0.その日、とある島国で1
絶望は何処にある?
それは、此処にある。
目の前に広がるのは、たった二つのものだけ。
降り積もった灰に白く染まった果てしない荒野と。
舞い上がった灰に色を薄めながらも澄み渡った青空。
この目に映る空の色は、覚えている蒼天とは確かに違う色で。
だけど何故か、絶望の象徴ともいえる澄んだ青は優しく、鮮やかに、美しく見えた。
息づくものは、この地上に自分だけ。
自分が滅ぼしてしまった世界の真ん中で、彼は膝を折る。
嘆く資格など自分にはない。
わかっているのに、慟哭の叫びを上げずにはいられなかった。
傷一つない己の顔に、自らの爪を突き立てながら。
「どうして……こんなこと、認めない。認められない……!」
自分にはどうしようもない、どうにもできない絶望が広がっていく。
何よりも辛いのは、その絶望をもたらしたのが自分自身だということ。
……破壊の限りを尽くし、自分の愛した何もかもを滅ぼしたのが、自分自身だということ。
「誰か、お願いだ。どうか、誰か……教えてくれ。
俺は、どうすればよかったんだ……」
その嘆きに応えるものはいない。
何故なら彼以外、誰もそこには存在しなかったから
彼は己の招いた破滅を受け入れることが出来ず。
認めることが出来ず。
そうして時代を何度も。
何度も。
何度も繰り返した。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
そのゲームを買う、と。
決めたのは些細な偶然がきっかけだった。
私はそもそもRPGゲームは好きだけど、一つの作品に固執する方じゃなかった。
それこそ、私が執着したのはあのゲームくらい。
こよなく愛するその一作に出会うまで、私は馴染みのショップで買ったゲームをクリアしては、売って次のゲームを買うという流れを繰り返していた。
ある時、ゲームコーナーで。
とあるゲームのデモムービーが流されているのを、この目にするまでは。
目が合った、って思ったんだ。
本当にただの偶然だけど。
作り物の画像の中で、青い髪の男の子が……主人公が顔を上げて、まっすぐと画面のこっちを見る。
真直ぐ、本当に真直ぐに。強い眼差しで。
その視線と、目が合っただなんて。
そんな有り得ない、人に言ったら「痛い」なんて言われるようなことを。
だけど本当に、目が合ったっていちばんに思ったの。
その時にはもう、このゲーム絶対に買うって思っていた。
私はその足で真直ぐレジカウンターに向かっていた。
勿論、ゲームの予約をするために。
今まではゲームそのものにしか興味なくって。
設定資料とか画集とか、初回特典だとか限定版とか。
特に欲しいと思ったことも無かったのに、そのゲームのだけは欲しいと買っていた。
自分の誕生日よりも待ち遠しく感じた発売日。
そうして手元に届いたゲームをプレイ開始してからは、もう止まらなくって。
他のゲームは、たいてい一回クリアしたら興味を失くしていたのに。
そのゲームだけは、繰り返し、繰り返し――。
何度も繰り返した。
いつだって私の愛した世界はそこにある。
スイッチ一つ、だけどお手軽なんて言わない。
何度繰り返したとしても、飽きることはない。
ただただ好きだったから。
何度繰り返しても、愛は色褪せなかったから。
スキップ機能もちゃんとあったけど、私は今日も一つ一つ丁寧にボタンを押す。
画面に流れる台詞を一つ一つ、噛み締めながら堪能した。
『――今こそ、お前が奪ったすべてに償ってもらう! 古代神ノア!』
『何を言うかと思えば笑いが止まらんな。父親を殺したのは貴様自身であろうが? 肉親の血で赤く染めた手を携え、何を言う?』
『そうなるように仕組んだのはお前じゃないか……! 俺は絶対に、お前を許さない!』
そうして始まる、最後の戦い。
戦い方は、もう指が覚えている。
ラスボス『古代神ノア』は魔法使い系のボスだから、補助技能に特化した味方に即座に魔法防御力を上げる技の発動を指示。戦闘補助系のアイテムを惜しみなく注ぎ込んで、主人公と前衛キャラを突っ込ませる。
