第30話:チンパン人地獄変
元チンパン人で、現オウム人間の姉。その仲間は、やっぱりチンパン人だった。しかも、姉以上に卑小で醜怪な。
分かっただの消すだのと人の口では言いながら、チンパン人の口では『メモリーカードだけは隠しておこう』などと小賢しい企みを祝戯いている。
指先一つで写真をバラ撒くって言うなら、指先を一つも残しておけないじゃないか。
良太はうんざりしながら、山口救愛の服を引き裂いた。
「何すんの!? げほっ…… な、何する気なの!? 何なの!? ゥボェッ」
うるさいので、喉笛を小突いたら静かになった。
スマホを音声入力で操作される可能性を考えたら、一石二鳥だろう。
救愛を裸に剥き、松本さんの写真と同じ恰好をさせて、撮影する。
さすがスマホ、写真だって撮れる。良太は自分のスマホを丁寧に拭き上げると、大事そうにケースにしまった。
「んなっ!? おい、そこのガキ! うちの娘に何してくれてんだ!!」
母親らしい人物が、騒ぎを聞きつけて寄って来た。
「うへぇ、子供がチンパン人なら親もチンパン人かよ。邪魔だ。静かにしてろ」
良太は救愛の母の首をくるりと水平に180度回した。
「……狼顧の相って知ってる?」
「えっ!? ご、ごめんね。お姉ちゃん、良ちゃんみたいに賢くなくって! ごめんね、ごめんね!」
「ああ、いや、いいんだ。ちょっと思い出しただけだから。何でこんなことになってんのか、この人に説明しといて」
「う、うん。お姉ちゃん、ちゃんと説明するから。ごめんね?」
説明なんかしてる場合か。大丈夫なのか、あの首は!?
救愛の母は真後ろを向いた異様な状態で硬直している。見たことはない古いホラー映画の、そこだけ知ってる有名なワンシーンを彷彿とさせる光景だ。カタカタと震えているところを見ると、死んではいないようだが……
だが、母を気遣う余裕など、救愛には与えられなかった。翔子を、母の目の前……というか、母の背後というか……とにかく其処に在ったソファに下ろした良太が、救愛の方へと振り返る。
「んじゃ、まずはインターネットに保存してある写真を消すか」
良太はバラバラになった救愛の服のポケットから、救愛のスマホを取り出す。
「ロックの解除は?」
「ゅびっ…… ゆびがぁっ…… のどがぁっ…… ぃだぁぁっ……」
「早よ教えろ。さっき撮ったお前の写真、ネットにバラまくぞ」
指をブチ切ってからそんな脅しする意味ある!?
ダメだ。コイツはダメだ。一刻も早く言う事を聞かないと、本当に何をされるか分かったもんじゃない。救愛は激痛に耐えながら、必死に頷いて恭順の意志を示した。
「じ、じもんでっ…… ぁ、ぁあ゛っ!?」
スマホの指紋認証を解除しようとしたが、指が無い。
指が無いのだ。
愕然としたまま、ぢっと手を見ていると、良太が何かを画面に当ててあっさりと救愛のスマホのロックを解除してしまった。
……捻じ切られて魚肉ソーセージみたいになった、救愛の指。
見るだけでも眩暈と吐き気がするそれを、良太は平然と手にしてタッチペンのように使った。
翔子が怯えるように良太の様子を窺っていた理由を、救愛はイヤと言うほど理解した。
喉が痛い。咳き込みながらパスワードを教える。クラウドのデータは呆気なく消去された。
良太は、役目を終えた救愛のスマホから、内部ストレージとSDカードを抉り出し、擂り潰して耳クソみたいにしてしまった。
「ぁぁっ……!? ぁ、ぁだじのすまほっ……?」
「あ? 物理的に破壊しないと復旧されるかもしれねーだろ? ほれ、次はパソコンだ。案内しろよ」
翔子はやはり助けてくれない。
当然だろう。
翔子が学校を休んだのは、この悪魔に嬲られていたからに違いない。一体何をされたのか。別人のようになってしまうのも当然だ。
