ついに本命さんのご登場ってことですか
ドタドタという慌ただしい音と振動は、この狭い洞穴の中で何度も反響し合っておりますゆえに、進路と退路のどちらから発せられているのかは判断が出来ません。
けれども、コレは乙女の勘というモノでしょうか。
私の第六感がしきりに後ろからだと警笛を鳴らしているのでございます。
スピカさんもまた、この空気のピリつきを切に感じ取られたご様子です。
先ほどまでの苦笑じみたやれやれ顔に、真剣さが三割増しほどされていらっしゃいますの。
「あの、もしかしなくとも私のお腹の虫のせいですの……?」
「決定打が何かは分からないけど、多分これ気付かれちゃってるヤツだよね。退路を塞がれちゃったも同然なわけだし、今は先に進むしかないよ」
「袋のネズミとならないことを祈るばかりですの。でも追い付かれるのも癪ですの。ここは切り替えて前屈みのまま全力疾走いたしますの!」
「おっけ。そうしよっか」
潜入がバレてしまっては仕方ありません。
急遽、隠密作戦から強襲作戦に変更です。
あえて光の球をコレでもかというくらいのカンカン照りに切り替えて、私たちの進む先を明るく照らしてさしあげます。
ほんの少しだけ目がしんどいですが今は我慢ですの。
足元は良好、そして障害物もほとんど無し。
勢いに任せて一気に駆け下りてさしあげますゆえに、スッテンと転ばないようにだけ気を付けてまいりましょう。
修道服の裾の辺りを持ち上げて、より一層に走りやすい体勢を保ちます。
前を行くスピカさんなんかは腰に携えた短剣に手を添えて、今まさにやる気に満ち溢れたご表情をなさっていらっしゃいます。
いつでもどこからでも掛かってこいとの意思表示をしていらっしゃるのでございましょう。
感心している間にも、更に移動のスピードを上げられましたのっ。
慌ててその背中を追いかけさせていただきます!
ああもうっ。私よりも何倍も小回りが効きそうなご身体なだけあって、さっきから所作の無駄の無さがハンパないですわねっ!
少しも息を切らすそぶりを見せなさいません。
ホンモノの勇者の身のこなしが目の前にありますの。
このスピードでもきっと私のことを気にして走ってくださっていらっしゃるでしょうから、最高速には全然程遠いのだとは思いますけれどもっ。
一方の私は既に全力疾走に近い状態なのです。
スピカさんがこれ以上の本気を出されたら、以降は一瞬で引き離されてしまえる自信さえもございます。
……途端にポツンと取り残されてしまいましょう。
こ、こんな狭くて薄暗い場所に置き去りだなんて死んでもゴメンですのっ!
まだ運命の殿方のお名前もご尊顔もっ!
その仕草も性癖さえも何もかも知らないんですものっ!
このままむざむざ終われるかってんですのッ!
「ひぃっ……ひぃっ……日頃の運動不足を痛感しておりますの……っ! 明日も明後日も筋肉痛の予感ですのぉ……っ!」
早くも息が切れかけております。
浅めの呼吸さえもままなりません。
こんな情けない私の姿をご覧になられては、ぺちゃくちゃ喋るよりもまずは足を動かせと思われる方もいらっしゃるかもしれませんわね。
ふっ……ふっふん。ですがご安心くださいまし。
滴る汗も気にせずにちゃんと動かしております。
この服、激しく動き回るにはトコトン不利なだけなのです。
旅立ちに際してお上に駄々を捏ねに捏ねて捏ねくり回した結果、修道服の丈長スカートにスリットを入れることだけは許していたただけましたけれども……っ。
そもそものお話、修道服で激しい運動をするコト自体が想定されていないはずでしてよ!?
人的不向きと物的不向きの両方が相乗し合って、それはもう愚鈍のスパイラルを奏でているのでございます。
この格好で素直に走れていること自体が奇跡ですの。
顔周りだけは元から何にも覆われておりませんゆえに、足よりもずっと自由なだけなんですの。
むしろ私が何も喋れなくなったら、それこそマジメにアウトがもう目の前ってことにもなり得ますの。
具体的に言えばこう……次に口を開くときには、胃の中のモノが喉を逆流し終わっていて、後はもう吐き出すだけになっているみたいな?
最悪の事態にならないように、せめてメンタルだけは良好なところでキープさせてくださいまし。
お喋りによってストレスを発散させてくださいまし。
時折スピカさんが心配そうに振り返ってくださいます。
本当に心配ならスピードを落としてくださいましっ。
息を整える時間が……欲しいのです……っ。
「まだ走れそう? これから長い旅になるからねー。終わる頃にはムキムキになってるかもね、はははは」
「はははは、じゃないですのーっ……そんな筋骨隆々乙女は可愛くありませんのーっ!」
「あ、見てリリアちゃん。やっぱり明るくなってるよ。多分部屋みたいになってるんじゃないかな」
「んもう。少しは私の未来を危惧してくださいましぃ……誰しもが貴女のような成長中なご体型を維持できるわけでもないのですから――ふぅむ?」
スピカさんが急に立ち止まりなさいました。
そして、この洞穴に潜って初めて出会った曲がり角を指差しなさったのです。
彼女の仰る通り、確かにこの角の先から光が漏れ出てきておりますの。
私の光球とは明らかに性質が異なる光です。
発光の度合いも色味も少なくとも魔法による生成物ではなさそうなんですの。
「……何やら声も聞こえてきてますわよね?」
「うん。間違いなくゴブリンのだろうね」
「ううっ。ついに本命さんのご登場ってことですか。しかしながら……ふぅむぅ……」
十中八九ここはゴブリンの巣なのですから、それはもう恐ろしくも逞しいオスのゴブリンたちが、地下の奥深くでわいのわいの騒ぎ散らしているのだと思っていたのですけれども。
遠巻きのドタドタ音に混じってこの耳に届いてきているのは、わりと弱々しい感じの金切り声ばかりなのでございます。
少なくともヒトが発せられるようなモノではございません。
それも一つや二つのレベルではありません。
漏れ聞こえてくる雰囲気から察するに、その数はゆうに十や二十を超えているはずです。
二人見合わせてごくりと息を呑み込みまして、ギリギリまで曲がり角に近付きます。
そうして、向こう側をゆっくりと覗き込んでみましたの。
その先に私たちを待ち受けていたものとは……ッ!?




