旅
早朝、まだ静かな村の中を通り過ぎて山の入り口に向かったサクラは、昨日ロキと話した場所の木の枝に袋をかけようとして、物音にビクッとする。
「来ると思った」
木の影から出てきたロキにホッとする。
「……まだ行っていないと思いました」
「お金を払っていないからな」
小さな布袋を差し出され、サクラも枝に引っかけようとしていた袋をロキに差し出す。ロキは受け取った袋の中を見たが、サクラは手に持った感触からもお金だけが入っていることはわかったので中は見なかったが、少し怪訝な顔はした。
「多くないですか?」
「肩の傷と手の火傷の分、それと食事代、あとこのマントをもらっていきたいのだが」
「それは構いませんが、それにしても」
「大銀貨六枚だ。最初の金額からするとそれが妥当だろう。医者を名乗っていたわけではないのだから金貨ほどは要求しないのだろう?」
「もう十分ですよ」
「しかしこんなものをもらっては本当に大金貨を渡さなくてはいけないかもしれない」
水と二人分のパンは善意でもらうとして、紐を持って袋からペンダントを出すと、そのピンクに染まった石にロキはそんなことを言う。
「それでどのくらい魔法が使えるのかわかりませんが、ないよりはマシかと思って」
「俺にこれを渡す意味を知ったときにお前がどんな反応をするのか楽しみだな」
そのペンダントを首にかけてそんなことを言うロキに、サクラは不思議そうな顔をする。
「プロポーズの意味でもあるんですか? あ、でも一ヶ月で消えてしまうものを一生の誓いで使ったりしないか」
特に照れたりもせずあっけらかんとそんな予想を言う。
「ただその者の瞳の色をしているだけの石だと言ったときの言葉は嘘ではないが」
「……?」
「まあ気にするな、王族の誓いは重い」
もっと頭にハテナを飛ばされたら笑われてサクラはムッとした顔になる。
「よければ空の方をやろうか? お前も魔法が使えるのだから持っていて損はないだろう」
透明なままの石のペンダントを差し出すが、サクラはその石とロキの首にかかるペンダントの石を一緒に両手で握り締める。少し驚いた様子のロキが何かを言う前に石を放すと、一歩ロキから距離を取った。
「魔力が空の患者に、医者から薬です」
笑ってそう言うサクラに、ロキは苦笑をこぼす。
「俺の薬師になってくれる気はないくせに」
「それは諦めてください」
悩む気配すらない。
「ありがとう」
もう一つは剣の鞘に括りつける。
「それでは気を付けて」
「一つ、提案があるんだが」
薬師に、というのとは違うニュアンスの言葉に聞こえ、踵を返そうとしていたサクラはロキに向き直る。
「なんですか?」
「旅をしないか」
「……一緒に?」
「一緒に」
怪訝な顔で問うたら真面目な顔で即答される。
「私と王子様で?」
「一人二人増えるかもしれないが」
「本当に一人二人だけですか?」
「……説得する」
「問題は大丈夫なんですか?」
「相手の欲しいものが、俺には手放せるものだった。だから上の好きなようにしてくれればいい。むしろ解決するまで俺はいない方がいいかもしれない。一度王宮に戻って、すぐにまた出るつもりだ。迎えに来るから、一緒に旅をしてみないか」
「……どうして私と」
「お互いにいい案だと思った」
「どうして私とじゃなくて、どうして旅?って聞くところでしたか……」
「俺は魔法の勉強がしたい。お前も、薬学で色々学びたいことや試してみたいことがあるんじゃないのか? この村にいてもほとんど何もできないだろう。旅をするのは簡単じゃないと言ったな。女の一人旅は確かに難しい。金の問題もある」
「旅の間のお金はあなたが出してくれると?」
「その代わり俺が怪我をしたときは無償で治してくれ」
「……それは一緒に旅をするなら旅仲間からいちいちお金は取りませんけど」
「ドラゴンを見に行かないか。桜の花を探しにいこう。都会の大きな図書館に興味はないか。小さな火を出す程度ではなく強力な魔法を見せてやる。魔力が低くても教える者がいればお前ももう少し使えるようになるはずだ。前世の話ももっと聞かせてくれ。俺はお前との旅を想像するだけで楽しい。お前はどうだ?」