現実を受け入れられず、翔子に幻滅することさえ満足に出来ていなかった救愛だが、今となっては共感しかなかった。本当の意味で同情していた。同じ感情を味わっていた。
弱くてバカな弟の作り話は、きっと精一杯の反抗で、貴重な息抜きで、必死のSOSだったのだ。
母親も助けてくれない。
当然だろう。
首があんなになったままで、いつまで生きていられるのだろう? 早く、早く助けないと……
涙を堪えて、人の皮を被った鬼を自分の部屋に案内する救愛。
恐喝罪した金で適当に買った一番高かったヤツは、ハードディスクを刳り貫かれて無惨な姿になった。抉り出されたSSDは、ペラペラに潰されてクレープの生地みたいになった。
「次、隠してるメモリーカードだ。下着の入ってる引き出しにあるやつ。早く出せ」
「なっ、なんで知っ…… だ、出じます、すぐ出びますっ……!」
喉が軋む。返事をするのも一苦労だ。
クローゼットの下着ケースから、隠してあったメモリーカードを取り出……
「ぁ…… ぁぁぁぁぁ……」
指が無くて引き出しが開けられない。何かしようとするたびに突き付けられる、未だ信じ難い現実。
良太は救愛の視線を追いながら、微塵の遠慮も無く下着ケースを漁って、見つけ出したメモリーカードを鼻クソみたいに指で丸めてしまった。
松本清を脅していた写真のうち、救愛が持っていたものは、これで全て消え失せた。
「姉ちゃん、次は?」
「あっ、つ、次は、木村の家が近いの…… お姉ちゃん、今度はちゃんとやるから」
「そうか。さっさと済ませるぞ。ったくバケモン共が。厄介なことしやがって……」
「ひッ…… ごめんなさい! ごめんなさい!」
リビングに戻ってきた良太が、救愛の母の首を元に戻しながら、翔子と話している。
ようやく正面を向くことができた母は、そのまま床にへたりこんだ。
あの元ヤンで気の強い母が、今でもたまに初代とか呼ばれて強面のおっさん達に慕われているのを見かける母が、父が絶対に怒らせてはいけないぞと口を酸っぱくして言っている母が、良太から目を反らすように俯いたまま黙り込んでいる。文句を言う気力も無いのか、喋ること自体が出来なくなっているのか。
とはいえ、救愛にもまた、母に駆け寄る気力などない。力尽きたようにその場に座り込んで、歪に腫れ上がった指の無い手のひらを虚ろな目で見つめるだけだ。
「俺は姉ちゃんの探し物を手伝いに来ただけなんで、今日はこれで帰るけど」
翔子を担ぎ上げながら、翔子の弟を名乗る悪魔は、泣いている救愛に容赦なく声を掛けた。
「あんたが仕出かしたことの後始末は、改めて姉ちゃんに付けさせるからな。姉ちゃんが出来なかったら、その時は俺がやる」
……え?
ウソでしょ?
これで終わりじゃないの?
まだ何かされるの?
もう指が無いんだよ?
これ以上何をするの?
あたし、そんなに悪いことした?
ふと気づけば、大型テレビの真っ暗な画面に、全裸にされたままの自分の姿が映っている。
服を脱がされて泣いていた松本の姿が、重なって見えた。
ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!
ダッセぇアイツと、イケてるあたしが、なんで同じ扱いを受けなきゃいけないワケ!?
「ぁぁぁぁぁ!! ぁぁ、ぁぁぁぁ………………」
指の無い掌を床に突いて、救愛は潰れた喉で号泣した。
娘が苦し気に咽び泣く声を聞いても、母親は真っ青な顔で項垂れたまま、動こうともしなかった。
その後、止せばいいのに警察に通報した山口救愛は、部屋からクスリを発見されてお縄となった。
指は、薬物による幻覚と妄想の果てに自分で切ったことになった。
こんな人間のために命が懸けられるか、と警官が呟いたのを、救愛は一生忘れることが出来なかった。




