第3話 気付くとエルフに
柊が目を覚ましたのは、森の中の河原だった。もう日は傾いて、木漏れ日がキラキラと輝いている。背中には、ゴツゴツとした砂利が当たっていた。
よくこんな所で寝ていられるものだ。ぼんやりとした意識の中で、自分の身に何が起きたのかを思い出してみる。エルフの少女に体を譲ってほしいと言われて、それを断ると森の中へ連れて行かれて性行為に至った。それから意識を失って、どうなったのだろうか。
視界の中に、心配そうな面持ちで自分の顔を覗き込む楓の姿があった。
「楓、無事だったか…」
発した声に違和感を感じて、慌てて柊は起き上がる。自分の体を見ると、そこには服の上からでも分かる胸の膨らみがあり、ウエストは細くくびれている。膝上のスカートとブーツの間からは、細い脚が露出していた。
「馬鹿な…何で、こんなことに…」
立ち上がって水辺まで行くと、両手両膝を突いて穏やかな流れの水面を覗き込む。水鏡に映っていたのは、金髪の長い髪に宝石のように綺麗な水色の瞳。そして、透き通るような白い肌の美しいエルフの少女だった。
「やっぱり、柊なの?」
一部始終を見ていた楓は、そのエルフの少女が双子の兄の柊であることを知っていた。行為が終わった後に入れ替わったことの証明なのか、柊は黒いマントの男達と合い言葉を交わしてサッサと何処かへ行ってしまった。あれが本物の柊なら、絶対に楓を置いて行ったりはしない筈だ。
柊が振り返ると、楓の手首と足首がそれぞれに縛られていることに気が付いた。後を追って来ないようにするための、時間稼ぎなのだろう。その状態で柊の様子を見るために、尺取虫のように移動したのだ。
慌てて柊は楓に駆け寄り、手首の紐を解くと続けて足首の紐も解いた。
「そうだ、ゲートは無事か?」
柊は楓の左腕を掴んで、ブレスレットを確認した。そこには、ガラス玉が三つ付いている。
「あと三回か。一往復したら、あとは元の世界へ戻って終わりだな」
「どうすればいいの?その体じゃ、元の世界に戻っても柊だって分からないよ」
楓に指摘されて、改めて柊は事の重大さに気付く。何故、あのエルフの少女は柊の体を奪ったのか。あのエルフと言っても、今はもう自分の体になってしまった。
他人の体を奪うには、代償が必要となる。自分の体を相手に空け渡さなければならないということだ。それに、長寿であるエルフが別の体になるということは、自らの寿命を縮めることにもなる。その代償を払ってでも、柊の体が欲しかった理由は何なのか。その先に、いったい何があるのか。
柊に与えられた選択肢は、二つしかない。このまま、エルフの少女として生きて行くか。それとも、この世界のどこかに居る柊の体を探し出して、その体を取り戻すかだ。
「少し考えさせてくれないか…?」
取り敢えず柊は、身の回りを確認した。身に着けている革の防具は急所である心臓を守るための物で、無いよりはマシと言った程度だろうか。それに比べると河原に転がっていた剣は、鞘に装飾が施してあり高価な物のようだ。今、柊が着ている洋服も合わせて、それらは元々エルフの少女が持っていた物だ。
こちらの世界でも、女性が剣や防具を身に着けることは一般的ではない。いくら他人に空け渡した体でも、暴漢に襲われてボロボロにされたのでは気分が良くないのだろう。
柊が身に着けていた筈のチェーンのネックレスのことを思い出して、慌てて自分の首を触ってみる。すると、指先にしっかりとチェーンの感触があったので、一先ずは安心した。楓が誕生日にプレゼントしてくれた物だ。無くしてしまったら、そう簡単には諦められない。
柊の体と着ていた洋服以外は、何一つ持って行かれてはいない。手荷物のナップサックも、河原に落ちていた。
柊は剣を抜いて、武器として使える物かどうかを確認する。日本刀と違って両刃の剣だが、鋭く鍛えられた刃は飾りではなく実戦で使えるような物だと分かる。こんな剣を残して行くなんて、自分の身は自分で守れということか。
剣を鞘に戻すと、ずっと蹲ったままの楓に手を差し出した。楓はその手を握って立ち上がる。
「これから、どうするの?」
「このまま、元の世界へ戻る訳にも行かないだろう。今日は、こちら側で宿に泊まろう」
楓は黙って頷いた。
二人は手を繋いだまま、森を出るために獣道を歩いて行く。自分よりも小さくなってしまった兄の姿に、楓はもっとしっかりしなければと思う。
エルフは実際の年齢よりも若く見えるために、柊の見た目は十三〜十五歳くらいだ。日本式に言えば、中学生くらいだろう。十八歳の自分よりも、明らかに見た目は幼い。
「ごめんね…私のせいで、こんなことになって…」
「楓のせいじゃないよ」
森を抜けると、馬車道に出た。土を固めただけの轍が出来た道を、二人は手を離し柊が前を歩いて行く。馬車道と言っても片田舎の街外れだ。馬車はおろか、人すら歩いていない。二人がようやく宿に辿り着いた時には、夕暮れ時になっていた。
移動手段が馬か馬車、或いは歩くしかない世界では、片田舎でも宿屋の一軒やニ軒は必ずある。一日で移動出来る距離など、たかが知れているからだ。
二階建てのレンガ造りの宿屋の看板には、屋号が書いてある。二人は内側へ開く扉を開けて中へと入った。
