第29話 わし、孫を抱きしめる。
アレクは息を呑んだ。
こんな過去があったなど……。
想像すらしていなかった。
ただ少女たちの行く末を、何もできず眺めるしかできなかった己の無力さに、アレクは静かに項垂れる。
ネファスの儀式を受けた妹。
シュリス──そして、今目の前にいるシュエル。
すべてが一本の糸で結ばれ、ようやく形を成した瞬間だった。
だが胸の奥では、じわじわと膨らむ疑問がひとつ残っていた。
「これで終わり」
パチン、と《時占いの魔女》リシュアが指を鳴らす。
過去の景色は色を失い、砂のように音もなく崩れ落ちていく。
気づけば、二人は何もない空虚な空間に取り残されていた。
「ま、待ってくれ。
一番知りたいのはここからじゃ!」
思わず声が裏返った。
ここからが肝心なのだ。
シュルレリアはその後どうなったのか。
シュエル、かつてのシュリスにかけられた呪いとは何か。
疑問はいくらでも浮かぶ。
だが、それらすべてよりも、わしにはどうしても聞かねばならぬ問いがあった。
「……シュエルの正体は、シュルレリアなのですか?」
あの時、初めて彼女を見た瞬間に胸の奥がざわついた。
誰かに似ている──いや、同じだ、と。
姉妹だから似ているだけだと思っていた。
8歳という年齢、ネファスの儀式の被害者という情報から妹だと、勝手に結論づけていた。
だが、わしの心は別の答えを叫んでいた。
──彼女こそが、シュエルだ。
「ええ、そうよ」
リシュアは静かに頷いた。
その瞳の奥に、一瞬だけ痛みが揺れたように見えた。
「じゃが……儀式は本来、妹に行われたはず。
なぜ、シュエルに?」
リシュアは静かに言葉を紡いでいく。
「シュエルは儀式を止めようとしたの。
妹を守るために魔法陣の中へ飛び込んだ。
そして、強く願ったわ。『妹だけは助けて』と」
アレクは息を呑んだ。
「彼女の魔力は規格外だった。
その願いが、魔法の流れをねじ曲げたの。
本来なら妹にかかるはずの儀式を、彼女自身が引き受けてしまった」
「……願いが……儀式を覆したのか」
「ええ。でも、儀式自体は止まらない。
行き場を失った魔法は、全部彼女に降りかかった。
結果、暴走したのよ」
アレクは胸の奥に冷たいものが落ちていくのを感じた。
「じゃが……身体は?
シュエルは八歳ほどにしか見えんかったぞ」
「助けるには、そうするしかなかったの。
私たちがついた時には、身に余る魔力で身体が崩壊を始めていた。
だから……肉体だけを過去へ戻した」
「か、過去へ……?
そんなことが可能なのですか?」
アレクの瞳が困惑に震える。
「本来なら不可能よ。
でもあの子には規格外の魔力があった。
それに忘れたの?
私が『時占いの魔女』と呼ばれる所以を…。」
《時占いの魔女》リシュア・ヨモ
時占いとは読んで字の如く。
未来を占うことができる特別な魔法を使うことができる彼女に与えられた二つ名だ。
そして、彼女の力はもう一つ。
“時”を操ることができる。
ただし、それには代償が伴う。
「まあ、でもそのせいで私の命を燃やし尽くしてしまったのだけどね。」
リシュアは優しく微笑んだ。
まるで、気にするなと言わんばかりの表情で。
「……。」
アレクは唇を噛みしめる。
時を操る──それは神の領域。
人の身では到底してはならぬこと。
その代償は術者の“命”だ。
「朽ちかけた老木でも、新芽を守れるなら本望よ。
そうやって、人は思いを継いできたのよ。」
彼女の声は優しく、胸の奥まで染み渡った。
その声についつい甘えてしまう。
「では……呪いは?
シュエルにかけられた呪いとは何なのだ?
