出会い
前世を思い出して早十年、今世の私が生きているのが一度目の生の未来ではなくいわゆる異世界というものだったために自分の特別性に期待に胸を逸らせ十年。
魔法がある世界だったが私の魔力は普通だった。多くもなく、かといって一切ないということもなく、あくまで普通。
王族、なんてこともなく、何なら貴族とかでもなく、町のお金持ちでもなく、田舎の地主とかでもなく、まあ特別貧乏でもなかったが、田舎の普通の家だった。ちなみに前世の私も田舎の生まれだ。今世は都会、という違いくらい欲しかった。
両親は健在、何よりである。しかし実はという展開がないということでもある。いや何よりだけども。今更実はという展開が来てももう、ただただ悲しいだけだけれども。
あと地味に悲しかったのが運動神経も普通だったこと。前世も普通だった。ちょっと苦手な部分もあったけど、ちょっと得意な部分もあったから、総合すると普通だった。運動神経がいい人にちょっと憧れがあったけど、残念ながら今世も普通だった。まあ体育の授業も部活もないので発揮される機会などないのだけど。でもすごく得意だったら剣や弓をしたかった。だって異世界っぽい。
そんな私の唯一の特別性、それは瞳の色がピンクだったこと。そう、桃色。どうせなら金髪碧眼のお姫様のような容姿が欲しかったと思わないこともないが、前世の価値観が今もまだ根強い私からすると茶髪にピンクの瞳は十分特別だ。それに今世でも茶髪はありふれているが、赤や青や緑の髪や瞳の人も普通にいるこの世界でもピンクの瞳はそんなに多い色ではない。何より私の名前はサクラ、前世と変わらずサクラという名で今世ピンクの瞳に生まれたのだから感動もするというものだ。さっき桃色と言ってしまったが。桜色というより桃色だが。そこは些細な違いである。
そうしてこうして、魔法があるという特別性はこの世界の人間に等しく平等であるため普通の魔力で小さな魔法を覚えては楽しんで早十年、村の近くの山で趣味の薬草を摘んでいたら、諦めていた特別が降ってきたわけである。いや倒れていたというわけである。
「……私が望んでいた特別はこういうのじゃないんだけど」
山の中に倒れていた男性に対してのサクラの第一声がそれである。
どう見てもその辺の村人ではない装いに、意識を失っているようなのに未だ握られたままの剣。側に落ちていた鞘を見て、サクラは思わず天を仰いだ。隣国の王家の紋章だった。
心の中で先ほど口に出した言葉がもう一度再生された。危険と特別は表裏一体ということだろうか。もっと穏やかな特別で十分満足なのだが。しかし見てみぬふりはさすがにできない。隣国とは争っている仲でもない。
***
外はもう真っ暗という時間、一つのランプの灯だけで照らされた洞窟で、苦しげにしかめられた顔に視線を落としたそのとき、男性の瞳が開き、バチッと目が合うと、サクラはまず初めにかける言葉に迷ってとりあえず敵ではない、傷は手当てしたと安心させるように微笑んだ。
一瞬の間が生まれたが、ハッとしたように体を起こしておそらく無意識で剣を探すように左手がさまよった。警戒はされたが、手当てされて拘束もされていないという状況を理解してか、敵意のようなものはすぐに消えて困惑の表情が浮かぶ。
「私も状況はまったくわからないんですが、倒れていたのでとりあえず助けました」
「……とりあえず」
「アマルテア王国の方ですか?」
紋章を見えるように剣を持ち、そう思った根拠を示しながらそう尋ねる。
「……ああ」
「私は隣国、ヘルシリア王国のその辺の村人です」
「おい、自己紹介が雑だな」
思わずそんな言葉を返してしまった。
「村の名前を言ってもわからないかと思って。そういうわけで敵意などはないのですが、信じていただけたならこの剣は返します」
「返した途端俺が斬りかかるという心配は」
「あなたは王子様でしょう?」
「…………」
肯定しない意味もないとは思いながら、それでも沈黙を返した。そして沈黙は肯定と受け取られる。
「ではそんなことを心配したところで無意味では? あなたに殺意があれば剣などなくても、今逃げることができても、私は殺されます。あなたが王子で、私が村人である限り」
「その剣で先にお前が斬れば、お前は誰にも殺されない。王子殺しを知る者は誰もいないのだから」