「二人部屋、空いてますか?」
楓が声を掛けると、宿屋の女将は怪訝な顔つきで二人を見る。黒髪とエルフの少女の組み合わせに、何か事情がありそうな雰囲気が漂っている。
どちらも希少な種族で、あまり見掛けることはない。黒髪は単に周辺の諸国には居ないというだけで、交易ルートの先には国家も存在している。しかし、エルフは国を持たない種族で、その個体数も圧倒的に少ない。それでも誰もがその種族の存在を知っているのは、どこかの集落に固まっているのではなく、あちこちに点在しているからだ。同族が出逢うことも滅多にないから、その数は減る一方だ。いずれは滅びてしまう種族なのだろう。
女将が気にしているのは、その希少性ではなく二人が少女だということだった。しかも軽装で、小さな荷物しか持っていない。何か理由ありな雰囲気が漂っている。
長距離を移動するために宿屋へ泊まるのは、殆どが男性だ。女性の社会的な地位が低いために、移動中に犯罪に巻き込まれても泣き寝入りするしかないからだ。そんな危険を犯してまで、こんな片田舎を少女が二人だけで歩いている理由が分からなかった。
エルフの方は剣を持っているが、その小柄な体格では屈強な男達には太刀打ち出来ないだろう。この少女達が売春宿に売られたところで、女将の懐は痛まない。それでも、この宿での揉め事は勘弁してほしかった。
「食事付きで二万イェン。前払いだよ」
柊がナップサックの中から巾着袋を取り出して楓に渡すと、そこから一万イェンの硬貨を二枚取り出して直接手渡した。代わりに女将は、部屋の鍵を手渡してくれる。その時、女将は柊に顔を寄せて小声で耳打ちをする。
「剣を手放すんじゃないよ。こんな片田舎の宿屋の泊まり客なんて、ろくな奴は居ないからね」
少なくとも、女将は悪い人ではなさそうだ。
夕食の前に、柊はやっておきたいことがあった。部屋に置いておくほどの荷物もないので、女将に浴室の場所を教えてもらい、直接そちらへ向かう。
この世界では家庭に風呂は普及しておらず、銭湯へ通うのが一般的だ。
宿屋の場合は、母屋とは別の場所に浴室を造ることが多い。薪を焚いてお湯を沸かすので、火事になっても母屋に延焼しないようにするためだろう。建物自体はレンガ造りでも、ドアや窓枠など木製の部分は多い。
日本人と違って湯船の中で体を洗ったりするので、お湯はその都度入れ替える。そのため、井戸から汲み上げた水を溜めておく桶と、お湯を沸かすための竈があり、薪も客が自分で焚くよう積み上げてある。
既に誰かが入ったのか、それとも宿屋の主人が沸かしておいてくれたのか、竈にある大きな鍋からは湯気が出ていた。
女将に忠告されたばかりなので、浴室の前では楓が柊の剣を持って見張り番をしていた。
防具を外し服を脱いだ柊は、そっと股間に手をやる。その指先を見ると、血が付いていた。
(やっぱり、処女だったのか)
エルフの少女が自ら柊の股間に跨り、腰を沈めた時の苦痛に満ちた表情。そして、柊が河原で目を覚ました時には、股間に物が挟まっているような異物感を感じていた。
エルフにとって、純潔がどれほどの意味があるかは分からない。ただ、処女を捨てることが目的ではない筈だから、相当な覚悟があってのことだと思う。だから柊には、自分の体を奪ったエルフの少女を安易に憎むことは出来なかった。
その一部始終を楓は見ていたのだから、自分が柊だということもすぐに分かってくれたし、宿へ着くなり浴室などと言い出した理由もきっと分かっているのだろう。
湯船に浸かり体を洗い終わった柊は、元通りに服と防具を身に付けて浴室から出て来た。もう宿に泊まっているのだから防具は付けなくても良いのだが、まだエルフの体に慣れていないせいか、警戒心がなくなることはなかった。
「女の子って、大変だな」
体を洗う時の髪のまとめ方を知らなかった柊は、ウエストまである長い金髪の髪を体の前で束ねて、握力で水分を絞り出している。
「ああ、ちゃんと教えなきゃね」
今迄、こちらの世界でお風呂に入るようなことはなかったから、楓はヘアクリップもヘアバンドも持っていなかった。それでも棒切れ一本あれば、簪のようにして髪をまとめることが出来る。これから教えることは山ほどあるなと思いつつ、そんな不器用な柊の姿を見るのも悪い気はしていなかった。
浴室の前で剣を抱えてうずくまっていた楓だが、不意に目の前に男が現れてビクッとする。
「やあ、お嬢ちゃん達も、ここの泊まり客かい?」
咄嗟に柊は、楓が抱きかかえるようにして持っていた剣の柄を握って引き抜いた。その素早い動きに、自分でも驚いていた。筋肉の絶対量が少ないために力は弱いが、その分だけ身は軽い。
さすがに剣先を突き付けたりはしないが、抜き身で剣を持っているエルフの少女に、男は尻込みをする。
「いや、脅かすつもりはなかったんだ。まだ浴室を使ってるなら出直すが」
楓も浴室を使うかと思い顔を見ると、首を横に振っている。柊と同じように、まだ警戒心がなくならないのだろう。
「すみません。もう終わりましたので、どうぞ」
「ああ、悪いね」
柊は鞘を受け取ると、剣を収める。そして、手を差し出した。楓はその手を握って立ち上がると、二人は手を繋いだまま宿の方へと歩いて行った。