第10話 わし、まだ火葬されたくないわい!
「おい! 仕事を持ってきた。働け!」
真紅に燃える髪、長く伸びた前髪に隠された左目は炎のように揺らめく。
サエル・カリスト──
九つの杖の一人であり、わしの同僚じゃ。
玄関を開けるや否や、どかっとソファに腰を下ろした。
「いやじゃ。」
「は?」
ピキリと、彼女のこめかみに青筋が浮かぶ。
あの目で睨まれたら、普通の魔法使いなら腰を抜かすじゃろうな。
だが、今日のわしは負けぬ。
なぜなら、今は孫と過ごす時間が何よりも大切なのじゃ。無粋なやつに邪魔されてなるものか。
「それはわしの仕事ではないじゃろ。受ける義務などない。わしは弟子の教育で忙しいんじゃ。」
プイッと顔を背け、腕を組んで動かぬ姿勢を取る。
「教育?イチャイチャの間違いじゃないのか?」
「なんとでも言えい。」
わしは断固たる構えを崩さない。
だが、サエルは薄く笑った。
「これは“九つの杖”であるお前の仕事だ。
今まで『寿命だ、腰が痛い』だの言って免除してやっていたが……。
どう見てもピンピンしてるじゃないか。働け!」
「ぐぬぬ……。」
確かに、九つの杖とは名誉と権力を得る代わりに、魔法世界の秩序を守る責務を負う存在。
悪しき魔法使いを討ち、民を導くことがその使命。
じゃが、今日は孫と過ごす貴重な一日なんじゃ!!
子供の成長は早い!女の子なんてすぐに相手をしてくれなくなるというではないか!!
「おじいちゃん? どうしたの?」
隣でシュエルが首を傾げてこちらを見上げてくる。
うむ。そうじゃな。
責務なんぞより、わしには今、守るべき天使が目の前におるのじゃ!
「シュエルか…元気そうだな。」
サエルがわざとらしく声をかけてきた。
その口元には、ニヤリと小悪魔的な笑み。
まさか……こやつ!?
「そうだ、海に行ってみたくないか?」
「……うみ?」
「そう。青くて、広くて、綺麗なところだ。
ほら、こんな感じだ。」
サエルの手のひらの上に水の玉が生まれ、それがふわりと宙に浮かぶ。
彼女が息を吹きかけると、潮の香りが部屋を包み、赤・黄・青と色とりどりの魚たちが楽しそうに宙を泳ぐ。
「わぁぁ……! きれい!!」
シュエルの瞳がキラキラと輝く。
「どうだ? 行ってみたいだろ?」
「はい! おじいちゃん……行っちゃダメ?」
その上目遣い。
うるんだ瞳。
反則じゃ…!
「ぬ、ぬぬぬ……!」
「おじいちゃ〜ん?」
とどめの甘え声。
もはや、抗う理由などどこにもない。
「……し、仕方ないのぅ。
今回だけじゃぞ、今回だけ。」
「やったー!!」
シュエルが跳ねて喜ぶ。
サエルは勝ち誇ったように笑い、腰を上げた。
「よし、決まりだな。
それじゃあ、この仕事も頼んだぞ。」
ドンと一枚の紙をテーブルに置く。
「……まったく、口のうまい女じゃのう。」
わしはため息をつきながら、その紙……依頼書を受け取る。
◇◇◇
「うわぁ!!おじいちゃんみて!
