1-5
「……君のことは、知ってる。ずっと、ずっと昔から」
そう言われて、私は咄嗟に言葉を返せなかった。
胸の奥がざわめいて、何かがこみ上げそうになる。
でも、思い出せない。
この人を知っているのか、知らないのか。
どこで会ったのか、なぜ“懐かしい”と感じるのか。
何もかもが霧の中にあるようで、言葉が出てこなかった。
「……誰……?」
ようやく出てきた声は、かすれていた。
彼は困ったように、けれど優しく笑った。
その笑顔が、どこか痛々しかった。
「ユリウス。俺の名前は、それだけ」
「君にとって、どういう存在だったのか――それは、きっと、君が思い出すことだと思う」
答えになっていないようで、でも、それ以上何も聞けなかった。
ユリウスはそっと私に近づいて、手を差し出した。
さっきと同じように、迷いのない仕草で。
私はためらったけれど、その手を取った。
彼の手はあたたかくて、体の奥の冷たさが少しだけ溶けていくようだった。
「まずは、身体を休めよう。君、だいぶ長く眠ってたんだよ」
「……長く?」
私は思わず聞き返す。
ユリウスは曖昧にうなずいた。
「ここに倒れてから、三日くらいかな。目を覚まさないから、村のみんな心配してて……。でも、君は生きてた。ちゃんと、ここにいた」
三日間も?
私は図書館で本を読んで、それから……それから――
「ねえ」
私は立ち止まり、彼を見上げた。
「ここは、どこ……なの?」
問いかけに、ユリウスは少しだけ目を細めた。
「……“君の物語”の舞台だよ」
「……え?」
彼は笑った。
それは冗談のようで、冗談には聞こえなかった。
「まだ、思い出してないんだな。でも大丈夫。君は、きっと読み返す。忘れた章を、失ったページを、これからもう一度」
私の鼓動が、ふいに速くなる。
彼の言葉が、なぜだか頭の奥にひっかかった。
“読み返す”。
“失ったページ”。
“物語”。
――それは、私が図書館で感じたことと、まったく同じだった。
「君はね、記録を綴る者だよ。……違ったかな、“読む者”って言った方が近いのかな」
「どういう……意味……?」
その言葉の続きを、私は最後まで聞けなかった。
目の前の風景が、ふいにゆらいだ気がしたから。
ほんの一瞬。
ユリウスの背後に、なにか“ページの断片”のような光がきらめいた気がした。
けれど、瞬きをしたときにはもう、何もなかった。
私はただ、胸の奥で何かが“めくれる音”を聞いたような気がして――黙って、彼の背についていった。