最初に挑んだ時は、ラスボスが全ての魔法攻撃ダメージを削ぐなんて反則特性持ってることを知らなかった。でも今は違う。攻撃特化の魔法使いは決戦前に置いてきた。今回のパーティ構成は主人公、うさ耳の前衛戦士、狐耳の軽戦士、戦闘サポートに長けた学者。回復全般はアイテムにお任せで、とことん物理攻撃と回避に特化した面子を集めた。この構成で挑むのも何回目かな……きっちりLv.は上げてきたから、この面子で充分に戦える。
竜型に変身した主人公が、最終奥義に備えて準備を始める。
ちょっと溜め時間が長いけど、ダメージ源の主人公を待機させるだけの価値はある。この最終奥義はラスボスにトドメをさす時だけエフェクトが変わるから。見応えのある必殺技はついつい狙ってしまうのよね。特にこのタイミングで放つ最終奥義は、主人公の両親と覚醒イベントボスの四竜王がカットインして……
「また同じゲームやってんの。お前」
「タケ兄? あれ、なんでいんの」
「研究ノルマがもう終わったからだ、ボケ。まぁた時間の感覚がなくなるまで没頭しやがって……」
これから超必殺技で良いところだぞーというところで、タケ兄が帰ってきた。
もうそんな時間? 焦りながらも、指は冷静にコントローラーを操作して画面を停止させる。
時間を忘れて楽しんでいた自覚がある。まずい、お説教かと一瞬身構えたけれど、そういえばお母さんに怒られたことはあってもタケ兄にゲームのし過ぎで怒られたことはないんだよね。……呆れの半眼で窘められたことは多いけど。
「どうせ食事も忘れてたんだろーと思ってチーズケーキ買ってきた。食うか?」
「やった。タケ兄だいすき。チーズケーキはもっとすき」
「はいはい。俺も大好き大好き。チーズケーキが。でも画面の向こうの声はもっとすき。感謝のしるしはそのラスボス挑戦メンバー全員の最終奥義発動で良いぞ。五分以内な。是非とも俺に超かっこいい声を堪能させてくれ」
「そんなことしたら速攻でラスボス沈んじゃうよ!! リューク様の最終奥義発動前に終わっちゃうよ!」
「がんばれ」
「くぅっ……この声フェチ野郎」
タケ兄は声フェチってやつだと思う。うん、良い声が大好き。演技やら呼吸やら、私にはよくわからないナニかが良ければ美声に拘らないらしいけど。ついでに良い声なら老若男女関係なく見境ないけど。
チーズケーキにありつく為に、一端ラスボス戦を再開する。
ちょっとペースを乱されたけど、大丈夫。やれる。うん、殺れる。
そうしてやっと辿り着いた、主人公の最終奥義。
画面の向こうで発動する、この時限定のエフェクト。ラスボスにトドメをさす時限定の台詞。
ご機嫌にニヤニヤしながら耳を傾ける、タケ兄。
うん、なんかもうイロイロ台無し感が半端ない。
私の若干じっとりした視線も、目を閉じて声を味わうタケ兄には届かない。
「あー……やっぱ、いいなぁ。この声。聞いていてすっごい気持ちいい。ホント、いっそ本格的に活動してくんねぇかな。そしたらCDでもDVDでも買うぞ。俺は」
「タケ兄、また言ってる」
確かに私も良い声だと思うけど。
……うん、聞いていて気持ちいい美声。私だってそう思う。
演技もそう思えないくらい上手いし、この主人公は何だか凄くしっくりしていて、はまり役だと思う。
特に絶望に満ちているシーンの演技は迫真過ぎて胸を打つ。中の人、今までの人生に一体何があったのと心配になるレベルで演技が上手かった。
だけどこの主人公の声を当てている人、声優さんじゃないんだよね……。
ゲームの主人公といったら、普通は声優さんがやるものだと思う。それこそ主人公となったら有名な声優さんとかにやってもらいたいものなんじゃないかな? 多分、それを目当てに買う人もいると思うし。
なのに何を思ったのか……いや、これだけ素敵な声を抜擢したくなる気持ちは判らなくもないけど。他のキャラクターはちゃんと声優さんに声を吹き込んでもらったのに、主人公だけ無名の、声優でもなんでもない人が声を当ててるんだよね。ゲームの主人公に凄いはまる声の持ち主だったから、ごり押ししちゃったらしい。周囲が。なんかそんな裏話を設定資料か何かで読んだ気がする。