あれが海?すっごく綺麗!!」
「ピュイピュイ!!」
馬車から身を乗り出し、きらめく海を見つめるシュエル。
潮風に薄黄緑の髪がなびく。
ステラも興奮したように尻尾をぶんぶん振っている。
青く広がる海面には陽光が踊り、遠くでは白いカモメが輪を描いて飛んでいた。
「そうじゃ。だが、危ないから落ちないよう気をつけるんじゃよ。」
わしは笑いながら、シュエルの背中をそっと押さえた。
……まったく。
結局、仕事を引き受けてしまった。
今回の任務は港町マリティムムにおける子どもの失踪事件の調査。
本来なら騎士団や治安隊の仕事じゃろうに、サエルめ、うまく口車に乗せおって……。
シュエルを手玉にしよったら、断れんわい。
わしはもう隠居したいんじゃ。
穏やかに余生を──
孫とまったり過ごすはずだったのに。
「ふぅ……。」
深いため息をひとつ。
とはいえ、わしも魔法使い。やるからにはきっちり片をつけねばなるまい。
『ノクティよ。情報を集めてきてくれ。例の失踪事件、街の噂話でも構わん。』
『分かったっす!任せてくださいっす!』
影の中から響く頼もしい声。
頼もしいやつめ、と心の中で笑うと、彼の気配がすっと消えた。
さて、と。
わしは窓の外の海を見た。
陽光を反射してきらきらと輝く波。
その眩しさに、つい口元がゆるむ。
「……うむ。
情報を待つ間にやることはないしの。」
「おじいちゃん?」
「シュエルよ。海へ行ってみようか。」
「いいの!?やったぁ!!」
弾けるように笑いながら、わしに飛びつく。
ステラも「ピュイピュイ!」と鳴きながら頭の上をぐるぐる回っている。
「もちろんじゃ。
少しくらい遊んでも、バチは当たらんじゃろ。」
馬車が港町の入り口に差しかかる。
潮風の向こうに、白い砂浜と、波のきらめき。
その先で待つのは仕事か、それとも楽しい旅行か。
──どちらにせよ、悪くない一日になりそうじゃ。
◇◇◇
爽やかな潮風が鼻をくすぐる。
「わぁ!!海だ!!!行こう!」
「ピュイピュイ!!」
二人は今すぐでも海に飛び込みたそうだったが、わしは慌てて手を上げて制した。
「待つのじゃ。」
パチンと指を鳴らすと、シュエルとステラの体が光に包まれ、キラキラと輝く透明な膜に覆われた。
「なにこれ?」
不思議そうに体を触るシュエル。膜は弾力があり、押すとむにゅっと凹む。まるで柔らかい人の肌のようだ。
「防水の魔法じゃ。
これがあれば、水の中でも濡れんのじゃよ。」
「へー!すごい!!」
「ふふっ、では行ってよいぞ。」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、二人は海へ飛び込んだ。
二人のはしゃぐ声と水のはじける音が潮風に混ざる。
うむ…たまにはこうして旅行へ来るのも悪くない。
どこぞの赤毛の魔女がいたなら「旅行じゃねぇ!!」と叫んだだろうが、今は誰もいない。
三人を止めるものは何もなかった。
◇◇◇
「きゃっ!!冷たい!!」
水辺ではしゃぐシュエルとステラ。
二人は水しぶきを蹴散らしながらも、楽しそう遊んでいた。
「ふぅ…ちょっと一休みしよ!」
そう言いながら二人は岸に上がる。
「あれ?おじいちゃんいない……。」
「ピュイ!」
ステラが一声鳴き、とある場所を指差す。
木陰でうたた寝をするアレクの姿があった。
「あ!寝てる!全く、おじいちゃんってばマイペースなんだから!」
仕方ない。もう少し寝かせておこう──そう思ったその時だった。
「君、だれ?」
不意に少し高めの声が響く。茶色の髪に小麦色の肌、活発そうな少年が立っていた。
「グル……。」
ステラは警戒しているのかうなり声をあげ、今にも飛びかかりそうだ。
シュエルはそっとステラを宥め、少年に問いかける。
「あなたこそ、だれ?」
「俺かい?俺はペトルス・パン。
マリティムムに住んでるんだけど、君たち見ない顔だったから声かけちゃったんだ!」
無邪気に笑う少年。
確かにここは街から近い。
街の子どもがいてもおかしくないし、悪い子ではなさそうだ。
「私はシュエル!
おじいちゃんと一緒に海を見に来たんだ。」
警戒心を解いて応えるシュエル。
「へー!そうなんだ!
俺、違う街から来た子に会うの初めてなんだ!
友達になってよ!」
「もちろん!」
シュエルの目が輝き、心が躍る。
初めてできる同年代の友人。
こうして少年と少女は海辺で楽しく遊んだ。
ステラはというと、終始不機嫌そうな顔で小さな尻尾をぶんぶん振っていた。
人見知りでもしてるのかな?
