第15話 黒髪の剣士①
エルフの少女は森の中の河原で、その長い金髪を風になびかせていた。
清流の流れで体を洗い、風で体を乾かした後に服を着る。エルフは実際の年齢よりも見た目が幼い分だけ、初潮が訪れる時期も遅かった。
少女の名は、アリア。近い将来に森を出て、旅に出なければならないだろう。
この世界にはエルフの数が極端に少なく、同じ森に住み続けていても同族に出会うことはまずない。年頃になれば伴侶を求めて、旅に出るのがエルフの常識だった。
両親もそうやって出逢い、アリアを産んで育ててくれた。自分もそうするものだと、当たり前のように思っていた。
何の取り柄もないエルフだった。歳の割には体が小さく、非力でまともな力仕事は出来ない。しかし、精霊との相性は良かった。特に風を操ることについては、ある程度は思い通りになる。それが出来たからと言って、体を乾かすくらいしか役には立たないのだが。
「私に同行したい精霊は居るか?」
精霊がそこに居ることは分かっていても、個々を識別できる訳ではない。もっと、人と会話するように理解し合えたら。そんな想いから出た言葉だった。だが精霊は、ザワザワと何かを伝えようとする。
(不穏だな…)
嫌な予感がして、アリアは河原を後にする。何もなければ良いが。そんな気持ちだった。
家に向かって走って行く途中に、アリアは何かに躓いて草むらに倒れてしまった。大した怪我もなかったので体を起こし、躓いた物を見て絶句する。それは、頭のない死体だった。
「いやぁぁぁ!」
体格や服装で、それが父親の死体であることはすぐに分かった。錯乱しながら、アリアは家の方へと走って行く。
(お母さん!)
母親の無事を祈りながら、必死の思いで森の中を駆け抜けると、家の前では異様な姿の人外が母親の体を捕まえていた。
「アリア、逃げて!」
それが母親の最期の言葉だった。人間と獣を混ぜたような外見の人外は、耳まで裂けた口を開くと、母親の頭をすっぽりと飲み込んだ。
バリバリバリバリ!
頭蓋骨を噛み砕く音が、森の中に鳴り響いた。
人外が母親の体を放り投げると、頭のない死体が地面に転がる。視線を自分の方に向けられて、恐怖のあまりアリアは腰を抜かし、その場から動けなくなった。
自分の方へ迫って来る人外を見ながら、アリアは失禁をしていた。そして肩に手を掛けられ、その大きな口が開いた時に死を覚悟した。
ズキューン!
破裂音と共に人外の額が砕けて、中から血飛沫と共に脳味噌の破片が飛散する。それらがアリアの体に降り注ぎ、人外はその場に倒れて動かなくなった。何が起きたのか分からずに、アリアはただ呆然としていた。
倒れた人外の口から巨大なナメクジのような生き物がズルズルと這い出して来ると、駆け寄って来た男が持っていたナイフで、ブスリとその得体の知れない生き物を突き刺した。
「大丈夫か?」
その男の姿もまた異様だった。いや、人外に比べればまともかもしれない。
黒髪のその男は、迷彩色の服を着ていた。肩には八九式五.五六ミリ小銃を下げて、手には九ミリ拳銃を持っている。しかし、アリアにはそれが何なのかは分からない。ただ、この男が自分を助けてくれたということだけは理解できた。
「申し訳ない。もっと早く仕留めていれば、犠牲を出さずに済んだんだが」
男は震えが止まらない様子のアリアを見て手を差し出し、
「着替えはあるのか?」
と聞く。アリアはその手を取って立ち上がったが、声を発することが出来ずに、ただ頷いた。
「俺の名はエイジだ。黒髪の剣士とも呼ばれてるがな」
「剣士…」
アリアが知っている剣士とは程遠いその姿に、思わず声が出た。
「俺の居た世界ではスナイパーと言うんだが、この世界にはそういう概念がなくてな。一番近い言葉を当てはめてるだけだ」
この世界という表現に疑問を感じる余裕もなく、アリアはそのまま聞き流していた。