そして……解く方法は?」
アレクの質問に、リシュアはまっすぐ彼を見つめた。
その瞳は、どこか悲しく、どこか優しい。
「それは……あなた自身が気づかなければいけないわ」
「……わしが?」
「ええ。でも、大丈夫。
あなたなら、もう気づいてるはずよ。」
リシュアの身体は先ほどよりもさらに透けていた。輪郭がゆらゆらと揺らいでいる。
光の粒となり、空間へ溶けかけていた。
「もう時間よ。
今はまだ、シュエルの中に残した“私の魔力”で抑えているけど、それももう限界。」
最後にリシュアはすっと腕を上げ、空間の一点を指差した。
アレクはそちらを見る――そして息を呑んだ。
ひざを抱えて震える少女。
肩が上下し、嗚咽がこらえきれず漏れている。
彼女の周囲の空気はきしむように揺れていた。
まるで悲しみと絶望そのものが形を持っているようだった。
「……シュエル……?
なぜここに…?」
リシュアへ問いかけようと振り返った。
だが、そこにはもう誰もいない。
まるで最初から存在しなかったかのように、
ただ静寂だけが残っていた。
しかし――。
『あなたなら大丈夫。』
声ではない。
耳でも、頭でもない。
胸の奥へ直接触れるように、言葉だけが響く。
アレクはその余韻を噛みしめるように息を吸い、ゆっくり少女へ歩み寄る。
ネファスの儀。
本来、呪いを生む儀式ではない。
魔力が暴走し、人格を歪めるような結果をもたらすはずもない。
では、なぜシュエルは“呪い”を背負ったのか?
誰が呪った?
何のために?
過去の光景には、その兆しなど一度もなかったはずだ。
──失敗?
──暴走?
いや、違う。
そんな表面的な話ではない。
もっと、根幹にある理由。
『あなたが気づかなければならない』
リシュアの言葉が、また胸の奥で痛む。
何かが喉元までせり上がっている。
あと一歩で形になるはずの“答え”が、
もどかしいほど指先をすり抜けていく。
アレクはうずくまる少女に目を向けた。
「ごめんなさい……
うまれてきて……ごめんなさい……
呪われた子で……ごめんなさい……」
まるで壊れた人形のように、同じ言葉だけを反芻していた。
誰より愛を求めながら、
誰からも愛を与えられなかった少女。
魔力があるというだけで魔女と呼ばれ、
忌み嫌われ、
存在そのものを否定され続けた少女。
その“呪いの言葉”は、いつしか彼女自身の心を深く蝕み、
ついには――自分自身を否定してしまった。
アレクは息を呑む。
「……まさか」
呪いをかけたのは、誰でもない。
彼女自身なのではないか。
強大な魔力は願いを叶える。
それは良い願いだけとは限らない。
妹を守った時と同じように――。
“自分なんていらない”という願いも、
魔力は叶えてしまったのではないか。
少女に呪いをかけたのは少女の絶望だった。
「……」
アレクは静かに少女へ歩み寄った。
膝をつき、目線を合わせ、名前を呼ぶ。
「なあ、わしと帰ろう。シュエル。」
差し出された手は揺らがず、温かかった。
「……。
私は……呪われてるの。
私がいるから……全部……
私は、生まれてきてはいけなかった……」
嗚咽交じりの声。
その細い身体は壊れそうなほど震えていた。
アレクは迷わず、その小さな身体を抱きしめた。
「そんなことはない」
胸元で震える声が止まる。
「生まれてきていけない者など、この世におらん。
魔力があろうがなかろうが、それで呪われるなど、あり得ん」
震えが少し和らぐ。
アレクは背をそっと撫でた。
「わしはシュエルに出会えて、本当によかったと思っておる。
おぬしが生まれてきてくれたことを、心から嬉しく思っておる。
シュエルは呪われた子などではない。
わしの……大切な、かわいい孫じゃ」
「……おじいちゃん……っ」
堰を切ったように涙があふれ、
シュエルはしがみつくようにアレクを抱きしめた。
その瞬間――。
ピキッ。
シュエルの手の中にあった青い宝石のネックレスに亀裂が走った。
パラ……パラ……
床に散った欠片が、静かに光を失っていく。
まるで長い悪夢が砕け散り、
少女を縛っていた呪縛がほどけていくようだった。
第29話 ありがとうございました!
次回は第30話!
ついに第一章 クライマックス!!
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