涼花、ダメ男と初めて出会う。その2
2023年6月某日、札幌市内某所に所在するカトリック系幼稚園では長沼町にあるハイジ牧場へのお泊まり会に向けて着々と準備が進められていた。
幼稚園の玄関前の駐車場には学園専属の運転手が運転する大型バスが3台停車しており、各クラスの園児たちが1クラスに1台そのバスに乗るというかたちになっている。
一方で真島神父と雅司は園長先生の顔馴染みで真島神父が担当する教会の信者であるドライバー30年の個人タクシー会社の社長さんが運転するロンドンタクシーに搭乗して、学園専属の運転手が運転する3台の大型バスが発進してから、長沼町のハイジ牧場へと向かったのである。
シスター紫子は横山涼花ちゃんをはじめとした自分が受け持つクラスの園児たち全員をそれぞれ指定されていた座席に着席させてから、全員座席に着いたことを確認してから学園専属の運転手に発進していいことを伝えた。
それから10分ほどして園児達を乗せた長距離バスは長沼町のハイジ牧場へと向かって幼稚園を出発した。
その頃雅司と真島神父はドライバー歴30年の個人タクシー会社の社長さんが運転するロンドンタクシーの後部座席に腰掛けて長沼町へと向かう間中上健次の短編集『19歳の地図』と遠藤周作の歴史小説『沈黙』に二人それぞれ目を通すことになったのである。
その一週間後の木曜日、幼稚園の玄関前ではシスター紫子が真島神父と雅司がやってくるのを今か今かと待ち続けていた。
頭に麦わら帽子を被り修道服姿のシスター紫子は真島神父と雅司がやってくるの前に幼稚園の入り口で園児たちをバスに乗せる作業を手際よく行っていた。
園児たちのなかにはあの横山涼花ちゃんもいるではないか。
お泊り会ということもあって前日に自分自身で用意した寝巻などが入った兎のサンリオキャラクターのイラストがデザインされエゾナキウサギのキャラクターのキーホルダーをつけた大きい袋を左肩にかけた三つ編みおさげの涼花ちゃんはあらかじめ決まっていた窓側の座席に腰かけた。
涼花ちゃんの隣の席には長い黒髪を後ろで一つに纏めた古武士然とした6歳ぐらいの女の子が両腕を組みながら座っていた。
窓際の席に腰かけていた涼花ちゃんは、その女の子にこう話しかける。
「ねえ歳三ちゃん、この前の「榎本武揚」見た?」
隣の席で両腕を組みながら座っている歳三ちゃんという名前のその女の子は涼花ちゃんと親しい間柄なのか、毎週日曜日の夕方の時間に絶賛放送中の大河ドラマ「榎本武揚」で主演の生島遼太が演じる榎本武揚が蝦夷政府軍を率いて箱館・五稜郭に立てこもって、林海人演じる土方歳三とともに新政府軍との全面戦争に突入する回で二人一緒に盛り上がっていた。
通路側の座席で両腕を組みながら座っている歳三ちゃんがこう話す。
「もちろん見たとも。土方歳三が馬にまたがりながら「我この柵にありて、退く者を斬る!」と叫んで五稜郭の一本木関門を守り抜くシーンが実に素晴らしかった。」
それを聞いた涼花ちゃんもその大河ドラマ「榎本武揚」の一番の見どころである箱館・五稜郭の戦いが面白かったのか幼稚園バスが長沼町のハイジ牧場へ向かって発車するまでの間、今度は涼花ちゃんの方から生島遼太演じる榎本武揚が蝦夷政府軍を率いて最後まで新政府軍に抵抗する場面についての率直な感想を通路側の座席で両腕を組みながら座っている歳三ちゃんに語りだした。
「私は榎本武揚が新政府軍の総攻撃に耐えながら最後まで五稜郭に籠城し続ける場面を見て強者に屈することなくどんなことでも決して筋を曲げることをしない彼の姿勢に共鳴したの。」
それから涼花ちゃんと歳三ちゃんは今年度の大河ドラマ「榎本武揚」の今後の展開から更には自由民権運動を主導した明治期の大政治家板垣退助をテーマにした来年度の大河ドラマ「われ死すとも、自由は死せず」の話題にまで及んでいった。
「箱館戦争に敗れて新政府軍に投降することになった榎本は、中浜万次郎の私塾やオランダ留学などで培ってきた学識や政治的才能が惜しまれて黒田清隆や福沢諭吉の助けを受けて、新政府の役人として活躍していくという展開になっていくのだな?」
