2話 悪王と善王
「……貴様」
「出会い頭に貴様呼ばわりで冷たい目を向けてくるのやめてくれる?俺意外とメンタル豆腐なんだぜ?」
昼食を中庭のベンチで食べよう、となつきに誘われて爛々とついていったら、すでに敷物を敷いて待っていた大山に邪魔者扱いされて涙目になる。こいつほんとなつき以外は敵視してんだよな。
そんな大山に対して、なつきはとんでもない破壊力を持った「めっ!」という叱咤を繰り出した。
「遠矢くんを威嚇しちゃダメだよ!」
「はっ!陛下の命令とあらば。遠矢、貴様の席はそこだ」
「うーーーん。譲歩されてるとは思うけど敵意が消えてないんだよなーー」
ベンチになつきを間挟んで、俺と大山が座る。
「陛下……いえ、なつき様。お耳に入れておきたいことがあります」
「うん?」
「最近この界隈で時空の歪みを感じました。おそらく、悪王が現世に出現しようとしているのでしょう。いかがなさいますか」
「おいてめえ。楽しいランチタイムに無粋な話してんじゃねえぞ!そもそもなつきはただの女子高生で」
「わかった。それじゃあ、その悪王さんに会いにいこっか」
え、と、俺が驚くのはわかるが、なぜ話を振った大山まで驚いているんだ。いやそれよりも、あまりにも普通のことのようになつきが言った台詞に思わず声を荒げてしまう。
「なんでだよ!前世はどうだったか知らねーけど、今のお前には関係ねえことだろうが!」
「うーん。でも、会いに行くくらいならいいんじゃないかな?ね、大山くん」
「え、ええ。顔を合わせるだけではすまないかもしれませんが……この俺が、あなたをお守りいたしますのでご安心を」
「そっかあ。ありがとね、友希くん。あ、遠矢くんも来る?」
「行くけど!!なんでピクニック感覚なのお前?!」
それじゃあ、放課後みんなで行こう!と笑って、なつきはお弁当を食べ始めた。大山も今はすっかり従者モードになっており、なつきの隣でキリっとした顔をしている。俺だけ?俺だけがついていけてないやつなの?
いやでも、大山の言う通りだ。遅かれ早かれ、その悪王とやらが出てくるのなら、本当に出てくるのなら、なつきの身が危ない。大山みたいにかっこよく言えやしないけど、内心で俺が必ず守ってやる!と意気込み俺も弁当を食べることにした。
本当に悪王なんているのか、なんて葛藤を悶々としていたら授業なんて全く頭に入らず、あっという間に放課後へ突入し、俺となつきは大山の後ろをついて歩いていた。時空の歪みとやらを感じた場所に案内してくれるらしい。
「そもそも、その悪王って一回倒してんだろ?なんでまた現れるってわかんだよ」
純粋な疑問だったのだが、大山は呆れたような目を向けてくる。
「このピリピリとした空気に気づかんのか。どれだけお気楽に生きていればそのような鈍感に……」
「平和ボケで悪かったな!」
「いや……本来は平和であることが普通なのだ。貴様は気づかなくても構わない。俺に前世の記憶があるからだろうな、この先の交差点を通った時、空間が歪むのを感じた。あの時、陛下が倒したはずなのだが……」
ちょっと優しいことも言われて呆気に取られていると、そのまま悪王の気配について教えてくれた。大山は、なつき以外には口が悪いが、まあ悪い奴ではないのだろう。
しかし、悪王の復活については、大山もわかっていないようだった。隣を歩くなつきに、こそりと話しかける。
「なあなつき、行かないほうがいいんじゃねえか?本当に何かあったらどうすんだ」
「そうだねえ、悪王さん、友達になれるかなあ」
「前世で戦った相手を友達にしようとするなよ……」
「ふふっ」
よくわからないが楽しそうだし、笑った顔は可愛いし、まあいっか。これも放課後デートだと思えば悪くない気も……。
「腑抜けた顔をするな遠矢。なつき様、やはりこいつは変態ですよ、離れてください」
「やはりってなんだよ?!誰が変態だ誰が!」
「遠矢くんはむっつりなだけだよねえ」
「むむむむっつりちゃうわ!!ってうおっ?!」
存在を少し忘れていた大山が振り返り不名誉なことを言ってきた上に、なつきまであらぬことを言い足すので動揺していると、突然足元がぬかるみバランスを崩してしまった。転びそうになる俺の手をなつきが掴んでくれて、失態を侵さずにはすんだのだが。
顔を上げたその瞬間、空が黒く染まったではないか。
雲も何もない、ただの黒。思わず大山を振り返る。
「おい大山?!これってまさか?!」
「貴様が歪みに足を踏み入れたのだ。幸い、なつき様にお怪我はないが、貴様というやつは……」
「不可抗力ではないですかね?!」
真っ黒な空の下、俺達以外の色が消えているようだった。空が黒いのに、視界は良好だ。ただし、人混みを歩いていたはずだった俺達の周りには誰もいないという異常な状態となっている。
「時空の歪みに取り込まれたからには、この空間を作り上げた主を倒すしか脱出する術はない」
「倒すったって……そいつはどこにいんだよ」
「ここにいる」
ガッと、背後からした声と同時に体を捕まれそのまま宙に浮かぶ俺。突然のことに俺は驚く間もなく呆然としていたのだが、大山の動きは速かった。
どこから出したのか、大山はいつの間にか手に持っていた長い槍を使って棒高跳びのように飛び上がる。そのまま俺の、正確には俺を捕まえている奴めがけて反対の手に持っていた剣を振り下ろした。
背後の舌打ちとともに、俺の身体は話され、そのまま下へ落下していく。そのまま地面にたたきつけられるかと思いきや、大山が文字通り飛んできて落ちる寸前で俺をキャッチしてくれたではないか。お姫様抱っこで。大山の端正な顔が、俺を見下ろしている。
「怪我は。何かされたか」
「やだ……好きになっちゃう……いきなり優しくすんなよ!!」
「情緒不安定になるな。お前に何かあったらなつき様が悲しむだろうが」
「あっはい」
そのまま大山がなつきの前に着地すると、大山の腕から抜け出る俺になつきが飛び込んできた。焦った表情で俺の顔を覗き込み、どこにも怪我がないのを確認して胸をなでおろしている。顔が、顔が近い!
