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花巡り

作者: のペ太郎

桜が舞う日のことだった。ひらりひらりと落ちていく桃色の花弁に誘われるように、いつもは通らない少し細い道に出て。そこに、ひっそりと佇む寂れた花屋を見つけたのだ。


花に埋もれるようにして、その人はそこにいた。その美しい横顔が脳裏に焼き付いて、次の日になっても、1週間が経っても、離れなかったのだ。


あれ以来、ふとその人のことを考えてしまう。足元に花が増えたのもよろしくない。花を見る度、あの人を思い出す。用事もないのに会いに行くのは少し気が引けて、結局少し前で引き返してばかりだ。意気地無し、というわけではないと思いたい。


そんな折、母が入院することになった。もともと病気がちな人で、風邪などはしょっちゅうだったが、今回は少し大変な状態らしい。医者によれば3ヶ月ほど入院が必要だと。命にかかわるような事ではなく、退院すれば通常の生活に戻れるそうだから、特に心配はいらない。しかし、母が入院するとなれば必ず花をねだられる。花が好きで、月に一度は部屋の花を変える人だ。いつもは自分で買いに行ってるが、きっと頼まれることになるだろう。


ブブ、と震えたスマホのメッセージアプリを開く。予想通り、母から花を買ってきてくれとの連絡。めんどくさい。


いや、待てよ。花を買う必要があるなら、あの人のところで買えばいいじゃないか。幸い、病院に行く途中にある店だ。これはいい口実ができたと私は軽くなった足を動かした。


いつもより明るく見える大通りを過ぎて、例の道に入る。少しくらいそこを過ぎれば小さな花屋がぽつり、とあった。店の外からはあの人の姿は見えない。しかし、今日は花を買いに来たのだと扉に手をかけた。からん、と鳴ったドアベルがやけに重く感じた。


「いらっしゃいませ」


柔らかい春の日差しのような声が店の奥へと誘う。自信ありげに凛と立つ花々を尻目にそうっと奥を覗いた。いた。あの人だ。他に人は見当たらない。1人で切り盛りしているのだろうか。


「あの、何か、お探しですか?」


じっと見すぎたらしい。居心地悪そうに、笑いながら問われたことで目的を思い出す。


「えっと、花を。あ!お見舞い用なんですけど」


花屋に来ているのだから花を買いに来るのは当たり前だろう。カッと顔が赤くなる。早口で付け足した言葉に、その人はゆるりと笑ってそうですか。とひとつ頷くと、またゆっくりと口を開いた。


「お使いかな、と思ったんですけど、外れちゃいました。」


クスリ、と笑うその仕草がとても上品で、たおやかとはこういうことなのだろうと思う。


「いや、入院した母が、花を買ってこいと。」


「そうなんですか。お母さんは花が好きなんですか?」


「はい。月に一度は花を買ってきてたくらいで。」


そう。また小さく頷いたその人はまたゆるりと微笑む。ブブ、と震えたスマホに嫌な気持ちになりつつ見ると、病院から花を買うのはせめて来月にしてくれと言われたらしい。入院してすぐに花を買うのは悪くは無いそうだが、落ち着いてからにしてほしいということだった。せっかくの口実がなくなり、ガックリと肩を落とした。


「どうかしましたか?」


「いえ、その...花を買うのは来月からでいいと連絡が...」


申し訳ないと思いながらそう言うと、その人はちょっと待っててください。と言って、花を1本手に取った。


「はい。どうぞ。来店記念に。」


白い小さな花がいくつかついた細い花を差し出される。慌てて財布を出そうとすれば記念だからとやんわりと止められる。


「えっと、じゃあ、来月、来ます。」


たどたどしくそう言うと、その人はふわりと眦を下げてはい。と返事をくれた。


それから毎月、その花屋に通った。


しとしとと雨が降り続ける月にはお見舞い用の花とは別にと赤い薔薇を1本。


木々が青くなった月には蓮という花を私用にと1つ。


3回も花を貰ってしまってどうしたらいいのか分からない。花びらなんかをネットで調べて栞にしたが、それを使う日は来るのだろうか。


しかし、母は退院したのでもう花屋に通う理由がない。3回も会えたのだからいいだろうと思おうとしたが、やはり足りず、もっともっとと思ってしまう。


ブブ、スマホが震える。母から花を買ってきてほしいと。自分で行けばいいのに。しかしこれは好都合だ。また花屋に行く理由ができた。また軽くなった足取りで花屋に向かった。


