せっかくの異世界転生
「……おはようございます」
「おはよう」
洞窟に差し込む朝日で目が覚めたサクラは、横になっている自分と座ったままのロキという状況にバッと体を起こすと手で顔を覆う。
「……看病している側が患者を放置して寝るなんて」
「もう看病が必要な人間ではないんだからいいだろう。俺はその前に寝ていたんだから、お前が寝て俺が番をするのが当然だ」
「寝ていたというか倒れて意識を失っていたというか……」
「お前の今日の予定は」
「特には」
「何もないのか? 両親が街に買いものにいったというくらいだから忙しい時期ではないのだろうが」
「暇な時期は内職をしたりするものですが、私は趣味がそれなりの利益があるので親にそういうことをするようにとは言われないんです」
「では俺がいなければ今日もその趣味を?」
「そうですね」
「手伝おうか? 俺に手伝える仕事があるかはわからないが」
サクラはそう言われ、少し考える。仕事はたくさんある。
「従者の方が探しにこられないんですか?」
「ヘルシリアには来ないだろうな」
「それは、大変ですね」
ヘルシリアにいればおそらくは安全、しかしヘルシリアで待っていては従者とは合流できない。一人でアマルテアに戻るしかないが、ならばせめて体も魔力も万全の状態にしてと考えるのが当然。手伝おうかなんてずいぶん呑気なようなロキに納得する。魔力が戻るまで待つ以外にすることがないということだ。
「まあ一先ず家に戻ったらどうだ。腹も減ってるだろうし風呂にも」
「やっぱり綺麗好きの日本人としては一家に一台お風呂欲しいですよね。街だとそういう家が大半なのに田舎との格差が激しすぎませんか。前世も田舎でしたけどそういう不便さはなかったですよ」
「……なんの話だ」
「あ、すみません、こういう話をできる人が初めてなのでつい」
「ここでは桶に湯を溜めて入るのか?」
「はい。今世ではまだ肩まで浸かったことがないので、いつか銭湯に行きたいなと常々」
「王宮の風呂はでかいぞ」
「へー」
「……おかしいな、お前は欲は多い方な気がするのになぜそういうものでは動かないんだ」
「欲はたくさんありますが」
そこは素直に認めた。
「……では」
「些細な欲は言い切れないほどたくさんあります。大望はありません」
「それはある人間の言葉だ。死んだと思ったら異世界で新しい人生が始まったという感覚だと言ったな。だったら、自分が特別であることを信じてみるのはどうだ。人生に二度目はない。だがお前にはあった。どうせなら、その特別を使い尽くしてやるのはどうだ。前世でできなかったことを今世でできるようにというのは当然、前世で幸せを感じたことを今世でも叶えられるものはすべて叶える」
「その発想は、ありませんでした。前世でできなかったこと、こういう世界だからこそできることをという考えはありましたが……でも、確かにそうですね。一度知っているからこそもう一度と強く思うものかもしれませんし、幸せなことは何度あっても嬉しいものです。死んでしまえばもう二度と叶わないのに、私は叶うんだから、確かにそうです。肩までお湯に浸かってのんびりお風呂に入りたいですし、美味しいもの好きなだけ食べたいですし、花見も、したいですね」
「花見? すればいいんじゃないのか?」
「前世で私がいた国では花見といえば桜の花だったんです」
「お前の名の由来はそれだったのか」
「はい」
「なるほど……こちらでは呼び方が違うんだな」
「おそらく」
「好きだったのか?」
「桜は普通に好きでしたけど、正直花見は別に」
「……なんでだよ」
したいんじゃなかったのかと。
「桜を理由に食べて騒いでっていう一種のイベントなんですよ」
「誰も桜なんて見てないってやつか」
「それです」
「だがそういうイベントができるくらいだからさぞかし綺麗な花なんだろう」
「それはもう」
「俺も見てみたい。もし花見をすることがあれば呼んでくれ、俺もイベントごとはそんなに好きな方ではないが、花を見て食べるくらいなら」
「ではもし桜が見つかったときは付き合ってください。桜の下で大人数で食べて騒ぐ花見ではなく、桜を見ながら二人で静かにお弁当を食べるような花見をしましょう」
二人ともおかしなやり取りをしている自覚はあったが、どちらもそれは言及しなかった。しかしどちらも約束という言葉を使わなかったのは、偶然ではないだろう。
「結局こういう話に戻ってくるんだな」
「本当ですね」
苦笑に苦笑を返す。
「まあ、もういいか。せっかく会ったのだから話そう、話してくれ」
「一期一会ですね」