ラスボスを倒すと、EDムービーが流れ始める。
これが終わればプレイ中のフラグ回収によって分岐するマルチエンディングだけど。
このムービーまではどのエンディングでも共通で、ゲーム制作にかかわった人たちの名前が羅列されていく。その羅列されていく名前の、声優枠の一番上に列された名前が問題だ。
【 リューク : シナリオライターその1 】
それが、ゲーム主人公の声に関して判明しているすべての情報なんだけど。
せめて名前だそうよ。実名出せとは言わないけれど。
うん、なんかもう、色々おかしいよね。
大丈夫なのかな、このゲームの製作スタッフ。
「ホントなんでこの人シナリオ担当なんだよ。良い声なのに勿体ねえ」
私がまったりと温い目で見守る中、身内が身悶えている。
宝の持ち腐れだと散々悪態をつきながら、ふてくされた顔でタケ兄がフォークを齧る。
このゲームの発売前、主人公の声優が誰なのか全く露出しないことに疑問の声はあったらしい。
でも発売後、クリアしてEDムービーを見て、制作会社のサイトには意見が殺到した。
ゲームの感想よりも、改善の要望よりも、内容への抗議よりも多く……いや、抗議の一種なのかな?
主人公の声を務めた『シナリオライターその1』への、声優活動の有無を問う声が。
サイトが『シナリオライターその1』が今後声優活動を行う予定はありませんと回答するや否や、それを惜しむ声が怒涛の勢いでファンの間で叫ばれまくった。
シナリオライターその1さんは本当に、このゲームの主人公だって声を当てるつもりはなかったらしいんだけど……半ば強引にさせられたらしいけどね。でもそれも、自分の関わった作品だったからこその許容で。他の、自分に縁もゆかりもないところで声の露出をするつもりはないそうです。
タケ兄は心底残念がった。
かくいうこの男も、サイトに声優デビューの予定がないか問い合わせた一人だ。
タケ兄はひとしきり身悶えた後、気を取り直して身を起こす。
私はその間に、エンディングを迎えたゲームを改めてニューゲーム。
チーズゲームをもぐりとやりながら、タケ兄は完璧に意識を切り替えた声で話しかけてきた。
「そういえばさぁ、お前、今度のイベント行くか?」
「え? なんで? 行かないよ?」
「ふぅん……ってことは、まだお前までは情報回ってねえのな」
「なにが?」
イベントと呼ばれる、それ。
まあ同人誌やグッズの即売会だよね。
私は特に熱意のある方じゃなかったし、大変な思いをしてまで欲しいと思うようなものがそんなにはなかった。少しはあったけど。でもその『少し』も、参加する友達に買ってきてもらえば万事解決だ。今プレイしているゲームへの愛は溢れかえって世界を覆うほどだけど、私の愛は一点集中。他に対してはそこまででもないのだ。
次のイベント開催日も涼しい部屋の中でTVと向かい合って愛に悶える予定だったんだけど。
そんな私に、この男は爆弾を投げ落としてきた。
「このゲームのシナリオ手掛けた集団が、参加するらしいぞ。制作会社公認で」
「行く。絶対に。這ってでも」
私は鮮やかに前言を撤回し、一も二もなく即答していた。
苦労してまでイベントに行く熱意がない?
愛が溢れて止まらないのに、そんな訳、ないじゃないか。
この時の選択が、自分にとって如何に大きな分岐点であったのか。
最期まで気付くことなく、彼女は逝ってしまった。
貴女に一つ、お願いしたいことがある。
【この世界】での人生を全うした後で良いから。
【あちらの世界】の運命を、貴女の力で変えてくれ。
……どうか、【あちらの世界】を救ってはくれないか。
人間離れした雰囲気の青年は、彼女に請うた。
青年の願いに思わず頷いた、二か月後。
自動車の玉突き事故に巻き込まれ、何人もの人間が命を落とした。
その中に、彼女も――
架空の世界なので、常識的に「うん?」と思うところがあっても多目に見てもらえると嬉しいです。