7.投擲
あるー日ぃ、森のーなかぁ。
くまさんにー……出遭ったー!
「めぇぇえええええええええっ!!」
「き、きゃぁあああああああああああっ!?」
走るー、走るー……走るー!!
足場は悪いし視界は悪いけど!
無作為に走り回ってたら、木の幹に激突必至だけど!!
そんなことは物ともせずに、メイちゃんただいま、爆・走・中—―――!!
え? なんで走ってるのかって?
そんなの勿論、野良ボス【ミルクティー色のテディベア】から逃げる為に決まってるよね!
より正確に言うと、野良ボスからリューク様達を逃がす為に走りまくってるんだよ!
だって今のリューク様達の実力で相対するのは、どう考えても厳しすぎる相手だし!?
そんな訳で私は現在、エステラちゃんを背中に乗っけて走っています。
いやぁ、羊姿のメイちゃん、中々のサイズ感で良かったよね!
華奢な女の子一人だったら余裕で運搬可能だよ!
これが華奢とはいえ立派な成人男性のスタインさんじゃこうはいかない。
絶対、はみ出る。足を引きずる自信、ある。
野良ボスから逃走だ! って考えた時、ネックになるなって思ったのが後衛のエステラちゃんとスタインさん。
同じ後衛でも、見た目は草食系でも、獣人性能で運動神経割と良い方のサラス君は元から除外するとして。エステラちゃんとスタインさんは身体能力的に全力疾走しても熊から逃げきれるとは思えなかったんだよ! 熊ってめちゃめちゃ足早いんだよ!? あの熊は熊に似て非なる魔物だけど、それでも足は速そうだしね! いや、バランスの悪そうな体型してるから、そうでもなさそう……?
まあ、エステラちゃんもスタインさんも何はともあれ足が遅そうだな、と。
若さとスタミナはエステラちゃんに分があるけど、2人のどっちかを運搬しようと考えた時、サイズ的にエステラちゃんを選ぶことにした。
決めた瞬間には、エステラちゃんの服をぐいっと口にくわえていて。
反動つけて空に跳ね上げ、落下地点に潜り込むよう、こう……ぽすっとね?
そして現在。
メイちゃんに無理やり担ぎ上げられて、エステラちゃんは私の背の上だよ!
いきなりメイちゃんが走り出したから、エステラちゃんもしがみつくしかなかったみたい。うん、狙ってやったことだけどね!
そんでもってメイちゃんがエステラちゃん搔っ攫って走り出せば、当然ながら他のお仲間さん達もメイちゃんを追ってくるしかない訳で。
「ちょ、止まれ! 止まれって……! 何このデジャヴュ?! 怪鳥の次は羊かよ!」
「なんでいきなり走りだしたんですか!?」
「……あの、熊の魔物に怯えて、か?」
「ははははは……強い魔物を前にした、本能的な行動でしょうか」
「いやでもさっきまで魔物でも構わず蹂躙してたろ、あの羊!?」
「そんなめーちゃんでも逃げ出すような、強者だったってことだろう。あの熊が」
わあっと慌てた様子でメイちゃん達の後を追ってくる『救世主ご一行』の皆々様。
しめしめ、目論見通りだよ!
いきなり仲間のか弱い美少女掻っ攫ってった羊さんを、彼らが放置できるはずないもんね!
さあさあみんな、メイちゃんを追ってくるが良いのだよ!
……熊さんまであとから追ってきてるけれども!
………………うん、追ってきてるけれども。
本当は、脱兎の如く逃げ出したメイちゃん達をそのまま見過ごしてくれたら、いちばんだったんだけど。
面子にリューク様がいる限り……ううん、『ゲーム』のメインキャラやっちゃうような恵まれた資質を持つ豪華な面々が揃っている時点で、見逃してくれるのはあり得なかったね。
魔物が人を襲う最大の理由は、人の持つ魔力を欲してっていうのが最大の理由なんだから。
予想した通り、追跡速度がそこまで早いって訳じゃないのが僅かな救いかな。
野生の、本物の熊さんの方がきっと速い。
あの体のパーツによって明らかに体のバランスがちぐはぐなことになっている体格は、どう見ても全力疾走での追跡に向いていない。特に肥大化した肩やら前腕やらが密集した木々にぶち当たっては速度を殺す。障害物だらけの場所では、活発な活動に向いていない体をしている。
あの熊さん、なんで森に出るのかな?
