第29話:姉を手伝う
私立昇陽学園。
綺麗な校舎と可愛い制服、自由な校風と適度な偏差値で、市内一番人気の学校である。
日辻川翔子は、その学校を体現したような生徒だと、山口救愛は思っていた。
可愛く、人気者で、何より自由だ。
面倒な先輩も、
うるさい教師も、
警察さえ、彼女を止められない。
何だって蹴散らして、誰だって黙らせる。世間体も法律も、彼女を縛れない。
彼女といると最高に楽しくて、最強に刺激的。やりたいことは何だってできて、やりたくないことは何にもしなくていい。
それが、日辻川翔子。救愛たちの無敵のヒーローで、究極のアイドル。
そのはずだった。
「松本さんの写真、消して」
翔子が何の連絡も無く学校を休んで、1週間になろうかという頃。
翔子は右手と右足にギプスを嵌めたまま、一人の少年に引きずられるようにして山口家を訪ねて来た…… これまた、何の連絡も無く。
どうしたの!? 何があったの!?
と、救愛が尋ねるよりも早く翔子は、よっ、の一言も無しに開口一番写真を消せと言ってきたのだ。
「マツモトサン?」
「……松本清さんだよ。アタシらのクラスメートの。ほら、写真…… 撮ったっしょ?」
「写真?」
「ほ、ほら…… あの、服、脱がして」
「あー」
そういや、そんな名前だったっけ。あの『昭和枯れススキ』。
煙草を吸うなだの、クスリは止めろだの、時代遅れのババァみたいなこと言ってきた、クッソダサい女。
ボコボコにして、服脱がして、記念写真撮ってあげた女。
冴えないクセにイキって助けにきたカレシ君も、一緒にボコってやった。ボクシング部のホープだかなんだか知らないが、翔子が負けるわけがない。拳と選手生命を叩き割って、身の程を教えてやった。
今はカレシ君と仲良くATMをやってる、あの枯れススキを脅してる写真を消せって?
「え? なんで? 急にどうしたのさ。なんであんな奴のこと、さん付けで呼ぶワケ?」
「失礼なこと言うな!」
ぱぁん! と救愛の頬が音を立て、目の前に火花が散った。
強烈な平手打ちに、救愛はよろめいて玄関先に膝を突く。
え? 翔子に叩かれた? 何で?
「消しなよ。今すぐ。スマホに有るのも、パソコンに有るのも、メモカに入れたのも、クラウドに上げたのも、全部!」
「わ、分かったよ。分かったから。とにかく事情くらい教えてよ。どうしたのその怪我?」
「うるせェな! いいから消せよ!」
この1週間で何があった? 翔子に肩を貸している、藤玉輪学院の制服着た中坊と何か関係があるんだろうか。
翔子はチラチラと中坊の様子を窺っている…… まるで怖がってでもいるかのように。
不格好なギプス。ギプスに合わせて変なところにチャックがある変なジャージ。ワックスもジェルも使わずにルーズサイドテールにまとめただけの髪。顔も爪もノーメイク…… いつだって自信満々で、カッコ可愛かったあの祥子と、同一人物とは思えない。
「わ、分かった、分かったよ。消すから、落ち着いて……」
何かがおかしい。とにかくおかしい。事情が分かるまで、迂闊なことはしない方がいい。
とりあえず、隠してあるメモリーカードのデータだけ残して、それ以外の写真は消しながら、様子を伺うことにしよう、と、救愛は決めた。
「ちっ、仕事できねーな、姉ちゃん」
「ひっ!?」
びくっ! と、全身を震わせて、翔子が硬直した。
「もういい。後は俺がやる」
「ごっ、ごめんね良ちゃんっ! お姉ちゃん、役立たずでごめんねっ? がんばるから、もっとがんばるから、怒らないで……!」
リョウちゃん?
姉ちゃんとか言ってるけど、コイツ、翔子の弟なの?
「ちょっと、何なのアンタ? さっきから名乗りもせずに」
救愛はジンジンするほっぺたを押さえながら立ち上がると、忌々し気に良太を睨みつける。
祥子から弟の愚痴は聞いたことがある。生意気で可愛くない、最低の弟。
藤玉輪学院に中等部から外部受験で入るくらいにお勉強はできるが、それ以外のお頭はサッパリの、気の利かないコミュ障。
中学生になっても山ん中で泥だらけになって遊んでるから、カノジョだった幼馴染にフラれた、クッソダセぇガキ。
当然学校にも馴染めず、毎日イジメられて帰って来る、惨めな弱者男性予備軍。
あんなのが弟とかサイアク、って、聞いてたん、だけど……
「アンタ、枯れススキ…… あー、松本の回しモノなワケ? だったら、態度に気を付けた方がいいんじゃない? アンタの大事な女の写真が、指先一つで世界中に、永久に……」
「指先がなんだって?」
激痛。
「痛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!? 痛っ、痛ぁぁぁぁああ!!」
突然両手に走った、今まで味わったこともないような痛み。思わず手を見る。
指が、指が無い。指が生えてたところが、魚肉ソーセージの包装の端っこみたいになってる。全部。さっきまで10本あった指が、1本もない。何で? え、何で!?
「おい、チンパン人2号。後が閊えてるんで、手短に済ませるぞ」
次の瞬間には、救愛は首根っこを掴まれて家に押し入られていた。
尋常な握力ではなかった。首輪を嵌められて引きずり回される小型犬にでもなったような気分。
瞬間的に奪われた呼吸。冗談抜きで、死ぬかと思った。
翔子は助けてくれなかった。弟に片手で担ぎ上げられて、真っ青な顔で病気のように震えながら救愛の指を見つめていた。




