第8話 精霊が存在する世界②
朝から楓は、畑仕事の手伝いをしていた。野菜の種類は元の世界と大差はないのだが、品種改良が進んでいないのか、小振りで食べられる部分は少ない。
柊は一人で森の中へ行ってしまった。体だけではなく、行動までエルフっぽくなっているような気がする。
「ヒイラギと一緒に、森を散策せんのか?」
鍬で畑を耕していたゲイルに聞かれた。
「柊が男だった時は、だんだん手が届かない人になって行くような気がして淋しかったけど、今はもう別世界の人になって行くような気がして淋しいんだよね」
「姉妹なのに、何を遠慮しとるんだ。ヒイラギの方は何も拒んではおらんのに、お前が勝手に淋しがっているだけだろうが」
「そうだよね。ちょっと、行って来るわ」
楓は鍬を放り出して、さっさと森の方へ行ってしまった。あまりの切り替えの早さに、ただ愚痴を聞いて欲しかっただけなのかとゲイルは思っていた。
柊は森の中で大木を見付けると、金髪の長い髪を一本抜いて枝に結び付けていた。その肩には、メイプルが乗っている。
「これで、怪しい奴が来たら教えてくれるのか?」
「樹齢千年を超える木は、霊力を持ってるからね。体の一部なら何でもいいんだけど、髪の毛が一番使いやすいでしょう」
「それじゃ、もうニ、三本探してお願いしとこうか」
その時、遠くの方から柊の名前を呼ぶ楓の声が聞こえた。
「楓!こっちだ」
柊の声に気付いた楓は、ゼーゼー言いながらやって来た。獣道すらない所を最短距離で来たのだから、かなりの体力を消耗したようだ。
「見てみろよ、樹齢千年を超える大木だぞ。楓も霊力を感じてみたらどうだ?」
「感じるって、どうやって?」
「抱えてみるとか」
言われた通りに、楓は大木を抱えてみる。手が回る筈もなく、壁にへばり付いているような感じだ。
「何か聞こえるよ」
「幹が水を吸い上げる音だろう」
「へえ、凄いね。千年もここに立ってるんだ」
思い返せば、色々なことがあった。母親が事故で亡くなり、柊が体を奪われて命まで狙われている。思わず叫びたくなった。
「柊のバカヤロー、私を置き去りにするなぁ!」
再びゼーゼー言いながら、楓は大木から体を離した。
「気が済んだか?」
ふと柊の方を見ると、肩の上に小さな女の子が乗っているのが見える。
「うそ、精霊が見えてるよ」
「ゲイルさんに見えるんだから、楓も見えるようになると思ったんだ。自然に対する意識の違いかな」
メイプルは楓の方に視線を送りながら、柊の長い髪にしがみついている。そんなことをしなくても、物理的な質量がある訳ではないから落ちたりはしない。ただ、楓に対するアピールをしているだけだ。
「なんかこの精霊、私にライバル意識を燃やしてない?」
「まあ、名前がメイプルだからな」
「なんで、そんな名前付けるのよ。妹と同等なの?」
「いいじゃないか、命の恩人なんだから。あ、人じゃないか」
勝ち誇ったような目で、メイプルは楓の方を見ていた。
「なんか、癪に障るなぁ」
「大木を探すぞ。樹齢千年以上だからな」
見えない方が良かったかなと思いながら、柊は手を差し出した。その手を楓が握ると、メイプルの姿がスッと消える。気を使ってくれたのかな、結構いい奴だと勝手に楓は思っていた。だが、実際には用が済んだので、実体のない精霊に戻っただけだ。
可視化するには、柊の精神力を少なからず消費する。常時、見えている訳には行かなかった。
足場の悪い場所では、柊が体を支えてくれる。楓の方が身長もあるし筋力もある。それでも転ばないように気を使ってくれるのは、柊がまだ柊のままだということだ。しかし、それは危うい優しさでもある。
高校で柊は女子に人気があったしモテていた。なのに彼女が出来ても、あまり長続きはしない。彼女が他の女子から嫌がらせを受けて、身を引いてしまうからだ。
いつしか柊は、同じ学校の生徒とは付き合わなくなった。自分のせいで彼女が嫌がらせを受けることを、いつも気に病んでいた。それが柊の優しさなのだ。
森の中を歩き回って、大木を見付けては枝に髪の毛を結び付けている柊のことを、不思議そうに楓は見ていた。
「それで、怪しい奴が分かるの?」
「これは伝達手段だよ。送信機みたいな物かな」
何だか柊が、遠い世界へ行ってしまいそうな気がした。しかし、怯んではいけないと楓は自分に言い聞かせていた。ゲイルに言われたように、勝手に淋しがっていても何も変わらないし何も始まらない。
森から戻ると、柊は鳥の羽根を拾い集めていた。何に使うのかも分からないまま、楓も手伝い二十本ほどが集まった。
小屋の中で柊は、羽根に針を取り付ける。さすがに二十本も針はないので、取り敢えず三本だけを作った。
再び外へ出ると、地面に転がっている丸太に向かって柊はダーツのように羽根を投げた。
スコッ!
