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風が、頬を撫でた。
その感覚はやけに現実的で、けれど、どこか異質だった。
私はゆっくりとまぶたを開く。
光に目を細めると、見知らぬ空が広がっていた。
澄んだ青。雲は高く、空気は薄く冷たい。
草の匂い。やわらかい地面の感触。
確かに五感は動いているのに、身体がまるで“借り物”のようだった。
服の感触も違う。
喉の奥に、ひとつまみの違和感が残っている。
「ここ……どこ……?」
誰かに聞こえるわけでもない小さな声が、風に溶けていく。
私は周囲を見渡した。
そこは、どこまでも広がる草原だった。
木々が遠くに見えるだけで、人の気配は一切ない。
怖くはなかった。
けれど、不安はあった。
というより、言葉にできない“違和感”が、胸の奥をずっと叩いている。
空が高すぎる。
音が静かすぎる。
まるで、音楽のない舞台に置かれたような孤独。
「……私、本の中にいるの?」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
それは冗談ではなかった。
私が手にしていた本。
名前のなかったあの本は、今どこにあるのだろう。
気がつけば、それさえも持っていない。
私は、ただ一人だった。
本の続きが読みたいのか、それとも戻りたいのか。
答えはわからない。
ただ、風が吹いていた。
その風が、どこかへ導くように、私の髪を揺らしていた。
――そのとき、ふいに聞こえた。
小さな足音。草を踏む音。
でも振り返ったとき、そこには誰もいなかった。