木々を単純な力だけで砕きながら進んでいるけれど。
勢いだけは凄まじく、きっと遠くから見たら森の中を土煙が移動していくように見えるはず。
どれだけ木々にぶち当たっても平然と追ってくる熊を見て、リューク様達もマズイと感じたのか。
最初はメイちゃんの行動に困惑と驚愕でいっぱいだったのが、次第に彼らも逃げるのを優先させるようになっていく。
わあ、リアルに戦闘からの退却ー。メイちゃん、『ゲーム』じゃほとんどしたことないよ。
森という乱立する障害物の中。
図体の大きく鈍重な魔物から逃げるには、有利なはずの立地。
だけど森には、悪路と『視界が悪い』という欠点があった。
特に土地勘のない場所では、それが無視のできない悪条件となる。
そんなことも気にしていられないぐらい、我武者羅に逃げてたんだけど。
我武者羅じゃ、駄目だった。
それを次の瞬間、強制的に突き付けられる。
「――!」
最初に気付いたのは、多分リューク様。
ハッとした顔をあげて、息を呑む。
それから強引に私の隣へ距離を詰めて、しがみつくように私の首に腕を回した。
「止まれ……!」
言葉と共に、私の体は止められた。
駆けようとした足が、宙を掻く。
宙を、掻く。
一寸先は、崖だった。
ぞっと、肝が冷える。
私の背でエステラちゃんの体が大きく震えた。
行き止まり……それも、気付かず直進していたら……
うん、落ちたら助からなさそうな高さだね。
「うぉっあぶねぇ!」
「崖、ですか……」
行き止まり。
最悪の展開に、だけど戦う宿命と向かい合って生きれ来た皆の決断は早かった。
即座に武器を手に、迎え撃つ構えになるんだけど……ここ、迎え撃つには条件悪くない?
崖の深さは笑っちゃうほど。
ちらりと底を覗くと、深そうな川が流れている……ああ、落ちても最悪命ばかりは拾えるかも。
崖の幅は……8mくらい? 10mはなさそう。
目測で距離を確かめ、私は頷いた。
まだ、熊は向こうにいる。
ここに追いつくまで、距離がある。
リューク様は私とエステラちゃんを庇うように、剣を片手に前に出た。
そして私はそんなリューク様よりも前に出た。
かっぽかっぽと、蹄を鳴らして。
「え?」
戸惑うような、誰かの声。
それが誰かの声かなんて、どうでも良い。
かっぽかっぽ、熊のいる方に近づくように。
2m、3m……このくらいあれば良いかな、5m。
ここぞと決めた地点で、反転。
一度蹄で土を搔き……改めて走り出す!
どこに? 崖に……!
「ひっきゃぁあああああああああ!!」
エステラちゃんの悲鳴が、リューク様達の驚きの声を掻き消した。
走って、跳—―ぶのはちょっと、背中のエステラちゃん振り落としそうで怖かったからー!
代わりに私は、崖の一歩手前で跳ねた瞬間、背中や腰の筋肉を全力で駆使した。
反動を十分に加えて、私自身の代わりにエステラちゃんを跳ね上げる。
「え、エステラあああああああああっ!?」
アッシュ君、絶叫。
エステラちゃんも悲鳴を上げていた。
瞬く間に、少女の悲鳴が遠ざかった行く。
頑張れ、慣性の法則!
大丈夫、いけるいける……いけるはず!
行け! 崖の向こう側まで!!
そうしてエステラちゃんは、鳥になった。
このことでエステラちゃんが、メイちゃんに対してより一層のトラウマを募らせること。
そして『羊』に苦手意識を持つようになることを、この時の私は知らない。
誰もが唖然と見守る中。
猛然とこっちに向かってきていた、熊さんですら足を止めて行方を見守る中。
エステラちゃんは崖の向こう側へ。
鬱蒼と立ち生える、木々の枝に引っかかる形で軟着地し……あ、地にはついてないや。
とりあえず、向こう側への非難を完了させた。
なんかめっちゃ涙目で睨まれてる気がしなくもないけど……大丈夫だよ、エステラちゃん! 熊さんの脅威はそっちには届かないから! 安全、第一!
だからその、明らかにこっちに向かってギリギリと引き絞る弓は収めようか!
なんかまっすぐ鏃がメイちゃんのほう向いてる気がするよ!?
止めよう!? 傷つけあっても、何も生み出さないって!
「めぇー……」
メイちゃん、弱々な声で鳴く。
信じられないといった目を向けるのは止めよう、アッシュ君。サラス君も!
ラムセス師匠、私から目を逸らして頭がりがり掻いてるけど、その反応はどういう意味なの?
スタインさんは半笑いですね! クレイグさんは顔が引きつってますよ!
そしてリューク様は、
……リューク様は、なんでしょうか。その、ほわってした微笑。
え、そんな顔はじめて見た。
いやいやその微笑みってどういう意味!?
思いがけない表情に、動揺する。今はそんな場合じゃないのにね!
どすっ
不意に重い音。
何かと思って顔を向けると、木の幹に刺さる一本の矢。
えっと、矢ってあんな音立てて刺さるもんだっけ。
よく見ると一本のロープが結わえられている。
まっすぐ、崖の向こうのエステラちゃんからロープは伸びていた。
わーお、せっかく崖の向こうに退避させたのに戻ってくる気だー。
これはいけない。
むしろロープを使って、リューク様達に向こうに逃げて頂きたい。
熊はもう見える位置にいる。
その為には、時間稼ぎが必要ー……と、なれば。
「めぇぇえええ!!」
「あ、羊さん!?」
周囲の驚く声も、何のその。
私は真っすぐ、熊に向かって突進していた。
リューク様達にはまだ危ない相手だけど、さ。
将来的に世界を救う、リューク様達をストーキングする為。
ヴェニ君に鍛えてもらいながら、神様に協力してもらいながら。
私はずっと、強くなるぞと頑張ってきたんだもん。
そんなメイちゃんを簡単に倒せるだなんて思うなよー!!
渾身の、メイちゃんの体当たり……というか頭突きが。
熊さんの体を、宙に浮かせた。