エイジは自分にも責任があると思ったのか家の裏手に穴を掘り、頭のないアリアの両親の遺体を埋葬した。それが終わると、ナイフで地面に突き刺していた得体の知れない生き物を麻袋に詰めていた。
アリアは家の中で、何とか体を拭いて着替えることは出来たのだが、何をすれば良いのかも分からずに、途方に暮れるしかなかった。
「これから、どうするんだ?街へ出るつもりがあるなら、少しは面倒を見てやれるが」
エルフが実際の年齢よりも幼く見えることをエイジは知っていたが、その分を考慮しても一人で生きて行くにはまだ早過ぎる。
アリアはエイジに従うしかないと思っていた。それは、この男を信頼して身を委ねるといったことではなく、一度は死にかけたのだから、もうどうなっても良い。酷い目に遭わされたとしても、生きて行かなければならないのなら仕方がない。そんな悲観的な考えだった。
「あなたに従います」
今は絶望の縁に居るのだから、そんな態度も無理はないとエイジは思っていた。
「それでは、荷物をまとめてくれ。まだ、名前を聞いてなかったな」
「アリアです」
荷物と言っても着替えの服や下着くらいしかなく、それらを布のバッグに詰めて終わりだ。住む人が居なくなれば、家もすぐに朽ち果てるだろう。そのまま放っておけば良い。
荷物を持って家の外に出ると、アリアの周囲を風が舞い精霊の気配を感じた。
(私に同行してくれるのか…?)
家の前で立ち止まるアリアに、エイジは振り返って様子を窺う。
「どうかしたか?」
「いえ、何でもありません」
そのまま住み慣れた家を後にすると、ひたすら森の中を進んで行く。アリアには何故、エイジが得体の知れない生き物を持って帰るのか分からない。でも、そんなことには興味はなかった。興味があるのは、一撃で人外を仕留めた武器だ。
肩に担いでいる物が多分、その武器なのだろう。外見からは使い方が全く分からない。使えなければ、武器としては意味がない。でも、腰に下げているナイフなら、自分にも使えるかもしれない。あれがあれば、きっと死ねるだろう。アリアは、そう考えていた。
もう少しで森を抜けるという所で、エイジは休憩を取ることにした。自分は日頃から鍛えているので平気だが、アリアを気遣ってのことだ。
大木の根元に腰を下ろして休んでいる時、アリアは気付かれないようにエイジの腰へそっと手を伸ばす。ナイフで自分の首筋を切れば、大量に出血して死ぬことが出来る。こんな森の中では、手当も間に合わないだろう。
その時、風が吹いてエイジの頬に当たった。不意に振り向かれて、慌ててアリアは手を引っ込めた。
「得意な仕事はあるか?接客とか料理とか」
ナイフを奪おうとしていたことに気付いていないのか、何事もなかったようにエイジが話しをするので、アリアもそれに答えるしかない。
「人と接するのも、料理も苦手です」
「まあ、何とかなるか。それだけ美少女なら、仕事には困らないだろう」
「私が美少女?」
森の中で暮らしていたアリアは、自分が美少女だということを知らなかった。そもそも、何を基準に美少女だと言われるのかもよく分からない。
「自覚がないのか。それならそれで、別に構わないが」
「はあ…」
休憩を終えて歩き始めると、すぐに森を抜けた。後方からやって来た馬車に乗せてもらい、暫くは馬車道を進んで行く。街中へ到着する頃には、アリアの死にたいという気持ちはかなり薄れていた。
街道で馬車から降ろしてもらうと、エイジはアリアを連れて一軒の宿屋へ入った。
「おや、黒髪の剣士さん。エルフの女の子なんか連れて、どうしたんだい?」
恰幅の良い宿屋の女将は、エイジとは親しげな様子だった。よく知っているからこそ、エルフの少女を連れていることが不思議だったのだ。
「森で人外に両親を殺されたところを助けたんだ。放っておく訳にも行かなくて連れて来たんだが、この子の面倒を見てやってくれないか」
「そいつは、災難だったねえ。そういうことなら、うちで面倒を見てあげるよ。こんな綺麗な子は、看板娘に丁度いいよ」