◇◇◇
「もっと!そっち掘って!」
「え?こっち?」
「あ、そう!そこ!」
楽しそうな声が耳に届く。
すっかり寝ておった……。
暖かな日差しに包まれ、ついうとうとしてしまっていたのだ。
徐々に覚醒する頭で砂浜を見渡すと、シュエルと少年が楽しそうに砂の城を作っている。
……は?少年?
ぼんやりしていた脳が、一気にクリアになった。
慌ててシュエルの元へ駆け寄り、声をかける。
「シュエル!その子はどうしたんじゃ?」
「あ、おじいちゃん起きたんだ。
この子はペト!街に住んでるんだって!
さっき友達になったんだ!」
あっけらかんと説明するシュエル。
「初めまして!ペトルス・パンです!」
無邪気だが、礼儀正しそうな少年。
まあ、悪い子ではなさそうじゃし…それに、なんだかすでにあだ名で呼び合うほど仲良くなっておる。
心配しすぎもよくないか。
「そうか、二人で遊んでおったのじゃな。
じゃが、もう遅い。そろそろ帰るぞ。」
わしは空を指差す。太陽はすっかり沈み、橙色の光が海を染めている。
「えー、まだ帰りたくない……。」
「俺も……。」
ごねる二人。
「じゃが、シュエルはともかく、ペトルスは帰りが遅いとご両親が心配するじゃろ?」
「それなら大丈夫!!」
にこっと元気よく返事する少年。
いや、笑っても、わしは簡単には誤魔化されんぞ。
「んー、そうじゃの…。
なら、帰ると約束するなら、わしのとっておきの魔法を見せてやろう。」
「「とっておきの魔法?」」
二人は一瞬見つめ合い、相談を終えると息を揃えて答えた。
「「みたい!!」」
「じゃあ、これを見たら帰ると約束できるか?」
「「できる!!」」
「そうか、ならば見せてやろう。」
わしは杖を取り、呪文を唱える。
『アクア・コンウェルゲ・エト・プロテゲレ。
フォルマ・ドームム・ルーキダム、ウト・スブ・ウンディス・アンブルレームス。』
すると海が意思を持ったかのように動き、わしらを包み込む巨大な透明のドームが生まれた。
「うわぁ!すごい!海の中にいるみたい!!」
「きれいだな!!」
二人の声が弾ける。
だが、まだ魔法はここで終わりではない。
「まだ終わりじゃないぞ。」
そう告げ、わしはドームの中へと進む。
「え?まって!おじいちゃん!」
二人が慌てて後を追う。
ドームは海水を遮り、水は中に入ってこない。
奥へ奥へと進むと、ついに周囲360°すべてが水に包まれ、幻想的な海中世界が広がった。
「わぁ……!!」
シュエルが思わず声を上げる。
足元には透き通った白い砂。珊瑚の森が広がり、青くゆらめく光がドームを通して降り注ぐ。
小さな魚たちが近づき、指先に挨拶するようにくるりと回って去っていった。
「すごい…本当に海の中にいるみたい……!」
「ふふ、実際おるのじゃよ。」
わしはにやりと笑い、杖を軽く突く。
水流がゆるやかに渦を巻き、光の筋が形を変える。
海底に降り注ぐ陽光は、まるで星屑のように揺れた。
「なんか……夢の中みたいだね。」
ペトルスがポツリと呟いた。
「夢じゃないよ。おじいちゃんの魔法だもん!」
ドームの中に三人の笑い声が響き、水に溶けて泡となり、天井を抜けていく。
海の世界は静かで、美しく、どこか温かい。
時間さえも止まったかのようだった。
「ねえ、また遊ぼうよ!!」
「うん!もちろん!!」
少女と少年が別れ際に交わした約束を、わしは微笑みながら見守った。
海の中で輝く笑顔──この景色を、わしはきっと忘れんじゃろう。
第10話ありがとうございました!
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次回——
海辺で出会った二人の友情は今後どうなって行くのか!?
そして、アレクの受けた仕事の行方は!?
第11話「孫、事件に巻き込まれる!」
次回もぜひお楽しみに!




