……もういいわ、ザコ聖女
私が勢いよく振り返ったときには、既にスピカさんもミントさんも白いバフ解除魔法に包まれてしまっておりましたの。
清廉潔白の塊のようなスピカさんには何も影響はないようなのですが、一方のミントさんのほうは……あらまぁ。
深く被っていたはずのフードが勝手に捲れ上がっていくではありませんかっ!?
あのフード自体には何の魔力も込められていないはずですから、この魔法は隠そうとする行為自体に作用するのかもしれませんの。
非常に厄介ですわねぇ。
首元に巻かれていたボロ布のマフラーマントまでもが、ひとりでに床に落ちてしまう始末なのです。
私もつい動揺の声を漏らしてしまいましたの。
「チッ。ウザったい魔法ね。それ」
ミントさんもまた不快そうな心持ちを全面に示していらっしゃいます。
彼女のお顔はもちろんのこと、魔族特有の巻き角も、おまけに背中の羽や尻尾までもが、全て露わにされてしまいましたの……ッ!
「ったく。アタシの服に汚れが付いたらどう責任とってくれるわけ? クソ聖職者さん」
床に落ちたマフラーマントを拾い上げながら、ミントさんがイザベラさんを鋭い視線で睨み付けなさいます。
傍から見ても一目瞭然レベルで牽制と怒りの両方を感じ取れましたの。
真っ向から喧嘩を売られたのです。
真っ当な判断だと思いますの。
「……ほう。今代の勇者は紛うことなきヒト族のようですが、もう一人のお供の――いえ、奴隷のほうは何とビックリ、魔族ではありませんか」
魔法を掛けたイザベラさんも予想の範囲外ではあったのか、少しばかり面を食らったようなお顔をなさっていらっしゃいましたの。
「フン。だから何だって言うのよ。アタシが神聖都市の中を闊歩してちゃマズいってわけ? ホーント、お高く止まってることで。今にもブン殴ってあげたいところだわ」
ミントさんがギリリと拳を握り込むと、その姿を見ていた周りの修道女たちは、ヒィィッと一斉に息を呑み込みましたの。
この神聖都市の中では、魔族は特に野蛮で好戦的な猛獣として認知されているようですから、ミントさんが頑丈そうな手錠や足枷を付けていないことにも大層ビビられたことでしょう。
私もお友達を目の前で悪く言われて黙っていられるほど、達観してはおりません。
ゆえにまっすぐに否定してさしあげます。
「ミントさんが魔族であったとして、だから何だとおっしゃるんでして?」
別にミントさんはそんな物騒なモノを身に付けなくったってキチンと会話はできますし、そもそも必要とさえしておりませんしッ!
彼女は私のお友達でお師匠様で、大事な大事なパーティメンバーさんなのでございますッ!
決して奴隷なんかじゃないですの。
むしろ常に対等な関係なんですのっ!
「答えてくださいまし。魔族がイザベラさんに対して、何か悪いことをしたんですの!?」
「しいて一つ言わせてもらえるならば、この神聖な場所に穢れた生き物が足を踏み入れるとは、女神様には申し訳が立ちませんね。万が一にも暴れられては大変でしょう?」
「ぐっ……世の中には言っていいコトと悪いコトがありましてよ……ッ!」
ご本人としては余裕のある皮肉のつもりなのでしょうが、受け取った私たちとしては、今のは不愉快極まりない発言ですの。
やはり閉鎖的な環境でぬくぬくチヤホヤされ続けてしまうと、考え方も凝り固まってしまうのでございましょうか。
イザベラさんはとても優秀な方だと聞いておりますのに……そんな偏見を持っていては、人々をより良き方向へ導けるわけがありませんの……。
実はそこまで敬虔ではない私にだって、簡単に分かってしまうことなんでしてよぉ……?
「……もういいわ、ザコ聖女。アタシも慣れてるから。相手にするだけ時間の無駄よ」
しかしながら、ミントさんは大人ぶるようにやれやれと首を横に振ると、私に歩み寄ってきて、肩にポンと手を置きなさいましたの。
彼女の目の奥には確かな怒りの炎が宿っております。
でも、表側に出すような素振りはございませんでしたの。
私にだけ聞こえるように顔を寄せて、かなりの小声でお続けなさいます。
「少なくともアンタへの疑いは晴れたみたいだし、今日はそれで良しとしておきましょ。実際目的は果たせたんでしょ?」
「だ、ダメですのっ! 簡単に引き下がっちゃ負けなんですの! 間違ったことを正してさしあげるのも、聖女と勇者の役目なのですから!」
イザベラさんは己の優秀さに驕り高ぶるあまり、他を思いやる心を蔑ろにしていらっしゃる気がするのです。
慈愛や友愛といった、聖職者に最も必要な精神が一番足りていないと思えましたの。
このまま放っておいてはイザベラさんが腐ってしまうと思うのです!
「これは私の、聖職者としての意地ですの」
乙女の勘とか聖職者の未来予知だとか、そんなあやふやな言葉を使うつもりはありません。
私はミントさんを思うがこそ、そしてイザベラさんを思うがこそ、ありったけの善意で正してさしあげたいと思うのでございますっ!
「アンタまさか、決闘でも申し込むつもり?」
「……どうすべきかは、まだ分かってませんけれども」
「言っとくけどアイツ一人を正したところでこの街は何も変わらないわよ? でも、アンタら二人が世界を変えてくれさえすれば、考え方の古いヤツは生きる場を失って、いずれ勝手に自滅していく。早いか遅いかの違いだけよ」
それは分かっておりますの。それでも、乙女には戦わねばならぬときというモノはあると思うのでございます。
改めてイザベラさんをキッと睨み付けてさしあげます。
「その魔族と何をコソコソ話しているのか分かりませんが、リリアーナ・プラチナブロンド」
「な、なんですの?」
「アナタには前々から言いたかったことがあるのですよ。ここで出会ったのも女神様の思し召しかもしれませんし、この際、はっきりと申し上げておきましょうか」
カツン、コツン、と。
静寂が支配するこの聖堂内で、イザベラさんの近寄ってくる足音だけが響き渡ります。




