ほう、パールスター……?
スピカさんの声がお相手に届いたのでしょうか。
注目していた辺りの木の表面が、じんわりと歪み始めましたの。
こう……何と言い表せばよろしいのか、水に色液を溶かしたときのように、ぐんにゃりと空間自体が歪んだのでございます。
私たちが森の樹木だと思っていたうちの一塊は、実は……ふぅむ!?
やがては人の形になりましたのッ!
それもただの一人だけではありません。
ひぃふぅみぃ……よぉ、いつつぅ。
少なくとも五人以上は見えますわね。
手前に女性が二人と、後ろに男性が三人か四人か。
全員がとてもスレンダーな体型をしていらっしゃいまして、性別を問わずヘソ出しスタイルの民族的な衣装を身に纏っていらっしゃいます。
何よりも特徴的なのはその耳の形状でしょうか。
長く鋭く尖っていらっしゃいますの。
この方々を図鑑で見たことがあるのです!
というより探していた方々そのものでしたの!
「もしやエルフ族の皆さまではありませんこと……?」
「だろうね。こうも手厚い歓迎してもらえちゃうとさ。道案内も料理の方法もとてもじゃないけど聞けそうにないかなって。排他的な種族って情報も、そう的外れでもないらしい」
彼らとスピカさんの、一触即発な睨み合いが繰り広げられております。
どちらかが何かの行動を起こしたら、それこそソレがバトルスタートの合図になってしまうような、そんな危ない雰囲気ですの。
いくら勇者の才を持つスピカさんであっても複数人を同時に相手するのはキツいはずです。
ましてここはエルフ族のお庭みたいなところですもの。
前提条件からして部が悪いのでございます……ッ!
「っていうか私たち、そもそもまだ何も悪いことしてませんわよ!?」
まだというよりは今後もするつもりはございませんけれどもッ!
その辺の違法な密猟者と一緒にしないでくださいましッ!
私たちはただ、何事もなくスタタと大森林を横切らせていただきたいだけなのでございますッ!
顔の向きは変えずに、スピカさんが小声でお答えくださいましたの。
「一つ思い当たるとすれば、大森林の中にこうして足を踏み入れちゃったこと自体が既にアウトなのかもね。そうなると昨日のアレは、やっぱり監視と牽制の両方だったのかな」
「監視と牽制、と言いますと?」
「私たちが偶然に迷い込んじゃっただけなのか、それとも明確な意志があって森に入ってきたのか。昨日はその辺を見極めてたんだと思う。
一晩経ってもまだグイグイ進もうとしてるのを見て、こうして直接制しに来たってところかなって」
「そ、そりゃあ私だってお家のお庭に知らない人が入ってきたら、警戒しちゃうのも分からないでもないですけれどもぉ……ッ!」
さすがにお庭の範囲が広すぎるのではございませんでして!?
街より広い大森林に入ってまだ二日ですわよ!?
ただ通過するだけでも不法侵入でしょっ引かれてしまうんですの!?
本当にそうなのだとしたら、エルフ族の方々ってトンデモなく、それこそ女神様よりも頭のお堅い方々だと思うんですけれども――あっふんっ♡
……ちょっとぉ。
今この状況で貞操帯の雷を発動するのはやめてくださいましぃ。
ビクンと跳ねた動きを怪しまれてしまったらどうするんですの。
しばらくの間、女神様のことを恨みましてよー。
エルフ族の女性二人のうち、わりと凛々しい顔をなさっている方が、一歩だけ前に出てきなさいましたの。
森林に溶け込むような深い緑色の髪が特徴です。
頬には一筋の大きな裂傷痕がございますの。
エルフ族の中でも歴戦の女戦士さん的なお立場なのでしょうか。
彼女の合図に合わせて周りの取り巻きさん方が静かに弓を構え始めました。
……まだ目一杯に矢を張っているようには見えませんので、あくまで今回のは牽制の意を強めてきた形だとは思いますけれども。
これでは下手な動きはできませんの。
ファイティングポーズを解く隙さえも与えてくださらないようです。
蛇に睨まれてしまった蛙もとい、エルフ族に睨まれてしまった聖女と言えましょうか。
ふっ。我ながらよわよわの及び腰ですこと。
今は本当に何もせずに黙っておきましょう。
そうこうしているうちに、エルフ族の女性が静かに口をお開きなさったのです。
「問おう、小娘二人組よ。貴様らは何者だ。そして何故この森を進もうとしている」
それはそれは女性のモノとは思えないくらいドスの効いたお声でございました。
思わず背筋がピンと張ってしまいましたの。
かつて修道院長に叱られていた日々のことをつい思い出しちゃいましたわね。
私、他の修道女の数倍は叱られてきておりますゆえ。
何度罰として聖典を読唱させられたことか……。
少しばかり懐かしくもありますが、できれば封印しておきたい黒色の恥歴史ばかりです。
ふふっ。なははははー、ですの。
……こっほん。さてさて。
問いかけに関しては、硬直している私の代わりにスピカさんが答えてくださいました。
こういうとき、肝が据わっていらして本当に頼りになりますの。
「私が今代の勇者のエルスピカ・パールスター。それでこっちが聖女様のリリアーナ・プラチナブロンド。
今は北の魔王城に向かうために旅を続けています。ここにいる理由は、大森林をまっすぐ通り抜けるのが最短ルートになっているので、それで」
あくまで堂々とした語勢で、けれども誠実さを前面に出すようにしてお答えなさいましたの。
言い終わったタイミングで初めて構えていた小刀を下げなさいましたの。
エルフ族の皆さまに敵対する意志はない、と言葉を使わずにお示しなさったも同然と言えましょう。
さすが、なかなかの策士さんですわよね。
伊達に勇者を名乗っていらっしゃいません。
エルフ族の凛々しい女性が一瞬だけ眉を動かしなさいましたの。
「ほう、パールスター……? 五十年ほど前にもその姓を名乗る者がいた。酷くナマイキでいけ好かない小僧だったと記憶している」
「えっと、五十年前ってことは……もしかしてお爺ちゃんのこと知ってるの!?」
な、なるほど。
さすがは長命種のエルフ族さんですわね。
確かに先代方もすべからくこの森を通っていらっしゃると思われますし、実際にお会いしていたとしても何もおかしくはありません。
しかしながら、五十年前で既にお相手を小僧呼びなさっているとは。
若き日の先代勇者様だってさすがに二十歳は超えていらしたはずですのに。
今、目の前にいらっしゃる方はおいくつなんでしょうか……?
これまでも気の遠くなるような人生――いえ、エルフ生を過ごしていらっしゃいそうな予感がいたしますの。
女性に年齢を聞くのは御法度ですけれども。
才女危うきに何とやらなのでございます。
再びに眉間にほんのりシワを寄せ始めた女性が、また淡々と言葉をお続けなさいましたの。