第1話 異世界へのゲート
十八歳の誕生日に、柊は古道具屋へ入った。
昨年の誕生日までは、自分と双子の妹の楓に母親が毎年プレゼントを贈ってくれていた。しかし、その母親は一年近く前に事故で急逝している。奇しくも、最後のプレゼントが母親の形見になってしまったのだ。
今年は自分が楓にプレゼントをしよう。そう思って、何か良い物はないかと探していた。有り触れた物では面白くない。アンティークのアクセサリーでもないかと思っての古道具屋だった。
不思議な店で、髪をツインテールにした十二歳くらいの女の子が店番をしていた。古道具屋だけあって、胸元が編み上げになった時代錯誤な洋服を着ている。辞書のように分厚くサイズも百科事典ほどの大きな本を読んでいて、客が来ても顔を上げようともしない。
何に使うのかもよく分からない道具を避けながら店の奥へ進むと、売り物らしい本棚にアクセサリーが無造作に置かれているのを見付けた。それら一つ一つに値札が付けられている。
アンティークは高価な物ばかりで、そう簡単には手が出せない。散々悩んだ挙げ句に、ようやく手が届きそうな物を探し出した。それは金属製の輪に、幾つものガラス玉が数珠のように通してあるブレスレットだった。
これならきっと、楓も喜んでくれるだろう。そう思いながらブレスレットをレジへ持って行くと、ようやく顔を上げた店番の女の子を見て柊はドキッとする。
白人と東洋人のハーフなのか、髪は黒いのに瞳は綺麗な水色をしている。その瞳が猫の目のように光を反射して、キラキラと輝いていた。
もしも、この世界にエルフが居たとしたら、こんな瞳をしているのだろうか。いや、髪が黒いからハーフエルフか。そんなことを考えていたら、少女はその瞳を輝かせながら、嬉しそうに柊を見ている。
「よく見付けたわね。このブレスレットは、持ち主を選ぶのよ」
「いや、妹へのプレゼントなんだけど」
「それじゃあ、妹さんが持ち主に相応しいのかもね」
値段を吊り上げるための口上かと思ったが、逆に値引きをしてくれた。ブレスレットが持ち主を選ぶなんて女の子らしい発想だなと思いながら、柊は妹の楓にもこんな頃があったと思い出したりする。
古道具屋だから気の利いたラッピングなどはなく、簡素な紙の袋に入れてくれただけだ。値段に見合った包装ではないが、楓も気を使わなくていいだろうと諦めるしかない。
現金で会計を済ませると、紙の袋をポケットに突っ込み古道具屋を後にする。そんな柊の背中に向かって、店番の少女は小さく手を振っていた。
賃貸マンションの二階にある自宅へ戻ると、玄関には楓のローファーが脱いであった。もう学校から帰っているようなので、
「ただいま」
と声を掛けて廊下を歩いて行く。その声を聞いてリビングの方から、パタパタとスリッパの音を立てながら楓がやって来た。
「柊、誕生日おめでとう」
そう言って差し出されたプレゼントは、柊と違って綺麗にラッピングがしてある。
「やっぱり、考えることは同じなんだな」
「え、プレゼントくれるの?頂戴!頂戴!」
柊はポケットから紙の袋に入ったブレスレットを取り出して、廊下でのプレゼント交換が始まった。二人共その場で包みを開けて中身を見ると、楓からのプレゼントはチェーンのネックレスだった。
やっぱりアクセサリーなんだなと思いながら、柊は自分の首にネックレスを着けて見せる。楓もブレスレットを自分の左手首に通して柊に見せていた。
「百点!」
別に評価は求めていないが、取り敢えずは喜んでくれたようだ。
リビングで嬉しそうにブレスレットを着けたり外したりしていた楓は、それを手に持ってガラス玉の数を数え始めた。ガラスだけに何処かにぶつけて壊してしまわないよう、その数を確認するためだろうか。
輪になっているので永遠に数え続けないよう、目印としてガラス玉を一ヶ所ずらす。すると、金属製の輪の内側に何か文字が刻印されていることに気が付いた。透明度の低いガラス玉に隠れているので、少しずつずらしながら一文字ずつ読んで、頭の中で繋げてみる。
「Open the door to the new world…新しい世界の扉を開けろってこと?」
言い終わるのと同時にブレスレットが発光して、光の輪が飛び出した。身の危険を感じて思わず楓は仰け反ったが、それでもブレスレットは離さない。
光の輪は特に何かを破壊するでもなく、ふわふわと空中を漂い壁に当たった。すると、その壁にはポッカリと穴が開いて洞窟のような空間が現れた。
「柊!柊!柊!」
何回も呼ばなくても柊はリビングに居たので、何が起きたのかはしっかりと把握している。
二人は壁際へ行って、突然現れた洞窟を覗き込んだ。壁の向こう側は父親の書斎の筈なのに、そんな距離感を無視して洞窟はどこまでも続いている。こんなことが起きるなんて、あの古道具屋の女の子が持ち主を選ぶと言っていたのも、適当なことを言ったのではないのかもしれない。
「そのブレスレットが、タイムトンネルか何かを開くゲートになってるのかな」
「タイムトンネル?ナルニア国とかじゃないの?」
「それはタンスの中だろう」
「滅びの山の火口に、ブレスレットを投げ込むとかね」
「それは指輪だろう」
「取り敢えず、中へ入ってみれば分かるよ」
