第23話:佐藤院絢梧に祝福を
藤玉輪学院の特待生資格は、基本的には出来のいい貧乏人に恩を売るためのものだが、名家の子女が箔付けのために取得するケースもある。
だから、日辻川の分家の息子が特待生として入学してきたと聞いた時は、金だけ渡されて見捨てられた陸でなし共が、名誉挽回に打って出たのだろう、という目を向けられた。
『分からせろ』
『手駒に出来れば良し。叩き潰しても一向に構わん』
それが、元華族である佐藤院家の現当主にして、『例の翁』で名の通った佐藤院道永から、直系の孫、佐藤院絢梧に下された命令だった。
とりあえず、可愛い女を連れていたので、その方向から絡んでみた。
不気味な奴だった。水津流に殴られて平然としている人間なんて初めて見た。マンガみたいにコンクリに穴を開けてしまう、あの水津流のパンチなのに。
止めろ、犯罪だぞ、と言い続けるだけで、一度も殴り返してくることは無かった。それなのに、あいつが女との間に割り込み、盾になるのをどうやっても止められなかった。
依緒が自分から、言うことを聞くからもう止めて下さい、と泣きついてくるまで、絢梧達は誰も彼女に指一本触れることが出来なかったのだ。
依緒には悪い遊びを教え込んだ。勉強だの家事だので抑圧されていた子供を堕とすのは簡単だった。彼女はすぐに弱者を足蹴にして金をせびり、遊び呆けるようになった。
その時の良太の顔は忘れられない。
どれだけ殴られても眉一つ動かさなかったのに。あんなに胸がスカッとしたことは無い。
依緒の話によれば、家でも冷遇されているらしい。陸でなし共の中に一人だけまともな奴が混じっていれば当然だろう。
家でも学校でも追い込まれ…… それでも、良太が泣きを入れてくる様子は一向に無かった。
何故だ。
何故あいつは屈しない?
何故あいつはあんなに強い?
定期報告の度に祖父に叱責される。失望の目を向けられる。
ヤバい。ダメだ。何故だ。クソが!
失敗るわけにはいかない。
絢梧を『翁の孫』にしてくれた、御祖父様のために。
御祖父様の御機嫌の取り方を、身を以て教えてくれた御母様のために。
佐藤院の血を引かない者がどんな扱いを受けるべきか、身を以て教えてくれた入婿の父さんのために。
御祖父様に叱られる度に慰めてくれた、御付きのメイドのために。
日辻川相手に、その分家ごときに、結果を出せずにいるわけにはいかないのだ。
こうなったら手下にすることは諦めて、完全に叩き潰す方向にシフトするか……
そう考えていた矢先、良太が田中寺、御高橋、神渡辺の3人を殴り倒して保健室送りにしたという報せが届いた。思わずグッと拳を握った。渡りに船とはこの事だ。
学園の評判がどうこう五月蝿い奴等にも、こうなった以上は文句を言わせない。余罪を捏造してでも必ず少年院にブチ込んでやる。これでアイツも終わりだ!
と、思っていたのに。
水津流がやられた。いとも簡単に。目の前で腕を千切られて、失神させられ、事も有ろうに失禁までさせられ、ハイエナとまで罵られた挙句、実家を焼かれて、親まで殺された。有り得ないほど徹底的に、この上ないほど完膚なきまでに、負かされた。
そして、僕は……
『ぶはっ! ぶはははははっ!!』
『お前、鸚鵡人間だったのか!』
『なあ、誰に言われて俺に絡んでるんだ?』
『気の毒だから、お前は殴らないでおいてやるよ』
『唄わない鸚鵡は、月夜の海に浮かべるぞ?』
「うがああああぁあ! があぁああああああ!!」
佐藤院絢梧は絶叫した。
この僕を! 佐藤院の翁の孫を! 好き放題虚仮にしやがって! 誰が鸚鵡だ!
「フザけやがって! フザけやがって! フザけやがって! あの野郎ぉぉぉ!!」
狂ったように頭を搔き毟る。クラスメイト達はさりげなく距離を開けた。コントラクトカーテンに窃々と隠れる者もいる。
「殺す! ブチ殺してやる! 佐藤院を舐めるなよ! 退学にしてやる! 少年院に送ってやる! 口座も電気も水道も止めてやる! 家も土地も戸籍も奪ってやる! 町中の人間全てにお前をクソ乞食と罵らせてやる! ありとあらゆる手段で、貴様を社会的に経済的に徹底的に抹殺してやる…… 御祖父様の名に懸けて!!」
「そりゃ無理だ」
空気が凍った。
血も臓腑も煮えくり返らせ、顔を真っ赤にして火を吐かんばかりに熱弁を振るっていた佐藤院絢梧も、一瞬で凍り付いたように動かなくなった。
日辻川良太がそこにいた。
「お前の爺さん、もう死んだからな」
「………………………………は?」
拳を握りしめたまま固まっていた絢梧は、ひどく間抜けな声を出した。
クラスメイト達も、目をしばたたかせて恐る恐る良太を見る。
どこから入って来た? いつの間に?
亮太はもう一度口を開いた。
「お前の爺さんを殺してきたんだよ」
ぽん、と。ボールのような物を投げて寄越す。
反射的に受け取って、絢梧は見てしまった。
泣き叫んだ顔のままで永遠に固まった、佐藤院道永……彼の祖父の生首を。
「うわぁあああぁああ!?」
思わず投げ出す。
床に転がったそれを、クラスメイトの一人が拾い上げた。油が切れたロボットみたいな動きで。
螺旋状に捻じり上げられた頚の肉と皮が綺麗に一点で収束している。袋の口を捻って止めたように血が漏れていない。オブジェとして見るなら見事な仕事だ。
首を120度ほど回されていた水津流の姿を思い出す。
彼はそれをそっとベッドの上に置くと、表情を失った顔を良太に向けた。
「お前の爺ちゃん、もうダメだったよ。完全に生ゴミだったからな。お前を鸚鵡人間にしちまっただけのことはあるわ。仕様が無いから始末したよ。これで、態々俺に一寸掻掛ける必要も無くなっただろ? 良かったな」
まるでクラスメイトにでも話しかけるような穏やかな笑顔で、日辻川良太はそう言った。
ああ、
狂っているのは、日辻川良太じゃない。
僕だ。
だから、こんな幻覚を見るんだ。
佐藤院絢梧は、失神した。
「いや寝るなよ。まだ話は終わってないぞ」
頬をぺしぺしと叩き、安らかな眠りに落ちようとした絢梧を無慈悲にも叩き起こす良太。
「爺さんが一番悪いってのは分かるけど、お前に何の責任も無いわけじゃないからな? 罪は償ってもらうぞ。爺さんに言われたわけじゃない悪いこともいっぱいやってるだろ?」
もう絢梧に言える言葉など何もなかった。ただただ涙を流して震えている。
良太は絢梧から顔を上げると、おろおろしたり無になろうとしたりしている一同を見回して、言った。
「お前らにもやったことの責任は取って貰う。全員逃げるな。逃げたら足を捥ぐ」
まずお前が責任を取れ、人殺し!
と、口に出せるような、法と正義に命を懸けている人間は誰もいなかった。
2年A組の生徒たちは、声を殺して啜り泣きながら良太の前に整列した。




