その腕も胸の温もりも、その匂いも──
いつだって彼女を守り支えてくれた、あの優しさそのままだ。
「よかった!シュエル!!」
ステラが弾丸のように突撃してきて、二人をぎゅっと包み込む。
彼の瞳にも、涙があふれていた。
「まったく……もう心配かけるでないぞ……」
アレクは震える声で言いながらも、そっと二人の頭を撫でた。
その声は掠れていたが、奥底には温かな安堵が満ちている。
「……っ」
堪えていた涙が、再びシュエルの頬を伝う。
三人は互いを抱きしめ合い、ただ泣いた。
辛い過去も、苦しんだ道のりも、すべてを越えて
ようやく辿り着いた“今”を、胸の奥でかみしめるように。
────ようやく終わったのだ。
すべてが、正しい場所へと戻った。
◇◇◇
ことが落ち着いた頃、アレクは足早にとある人物の元へ向かった。
そう、すべてを知りながら、あえて思わせぶりな態度を取っていた同僚のところへ──。
「おい! サエル!
お主、全部知っておったな!!」
バンッ!
乱暴に扉を開け放ち、怒鳴り込む。
「当たり前だろ?」
サエルは驚きもせず、ふっと鼻で笑った。
いつも通り、微塵も悪びれる様子はない。
「なぜシュエルがシュルレリア本人だと言わなんだ!!
わしが妹だと勘違いした時、お主は意味深に黙っとったじゃろうが!」
そう、真実を知っていたのなら、あの時否定することもできただろう。
というか知らないわけないのだ。
だってサエルはシュルレリアの魔力が暴走した時にその場にいたのだから……。
「お前自身が気づくことに意味があったんだよ。
自分で気づいて、呪いも過去も全部受け入れて──それでもシュエルを愛することが重要だったんだ。」
最もらしいことをしれっと言ってのける。
「じゃからって、なにも騙すつくことはないだろう!!」
「私は黙ってただけだ。嘘はついていない。
私は肯定も否定もしてないのだからな。
勝手に騙されたのはお前だろ?」
白々しく両手をひょいと上げる。
こいつは本当に……!!
ああ言えばこう言うやつめ!
「魔女は死んだと言ったじゃろうが!!
あれはどういう意味じゃ!」
「そのままの意味さ。
国を滅ぼし、多くを殺した“魔女”は死んだ。
あの子はシュルレリアじゃない。シュエルだ。
呪われた子でも、どこぞの姫でもない。
アレク・レーグルの孫であり、弟子だ。」
その言葉に、アレクは思わず口をつぐんだ。
……そうか。
これは彼女なりの優しさだったのだ。
暴走していたとはいえ、シュルレリアが犯してしまった罪は重すぎる。
国を滅ぼし、そこに住む多くの命を奪った。
だから──魔女は死んだ。
罪も罰もすべて背負って、魔女は死んだのだ。
シュエルがシュエルとして新しい人生を歩むために。
その希望に満ちた未来を曇らせないために。
……それが、サエルなりの気遣い。
……なのは分かる。
分かるが……!
「嵌めおって……!」
アレクはぷいと顔をそむけ、いじけた。
その様子を見て、サエルは肩をすくめた。
「こういう役目は、お前が一番向いてるだろ?」
「なんでじゃ?
別にお主でもよかったであろう。」
「私じゃダメだったさ。
お前はなんだかんだで面倒見がいい。
それにどんな無理難題でも、お前なら必ず成し遂げる?」
「!?」
思わぬ方向からの褒め言葉に、アレクは固まった。
……この女からそんな言葉が出るとは思わなんだ。
バツの悪さを誤魔化すように、話題を変える。
「…そ…そうだ!リシュア様に会ったぞ。」
その瞬間、サエルの瞳がかすかに揺れた。
「……そうか。」
短い返事。
だが、その声には深い想いが滲んでいた。
「お主のことを心配しておったわ。
落ち込んでおるんじゃないかってな。」
「……あの人は相変わらずだ。」
ふいに、アレクは仕返しを思いつく。
「泣きたければ、胸を貸してやろうか?」
ニコリ。
サエルがいい笑顔を向けてくる。
だが、その目は空気が凍りつくほど冷たい。
「燃やされたいのか?」
こわい、こわい…。
やっぱり可愛げのないやつだ。
話題を変えようと、アレクは脳裏に浮かんだもう一つの疑問を口にした。
「……それで? 妹はどうなったんじゃ?」
「ん? ああ、それな。
ちょうどいい。連れてきてくれ。」
「は?」
意味の分からない返答に眉をひそめていると──
数刻後、扉が開き、一人の少女が姿を現した。
薄黄緑の髪。
透き通るようなサファイア色の瞳。
リシュアの見せた過去の中で見た、あの少女。
「お呼びでしょうか?」
控えめに声を出すその姿に、アレクの口がぽかんと開く。
サエルは顎で示しながら淡々と言った。
「私の同僚、アレクだ。自己紹介してくれ。」
「は、はい……
シュリス・ルエーシュと申します。」
深々と礼をする少女。
まぎれもなく──
シュエルの妹、シュリス本人だった。
「引き取ってたんだよ。」
サエルは軽い調子で言う。
アレクは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「きさまぁぁ!!
