第一話 非日常は突然に
…………
ドクン、ドクン。
聞こえるのは心臓の鼓動。なまじ冷えた風が身を涼しくさせている気がする。
古来より漠然とした感覚を抱いているときは、居眠りしている時だと相場は決まっている。この鈍く体が揺れているような感覚も、きっと寝返りをしているからだろう。
…………
目が冴えてきたのか、周りの雑音がより鮮明に聞こえてくる。雑音なので鮮明に聞こえて欲しいわけではないのだが。しかし、俺は目を開かなかった。
すると、おおよそ百七十センチほどの俺の体が途端に激しく揺れる。
目を開いてはダメだ。そんな言葉を脳裏に響かせ、俺は懸命に現に戻ろうとしなかった。
ドンッ。
「おい、お前。起きろと、言って、いるだろう!」
頭頂部に激しい痛みが生じた。痛みで開いた目を細めながら、自身の頭を撫でる。痛いし、何より耳を劈くような叫びに嘆息しながら、声の主の方へ視線を向ける。
「ってて。やっぱり君か。確か、リュヤ――」
「リュナだ! 気安く名前で呼ぶなバカ! アホ! 間抜け!」
二度目の咆哮は恐ろしい。がなり味のある叫びが耳元で暴れた。
咆哮の主の女性の名は久遠リュナ。ここ、高校の中では小柄な体型。淡い桜色の髪の毛は異国の人物を彷彿とさせる。小柄な体型とは打って変わって、性格はツンツンしている。特徴といえば、右目に眼帯をしているのが最大の特徴である。
俺はこいつと関わり合いたくはないのだが、あちらはそうではないようで。リュナは睨み顔で俺の眼をしっかりと踏み躙るように見る。
「で、リュナさんがどうして俺に? 用事があるなら紙にでも書いておいといてくれ、さて」
「さてじゃない! 全く、最近の若者は」
二度寝しようとした俺の顔の真横、机をドンと両手で叩き潰すリュナ。
「君も最近の若者だろ」
「お前と一緒にするな。愚かな若者と威厳ある若者との差だ」
「へい」
周りの目も気にせずにそんな会話のやり取りをしているとリュナは、ふむ、と一呼吸置いて会話を仕切り直す。
「お前、刻印者〈しるしびと〉だろう?」
「なんのこって?」
朝と同じようにしらばっくれてやった。
今日は新学年、高校二年の春最初の登校日。睡眠するには打ってつけな春の朝からこいつに、今のように絡まれ、俺は立腹している。
「もう一度聞く。刻印者〈しるしびと〉か?」
「だからなんのことで?」
彼女の言う刻印者とは恐らく異能力者の類のことだと思う。言い切れる理由はなんたって、俺自身が異能力者であるからに他ならない。過去視と勝手に読んでいる俺の能力。人の過去の情景。三人称視点から見ることができる。また、その地の情景も見ることが可能。
つまり、刻印者と呼ぶ彼女の目当ては俺であっているようだが、あいにく面倒ごとに巻き込まれたくはない。よってしらばっくれるのが最適解であった。
「あぁぁぁぁ。全く。面倒だなお前は。もういい! 未来は決まっている。だからいい!」
「だからなんのって」
リュナはどこかへ行ってしまった。去り際の言葉が気になるが、俺の睡眠学園ライフは無事始まりそうで安心した。
◇
ロンドンの街並みを模した、外国風の都市、東京。今は和の京都、洋の東京と別れている。都市開発が始まったのが五十年前らしいので、かつての東京の姿を俺は正確には知らない。正確に、と濁した理由は過去視でやんわり見たことがあるからだ。興味本位だが。
「神城ユウさんはお眠りしたいんですよ」
神城ユウとは俺の名である。リュナが去って、と言うより自身のクラスに戻って再び眠りこけていた俺は担任の先生に叱られながらも意思を貫き通した。
夕方。帰宅時。
日は落ちつつ、夕暮れの景色が壮麗であった。鼻歌をしながら帰宅しようと、俺は荷物を持って立ち上がって、
「ギャぁぁァァァ」
女性の悲鳴が隣の部屋から聞こえた。隣の部屋は今は空っぽの部屋で、机と椅子が並んでいるけれど、なんのクラスでもない。せいぜい部活動に使われているかもしれないが。
そんな場所で悲鳴が聞こえた。
俺は駆け足で隣の部屋に行くと、既に大勢の生徒が何かを見ている。その視線の先にあったものは、紛れもない人間。それも鮮明な血を帯びている。
