第16話:学級崩壊
無造作に、千切れ残った上膊を握り潰される。
「ぐぅああぁあっ!」
出血が止まった。血管が圧着されたのだ。異常すぎる握力。
「こ…… この俺に…… 鈴木小路水津流にこんなことをして…… タダで済むと…… 思ってんのか……!?」
未だに現実だと信じきれない程の激痛と恐怖に苛まれながら、それでも鈴木小路は弱みを見せまいと気を吐いた。
伊達に三つの頃から人が山に埋められるところや海に沈められるところを見てきたわけではない。鈴木小路家の英才教育は、仮令己れが敗北したとしても家まで無礼られることは許さない。
「あ? お前の首をお前ん家に投げ込んで、宣戦布告に使ってやろうか?」
頭に手をかけられて、くいっ、と120度回される。
鈴木小路水津流は、失神した。
教室の床に、失禁の跡が広がっていく。
「おいおい…… ちょっとした冗談なのに」
鈴木小路を放した手で、頭を掻く良太。
「で、佐藤院よ。今日お前ん家行っていい? お前をそんな風に育てた親の顔が見たいんだわ」
「は、ひ、は、は、は、ひ、は?」
良太に声を掛けられた佐藤院絢梧は、教室の床に腰から崩れ落ちた。返答は、言語の体を成していない意味不明な奇声の羅列だけ。
「ひ、ひィッ」
「きゃああぁァア! アアアアアアア!!」
「え? え? 何? え? 何これ? どゆこと?」
「………………! ………………っ!」
佐藤院を助けようと鈴木小路に続く者は、誰もいない。
息を飲み込んだきり硬直している男子、金切り声を上げながら縺れる足で逃げ出そうとして転倒する女子、千切れた腕を凝視しながら答えの返ってこない問いを繰り返す男子、声も出せずにその場にへたり込む女子……
ここが音楽室並の遮音性を持った高級私学の教室でなければ、全校に異常事態が波及したことだろう。
「うるせぇなぁ…… 静かにしろよ。喋れなくするぞ」
良太がそう言って教室を見渡す。
何人かは、慌てて口を噤み、
また何人かは、パニックに陥ってさらなる悲鳴を上げ……
「うるせぇっつってんだろ」
……る前に、教室に凶風が吹き抜けた。
「………………!?」
声を上げようとした生徒が皆、その一瞬で、良太の拳に鳩尾を突き上げられていた。
何が起きたのか、正確に理解できた被害者は一人もいない。あっという間に教室の中に騒ぐ者は一人もいなくなった。
「お前らとの話は後だ。大人しく待ってろ」
ギロリ、と、蒼白い眉の下から凄絶な視線で睨み付けられる。
この時になってようやく、彼らは認識した。
自分が、日辻川良太を怒らせていないはずがないと言う、当たり前の事実を。
次に腕を千切られるのは、自分かもしれないという、差し迫った現実を。
助けを求めようとしても、横隔膜が痙攣して声が出ない。逃げ出そうとしても、臓腑から込み上げる激痛で身動きも出来ない。
「佐藤院、もう一度聞くぞ。誰の差し金で俺に手ぇ出した? 唄わない鸚鵡は月夜の海に浮かべるぞ?」
「ひぇっ」
残念ながら、金糸雀の童謡を知らなかった佐藤院には、良太の優しさは伝わらなかったようだ。
単なる殺害予告と解釈した佐藤院絢梧は、無様に失禁した。
「えぇ……」
きーんこーんかーんこーん
困惑する良太に、スピーカーから伝統のウェストミンスター・チャイムが降り注ぐ。
8時25分の予鈴だ。
「あーもう…… 話はまた後だな。おい、鈴木小路。いい加減起きろよ。先生来るぞ」
良太は失神していた鈴木小路を無遠慮に蹴飛ばす。
「死っ、止ッ」
ビクン! と大きく痙攣した鈴木小路は、目を覚ますと同時に喉を軋ませて絶叫した。
「ほれ、ちゃんと片付けとけよ。もう片方も失くしたくなけりゃな」
腕を投げて寄越す良太。
「来っ! 待ッ!」
鈴木小路は両手で首を庇いながら尻で躄るように後退ろうとして、バランスを崩し再び自分の血と尿の上に倒れ込んだ。
「おはよう…… みんな、席に着……」
朝からぐったりした顔で、間任教諭が教室の引戸を開け……
絶句した。
席に着いたのは日辻川良太だけ。残りの生徒は皆、腰を抜かすなり腹を押さえるなりして床に這いつくばっている。
「ひ……日辻川……」
「ん? 何か用?」
「こ、これは、その、何が……」
「あんたも懲りねぇな。見て見ぬ振りしてろって言ってんだろ。いい加減にしねーとジンギスカンにするぞ?」
そう言いながら良太は席を立ち、鈴木小路が落とした腕を拾うと、鈴木小路の机の上に置いてやった。
担任も教室の床に腰から崩れ落ちた。