極端な考えだ。そんな発想になって行動に移す者などまずいないだろう。しかしそれを発言したのは、先に相手が王子ならと言ったから、村人だからと言ったから。だから、ついそんな言葉が口を滑った。
「ならそもそも助けません」
「……そんなことはわかっている。だから俺は今警戒していない」
「ではそんな嫌味な言葉を投げかけないで素直に感謝してほしいものですね」
「……俺が助けてくれたお前を信用する理由はあっても、お前に俺が斬りかからない信用をする理由がないという話だ」
「めんどくさい人ですね」
「なっ……」
その物言いにわずかに目を見開く。王子だろうと言っておいてその発言だ。
「アマルテアとヘルシリアは争っている仲でもなければ、あなたがいかにも怪しいスパイのような人で私が家に力のありそうなお嬢様ならともかく、私は今そんなに呑気に剣を返そうとしていますか? あなたは王子様でも私は村人なんですよ。そんな世の中疑いまくって生きてません。そんなに言うなら私を斬らないと誓って剣を受け取ってください。一応恩人なわけですから、誓ってくださってもいいですよね? 私に傷一つ付けないと」
「……お前、仮にも王族に対して誓えとは」
「じゃあこんなこと言ってないでさっさと受け取って――ありがと、お礼は金貨でいい?――とか言っといてください」
「……お前の中の王族はどういうイメージだ」
王子の手が伸びてきて、サクラは両手で恭しく持ったままの剣を差し出す。
右手が剣を掴んで、サクラはその手を放すが、王子の左手に右手を掴まれて引き留められた。気付けば王子は左膝をつき、それはまるで跪くかのような姿勢で少し焦るが、視線が合わさった瞳のその色に引き込まれて手を引っ込めることも何か言葉を音にすることもできなかった。
瞳が伏せられてやっとハッとするが、持ったままの手の甲に口付けられ、今度はぽかんとして手は引っ込められないままそこに置かれる。
「アマルテア王家と王国の民、そして私を守護するすべてのものに、ロキ・アマルテアはその生涯においてこの者に一切の傷を与えないことを誓う」
顔を上げてぽかんとしたサクラを見ておかしそうにフッと笑うと、剣を持ったまま寝転がる。
「体がずいぶん軽くなっている。どうやら俺はそんなに運は悪くなかったようだ。その辺の村娘ではなく刀傷を治療できる者に拾われるとは」
「いえ、治療ってほどのことは」
「ありがとう、礼には金貨を何枚用意すればいい?」
少し空気を崩したその雰囲気に、サクラは初めてそういえば王子は同い年くらいだっただろうかとそんな感想を持ち、悪戯めいた言い方に笑う。
「では大銀貨三枚を」
「それは、ずいぶん現実的な金額な気がするが」
「そうですか? 王子様はきっとお金持ちだろうからだいぶふっかけたつもりですが」
「……本人を前に言うなよ。しかし王子相手と言うなら大金貨三枚くらい要求したらどうだ」
「……そんなお金急に手に入れてただの村娘にどうしろとおっしゃるんですか。領主の家に盗みにでも入ったのかと疑われます」
「領主の家に盗みに入れるような娘なのか。部下に欲しい手練れだな」
「王子様がそんなに冗談がお好きな方だとは思いませんでした」
「そうだろうな、俺も今知った」
そんなことを言うロキにサクラは水で濡らした布を雑に額に乗せる。
「性格ではない冗談を口にするなんて熱が出ているのでは。さっさとお休みください」
「この状況で寝られるわけがないだろう。いやお前を疑っているわけではないぞ。だがお前にもわかるだろ」
他国の王子が山の中で倒れている状況が普通ではないことくらい、サクラにも、いや誰にだってわかる。
「私はそちらの話を聞きたくありませんので、こちらの今に至る経緯くらいならお話ししますが」
「……王子だなんだと言ってくる割にそういう自衛はするのか」
「王家の紋章が刻まれた剣なんて持ち歩かないでください」
「身分を隠している道中などではなかったんだ」
「……やめてください知りたくないです」
「……見捨てればよかっただろう」
「見捨てるのはそれはそれで不敬罪ものかなと」
「嘘でも善意とは言わないんだな」
「善意ですよ。私は人助けをしたつもりでいます。お金を頂けば、問題には関わりたくないと言えば、あなたを助けたこの善は嘘になりますか?」
ロキは額に雑に乗せられた布を取り去って視界を開けさせると、その逸らされることのないピンクの瞳を真っすぐ見る。