「いらっしゃい。お見舞い用かな?」


「あ、いえ。その、母は退院しまして、たぶん、生けるんだと思うんですけど...」


未だに注文もたどたどしく、花のことなどさっぱり分からないのでいつもこの人に頼ってしまっている。しかし、それがまた会話につながって悪くないと思ってしまっている。


「そう。おめでとう。お母さんの好きな花とかわかる?」


「あ、すみません...そこまでは...」


「仕方ないよ。私が選んでいい?」


お願いします。と頭を下げる。すっと立ち上がったその人は迷わずに黄色い大きな花を選んだ。ひまわりだ。


「少し大きいけど、どうかな。」


好きな人が選んでくれたものに否やはない。喜んでそれを購入し、家に帰る。すると、1本多かったからお前の部屋に飾りなさい。と母がひまわりが生けられている花瓶を押し付けてきた。おかしいな。頼んだ本数分の料金しか払ってないのに。


チラリ、とあの人の横顔を思い出す。花に向ける柔らかい眼差しを私にも欲しいと思うのは、やはり欲張りだろうか。


残暑も落ち着いた頃、また花屋に向かう。新しい花を買うためだ。からん、とドアベルが鳴るのにもそろそろ慣れてきた。


「いらっしゃい。今日はどうする?」


顔を見るとゆるりと微笑んでくれるその人に、ドッドッと鼓動が早くなる。


「あ、あの!好きです!」


「え?」


見開かれた黒い目が私を見返していて、カァ、と全身が熱くなって、それから、それから。


「ス、好きな、人が、できて。」


そんなごまかしを口にしていた。


「あ、あぁ、そう。そう、そっか...」


じゃあ、といつものように花を選んでくれるその人の手が迷うようにゆらりゆらりと揺れる。背を向けたその人から私の表情は見られず、思わずほっと息を吐いた。


「これなんて、どうかな。ダリアというんだけど。」


そっと差し出された花束を見る。よく見かける花だ。慌ててお金を払い、逃げるように店を飛び出した。


「ばかだなぁ、私」


めっきり涼しくなった頃、店に行きにくくなった私の尻を蹴飛ばす勢いで母から花を頼まれた。何となく重い足取りでドアを開く。いらっしゃい。といつもの声。


「あの、」


「あぁ、ちょうどよかった。今日ね、君におすすめの花があるんだ。」


何か言う前にこちらを見たその人はぱ、と立ち上がって花に埋もれていく。戻ってくる頃には明るい色で揃えられた花束はどこかで見たもののような気がする。


「ガーベラ。きれいでしょう?」


「ええ、とても。」


どうぞ。と言われてお金を出したところで多かったひまわりのことを思い出す。試しに1つ2つと数えると、やはり1本多い。


「あの、花、多いですよ。」


「あれ、バレちゃったか。」


イタズラがバレた子どものような声音でその人は言う。


「ほらサービスっていうと君、申し訳なさそうな顔するから。お金はいいから貰っておいて。私からの気持ちだから。」


そう言われては受け取るしかない。また来てね。という言葉を背に、ほんの少し口角を上げた。


寒さが増した頃にはシクラメン、という花を。


コートを着込んだ月はポインセチアを。


年が明けてしばらくした頃、また花屋に訪れた。


「あけましておめでとう。今日は何がいいかな。」


「えっと、おすすめと、あと、しん、シンビジウム?をひとつ。」


「2種類?珍しいね。」


そう言いながら準備をするその人に見られないよう、そっと後ろ手でこぶしを握る。やればできる。頑張れ私。


「はい、どうぞ。」


お金を払い、渡された花を持ち、そのうちの1本を突き返す。


「あの、どうぞ。いつも、貰ってばかりなので。」


2人の間でそうっと迷うようにシンビジウムが揺れる。


「え、と...その...ありがとう。大切にするよ。」


キョロリキョロリと視線をさまよわせたその人はふわ、と笑い花を受け取った。


次の月にはフリージアという花だった。


来月はなんだろう。どんな花だろう。そんなふうに楽しみにしている時間が長くなって、ようやく、来た暖かい季節。庭で育てていたチューリップをつんで店へと向かった。


あの人は、いなかった。


代わりにいたおばあさんに聞くと、あの人は先月までアルバイトとして手伝いに来てくれていたのだという。今年に大学を卒業し、就職したのだと。


桜が舞う季節、ぼうっとお店を見上げる。あれからあの人に会っていない。辞めたのだから当たり前といえば当たり前だけれども。


踵を返し、帰ろうとした時だった。ちょうど振り返った先から、聞きなれた声がした。


「いらっしゃい。なんて、もう、変かな」

ばかだなぁ、と自嘲したのはさてどちらでしたでしょうか。

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