いい加減にせんか!!」
◇◇◇
アレクが去ったあと、サエルの執事がそっと紅茶を差し出した。
「お二人は、本当に仲がよろしいですね。」
長年仕えてきた従者。
出会ったころはまだ若く、頼りない青年だった。
魔法使いではない彼は、時とともに老いた。
皺は増え、髪も白く染まりつつある。
それでも、サエルへの忠義だけは一度も揺らいだことがない。
「そう見えるか?」
サエルは静かにカップを傾けながら答える。
「ええ。……それに、いまのご主人様はとても嬉しそうでございますよ?」
その言葉に、サエルは小さく息を漏らす。
「……あいつは、私の恩人であり、相棒だからな。」
そう言って、窓の外へ視線を向ける。
穏やかな横顔に、執事もふっと微笑みを返した。
「おや。最愛の人、ではないのですね?」
軽口を叩けるのも、積み重ねた年月ゆえ。
だが──。
「……クビにされたいのか?」
低く冷たい声が落ちる。
「し、失礼しました。」
執事は慌てて姿勢を正したが、サエルの唇にはかすかな笑みが残っていた。
◇◇◇
「あっ! おじいちゃん! おかえり!」
家に戻ると、シュエルと、黒髪の少年姿のステラが庭で遊んでおった。
彼女の首元で青い宝石がキラリと輝いた。
魔法で治したネックレスだ。そこにはアレクによって新しい魔法が込められていた。
身体の方もすっかり癒え、元気に走り回れるまでに回復した。
「ああ、ただいま。」
アレクは庭で駆け回る二人に顔が綻ぶ。
呪いが解けたことで、彼女の記憶もすべて戻ってしまった。
楽しい日々もあっただろうが、それ以上に苦しい過去を生きてきたはずだ。
その傷を、わしがどこまで癒やしてやれるかは分からん。
じゃが──
この子が少しでも幸せになれるよう、これからも見守っていこう。
この子は、もう過去に縛られん。
わしがそうしてみせる。
遠くから大きく手を振って駆けてくるシュエルに応えるようにアレクも手を振る。
「おじいちゃん!! 新しい魔法覚えたの!
見ててね!」
シュエルは新しいおもちゃをもらった子犬のように瞳をキラキラさせる。
ステラと目配せをし、杖を構える。
「ステラ!」
「おう!いくぞ!」
息を合わせて詠唱を始める。
二人の声があたりをこだまする。
詠唱に合わせ、シュエルの杖から溢れた魔力が光の奔流となって地面へ流れ込む。
轟くような魔力の波に反応するように、大地が脈動した。
次の瞬間──。
爆ぜるように色彩が広がった。
鮮烈な光とともに、無数の花が一斉に咲き誇る。
花弁は光をまとい、風に乗って舞い上がり、空までも彩っていく。
たった一つの魔法で、庭どころか周囲一帯を埋め尽くす花畑が出現した。
あたりに広がった光景に、わしは思わず息をのんだ。
開いた口が塞がらない。。
「これは……ちと元気になりすぎじゃ……」
呆れ半分、嬉しさ半分。
そんな声が自然と漏れた。
これは、あの日見た花よりもずっと強く、ずっと優しい光だった。
まるで──新しい彼女の未来そのもののように。
すでに第二章の予告をしていましたが、
一旦ここで第一章を区切って完結とさせていただきます。楽しみにしてくださっていた皆様、申し訳ありません。
続編の構想もありますが、より良い形で書きたいので、
少しの間、新作執筆の方に集中しようと思います。
また続きを書くときは、活動報告などでお知らせします。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。




