たった8分間の出来事
うまいこと制作会社に就職したものの、さして才能には恵まれていなかった私・加藤勝己は3年ほどで離職し、その後は運良く知人に紹介された美術系専門学校で講師業をして収入を得ている。
今日は担当したクラスの進路指導をするように言われた。
なんのことはない、消極的な子には夢を持て、夢みたいなことばかり言う子には現実を見ろと軽いお説教をするのが業務内容だ。
「あれ、渡辺さんで最後?」
「ねこにゃん自習で後回し」
「金子さん?じゃ戻ったら声かけといて」
「らじゃー!ではカッちゃん失礼しゃす」
「おー。ちゃ~んと自習してくれよ~ぉ」
それも次の子で終わる。
スマホを取り出し電源を入れて時計を表示、残り時間は18分。
何気無くブラウザを開くと、「文筆家になろう」のユーザ画面。
その左上に「新着メッセージが1件あります」の赤文字がある。
「あ、おとーさん」
いつもお世話になっている於菟さんからの御連絡だ。
離職して講師業をはじめたが右も左もわからない、すぐに税務上の手続きなどで行き詰った私に申告書類の書き方などを丁寧に教えてくれた於菟さん。
以来、彼を『おとーさん』と呼んで慕っている。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
軽いノックが響いた。
「どうぞ」
カラカラと乾いた音を立てて扉を開いた金子深雪は、アバンギャルドな他の連中に比べたら突飛な恰好も奇妙な装飾品もしていない。
ゆったり目のパーカーは亜麻色だ、まったく同じオレンジ色と灰色を持っていて年がら年中着ているから、あまり服装に頓着しないタイプなのだろう。
金子さんなら仰天発言もなく終了しそうだ。
「座って」
「どーも」
「カネコ、ネコ……あぁここだ」
「準備不足だねカッちゃん先生」
「勝手に順番、変えたからだろ」
「急いでるイラストがあってね」
ほかの講師の課題か。
金子さんは真面目だ。
「進路というより就活の指導なんだね?」
「どんなところを就職先に希望してる?」
「ボクはね、就職はしませんよ」
そうきたか、本日2人目かな?
ここまでハイペースに進めてきたから時間に余裕がある、5分ほどで夢を持てと説得して本日の業務は終了、担任教師に良い報告ができそうだ。
やれやれ、という表情で「どうして?」と先をうながす。
「高3のとき進路に悩んでるボクの絵を物凄い喜んでくれた人がいてね、本格的に取り組みたくってここを選んだだけ、絵で食ってく気なんてさらさらないですよ。専属の、イラストレーター目指してるんでね」
コミュニケーションができているつもりだったけど初耳。
専属イラストレーターって、どんな仕事をするんだろう。
わからないことが多すぎたので、1度深く頷いておいた。
「先生には未知の分野かもしれませんけど、小説を投稿するサイトがありまして、そこにはファンアートという文化があります。試しにアプリでイラスト描き始めたころ、たいして面白くなかったけど毎日投稿されるから暇つぶしに読んでた小説のイラストを描いてみたら、その人ボクの下手糞な絵に大喜びしてくれたんですよ。今は4作目が完結して、5作目を書いているそうです」
「その方の専属イラストレーター?」
「いけませんか」
「小説やイラストを投稿してる生徒だって多いし、こんな仕事をしていれば嫌でも情報が入ってくるけれど、聞いた感じプロの書籍化作家さんではなさそうかな」
「やはり、いけませんか」
「お給料が出ないだろ?」
「実家の手伝いでもしながらと考えてますよ、小さい会社の経営してますからね。父にそれなら帳簿付けでもしろと提示された条件、日商簿記検定試験1級は独学で取得しました。それじゃ学校的には?」
「美術系の学校だぞ」
ストンと肩を落とし「いけませんよね」と呟いた。
広がった襟元から、白い首元が見える。
日商簿記検定試験の1級か。
最近知人が取得した資格だ。
合格率1割程度の難関、配点調整があるとかで運も味方したと謙遜していたが、常になく興奮気味の文面がメッセージで届いたほどの公的資格、税理士試験を受験できるなど国家資格の登竜門らしい。
なのに、金子さんはどうだ。
今日はお気に入りのパーカーの下に、ちょっと丈が短すぎるプリーツスカート、ヌバックレザーのハイキングシューズとアースカラーでまとめている、金子さんはいたって普通っぽい女の子だ。
専門学校でお絵かきしながら資格を取得。
「でも。そっかー、すごいな!」
