第40話 『 交渉と見えぬ真相 』
弟が頑張っているのに、姉も健闘しなければ威厳など保てるはずがない。
「――一言もなしに急に来るとは、何の要だ、リアン」
「本日はお父様にお願いがあって参りました」
執務室にて。リアンは父であるヴォルフ=グレアと対峙していた。
獅子のような瞳がリアンを一瞥するも、それに怖気づくことなくリアンはヴォルフに懇願する。
「要件は一つ。アイリスを私に預からせてもらいたんです」
「ならぬ」
否定されるとは分かっていたが、まさか即答だとは思わなかった。
ヴォルフの反応にわずかに驚きつつ、リアンは説得を続ける。
「何故、お父様はそこまであの子に固執するのですか?」
「お前に理由を明かす必要などない」
「この事を母様は知っておられるのですか?」
母であるリーシアの名を上げれば、それまでヴォルフの眉がわずかに動く。
「そのご様子だと、母様は存じ上げられていないようですね」
「ならばリーシアに告げると私を脅すか? それは結構。お前の好きにしろ」
「――っ。本当にご報告してもよろしいのですね?」
「それで私に疑心の目が向けられようと、どうにかできる権力はリーシアにはありはしない」
「母様に何をするつもりですか」
険の込めた声音で問えば、ヴォルフは「さぁな」と澄ました顔で返す。
しかし、その口角がわずかに上がると、
「少し、夫の尊厳というものを教えてやるだけだ」
「――ッ! ……どこまでもクズね」
それはつまり、リーシアを監禁……あるいはそれ以上の口封じを強要するという事だろう。
非情。それに尽きるヴォルフに、リアンはより一層彼に対しての嫌悪感を強める。
「分かりました。母様にこの事は報告しません」
「賢明な判断だ」
沸騰する頭をどうにか寸前で堪えて、深く息を吸う。
リアンの言葉に嘲笑したヴォルフは、机に膝をつくと、
「お前こそ何故、そこまであの少女に関わりたがる?」
「それは……」
質問にたじろげば、ヴォルフは容赦なく追及を続ける。
「これ以上この件に関われば面倒ごとに巻き込まれると、馬鹿ではないお前なら容易に見当がつくはずだ。今の安寧が気に入っているなら猶更な」
安寧、とはおそらくアノンとの生活の事だろう。
たしかにヴォルフの言う通り、アイリスと関われば厄介事に巻き込まれることは目に見えている。アノンとの穏やかな日々が、そのせいで壊れるかもしれないということも、理解している。
しかし、リアンにだって矜持というものがある。
「お父様の言い分は何も間違っていません。しかし、目の前で恐怖に怯えていた少女を見放すのは私のプライドが……時期女王としてのプライドが許せないんです」
「ハッ。己が我欲の為に危険に足を踏み込むか」
「これでも、危険な綱は渡ってきた方です」
「青二才が何を言う」
「その青二才にレベル負けしているのは誰でしょうか」
言うようになった、とヴォルフが鼻で笑う。
それからヴォルフは背もたれに体重を乗せると、
「いいだろう」
「――ぇ」
「そこまであの少女に会いたいというのなら、もう一度会わせてやる」
「どういう風の吹き回しですか?」
「お前の覚悟を受け取っただけだ」
折れた、というより、まるでリアンの挑発に乗ったような態度だ。
懐疑心を止めないリアンに、ヴォルフは同じ色の瞳で睨んでくると、
「ただし、条件がある」
「何でしょうか」
「建国際のスピーチと、そこで社交パーティーに必ず出席することだ」
「――――」
「それだけか、と言いたい顔だな」
心を読まれたかのようなヴォルフの指摘に、リアンは頬を硬くする。
「当然、それだけではない。先の条件と少女をお前の保護下に置くのは建国際までだ」
「なぜ建国際までなんですか?」
「べつにそれ以上でも構いはしない。ただし、当日彼女には王城にて待機させてもらう。安全を鑑みてな」
「本当に何なんですかあの子は。なぜ、そこまでお父様が執着なさるのです?」
アイリスの保護を最優先としているような態度だ。それに異義を唱えるも、しかしヴォルフは「お前の知らなくていいことだ」と一蹴した。
「分かったらアイリス様を連れて帰るといい。そうだ、三日に一度は王城へアイリス様を帰還させろ」
「なぜ?」
「お前が知らなくいいことだ」
終始黙秘を貫くヴォルフに、リアンは反射的に舌打ちしてしまう。しかし、ヴォルフは気にすることなく書類に視線を戻した。
失礼します、と頭を下げて執務室から出ると、一気に張っていた緊張が解けるような感覚が襲う。
それと同時に、ヴォルフの態度に堪えていた怒りも際限なく湧いてきて、
「絶対ッ、クソ親父の隠し事暴いてやるんだから!」
爪を噛みながら、リアンは父親を見返すべく行動に移ったのだった。