「そう。榎本は三年ほど牢屋で過ごしてから明治政府に仕えることになって北海道開拓使長官から第2代内閣総理大臣になった黒田清隆のもとで開拓使の四等官として鉱山などの資源調査を行った後、外交官に転じて駐露特命全権公使として当時のロシア帝国の首都であったサンクトペテルブルグに赴いて樺太千島交換条約を締結させるのに一役買ったのよ。それからは文部大臣や外務大臣、農商務大臣などを歴任して子爵の地位も与えられたのよ。」
「それはますます面白くなっていきそうだな。ところで来年の1月からは板垣退助という明治の時代に活躍した政治家についてやるらしいぞ。」
「土佐藩、今の高知県の出身で同郷の谷千城や毛利吉盛、さらには旧薩摩藩、現在の鹿児島県出身の大久保利通や西郷隆盛らとともに倒幕運動に参加してから明治時代の初めにわが国最初の政党となった自由党を結成して自由民権運動に指導的な役割を担ってきた人物ね。1882(明治15)年に岐阜で演説中暴漢に襲われたとき、“板垣死すとも自由は死せず”と叫んだのは有名な話よ。」
「そうとなれば、来年も見逃すことができないな。」
「もちろん私も来年の夜7時からはその“われ死すとも自由は死せず”を毎週欠かさず見ることにするわ。」
そうやって二人で和気あいあいと話が盛り上がっているところに、反対側の座席から一人の元気そうな男の子がいきなりちょっかいを出してきた。
「おーい、涼花 また、今日も仲良しの侍女と大河ドラマとかテレビの時代劇の話かよ。なんか年寄りみたいだぞ。」
それを直接聞いていたのか、通路側の座席に両腕を組ながら腰かけていた侍女ー長倉歳三ちゃんか目と鼻の先にいたその男の子に対して6歳の幼稚園児とは思えない物言いでこう叱りつけた。
「二階堂、貴様この長倉歳三とその親友である横山涼花が親しく語り合っているこの時に水を差すとは何事か!頭が高いぞ無礼者めが!」
侍女ー長倉歳三ちゃんが放った時代劇風の物言いに怯むことなく二階堂君もこう言い返した。
「大体大河ドラマや時代劇なんて俺のじいちゃんや婆ちゃんでも見ていないぞ。そんなつまらない大河ドラマや時代劇なんかより“常勝戦隊ビクトリーV”や“特務警察ナイトブレイブ”のほうが数百倍面白いぞ。」
二階堂君たちシスター紫子の受け持つクラスの男の子たちは、大河ドラマ「榎本武揚」と同じ日曜日の朝の時間帯に絶賛放送中の二大特撮番組「常勝戦隊ビクトリー5」と「特装警察ナイトブレイブ」の話に熱が入り込んでいた。
「おい、悟史、芳明、こないだのビクトリーレッドとワルギアス帝国のラフォルグ中隊長との一騎討ちバトル見たか?」
「もちろん見たぞ。ビクトリーレッドに変身できなくなくなった両一とあのギザでイヤミなラフォルグ中隊長がお互いに向かい合ってボロボロになりながら勝負するとこがスゲー面白かったぜ。」
「最後に大帝ヒンデンブルクに呼び止められたラフォルグ中隊長が格好つけて今回の勝負はここでおあずけだ。私に勝利の女神が微笑むその日までいつ何時とも勝負しようとなんて変なセリフを両一に残してその場を去っていったんだろ。結局どっちが勝利したかわからなかったよな。」
「それで来週からは、アメリカのワシントンから来たビクトリーユナイテッドというのがビクトリーレンジャーの新しい仲間として加わるんだぜ。」
「特装警察ナイトブレイブでもイギリスのスコットランドヤードからアラン・ジョン・パーシヴァル・デュアーとヴェロニカ・シシリー・ゲイツケルという新しい刑事がやってくるんだって。」
「そう言えば敵のチャイニーズマフィア華龍のボスであるシェイ・ケンミンと手下のヤン・ホウライとチェン・ヨンキーがナイトブレイブの超必殺合体技ジャスティス・オブ・ザ・バーストで三人一緒に倒されたの見たか?伸之?」
「あのシーンテレビの画面から飛び出るくらい迫力満点だったぜ。ナイトブレイブの超必殺合体技ジャスティス・オブ・ザ・バーストによって吹き飛ばされたケンミンとホウライとヨンキーの三人組が新しく華龍のボスとなったイーロン・クオックに組織をまるごと乗っ取られしまって信頼していた手下たちもイーロンの側につくことになり挙げ句の果てにはパンツ一丁にされてからイーロンにあんた達のやり方ははっきり言って時代遅れなんだよと吐き捨てられるシーンが印象的だったな。」
