転生王子は恋をし空回る
ティアラ嬢が、突然叫んだ。
そして――なぜか続けざまに頬を打たれた。
青空に小気味のよい平手の音が吸い込まれていく。
俺は痛む頬もそのままに、ティアラ嬢を見つめたままになってしまう。
……驚きすぎて身動きが取れなかったんだよ!
強気系美少女の平手なんてご褒美でしかない……と言いたいけれど、これが結構痛い。
周囲にいるメイドや侍従たちは、何事が起きたのかとハラハラしながらこちらを見守っている。王族に無礼を働いたティアラ嬢を取り押さえようと数人の騎士がこちらに向かおうとしたけれど、俺はさっと手を上げてそれを制止した。
――ティアラ嬢が、泣きそうな顔をしていたから。
「申し訳、ありません」
小さな声で謝罪が零れ、緑色の綺麗な瞳が潤んで涙が溢れそうになる。
ああ、泣きそうな顔も可愛いな。先ほど、急に俺が距離を詰めたのでびっくりして叩いたのだろう。
この世界の貞操観念は前世の世界よりも堅いものだ。……俺に言い寄ってくる女たちの貞操観念は、うすうすっぽいが。少なくとも表向きは堅い。
公爵家のご令嬢ともなれば男性との接触が他の令嬢よりも少なく、その傾向はより強いのだろう。
――そうでも思っていないと、俺の心が砕ける。
「ティアラ嬢。怒っていないから泣かないでくれ」
囁きながら怖がらせないようにそっと距離を取ると、すがるような視線が俺を追ってきた。
「シオン王子……」
「淑女と距離を詰めすぎた俺が悪かった。これからはきちんとした距離感を心がけるから。……また会おう」
そう言いながらそっと絹のハンカチを差し出すと、ティアラ嬢は少し躊躇したようだったけれどそれを受け取ってくれた。
本当は涙を拭ってあげたかったが、俺はヘタレなのだ。
また拒絶されたらと思うとそんなことはできなかった。
「……本当に、怒っていません?」
ティアラ嬢はハンカチをぎゅっと小さな手で握りしめて、おずおずと上目遣いで訊ねてくる。
――くっっっそ、可愛いかよ!
なんですか、その小動物のような仕草は! 俺を殺す気ですか! 百点満点を五兆回あげたい!
抱きしめたい。抱きしめて思い切りスハスハと空気を吸い込みたいがそんなことをすればまた怖がらせてしまう。
俺は少し深呼吸をして、荒ぶる俺の中の欲望を押し込めた。
「……怒ってないよ」
そして優しく微笑んでみせると、ティアラ嬢の表情がほっとゆるみ……
「ありがとう、ございます」
小さな花が咲くような笑顔がその美しいかんばせに浮かんだ。
他人行儀なものではない、おそらく彼女の本当の笑顔だ。
その笑顔を見て動悸が激しくなった。可愛い、可愛い……
俺の嫁が、死ぬほど可愛い。
――俺は心の中で喝采を上げながらガッツポーズをした。
☆
俺からしてみれば可愛い婚約者に出会えて『最高』の日だと思ったティアラ嬢との顔合わせだったが。周囲の人々はそういう風には、捉えなかったらしい。
とある噂が王宮のみならず、社交界をも駆け巡るようになったのだ。
――セイヤーズ公爵家のティアラ嬢は、真摯に尽くしたシオン王子の頬を打つ無礼者だ。
――名誉ある王族専用の庭園へのお誘いも断ったらしい。
――王子に無礼な口もきいていたとか。
『ティアラ嬢は王子の婚約者にはふさわしくない』
あることないことの噂の締めは、いつもそれで終わるのだ。
王宮に仕える者たちは貴族家の者ばかりである。噂好きでいつも誰かを蹴落としたがっている彼らの口に蓋をするのは難しいことではあるが、こんな噂が流れる前に対処できなかったものかと俺は後悔した。
そしてこんな噂が流れたものだから婚約をしたのにも関わらず、俺の周囲から女性たちが消えなかった。
……むしろ増えている。
なんだテメーらは、雨後の筍かなんかか。どっから生えてきてんだよ!
偶然を装っているつもりらしいが、遭遇率が高すぎるんだよ!
婚約者に『ふさわしくない』ティアラ嬢相手ならば寝取れると踏んでいるようだが。
なに言ってんだ、俺のティアたんくそ可愛いわ、ボケ!
前世の知識フル稼働で頑張ってしまったせいか俺には『デキる』という無駄な評価がくっついている。王太子教育の上に本格的な公務も重ねられ、俺は多忙を極めていた。
その上移動中やら休憩中やらに『偶然』令嬢たちと顔を合わせることになるので、ストレスが本当に溜まる。
しかも俺の天使、ティアたんとはあの顔合わせ以来会っていない。
薔薇やプレゼントは定期的に送っているのだが彼女からはそっけない文面のお礼状が一枚届くだけ。綺麗な彼女の文字を見ているだけでも幸せなのだが、やはり実物に会いたい。
そして今日はようやくティアラ嬢に会える日だ。あの顔合わせから数えて実に二ヶ月ぶりである。
彼女にもあの噂が聞こえているだろうから、少しでもフォローができればいいのだが……
「ごきげんよう、シオン王子。先日は本当に失礼いたしました」
先日の愛らしい涙目はどこへやら。ティアラ嬢は凛とした態度で俺に挨拶をした。
今日は王宮の客間で彼女と二人きりだ。と言っても部屋の中にはメイドと従者が二人、外には騎士が二人いるのだが……ヤツらのことは空気だと思うことにする。
なんでデートも二人きりでできないんだ! とは思うのだが、やんごとなき身分というのはそういうものらしい。
「いや、涙目のティアラ嬢は可愛かったから。なにも失礼ではなかったかな」
「は……か、かわ?! なっ! なにが涙目ですか!」
ティアラ嬢は険のある口調で言うと、上目遣いで俺を睨みつけた。
うん、真正面から睨むのには身長が足りないんだよね。可愛いなぁ、さすが俺のティアたん。
「そもそもは王子の距離が近すぎるのがいけないのです! 婚約者とはいえ適切な距離感は大事です」
「うん、そうだね」
だから今回は反省して、ティアラ嬢とテーブルで向かい合わせである。
これはこれで可愛いお顔がよく見えていいのだけど。席に着いた後も、ティアたんはぷくぷくと頬を膨らませて怒っている。ああ、可愛い。怒ってても可愛いとか天使かな。
「それと、プレゼントのことなのですが。毎週のように送られましても……。あれは国庫からの支出ですよね。国民の血税をなんだと思っているのです」
「……ティアが喜ぶと思ったから。それにあれは俺の私財だよ。魔法関係の研究で生じたものから出しているんだ」
プレゼントをすればティアラ嬢が喜ぶと思ったのだけど……違うのだな。
読み違えてしまった自分自身になんだか落ち込む。
お付き合いの経験がない俺に女の子の喜ぶことを考えるのは難しすぎる。
「そうなんですか……って。ティ、ティア!?」
心の中でたまに呼んでいた愛称がぽろりと出てしまったらしい。
ティアラ嬢は顔を真っ赤にした後に、わなわなと震えながら口を開いた。
「そういうのがダメだと言っているのです! プレゼントは必要ありませんし、許可なく愛称で呼ばないでくださいませ!」
そう叫んでティアラ嬢はうつむいてしまった。
……俺はまた、やらかしてしまったらしい。
空回る王子と内心冷や汗だらだらのティアラさん(´・ω・`)