手首のスナップだけで飛ばしたとは思えないほど、凄まじい勢いで羽根が丸太に突き刺さった。
「うっそ!何で、そんなことが出来るの?」
「風に乗せて飛ばしただけだよ。山の中は、精霊が多いからね」
もう完全に、楓の理解を超えていた。
体格で圧倒的に不利な柊の苦肉の策だが、三本だけでは心許ない。それに、針ではなく矢尻のような物を使いたいところだ。麓の村まで行けば手に入るかもしれないが、刺客への対策にそれは本末転倒だ。
「まだ、刺客が来ると決まってはおらんだろう。何をそんなに焦っておるんだ」
そう言ってゲイルが、昼食のパンを持って来た。柊と楓はゲイルを間に挟んで丸太に座り、麓の村を見下ろしながら昼食を取る。ドーム型でメロンパンを大きくしたような形だが、パンと呼ぶには固くて歯応えがあり過ぎる。それを手で千切りながら食べていた。
「どのみち明日の朝には、ここを出て行くつもりだから。いつまでもゲイルさんに甘えている訳には行かないし」
楓は聞いていなかったので、麓の村に向かって思わず叫びたくなった。
「柊のバカヤロー、一言相談しろぉ!」
「あ、楓に相談したいことがあるんだけどな」
「遅いわ!」
二人のやり取りを聞いて、ゲイルはクスッと笑った。
「煩い小娘が二人も転がり込んで来て、毎日楽しかったぞ。お前達はまだ若いんだから、好きにすればいいさ」
「ゲイルさんも、お元気で」
「儂はもう寿命だ。近頃では麓の村へ行くのも辛くなってきた。このまま、ここで朽ち果てて行くよ」
「お爺ちゃん。朽ち果てるにしても、ちゃんと天寿を全うしてよね」
「はは、そうだな」
穏やかな昼食の時間が、静かに過ぎて行った。
* * *
月明かりもない真っ暗闇な山道を、静かに登って行く異形の姿があった。大男は真っ直ぐに、山の中腹にある小屋を目指していた。そして、枝に金髪の髪の毛が結び付けてある大木のすぐ近くを通り過ぎて行く。
「来た!」
板の間に寝袋で寝ていた柊は、大木からの知らせに飛び起きた。エルフになってから、すっかり寝覚めが悪くなった柊だが、強烈なイメージを脳内に受信して一気に覚醒した。
「楓、起きろ!怪しい奴が来てる」
楓も決して寝覚めが良い方ではないが、怪しい奴と聞いてすぐに体を起こした。
「荷物をまとめるんだ。山を下りるぞ」
「うん、分かった」
柊が小屋の中を見渡すと、土間の方にゲイルの姿があった。歳を取ると睡眠時間が短くなるのだろう。竃の掃除をしているようだった。
「ゲイルさんも、一緒に逃げよう」
「ここに誰も居ないと、刺客がお前達の後を追い掛けるだろう。儂はここに残るよ」
「ゲイルさん!」
「儂に構うな。お前達は早く逃げろ」
柊は急いで防具を身に着けると、剣を持って引き抜こうとする。その時だった。
「駄目!逃げて!」
メイプルが柊の肩に現れた。呼ばれてもいないのに自分の意思で可視化したのは、どうしても言わなければならないことがあったからだ。
「あいつ、人外だよ。あんたの勝てる相手じゃないから」
「人外だって…?」