「しかもナイトブレイブのジャスティス・オブ・ザ・バーストに吹っ飛ばされて三人ともイーロンの部下たちにパンツ一丁にされてしまってからしばらくしてホウライが小籠包の刑に処せられてしまうシーンに思わず笑ってしまったぜ!」
「それから前回、前々回に続いて今回もあの移動交番車のお巡りさん大活躍だったよな。」
そんなこんなで二階堂君をはじめとした男の子たちがビクトリーファイブやナイトブレイブの話しで盛り上がっているなか涼花ちゃんと歳三ちゃんのひとつ後ろの通路側の座席に腰かけていたショートカットヘアスタイルの6歳ぐらいの女の子が普段から涼花ちゃんや歳三ちゃんと仲が良いからなのかこの二人を擁護するかたちでもうじき幼稚園のバスが発車するので二階堂君たちを叱るようにこう注意を促した。
「ちょっとあんたたち、自分たちの好きなテレビ番組で話が盛り上がったりするのは悪いことじゃないけれど、周りの迷惑を顧みなかったり人がお話をしている時にいきなりちょっかいを出してきたりするのはいい加減にやめなさいよ。本当に分かっているの?」
その女の子の一つ前の通路側の座席に両腕を組ながら腰かけている歳三ちゃんも異口同音に口を揃えて右向かいの座席に座っている二階堂君をはじめとする男の子たちにこう諭した。
「そこの四人、醇の言うとおり今日この日に限って落ち着きがないとは何事か?貴様ら来年には小学校に上がるんだぞ!それなのにいつまでヒーロー番組の話ばかりしているんだ、少しは修養せんか!」
その様子を間近で見ていた涼花ちゃんは、こういうことか度々あるからなのか二階堂君をはじめとするクラスの男の子たちによるちょっかいから後ろの通路側の座席に座ってた醇ちゃんという名前のショートカットヘアスタイルの女の子とすぐ隣の座席で両腕を組んだまま腰かけていた歳三ちゃんにいつもありがとうと一言感謝の言葉を述べてから、後ろの通路側の座席に座っている醇ちゃんにこう話しかけた。
「そう言えば醇ちゃん、こないだ家族で洞爺湖へ旅行に行ったのよね。」
「うん、洞爺湖温泉町にある洞爺湖ビジターセンター火山科学館と有珠郡壮瞥町の昭和新山の麓にある三松正夫記念館に行ってから、そこに勤務しているお父さんの知り合いの人の案内で昭和新山火山村からロープウェイに乗って有珠山の山頂へと向かったの。ロープウェイを降りてからは洞爺湖展望台まで足を運んでその知り合いの人に写真を撮ってもらってからお父さん・お母さんとともに外輪山遊歩道を2時間くらい歩いたりして有珠山外輪山展望台にまで行ったんだから。洞爺湖展望台からの眺めも素晴らしかったけれどその有珠山外輪山展望台から一望できる洞爺湖と太平洋の絶景はまた一段と格別のものだったわ。」
醇ちゃんが家族で洞爺湖に旅行に言ったことを話してから、今度は涼花ちゃんが、家族とともに産婦人科医であり北海道史の研究家でもあった曾祖父か生前よく訪れていた北海道南部沙流郡にある平取町に行ってきたことを醇ちゃんに話した。
「私もこの前、おじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さん、あと妹の春華を連れて沙流郡の平取町という場所にある二風谷アイヌ資料館と二風谷アイヌ文化博物館に行ってきたの。私が生まれる3年前の2014年に亡くなったひいおじいさんがその二つの建物の創設者の人と知り合いだったらしいの。アイヌの民具や文化・歴史に関連した図書や視聴覚資料に触れたりアイヌの伝統的な木造式の住居である“チセ”の復元伝承家屋や竪穴住居なども体験してきたのよ。それなのに春華ったら私と一緒に竪穴住居に入った途端、私のすぐ目の前でいきなり大声を出して泣き出してしまったのよ。春華は5月でまだ3歳になったばかりだからあの竪穴住居が暗くて怖かったのね。それで私たちを案内してくれた眼鏡をかけて髭をたくわえた考古学者の先生が私と春華をつれておじいさん達の所に一緒に行ってくれたんだけどそんな時も春華は全く泣き止むことなく私がずっと慰め続けていたのよ。」
「それは涼花ちゃんも大変だったわね。春華ちゃん、普段はめったに泣くことなんかないのにね。」
「私も春華の扱いには慣れているから大丈夫よ。」
「さすがは涼花ちゃん。」