「っひ?」
「金子さんの就職先は実家の家事手伝いか」
「んもー! そういうことじゃなくてね?」
「なぁんだ、違うのか」
「や、そうなんだけど」
ポリポリ頭を掻きながら唇を尖らせた。
金子さんの、これは、照れているのか。
「ははっ、家事手伝いは表現が悪いか。なんにせよ好きなことをしたくて努力して結果を出したんだから、ああしろこうしろと私が言える立場じゃないなぁ」
「どうして!?」
「資格なんにも持ってないから」
「そ! じゃ……なくってさぁ」
ふぅ、と細長く息を吐いてからジロリと睨まれた。
改めて観察してみると、利発そうで涼しげな目元。
薄っぺらい唇を舌先でペロリと舐めていく。
もそもそ下唇を動かして、指摘しはじめた。
「あのねぇカッちゃん先生、これって進路指導だよね?ボクは就職活動しないって言ったんですよ。講師なら怒ったフリしてさ、そんなことでどうする?夢を持て!現実を見てみろ! ……みたいなこと指導すべき立場なんじゃないの?」
「それを生徒に言われちゃ~立つ瀬がないな」
「それで、どうするの?」
「夢を持って現実を見ろ」
「じゃ……なくってさぁ」
「でも現実を見据えつつ夢を追いかけてるんだろ?」
ふ――ぅ、とさらに細長く息を吹いた。
怒るかな、と思って身構える。
やたらに狭い進路指導室の中央に1つだけ置かれた机を挟んで向こう側、スラリとのびた白くて細長い足を器用に組んだ金子さんは、バランスを取るためだろう、退屈そうに頬杖をついて天井の隅を見上げた。
「そりゃ、まぁ」
前髪がサラサラ流れて形を変えていく。
その奥に見え隠れする瞳が揺れている。
不意にポツリと尋ねてきた。
「カッちゃんさぁ、個人情報って守るほう?」
「学校には守秘義務契約の書類を提出してる」
「個人的な情報。口は堅いかって聞いてるの」
「どうだろ。世間話するほど親しい人がいないから、なんとも答えようがない」
「なら、それでいいや」
「え? ……なにが?」
「小指。出して」
「小指、こう?」
首を傾げながら差し出した指を、金子さんの細い小指でスルッと絡め取られて、鼓動がドクンと大きく跳ねた。
慌てて引っ込めようとしたが、ぎゅっと痛いほど締め付けられていて思うように振りほどけないでいるうちに、グイッと引き寄せられた。
椅子に座ったまま体勢を崩して前に倒れていく。
反対の肘で机に突っ張る、耳元に吐息が触れた。
視線をそちらに向けると、金子さんの首筋だけが見える。
やや隆起した喉ぼとけが、ごくりと飲み下すのが見えた。
ご く り
……と、同時に音を立てたのは自分の喉だった。
手のひらに、汗がにじんでくる。
鼻腔を甘い香りが満たしていく。
長い前髪の先が、小指の先を微かに撫でていく感触。
それが麻酔針のように痺れさせて、動けなくなった。
「先生、聞いて?」
「は? ……はい」
「ボクさ、恋してるんだよね。1年以上その人とやりとりして、まぁ、当然1度も会ったコトないから実際どんな人かは知らないよ?でも、文章だからこそわかる、そういうこともあるってね、そう思ってるんだよ」
「会ったこともないのに」
「そういうの、わかる?」
「……わかるなぁ金子さんの気持ち。私の場合かなり年上で博識なおじさんだけどメッセージだけのやり取りが続いている方が御一人いらっしゃって、転職するとき色々相談にのってもらったから。きっとダンディでシブいオジサマだと思ってるんだよなぁ」
「ちょっと嬉しいよ、これは仲間意識だね?」
金子さんはフフッと軽く笑ってから、ピンと小指を弾いた。
「はい指切りげんまん。守秘義務契約」
「あ、これが個人情報保護法なのか!」
にんまり笑ってから、金子さんの表情が少し曇る。
伏し目がちになって、前髪で鼻先から下が隠れた。
不安になって「どうかした?」と尋ねると、おずおずと顔を上げた。
「カッちゃん先生さ、ボクってどう?」
「どう……って?」
「一目惚れするような相手かってこと」
「あ、その人と実際に会ったとして?」
「そ!」
「一目惚れとは、違うんじゃないかな」
「そう?」
「1年以上やりとりが続いてるなら、人となりを知ってて気が置けない相手だろ?私だったら金子さんみたいな子がポンと出てきたら好きになっちゃうけどなぁ」
「そっか!」
金子さんはヒョイと椅子から立ち上がると欣喜雀躍しつつ扉へ向かい、カラカラ開きながら「その人がカッちゃんみたいな人だったら理想的だね」と呟いた。
ピシャン!