そういうものが居るという話しは聞いたことがある。しかし、人外と言われても元の世界には存在していなかったから、すぐには想像が出来ない。ただ、普通の人間でもメイプルが居なかったら殺されていたかもしれないのに、とてもじゃないが勝てる気はしない。それでも、ゲイルを見捨てて行くのは辛い選択だ。
「私はあんたを守ってあげるって約束したよね。ここで戦っても、みんな殺られるだけよ。だから逃げて!」
メイプルの悲痛な叫びに、柊は決断した。
「楓、逃げるぞ!」
楓は大急ぎで荷物をまとめると、長剣を手に持っていた。二人はそれぞれにリュックを担ぎ、柊は楓の手を取った。
「ゲイルさん、どうかご無事で」
「お爺ちゃん、死なないでね」
「ああ、お前達も逃げ延びるんだぞ」
二人が小屋を出て行った後に、暫くするとドアを蹴破って大男が入って来た。
それは人の形をしているが、人ではない。人間と獣を混ぜたような、異形の姿をしている。天井に届きそうなほどの身の丈があり、その巨体から悪臭を放っていた。
「エルフと黒髪はどうした?」
「何の話しだ?ここには、そんな者はおらんがな」
「ちっ、クソジジイが逃がしたか」
大男は片手でゲイルの肩を掴むと、大きく口を開いた。その口は耳まで裂けて、すっぽりとゲイルの頭を呑み込む。悲鳴を上げる隙も与えなかった。
バリバリバリバリ!
頭蓋骨を噛み砕く音が、小屋の中に響いていた。
柊と楓は真っ暗な獣道を、ランタンで足元を照らしながら山を下って行った。麓の村へ通じる山道とは反対側にあり、いつでも逃げ出せるように、ゲイルに教えられていた道だった。
山の勾配も緩くなり、もう少しで森を抜けられそうな所で、二人は大木を見付けた。そこで立ち止まって柊は大木に手を当てると、目を閉じて心の中で語り掛ける。
「大丈夫だ、追い掛けて来ない。少し休憩しよう」
ふと気付くと、柊の足には血が垂れている。生理が始まったばかりだから、山道を駆け下りて来るのは苦痛だっただろう。
「夜用のナプキン、使わなかったの?」
「いや、ちゃんと夜用にしたんだけどな」
「そうか、走って来たからね」
夜中に山の中で血の匂いを漂わせていると、獣に襲われるかもしれない。急いで楓は処理をしてやる。下着を脱がせて垂れた血を拭いてから、それらを革の袋に詰めて匂いが漏れないよう固く口を縛る。それから、新しいナプキンと下着を履かせた。
「気持ち悪いと思うけど、取り敢えずこれで我慢して」
「悪いな…こんなことまで、やらせて」
「私なんて、他に何も出来ないから…」
メイプルが柊を止めてくれたことに楓は内心、感謝していた。ゲイルを見捨てて二人で逃げるのも仕方がないと考えていたのに、いざとなると口に出しては言えなかった。変な正義感が邪魔をしてしまったのだ。例え恨まれたとしても、自分が柊を連れて逃げるべきだった。
「楓はこっちの世界へ来る前に、俺が居てくれるだけでいいって言っただろう」
「うん…」
「俺もそうだよ。楓が居てくれるだけでいいから」
「うん…」
「それじゃ、行くか」
柊が片手を差し出すと、楓はその手をしっかりと握り返した。そして二人は、手を繋いだまま山道を下って行った。