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あの本を読み始めたときから、胸の奥がざわついていた。
まるで、言葉にならない誰かの声が、心のどこかをノックし続けているような。
ページをめくるたびに、息をするのを忘れていた。
このまま読み続けてはいけない気がして、でも止めることもできなかった。
気づけば、私は夢の中にいた。
……いや、“夢”と呼んでしまっていいのかも、わからなかった。
真っ白な空間。
壁も天井も床も、すべてが柔らかく光っていて、輪郭がぼやけていた。
まるで、現実と現実の狭間にいるような場所。
私はその中央に、ぽつんと立っていた。
何も持っていないはずなのに、手の中にはさっきの本があった。
名前のない、あの一冊。
表紙を開いたときと同じページで止まっている。
誰がめくるでもないのに、ページが――ふわりと、勝手にめくれた。
「……え?」
言葉が漏れた。
見開きのページに、たしかに“名前”があった。
けれど、それは私の名前じゃなかった。
私が今まで出会った誰の名前でもなかった。
――なのに、心が動いた。
その名前を読んだ瞬間、胸がぎゅっと締めつけられる。
悲しみでも、喜びでもない。
もっと深くて、言葉にならない感情。
「……知ってる……この名前……」
呟いたとたん、周囲の光が揺れた。
本が震える。空間がきしむ。
白い世界が、ページの中に吸い込まれるように崩れはじめた。
足元が傾く。
風のようなものが渦を巻いて、私の体をさらっていく。
光の粒が舞っていた。
どれも文字のかけらみたいで、断片的な言葉が目の前を流れていく。
「選ばれし継承者」
「終末の書」
「読まれた記録は、未来を失う」
「愛した者から消えていく」
見たくないのに、目が離せなかった。
すべてが私の知っている言語で書かれていて、
なのにまったく知らない意味を宿している気がした。
本が光を放つ。
次の瞬間、私は足元から崩れるように落ちていった。
声も出ないまま、ただ静かに沈んでいく。
意識が遠のく寸前、確かに誰かが呼んだ気がした。
「……ミレイア」
懐かしくて、優しくて、でも――誰の声だったか、思い出せなかった。




