12
ぱちん、とヴィンセントが指を鳴らすと同時に、衛兵たちが前に出る。
目を見開いてその場に立ち尽すミラベル。悲鳴すら、喉の奥に張り付いて声になることができない。
――しかし。
衛兵が装備を鳴らして駆け出した先は、イリアスではなかった。
彼らは固い表情のイリアスの横をすり抜け……その先、エセルバートへと一直線に飛びかかる。
「な……っ!」
薄ら笑いを浮かべて状況を傍観していたエセルバートに、突然の強襲に抵抗する間などない。その場でねじ伏せられる。
瞬く間に拘束された足元のエセルバートを見下ろし、ヴィンセントは冷淡に告げた。
「エセルバート・バーネット侯爵。貴殿を偽証罪・国家叛逆罪の容疑で拘束する」
「どういう、ことで……!」
床に抑えつけられ脂汗を浮かべながらも、苦しげにエセルバートは声を上げた。
「なに。さきほどの状況、最初から俺が目撃していた、といえば納得もできるか?」
「……っ!」
ヴィンセントの言葉に、エセルバートはさっと色を失くした。
「しかし、私はただ娘の指導を行なっていただけで……!それに、叛逆罪とは、一体……!」
分が悪くなったことを察しながらも、だとしてもこの扱いはあんまりだと必死で言い募るエセルバート。
「やれやれ、自分が犯した罪のデカさに自覚なし、と……」
「ですからっ、私はただ、娘の躾をしていただけでして……っ!」
「娘が死んでもおかしくない程の力を使って、それが躾ってか?」
ヴィンセントは淡々と、容赦なく言葉を重ねる。その厳しい追及を避けるように、エセルバートは視線を落とした。
「たとえそれでコレが命を落としたとしても、それが何の問題になるでしょう?」
ぽつりと、呟かれた言葉。
なに、とヴィンセントが反応したことに縋るように、エセルバートは言葉を続ける。
「ご存知ないかと思いますが……恥ずかしながら、この娘は無能なのです!貴族の務めを果たせない存在を処分したところで、家長の裁量として判断されるかと……!」
それに、と緊迫した空気を誤魔化そうとするように、おもねるようにエセルバートはへらりと笑う。
「ご覧いただいた通り、私の能力は攻撃魔術に特化しておりまして。能力が高すぎて、ついつい火焔が派手に発現してしまうのです」
「こんな時まで己の誇示とは、見上げたものだな、」
は、とヴィンセントは嘲りの声を上げる。
必死に己を売り込み、権力に縋ろうとするエセルバートの媚びた笑いは、ヴィンセントの目にはただただ耐え難い醜悪にしか映らなかった。目元は笑っているものの、その奥には追従と保身の色しか見えない。
「その、長けていると思っている自分の攻撃魔術が貴様が蔑む『無能』のおかげと知ったら……お前さん、どう思う?」
「な、何を……」
説明してやれ、とヴィンセントに目で促され、イリアスが進み出る。
「彼女の能力は、『魔力の泉』。ミラが傍に居るだけで魔術行使の負担は軽減され、魔力は無限に湧いてくることになります。今回の封印魔術の改革は、この稀少な能力を持つ彼女が居たからこそ為せた技術です」
「そんな、馬鹿な……!」
「おいおい、十六年間一緒に過ごしていて、本当に気付かなかったっていうのかよ⁉︎自分の魔力負担に違和感はなかったのか?家と外で行使できる魔術の規模は全然違ったろうに、なんとも思ってなかったと?」
ヴィンセントのツッコミに、ぐ、と苦しげにエセルバートは顔を歪める。
思い当たる節が、彼にもあったのだろう。反駁の言葉は出て来ない。
「これで、叛逆罪の理由も察しがついたか?そんな稀少な能力を、国が放っておく訳がない。実際、今回の国家魔術の改革は彼女が居なければ成立しなかった。今やミラベルは国の――重要人物なんだよ」
「…………」
エセルバートは筆舌に尽くしがたい物凄い表情で目の前を睨めつける。
「ま、そんな訳で国の重要な事業に必要な人物を手に掛けようとしたのだから、叛逆罪も当然……」
「ちょっと待ってください!違うんです!違う……」