先生たちが駆け寄り、救急車を呼ぶような仕草が見えた後に部屋は封鎖された。
その間に俺は使ってしまった。過去視という特権を。
「先生、すみませんがリュナという生徒、今どこにいるか知りません?」
「ああ、久遠さんね。久遠さんなら帰りましたけど」
「そうですかありがとうございます」
と、先生に一礼し、学校を後にした。過去視で見た景色ではリュナが拳銃を持ち、今にも引き金を引こうとしたところであった。それ以上の深淵を覗くには体力がなく、以降の景色は見えていない。
気持ちが悪い。気分が優れないのは、傷を深く負った生徒を見てしまったからだ。どんなに冷静な人間だって、血を見慣れてなければこうなる。
「ぉえ。ったく、なんだよあれ」
寮に帰宅してすぐにトイレへ行き、気分の悪さから嘔吐した。手足が震えるのは恐怖からか、嘔吐の反動の疲れからかはわからない。すぐにベッドに潜り込み、目を閉じた。
あんなもの、見るのではなかった。そんな後悔を胸に、悪夢を何度も見ては起きてを繰り返し、俺は天井を眺めながら呆とする。
パリンッ。
「なんだ! ガラスが……。それに今の発砲音」
自室にガラスが散逸して、自分に飛び散らなかったのが不幸中の幸いか。視線をやや上にあげ、すると窓ガラスの破砕した姿。再び視線を下げて見ると、銃の弾丸。こんなものドラマやアニメでしか見たことがないが、明らかにその姿を模していた。
手で摘んでみると熱を持っていて、あまりの熱さに指から離した。
「外は」
外から何者かが撃ったならば、まだ姿が見えるかもしれない。
自室はガラスが飛び散って危ないため、廊下に出て外を見下ろす。
「誰もいない、か。これじゃ誰かは特定できないか」
否。過去視ならば情景を元に特定できるかもしれない。そうと分かればすぐに能力を使用した。体力の消耗が激しい中、能力を使うと淡い桜色の髪をした、両手に拳銃を持つ、
「リュナ?」
半分予想していたが、人間とは予想していても実際疑問に解が出た時、間抜けな声を出す。
同時に俺は不思議と、自然に寮から外へ足を運んだ。
「おい! リュナ!」
叫んでも姿を現すことはない。姿を現したとして、俺にできることがあるか問われると、首を振って否むしかできない。けれど、無意識に過去視を使って、リュナの逃げた先を追った。
その先は学校。怯えながらも入っていく。門はしまっているが、壁はそう高くない。登れそうだ。
行き先は夕暮れ時に事件があった俺のクラスの隣。
扉をゆっくり開くと、視界には美しい月を背景に、一輪の花が机の上こちらを見て微笑んだ。
「ようこそ」
血染めになっているリュナが不敵に笑う。
「どうして俺の寮に発砲した。ああいうのやめてくれ」
「犯人を目の前にしてその度胸、中々なものだ あはは! お前、刻印者だろう?」
「さあなんのことだか」
ここまで来てもしらばっくれる。
その意向にはなんの意味もない。ただの俺なりの戯れであった。
リュナはこちらに拳銃を向け、ムッとした顔だが殺す気は十分らしい殺気だった顔。
「君、リュナ。俺を殺す気はないだろ」
「どうしてそう言い切れる?」
「君が銃の引き金を引こうとした時、その銃口はわずかにずれて外の誰かを狙っていた。発砲音もなかったしな」
「見てたのか。いや、正確にいうならば、見えたのかな?」
「…………」
「お前は刻印者だ。あの場には他に誰もいなかった。となると、お前はどうやってその現場を見た? 答えは現から離れた異端な力としかいえないのだよ」
残念なことにこれ以上、しらばっくれることはできないようだった。
それから、リュナは「さて」と一つ置いて、再び銃口をこちらに向けた。犯人ではない、つまり殺す気はないと受け止めたかった俺だが、それは違うのだろうか。
「なあ」
銃声が鳴り、瞬きしたその一瞬の出来事。俺は唖然と口を開け、一歩身を引いた。銃弾が放たれたのは音でわかる。誰が、どこへ。その解はジンと痛む頬から血が流れることによって理解させられた。
「今のは警告だ。お前が刻印者ならば私のいうとおりにしてもらう」
「…………」