「どういう意味の言葉だ?」
「え、一石二鳥は通じたのに」
「植物も通じるのと通じないのがあるのだろう」
「一生に一度だけの機会なのだからその機会に、えーと……頑張る? 集中する? 楽しむ? そんな感じの意味、だったと思います」
「一応俺は勧誘の件は諦めてはいないが」
「それじゃあ一度家に戻ります」
「おい」
笑ったサクラにロキは苦笑をこぼす。
***
近付いて来る音で戻ってきたのだということはわかっていたが、洞窟の入り口に影ができてそちらを見たロキは、予想通りサクラの姿を視界に入れて、しかし目を丸くする。
「……頑張ったな」
「頑張りました」
荷物をすべて地面に降ろして、サクラは疲れたとばかりに息を吐き出す。
「もしかして俺も担いでここまで運んだのか」
「いいえ引きずりました」
「……そうか」
「介護関係のネット知識ですけど一人で成人男性を運ぶ方法というのを実践してみたんですが担ぐような形で引きずっていくのはできなかったので上半身を持ってずるずると」
「お前俺相手には気にしなくていいと思っているだろ」
それは引きずった方ではなくネットという意味のわからない言葉を平気で出してくる方に対してだ。そしてサクラはその通り流した。
「最低三日はここにいるということなので毛布を」
一番嵩張ったそれを渡す。
「それは助かるが、こんなところで使って大丈夫か?」
地面を引きずられてもうそれを聞いたところで手遅れな気はするが。
「一番古いのを持ってきました。王子様にもらう大銀貨三枚で新しいのを買います」
「思っていたんだが、やっぱり安くないか?」
「妥当だと言ったじゃないですか」
「現実的だと言ったんだ。あまり高い金額を言われても冗談だと受け取ったがその金額だと俺は請求されている気になる。村人相手でましてや趣味だと言うならそのくらいが妥当な金額なのかもしれないとも思うが」
大銀貨一枚はサクラの感覚では千円札一枚だ。確かに相当安い。しかし薬は手作りだし材料は自然採取だしあのときは完治する治療ではなくあくまで手当てをしたという感覚だった。
「気にしないでください。趣味の範囲でしたことなので後から金額を上げる気はありません。医者を名乗るようなことがあればそのときは金額を上げるかもしれませんが」
「……そういうことなら」
「火傷の手当てもしましょうか?」
リュックを下ろして、家から持ってきた薬を取り出す。
「いいのか?」
「……それはどういう意図で聞いてますか」
「お前がいいならいいんだ」
「得体の知れない力を使われるかもしれないと危惧するならもちろんやめますが」
「俺がそれを言うわけがないだろう」
右手を差し出されるので、サクラはケースの蓋を開けて中の軟膏を指に取るとそれをロキの手のひらに塗る。
「魔法ですか?」
「ああ」
「魔法でできた火傷に試したことはないんですが」
「普通の火でできた火傷と同じだろう」
「だといいんですが」
「すごい染み渡ってる感じがする」
軟膏が塗られた自分の手をまじまじと見てそんなことを言う。
「そういうものじゃないですよ。スースーしたりもしないはずですが」
「いやそういうのではなく」
「プラシーボ効果でしょうか。王子様そういうの効かなさそうな人だと思いましたが」
「……なんだ?」
「小麦粉を粉薬だと偽って渡したのに症状が改善されたりする効果のことです」
「思い込みか」
「でも実際に治ることもありますからただの気分の問題でもないです。だから私は神殿で祈ってくれたりするのもバカにはできないと思っています。この世界には魔法がありますから、魔導士が呪文を唱えて治りますよって言ったり、巫女が占ってあなたの病気はこれからよくなっていくと出ていますと言ったり、そういうのにも前世より意味があると思います。もちろん効果があると断言できるようなものではありませんが、それだけでよくなる可能性があるのも確かなので、やる意味はあるかと」
「信じる者は救われる、という考え方か。そういう考え方はバカにする者も多いが、お前にそう説明されるとバカにする気にはならないな」
「魔法があるような世界でもそういうものですか」
「治癒魔法はない。神に会ったこともない。妖精は、いるらしいが」
「ドラゴンとかはいないんですか?」
定番のそれを聞いたら、不思議そうな顔をされる。
「普通にいるが」
「……普通にいるんですね」
それが普通なのだから、サクラの衝撃は当然理解できるはずもない。
「まだお前はこれから十分この世界を楽しめそうだな」
少し楽しげに言われたその言葉に、サクラは目を丸くする。