「よかった。遠矢くん、大丈夫そうだね」
「こいつが無防備だったのが悪いのです。何かあったとしてもこいつの自己責任です。どうかお気になさらず、なつき様」
「お前やっぱ嫌い!!ってそれよりも、今雑談とかしてる場合じゃねえって!!」
俺を捕まえようとした奴の顔を拝んでやらないと気が済まない。そう思って上空に浮かぶ何者かを見ようとするが、黒い空に溶けて肉眼で見ることは適わなかった。
静かな世界で、地の底から這い出たような低い声だけが響き渡る。
「相も変わらず貴様の番犬は余の邪魔しかせぬな、エルストよ」
「やはり貴様か、悪王オルター!」
名を呼ばれ、ようやく姿を現す悪王オルター。現世の衣装に合わせたのか、今風のファー付きロングコートを着こなす姿は、とても中二病満載の台詞を吐くようには見えず、いっぱしのモデルのようだった。ちなみにエルストとは前世のなつきの王様名のようだ。大山はなつきを手で庇いながら、オルターに睨みをきかせている。だが、オルターの関心は大山ではなく、なつきの方へ向いていた。
「エルスト。かの地ではよくも余を貶めてくれたな。今世こそは余が世界を牛耳り、貴様を手駒に堕としてやろう」
「そんなことより友達になろうよ」
「そんなことではないが?」
思わず反射的に突っ込んでしまったのだろう。あの悪王と呼ばれたオルターは、なつきのマイペース発言に間髪入れず突っ込み、そんな自分に驚いた顔をしている。ゆっくりとこっちを見るな。今なつきに突っ込みを入れたのはお前だ悪王。
「悪王貴様!陛下を手籠めにするなどとよくもそんな破廉恥なことを!!」
「言ってないが?」
やめろ。突っ込みを入れた後、今余が突っ込んだのか?って顔で俺を見るな。おそらくむっつりな大山に突っ込みを入れたのはお前だ悪王オルター!
「……じゃれ合いは終わりだ。今生こそ貴様を我が手中に……!」
一瞬コメディになりかけたが、オルターは惚けた表情を変え、冷たい眼差しでこちらを睨みつけた。殺意を滲ませる声色に大山の身体がビクリと震えたが、剣を降ろすことはなかった。一矢報いようと気張っている。だが、それを片手で制して、前に出たのはなつきだった。
「っ?!陛下、なぜ!」
「危ないからそこで待っててね、遠矢くん、友希くん」
「いや、お前も危ないだろうが!!おい!待てよなつき!!」
俺が止めるより早く、なつきは大山の剣を奪うように取って、飛ぶようにオルターへ向かっていく。その動きはいつものおっとりしたなつきではなく、戦い慣れた武人のようで。
「エルスト、貴様は最後だ!!貴様の前でこの男も不出来な番犬も殺せば、さすがの善王も憎悪に飲まれるだろう!余はそれが、何よりも見たいのだ!!」
オルターが鋭い鎌を手に俺に突っ込んでくる。いつの間にあんな鋭利な武器を用意しやがったんだ。いや、そんな冷静に考えている場合じゃない。このままだとなつきが、怪我をしてしまう。けれど、今の俺に一体何ができるというのか。考えても仕方ない。ひとまずなつきより先に飛び出すしかない!
しかし、かつて善王エルストと呼ばれたなつきは、俺が追いつくより先に悪王オルターの正面に立ちはだかり、剣を構えた。オルターは躊躇なく鎌を振り上げる。
目にもとまらぬ速さ、というやつだった。一太刀で鎌を弾き飛ばし、二太刀目は人間と同じ位置にあったらしいオルターの心臓を突き刺した。
オルターが口から血を吐いている。悪王だからといって、流れる血は青や緑というわけではなく、俺達と変わりない赤い色をしていた。倒れこむオルターを、なつきが両手で支える。全ての力が抜けたオルターは、なつきに体を預けたまま少しすねたような顔をして目を閉じている。
「……数多の武人を葬ってきたが、貴様の剣はいつも見えぬ」
「それはね、あなたが私を殺そうとしてないからだよ」
「何を馬鹿な事を。余は貴様を絶望させたいのだ。殺すはずが、ない」
「うん、そうだったね。ごめんね、オルターくん」
「だから貴様、王たる余にくん付けはやめろとあれほど……いや、貴様がそういう奴だから、余は……結局、此度も失敗だったか」
どこか悲し気に微笑むと、悪王オルターは煙となって消えていった。それは周囲に霧散し、跡形もなくなると、世界がぐらりと揺れた気がした。