アリアの意思を無視して二人で勝手に話しを進めると、女将が彼女の目の前にやって来た。
「お嬢ちゃん、名前は何て言うんだい?」
「アリアです」
「私はマギーだよ。これから、よろしくね」
それだけ言うと、マギーはアリアの小さな体を、その胸に抱き締めた。
「明日から働いてもらうから、今日は思い切り泣いてもいいんだよ」
アリアはマギーの温もりと優しさを感じると、涙が込み上げてきた。
「うわぁぁぁ!」
そんな大声で泣きじゃくるアリアの声を聞き付けて、奥の部屋から影の薄い旦那が出て来た。
「おや、そのお嬢さんは?」
「今日から、私達の娘だよ」
「おお、そうかい。可愛がってあげるんだよ」
エイジも安心して、アリアをこの夫婦に預けることが出来る。街での生活にも、すぐに慣れるだろう。
「また様子を見に来るから、後は頼む」
「ああ、任せておくれ」
エイジは得体の知れない生き物が入った袋を持って、宿屋を出て行った。
* * *
アリアの仕事初日は、ただ女将のマギーに付いて回って客に挨拶をするだけだった。
森の中に住んでいたエルフに、いきなり宿屋の仕事をさせるのは無理な話しだ。雰囲気が分かれば、それで良い。それにマギーは、アリアのことを労働力としては多くを望んではいない。
宿屋には女将が居て、看板娘が居るのが定番だ。しかし、娘が居ないマギーは旦那と二人で宿屋を切り盛りしていた。そこへ舞い込んだ、美少女のアリアだ。もう、居てくれるだけで充分だった。
旦那は厨房や掃除など、裏方の仕事をしているので影が薄いのだが、それはどこの宿屋でも同じだ。マギーと同じように、娘が出来たことを喜んでいた。
「エルフのお嬢ちゃんが、新しい看板娘かい?」
「アリアと言います」
初めは客に声を掛けられると、マギーの後ろに隠れるアリアだった。それも次第に慣れてきて、自分から名乗るようになっていた。
昼を過ぎた頃に、エイジが宿屋にやって来た。泊まりに来た訳ではなく、ただアリアの様子を見に来ただけだ。
エイジを見るとアリアは駆け寄り、正面からその顔を見上げた。
「あ、あ、あの…昨日は助けてもらったのに、お礼も言えなくて…」
「ああ、元気そうで何よりだ。女将は優しくしてくれるか?」
エイジの言葉にマギーが横から、
「一晩中、抱き締めてたよ」
と答える。冗談ではなく、夕べは同じベッドで寝て本当に一晩中、抱き締めていたのだ。
宿屋だからベッドはいくらでもあるのに、アリアが泣き疲れて眠るまで抱き締めて、そのまま朝まで一緒に寝ていた。お陰でアリアは死にたいなどと考えることもなくなり、すっかり元気になっている。
このまま上手くやって行けそうだと思ったエイジは、マギーに革の袋をそっと渡す。
「これでアリアに、可愛い服でも買ってやってくれないか。この子の両親を殺した、人外の本体を売った金だ」
「そうかい?それじゃあ、そうさせてもらうよ」
「アリア、時々様子を見に来るから頑張れよ」
それだけ言い残して、エイジは宿屋を出て行った。もう少し居てくれれば良いのにと、少し残念に思うアリアだった。
「エイジさんって、どういう人なんですか?」
本人に聞く暇がなかったので、アリアはマギーに聞いた。
「黒髪の剣士さんはね、賞金稼ぎだよ」
「賞金稼ぎ?」
「この国は時々、人外が現れて被害が出るからね。討ち取って本体を持って行くと、国が買い取ってくれるんだよ」
あのドス黒いナメクジを大きくしたような生き物が、人外の本体なのかとアリアは思った。そのことを知っている者は少ないだろう。人外と戦って勝てる者など、滅多に居ないからだ。
それにしても、いくら一撃で仕留めたとは言っても、人外を討ち取るなんて命懸けの仕事だ。そんな思いをして稼いだお金を簡単に渡すなんて、余程のお人好しなのだろうか。
エイジの話しをしていると顔を赤らめるアリアを見て、分かりやすい子だなとマギーは思っていた。