「そう、ですね。ほとんどこの村から出たことがないですし、医学書や植物図鑑、基礎的な魔法の本は何冊かもらったことがありますが、この世界のことはまだまだ知らないことばかりです。いつか旅をしてみたいという心境になってきました」
「ああ……お前意外に保守的だからな。魔法がある世界を楽しいとか言う割に異世界を探検したいとかは思わなかったのか」
「そう簡単に旅なんてできないじゃないですか」
「そういうものか。ならやはり互いに憧れ羨ましがるものなんだな」
「隣の芝生は青いって言いますしね」
「……お前大丈夫か? 俺相手への気にしないので慣れたら他の人に対してもぽろぽろこぼすぞ」
「言わないんですか!? 一石二鳥は言うのに!?」
「一石二鳥しか一致してないだろ、被ってるのは少数だという認識になれよ」
「……そんな、一石二鳥フェイクだ」
「変な名前を付けるな。それでどういう意味なんだ?」
「自分のものより人のものの方がよく見えるって意味です。たぶん」
「確かにそういうものなのかもしれないな」
なんだか昨日から同じようなやり取りをぐるぐると繰り返している気がするなとサクラは思ったがそれには触れないことにした。なんだか進むべき正しい道は見えているのに拒否して違う道に行こうとしても正しい道の前に戻される、そんな変な感覚を持ってしまった。
そういう運命、いや天啓があるような人間なら本当にそうなのかもしれないが、サクラの頭の中にあったのはそういうことではなかった。それが正しい道だと思った、単純に、それが答えなのだろうと。だからそんな変な感覚が生まれたのだろうと。天啓に思考を支配されているわけでもそういう特別な人間だからでもなく、単純にそういうことなのだろうと。
「火傷は軽かったと思いますが、どうですか治りましたか?」
“すごく”軽かったとは言わなかったが、程度の認識は共通だろう。しかしだからといってこんなにすぐ治るはずはない。なぜか昨日お腹の怪我が短時間で治ったことを治癒魔法と称したロキに、サクラは冗談でそんなことを言った。
その冗談に対して特に何という反応はなくただ問われたことに対して確かめたというようにロキは手を見た。
「ああ、そうだな、治っている」
「……は?」
ぽかんとした顔になった。そしてそんな声が出た。
「痛みももうない」
「そんなバカな!? いくら軽かったとは言っても痛みはまだ……」
手首を掴んで凝視したサクラは、しばらく無言のまま手のひらに視線を落とし続け、そして力が入らなくなったかのようにロキの手首を掴んでいたその手を放した。
「よければ村人の治療の様子を見せてもらえないか。俺ならどのくらいの魔力の持ち主かわかる。治癒速度と比例しているか確かめられるかもしれない」
「……私は構いませんが、王子様はみんなの前に出て大丈夫ですか?」
「俺をロキ・アマルテアだとわかる者がいるとは思えないが、普通の旅人には見えないだろうしな、ローブのようなものがあれば借りたい」
「マントならありますよ」
「ではそれを」
「……朝ご飯にパンを持ってきたんですが、食べますか?」
「すまないな」
「……肩の怪我も、薬、塗りましょうか」
「頼む」
「…………」
「もう少し楽観的に喜んでいいんじゃないか?」
「……簡単に言いますね」
「とてもそう思えないようなことを楽観的に受け入れているやつだからだ。お前はそういう強いやつだろう」
「そう思いますか」
「ああ、そう思う」
「なんだかそう思えてきました」
ロキは思わず笑いが声に出た。
「そんな単純だって言い方あります!?」
「無事に励ませてよかったと安堵したんだ」
「どこがですか!?」
「だがまあ、俺以外には言わない方がいいだろう」
「言いませんよこんなこと。王子様の方の要因かもしれませんし、そもそも誰も信じません。前世のことを信じたから何か特別な力があるのかもしれないと王子様は思うのかもしれませんが、他の人にとってはただの村娘が頭のおかしなことを言いだしたようにしか見えません」
「それもそうだが、俺以外にも効果があるのなら誰だってお前を欲しがる。優秀な医者と治癒魔法の使い手では全く意味が変わってくる」
「……やっぱり私もっと平穏な特別がよかったんですが」
「俺の薬師になってくれるならオレが守るが」
「アマルテアのじゃなかったんですか」
「独り占めしようとは思っていない」
「王子様専属とか絶対嫌ですよ。危険になったらどうせ私が盾になる未来が見えます。どうせなら騎士とかがいいです」
「……どういう方向の不満だ」
「それに魔力が空の人に守るとか言われても」
「…………」