「……全部、楽しそうです」
少し悔しそうに言うサクラにロキは笑う。
「また来るときまでに考えておいてくれ」
「……本気にしますよ」
「してくれた方が嬉しい。旅に出てしたいことを考えておいてくれ。俺も考えておく」
***
「ロキ様!?」
「お前の言いたいことはわかってる」
怒っているような気配に少しうんざりした顔をするが、サクラと話している間出てこなかったことも話した場所から十分離れてから口火を切ったところも思っていた通りで、ロキはカイのこういうところを気に入っている。そしてそれは信頼とも言える。
「どうして昨日魔力の相性がいい方だと言わなかったんですか!」
「言ったらお前は無理にでも連れていくべきだと言っただろ」
「当たり前です! 他人の魔力が入った石は通常はただのその者の瞳の色に染まっただけの石ですが、魔力の相性がいい者だけは別です。その魔力を使えるだけでなく、その者を呪うことすら容易い」
「他人を呪うのは難しいが自分は難しくないからな。同じ理論だろう」
なんでもないように言うロキに、カイは頭が痛いとばかりに額を押さえる。
「つまり彼女はあなたを呪い殺すことすら可能な唯一の存在なんですよ!?」
「それは間違いだ。俺は現状魔力がほとんどないから当然あいつに魔力を溜めた石を渡してなどいないし盗まれている危険もない。魔力の相性がいい者が見つかれば互いに命を預け合うのが普通だが、俺だけが預かっている状況だ」
「……それは、そうですが」
「だが心配するな、悪用するつもりはない」
「そんな心配はしていませんよ!」
怒るカイをスルーしてロキは山の中で適当な木の根元に腰かけるとサクラにもらった朝ご飯のパンを出して食べる。カイに一つ渡したらため息を吐きながら受け取られた。
「誰にも言うなよ」
「言えるわけないでしょう!」
「しかしこんなところでそんな相手に会うなんて、これを運命と言うのだろうか」
「…………あなたがそんな呑気な方だと今初めて知りました」
「旅をしたいという方はいいのか」
「それはどうぞご自由に」
「……俺が将来就く役職はお前たちの出世に直結するだろ」
「私にそんな野心がないことはロキ様が一番ご存知でしょう。あなたに野心がないことも知っています。ですから何に遠慮したわけでもなく、心から賢者の席は譲っても構わないと思っていることも」
「……似た者同士でよかったな」
「しかしあなたがその席を空けたところでそれがティル様に回るとは思えませんよ」
「それは王の好きにしてくれればいいさ。その席に座らせたいやつを座らせればいい。俺はそれがティルでも構わないと言うだけだ。別にティルを推すわけでもない。いっそヴォルフがなるのが一番丸く収まるかもな」
「ヴォルフさんこそそんなものには興味のない人じゃないですか」
「……あいつだけは旅の同行者にはさせないようにしよう。もしサクラのことを知られたら俺もあいつの興味の対象になってしまう」
「……自分と相性のいい者を探し歩いて本当に見つけた挙句自分もまとめて研究対象にするような変人ですからね。あの人は相手が王子だろうとお構いなしですよ……」
「ドラゴンに憧れるタイプでも花を楽しむタイプでもないと思っていたんだがな。なぜだかサクラとの旅が楽しみでしょうがない」
「振られないことを祈っています」
「昨日とは違って好感触だっただろ」
もうやり取りをすべて見られていた前提でそう言う。
「呪えることは教えられなかったのでしょう? 普通知れば怒りますよ。怒る程度で済めばいいくらいです」
「それなら大丈夫だ」
「……その自信はいったいどこから」
「簡単に剣を返そうとするサクラに警戒しろと言っていたらめんどくさいと言うような人間だから」
「……私は少々彼女の認識を誤っていたのかもしれません。そういえばヘルメアさんも最初からヴォルフさんを信用していましたね。やはり魔力の相性がいい相手は本能的に敵ではないと思ったりするものなのでしょうか」
「関係あるか?」
「だってヴォルフさんどう見ても不審者じゃないですか。普通信用しませんよ。私なら逃げます」
「……お前たちは仲がいいのか悪いのかわからないな」