13
「ミラ!どうしてそんなことを……!」
「今夜のことでわかったはずです、」
顔を見られないように俯いたままくるりと後ろを向くと、ミラベルは淡々と言葉をつなげる。
……大丈夫、声は震えていない。
「父も、妹も犯罪者になってしまいました。バーネット家は、もう終わりです。私には、貴方のもとに嫁ぐ資格がない」
今までありがとうございました、と口の中で呟くように言ってミラベルは振り返らずに駆け出した。
ミラ、と呼び止めるイリアスの声が聞こえるが、足を止めるわけにはいかない。
真っ先に目に入った扉に逃げ込もうと、手を伸ばす。
「きゃっ、」
ノブを掴んだところで、思わず悲鳴を上げた。
氷を掴んだような痛みに、思わず反射的に手を離す。その目の前で、見る見る内にノブが凍りついていった。
それを見て氷魔術だ、と気がつく間もない。ダン、と顔のすぐそばの壁をイリアスの右手が突き、ミラベルの逃げ場を塞ぐ。
咄嗟に逆側へ逃れようとしたところを、今度はイリアスの左手が塞ぎ、彼女を後ろから空間ごと抱き締めるように閉じ込めた。
イリアスの両腕と壁とに囚えられ、追い詰められたミラベルは壁を向いたままじっと身体を固くする。
「……ミラ、こっちを向いてくれ」
イリアスの息が、背中に当たる。そこだけが、熱を持ったように火照り始めるのを感じる。
背中越しに聞こえる、懇願するようなイリアスの声。普段の冷静な彼からは想像もつかないほどの動揺の見える声だった。
その声に引きずられるように、ゆっくりとミラベルは後ろを振り返る。見上げたイリアスの顔が、滲んでよく見えない。
「ミラ、泣いているじゃないか……」
左手はミラベルを閉じ込めたまま、口づけを落とすような体勢でイリアスはそっと彼女の目尻を拭う。
そうされて初めて、ミラベルは自分が泣いていることに気がついた。
ぐい、とイリアスの顔が近づく。壁際に追い詰められて距離を取ることもできず、ミラベルはただその迫る端正な顔に息を呑む。心臓が早鐘のように打ち始め、息が苦しい。
「ミラの懸念はわかるけど……、でも大丈夫なんだ」
そう言って、イリアスはにっこりと笑む。
「君の実家が、今後諸々の障害になりうることは、僕も心配をしていた。それだから、叙勲の際は君の名前をフルネームで呼ばないように頼んでおいたんだ。その家名が、君にとっての柵にならないように」
家名を呼ばれなかったのにはそんな理由があったのかと、何も聞かされていなかったミラベルは驚きで目を見開く。
そんな彼女の顎を掬い上げ、イリアスはしっかりとその瞳を覗き込む。
「こんな場面で言うことじゃないとは思うけど……結婚しよう、ミラ。結婚して、ミラベル・トレヴァーになってくれないか。
君の後見は、ヴィンセント師団長が引き受けると言ってくださっている。上層部からは君の類稀な能力を評価して、『聖女』の称号を授けようという話も出ているくらいなんだ。何も、心配することはないんだよ」
それとも、とイリアスの瞳が不安げに揺れる。
「僕と結婚するのは、嫌?愛してるのは僕だけかな?」
――今まで、いくら愛を囁かれようと、ミラベルはそれに返すことができずにいた。自らの境遇を顧みれば軽々なことを口にすることなどできない、と自分を戒めてきたのだ。
……否、そう言い聞かせることで自分の感情と向き合うことを避けてきたのかもしれない。
今までのミラベルだったら、イリアスに返事を哀願されても困ったように「大丈夫です、ありがとうございます」と返して濁していただろう。
……でも、先ほど死を目前にして、気付かされてしまった。隠していた自分の感情が迸るのを感じた。
この想いを伝えられずに死んでいくことが惜しいと、内なる自分が叫んでいた。
もう、知らないふりをすることはできない。障害となるものも、ない。
――それなら。
「イリアス様、」
顔を上げて、そっとイリアスの頬に触れる。相手の吐息が顔に触れるほどの至近距離。
「私も……愛しています。貴方に出会えて、本当に良かった」
掠れながらも初めて声にした、本当の自分の気持ち。
もう一筋、ミラベルの瞳から涙が零れ落ちる。抑えていた気持ちが堪えきれず溢れ出すかのように。
一瞬驚いた顔をした後、張り詰めていた感情が溶け出すようにイリアスは顔を綻ばせた。元々腕の中にあったミラベルを、その存在を満喫するように力強くかき抱く。
お互いの鼓動が響き合い、混ざり合う。
絡み合う視線。嗚呼、紫色のその湖に、溺れてしまいそうだ。
やがて、どちらからともなくその唇が合わさる。
それだけで、頭の芯がぼうと痺れるような多幸感にミラベルはただただ酔いしれた。
イリアスと出会うまで、ミラベル個人と向き合ってくれる人など居なかった。周囲だけでなく肉親ですら、彼女を『無能令嬢』としか見てくれなかった。
――ようやく手に入れた。ここが、私の居場所なのだ。
ミラベルをミラベルとして見てくれるイリアスやクロード、マーサ。ミラベルはここで、初めて自分というものを獲得することができた。
無能だからといって無価値ではないのだと、教えてもらえた。……愛を、知ることができた。
――そのために必要な廻り道だったのだとしたら、
ミラベルは、イリアスに頬を寄せたままうっすらと笑う。
――無能令嬢と呼ばれた過去すら愛せそうだ。
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