「あくまで私の場合で……」
しばし茫然。
扉の閉まった部屋の中は、水底のように静かだ。
肝心なことがおろそかでも、先生としては立派に振る舞った。
生徒に手を出すのは御法度と学校側からも釘を刺されている。
職を失うより、幾分かはマシ……本当にそうか?
気を取り直して「私も自習しようかな」とスマホを取り出す。
講師の私は公私にわたって相談事は於菟さんへ。
画面に表示された時計では、残り時間は10分。
えーと、おとーさんはなんて書いていたのかな?
僕はね、たとえ君が相手でも迎合したりしませんよ。しっかり準備を整えてから連載に臨んでほしいと考えてますからね。だからこその指摘と――ぇ?
これは、長
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ぁ
い
っ
!!
先読みしていただいた3話までの感想と……URL?
横に長いFA、噂に聞くリンク用の画像、バナーか!
これは、凄い! ……執筆作業がんばろう。
細かい返信は後にして、とり急ぎバナナの御礼、と。
ふむ。
近況でも添えておくか。
「たった8分で生徒に恋してフラれました、で送信♪」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「進路指導の自習って安直な名前の共有フォルダ作っておいたから、ファイル名の先頭に出席番号と自分の名前つけて、そこにコピーしてください」
「えぇー?」
「カッちゃん提出なんて言わなかったろ!」
「やったかどうかだけ、採点はしないから」
ポロリポロリとサムネイル表示されていく画像ファイル。
数えながら人数分集まるのを待っている風を装っている。
内心では、ほくそ笑んでいる。
そう、これは私の狡猾な罠だ。
大抵、自由課題と言えば最近やってるゲームやハマってるアニメなんかを描いているやつがいる、それを糸口に会話のきっかけを作るという、私なりの話題作り、つまるところがコミュニケーション術。
でも。
金子さんには、通用していなかった。
なんだこれ? ……サムネイルが棒。
不思議に思ってダブルクリックする。
急いでいたのは、勉強時間の捻出か。
なにを描いたんだろう。
ノートPCがビュワーソフトを起動。
すぐに1枚のイラストが表示された。
こ れ は …… バ ナ ~ ナ ?
思わず下がってガタンと椅子が音を立てた。
表示されたイラストと金子さんを見比べる。
こちらの尋常ではない様子に小首を傾げた。
「金子さん?」
「なんです?」
「この絵って」
「なにか問題が?自由課題でしたよね」
「金子さんが。 ……於菟瑞花さん?」
「ちょっとカッちゃん守秘義務違反!」
机を叩いて立ち上がった金子さんは、細い首を45度傾けて左上を睨んでから、不思議なものでも眺めるように私の顔を見た。
「それさ、ボクからは言ってないね?」
「このバナナ、私は2本頂きました!」
「なんだいカッちゃん世迷言はよしてくれ …… っ ひ ?! 」
私の手にしたスマートフォンの画面を見て、普段冷淡な金子さんが色相調整でも試しているかのように顔面蒼白になり、みるみる赤く染まって、補色の青へと変化していく。
フードをスッポリ被るとショートカットからはみだした真っ赤な耳は隠れたが、上にぴょこんと猫の耳が生えた。
チャイムも鳴らないうちに、逃げるように教室の外へ飛び出して行く。
パーカーのおしりについたシッポをプラプラ揺らしながら走り去った。
「 「 「 「 「 ねこにゃん? 」 」 」 」 」
「 う そ …… おとさん、メッチャかわいぃ」
キ~ン コ~ン カ~ン コ~ン♪
「あ――。 ……授業ここまで」
どうしたものかと、メッセージボックスを確認。
てっきり年上のおじさんだとばかり思っていた。
金子深雪の口調は、そのまんま、おとーさんの文章と全く同じ。
厳しい指摘、良かったところ、書きかけの稚作第一話について、今は金子深雪の落ち着いた声で、すぐ耳元で所感を囁いてくれている気すらしてくる。
於菟さんに相談できない懸案事項がある、想像すらしなかった。
まずは於菟さんと仲直り、謝罪文をメッセージ送信?
しかしそれを受け取るのは金子さん、先の展開が想像できない。
と……不意に、『送信済トレイ』の文字が目に飛び込んできた。
「 あ っ !! 」