上擦った声で否定の声を上げたエセルバートは、ぐるりと顔を回してミラベルの視線を捉える。
「そうだろう⁉︎お前からも言ってくれ、あの火焔に威力はなかったと。派手に見えるだけで、あれに殺傷能力はないと……!」
往生際の悪いエセルバートの言葉。
「…………」
それを受けて、その場にいる全員の視線がミラベルに注がれる。
そっとイリアスが優しく彼女の背を抱く。
「あの火焔は……そうですね、」
ごく、と息を呑んでから、ミラベルはそっと前を向く。
「当たっていたら、私は命を落としていたことでしょう。いま私がこうして居られるのは、イリアス様のおかげでしかありません」
その声に、先ほどまで見せていた震えはない。
「お前っ、父親を裏切るのか……⁉︎」
エセルバートの怒号が響き渡るが、ミラベルは眉ひとつ動かさない。
――結局、彼は娘の名前を呼ぶことはなかった。
それは、却って幸いだったのかもしれない。ありもしない父娘の縁に絆されずに済んだのだから。
実の父親が引っ立てられるのを目の当たりにしながらも、ミラベルの心は凪のように落ち着いていた。
最後に父親が見せた縋るような視線も、もはや彼女にとって何の意味ももたらさない。ただ、静かに心の内で別れを告げる。
――ただ一つ、気になるのは。
「レイチェルは、この先大丈夫かしら……」
たった一人の妹、レイチェルのことだ。父親にべったりだった彼女が、この先一人でやっていけるのだろうか。
いくらあまり仲の良い姉妹でなかったとはいえ、血を分けた妹のことは心配になる。
そう呟いたミラベルに、ヴィンセントは気遣わしげな視線を向けた。
「レイチェル嬢のことなら……先ほど、同様に捕縛されたと聞いている」
「え……⁉︎」
「なんでも、イリアスのグラスにこっそりと薬品を混入したらしい。国家主催の建国パーティの場で毒殺を謀ったことで、父親と同じ叛逆罪だ」
「そんな、毒など……!あれは、タダの惚れ薬だ!」
衛兵に連れられながらも、遠ざかるエセルバートが必死の声で叫んだ。
「やれやれ、やっぱりあんたの差金か」
心底うんざり、という表情で吐き捨てると、ヴィンセントはしっしっと無造作に手を払う。
「惚れ薬は言わば精神に影響を及ぼす毒物だ。これから能力を発揮してもらおうって時に、そいつの内面を侵そうとする行為なんざ許される訳ねぇだろ」
いくら動機が、姉から婚約者をすげ替えたいなんてくだらない理由でもな、とつまらなさそうに付け加える。
「まぁあっちはただの実行犯で毒物はほんの少量、そして捕まってからは随分しおらしくしているみたいだから、処分はせいぜい修道院での終生の奉仕程度かねぇ。……ま、父親の方はどうなることかわからんが」
ヴィンセントの言葉は、すでに衛兵に遠く連れ去られたエセルバートの耳に入ることはない。
「師団長、ご手配ありがとうございました」
「なぁに、これから存分に辣腕を振るってもらう予定の部下の、目下の憂いを取り除いただけさ。最愛の人を守れて、良かったなぁ?」
悪戯げなヴィンセントの言葉に、イリアスが思わず顔を赤らめる。
まっ仲良くやれよ、と愉快に笑いながら去っていくヴィンセントにイリアスはただ黙って頭を下げた。
ミラベルを付け狙うエセルバートに気づいたのが、他ならぬ彼だったのだ。彼女の後を追って広間を出て行くエセルバートの様子が尋常でないと、イリアスに注意を促してくれた。
あの言葉がなかったら、今こうしてミラベルを抱くこともできなくなっていたかもしれないと思うと、今更ながらにゾッとする。
彼女の存在を確かめるように、イリアスはもう一度その肩をしっかりと抱く。
「……イリアス様、」
抱き締める腕の中から、ミラベルの固い声がした。
その温度のない声に腕を緩めると、彼の腕から離れたミラベルが距離をとるように数歩下がる。
俯いて、イリアスと目を合わせずにミラベルは静かな声で言った。
「婚約を破棄していただけませんか」