「いいや、嘘になるはずがない。少なくとも、俺が感謝をしている限りは」
「熱が出ているんだから取らないでください」
「出ていない、邪魔だ」
「創傷は浅かったですが、熱は出ますよ」
「……やめろ予言めいて聞こえる、本当に出そうだ」
冗談めいた言い方ではないサクラにロキは顔をしかめる。
「寝ないんですか? ちなみに私は寝ている間何があっても守りますと言えるような能力はまったく持っていないただの村娘です」
「……それを言われてどうやって寝ろと」
「王子様こそ呑気じゃないですか?」
「ヘルシリアに入った段階で少し安心はしている。だがどこかに助けを求める前に力尽きた」
「なるほど、だから国境すぐ近くのここに」
「俺が倒れてから……を聞いても意味はないのか。意識を失った日にお前に拾われたとは限らない」
「その日だと思いますが。医術があるわけでも戦場を知るわけでもないのではっきりとは言えませんが、あなたが通ってきた跡だと思われる血が渇いていませんでしたから」
「……医術がない?」
「あると思いますか? こんな歳の娘に」
「思えば、そうだな。では親か? それとも村の医者に診せてお前は看病を?」
「いいえ、誰にも王子様のことは。親には怪我人が山に倒れていたので今夜は看病するために山に泊まると言ってきましたが、それが王家の紋章の入った剣を持つ方とは。それに私の村に医者はいません」
「……よく親は許したな」
「この辺りは盗賊が出るなんて話もないですしね。ここは村の人でも知っている人が少ないですし、風邪を引くような季節でもないですし」
「ここは、洞窟のようだが」
「ええ、私の秘密基地です」
サクラは笑ってそう言うが理解できていないという顔をされる。
「……お前何歳だ」
「失礼ですね、十六歳ですよ。いいじゃないですか、たまには童心に返ってこういうところで時間を過ごしたいときもあるんです」
「女もこういう遊びをするのか」
「王子様もされました?」
「……十年以上前に、したことはあるな」
「ロキ様といえば、三男でいらっしゃいますよね? 十、九歳でしたか?」
「ああ」
「しかし噂とはあてにならないものですね」
「アマルテアの三男にいったいどんな噂が?」
いい噂は期待していないというように鼻で笑うように言われる。
「魔力は歴代でも指折りだがお二人のお兄様とは違って平凡な容姿をされていると」
「なんだそんなことか。合っている方の噂じゃないか」
そう言ったら顔を近付けて凝視され、下がる後ろなどないのにロキは思わず後ろに下がろうとした。
「……これで平凡、王族の基準とは。それともアマルテアの基準が? いやでもたまに見かけるアマルテアの人たちはヘルシリアとそんなに違いはないような。お兄様方は神のような容姿であらせられるとでも?」
「……顔は兄弟で似ていると言われる。兄はそんな後光を放つような容姿はしてない」
その言葉にサクラは元の距離に戻って首を傾げる。
「ではどうしてロキ様だけ平凡だと?」
「色だ」
「お兄様は黒ではないんですか?」
「銀の髪に金の瞳だ」
「……銀の髪も金の瞳も珍しいだけで探せば他にもいると思いますが」
「だから容姿がいいんだろ。それに探さないといない」
「兄弟で顔は似ているとついさっきご自分で言いましたが」
「民が王族の顔なんてはっきり知るか。民の間の噂だろう。銀髪と黒髪、金眼と黒眼だけ比較して、魔力は高いがという言葉に続く言葉としてそう言われる」
「確かに黒髪はたくさんいますね。私の村にもその辺にいます」
「……だから平凡だと」
「ですが黒い瞳はとても珍しいんじゃないですか? 田舎娘なので都会にいけばその辺にいると言われてしまえばそうなのかと驚く他ありませんが」
「……都会に行くまでもなく黒眼もその辺にいるだろう」
「それは茶色です」
「茶はもっと明るい……」
「みんなが普段黒だと言っているのは焦げ茶ですよ。太陽の下で見れば違いがすぐわかります。あなたのような真っ黒な色の瞳を持つ人を私は他に知りません。それともこの世界では黒曜石のような色の瞳は平凡なのですか?」
「…………」
「思い当たる節がおありのようですね。ではやはりあなたは特別な人です」
少し瞳を揺らしたロキにサクラは笑ってそう言うと、摘んだままの状態で放置していた薬草にやっと手を伸ばす。