第14話:それでも教師か
「日辻川。クラスメイトに暴力を振るったと言うのは本当か?」
校門で担任が待ち伏せていた。
誰かが学校に連絡したのだろう。やはりスマホは便利だ。
「……あんた、それでいいのか」
日辻川良太は悪びれる様子もなく、担任の顔を見て呆れたような声を出した。
「………………」
真面目で優秀だと思っていた生徒にタメ口であんた呼ばわりされ、担任はさすがに怯んだ。
だが、それについて注意するようなことはなかった。彼に取って自分が尊敬に値する教師ではないという自覚くらいはある。
「質問に答えてくれないか? 別に責めてるわけじゃない。事実関係を確認したいだけなんだ」
「俺が殴られた時、あんたは何してた? いつも通りに見て見ぬふりしてろよ。羊人間」
羊人間。
なかなかに手厳しい。
単に堪忍袋の緒が切れただけではなく、何か変な思想にかぶれてしまったのかもしれない。賢しいところのある児童にはよくあることだ。
「指導はしたからな。先生は日辻川のことを信用しているからこれ以上は言わないが、程々にしてくれよ」
自分でも情けなくなるような言葉で会話を打ち切ろうとする。
殴られた生徒は結構な重傷らしい。無かったことになればいいのだが、さすがに保護者が黙っていないだろう。
やはり、責任を取らされて処分されるのだろうか…… 校長の命令に従っていただけなのに…… 身重の妻になんて言えばいいのか…… 土下座してでも懲戒免職だけは勘弁してもらわないと……
担任がそんなことを考えていると、
「日辻川ぁぁぁ! この馬鹿が! お前、許されると思っとんのかぁぁ! この、陸でなしの分家の倅がぁぁ!」
学年主任が血相を変えて駆け寄ってきた。四十を過ぎてなお衰えを知らない体育教師の大声と巨躯は、相当な威圧感がある。
ああ、嫌な奴が来た。面倒になりそうだ、と担任が朝から輝きの失せた目で見ていると、
「お前ぇぇぇぇッ!!」
日辻川良太が、学年主任を見て絶叫した。
凄まじい声だった。近くで聞いた担任は鼓膜が破れたかと思った程である。
ぐわんぐわんと脳内が残響に揺らされ、明滅する視界の中で、担任は見た。
良太の拳が、学年主任の土手っ腹に深々とめり込んでいるのを。
「お前! そんなんでいいと思ってんのかよ! 仮にも教師だろ! 犬の怪人が子供に何を教えるんだよ! お前がそんなんじゃ教え子も化物になるわ! 趺坐蹴んのもいい加減にしろ!」
学年主任は、くの字に折れて校庭に崩れ落ち、口の端から嘔吐物を垂れ流した。
誰も何も出来なかった。野次馬も通りすがりも耳を抑えて蹲っている。
担任も粛々とそれに倣いながら、いつも偉そうに面倒事を押し付けてくる先輩の無様な姿に、心の中で小さな喝采を上げた。
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背広を着た、二足歩行の羊。
それが、良太たちのクラス、2-Aの担任である間任教諭のヴィジョンだった。
子供向けの教育番組にでも出てきそうな、ザ・動物人間といった風体なのだが、濡れて萎んだような毛並みと貧相な角は、思わずそれでいいのかと口に出してしまうほど蕭暮くれていて、さすがに殴る気にはなれなかった。
……その後から来た学年主任は、ひどいものだったが。
強者に舌を垂らして媚びる顔と、弱者に牙を剥き出して威張り散らす顔。双頭を持つ、犬の怪人。
犬と人間の両方を冒涜するために、悪意を持ってパーツを選り分け、爛れたセンスで組み直した醜怪な異形。こいつに比べたら豚人間もチンパン人もまだ可愛気があった。
たまらず怒鳴り付け、殴り付けたが、何一つ変化する様子がない。大人は自分の倍以上長く生きているという事実と、その業の深さを思い知らされた気分だ。
学年主任は白目を剥いて足を投げ出し、クマの縫いぐるみのように座っている。
これ、また救急車を呼ばなきゃならないんだろうか。消防士さんやお医者さんたちの苦労を考えるといい加減に気が咎める。もっと急を要する人に手が回らなくなったら大変だ。
良太は、身長190センチ体重100キロ近い巨体を軽々と担ぎ上げて、藤玉輪学院の妙に大きな保健室棟まで運んだ。養護教諭が目を丸くしていたが、説明しなくても手当てくらいはしてくれるだろう。
さてこれからどうしたものか。悠長に授業なんか受けてる場合なのか。この世に蔓延る化物どもを、特に要職や聖職に就いている人間擬きを、速やかに処分して回らなければ、地球の未来は本気でヤバいんじゃ……
悩んだ挙げ句、良太は結局、教室へ向かった。
考え事なら何処でしても同じだ。ならば、とりあえず教室で授業に出席しながら考えてもいいだろう。