強気なことを言った割には、楓は右手を差し出して繋ぐよう催促をする。利き腕を預けるということに特に意味はないのだが、柊のことを信頼しているのは間違いない。
「靴を履いて行った方がいいんじゃないか?」
「そうだね」
二人は玄関まで靴を取りに行くと、仕切り直してもう一度洞窟の前に立つ。楓が再び右手を差し出して、柊はその手を握った。
「いい?行くよ」
呼吸を合わせて二人で一緒に飛び込むと、あっさりと反対側へ抜けた。思わせぶりな穴だ。どこまでも続いているかのような洞窟は、いったい何だったのか。
そこは石畳の街道で、石やレンガ造りの建物が並んでいる。その遥か先には城壁があり、ここが城下町だということが分かる。
建物は欧州の世界遺産とかにありそうな雰囲気で、街道には馬車が走っている。まだ機械的な動力という物がないらしく、文明のレベルで言うと中世の前期くらいだろうか。街を歩く人の服装も、現代人とは違っている。
「ガラス玉が一個、無くなってる」
状況を把握しようと努める柊とは対照的に、楓はガラス玉の数を数えていたようだ。パッと見ただけではよく分からないが、ガラス玉の間の隙間がほんの僅かだけ広がっていることに違和感を感じたのだろう。金属の輪に通してあるので、一個だけ外れたとは考えにくい。
「あの洞窟を通る度に、一個ずつ無くなるってことかな?」
「なんか微妙だね。せっかく柊に貰ったんだから、そのまま持っていたかったのに」
「全部使い切っても輪っかは残るから、別にいいんじゃないのかな」
「全部、使い切るつもりなんだ」
「楓の物だから、それは楓次第だけどね」
「考えとくよ」
街道を歩いて行くと、チラホラと商店が目に付いた。看板には得体の知れない文字が書かれているのだが、何故か二人には読めてしまう。
初めは、タイムスリップしたのかと思った。しかし、少しずつ何かが違っている。文字もそうだし、建築や服装なども似て非なる物だ。映画で見るような世界観は、現代人が想像する中世のヨーロッパという感じだ。
現実の中世との一番の違いは、清潔感だろうか。当時は糞尿が窓から投げ捨てられて、汚物が道端に散乱していたと言われている。しかし、ここは現代の日本のように綺麗でゴミも落ちていない。日本のように清潔な国は世界的に見ても稀だ。ここが異世界だとしたら、きっと人々の妄想で出来ているのではないかと柊は考えていた。
食器などの日用品を売っている雑貨屋を外から覗いて、気が付いたことがある。貨幣価値はよく分からないが、金属製の鍛造の食器よりも、陶器やガラスの食器の方が遥かに高い値札が付いているということだ。馬車などで運んでいる間に何割かは割れてしまい、その分が価格に上乗せされているのだろうか。
外から商品が見えるということは、店の中からも外が見えている。二人に気付いた女店主が、店の外へ出て来た。
「黒髪の兄妹なんて、珍しいねえ。遠方から来たのかい?」
言葉も通じるのかと柊は思った。しかし、そこにも違和感がある。映画の吹き替えのように、口の動きが日本語を喋っているとは思えないのだ。
多分、別の言語を喋っているのだが、二人には日本語に聞こえるのだろう。逆に二人が日本語を喋っても、相手にはこの世界の言語に聞こえるということだろうか。或いは言語中枢にフィルターが掛かって、二人は日本語を喋っているつもりでも、この世界の言語を喋っているのかもしれない。
「買い物に来たんじゃないんです。通りすがりで」
「ああ、構わないから、中へ入って見て行きな」
人の良さそうな女店主なので、お言葉に甘えて店の中へと入る。楓は口に出しては言わないものの、ギュッと握られた掌から不安な気持ちが伝わって来る。
「ここでは、陶器やガラスの食器は価値があるんですね。僕らの居た世界…国では、そんなに高い物ではないので」
「それは、いいことを聞いたね。次に来る時は持っておいでよ。高く買い取るからさ」
「なるほど、その手があったか」
柊の腕にしがみつくようにしていた楓は、その会話を聞いて怪訝な表情で柊の顔を見上げる。
「ちょっとぉ、行商するつもりなの?」
「それは、楓次第かな」
「柊と二人で行ったり来たりするなら、それもいいかもね」
こうして双子の兄妹の、異世界行脚が始まった。
食器に限らず、この世界で貴重な物を持ち込んでは売り捌いた。紙幣という物がなく、支払いは全て硬貨だ。商売をする時は、それを革の袋に入れて渡してくれる。
売り捌く物を仕入れるためには資金が必要だ。初めは手持ちの小遣いで買い付けたが、この世界で受け取った貨幣が元の世界で使える筈もない。そのお金で装飾品を買い、元の世界で売って現金に替えていた。
そうしている内に、この世界ではちょっとした贅沢が出来るくらいには、お金が貯まっていた。別に金儲けをしようというつもりはない。行き来する回数に制限があるのだから、金持ちになったところで、ガラス玉を使い切ればそれで終わりだ。高額な硬貨には金や銀が含まれているから、元の世界でも一定の価値はあるだろう。それでも額面通りの価値には遠く及ばない。ただ、当面の活動費用は必要だし、少しの贅沢が出来ればそれで良かった。
母親が亡くなってから柊を頼ってばかりの楓が、もっと積極的になってくれればという気持ちもあった。異世界で勝手が違う生活を経験すれば、必然的に行動力が身に付く。きっと、これは母親からのプレゼントなのだろうと柊は思っていた。