12.ストーカーレベルはメイちゃんよりも上
腕の立つ戦士が眠る、宿の部屋。
忍び込むといっても簡単にいくはずは、ない。
リューク様に武術を仕込んだラムセス師匠は戦場で名を馳せた男だ。
技量も、経験も、少なく見積もったとしてもスペードやミヒャルトでは及びもつかない。
そのはず、なのだが……
何事にも、例外はあるもので。
特にそれが『専門分野』と呼ばれるものになると、時に経験やら技量やらを凌駕して一芸に特化した者が意外な実力を発揮することがある。
スペードと、ミヒャルト。
二人は齢十六にして年季の入った……言ってみれば、玄人のストーカーだった。
ストーカー歴、なんと約10年。
この歳にして、既に人生の半分以上をストーカーに手を染めている。
遡れば、物心つくかつかないかという年頃まで遡る。
そんな幼い時分から、メイちゃんに気取られることなく追跡と調査を重ねてきた。
メイちゃんと一緒にヴェニ君へと弟子入りしてからは、そこに戦闘の天才であるヴェニ君に如何に見咎められず、気付かれずに『それ』を実行するかという課題すら加わった。
何しろヴェニ君に気付かれたら、拳骨をもらってしまうので。
お天道様に顔向けできねえようなことしてんじゃねーよ! そんな怒声と共に頂戴したタンコブの痛み、忘れない。
そんな試行錯誤に、ほぼ10年という月日を費やしてきちゃったのである。
そう、2人を諫めるヴェニ君という存在が障害に……超えるべき課題になっていたことで、2人は高度な修行を積むのと同じ状態になっていた。いってみれば隠密の英才教育を受けたも同じである(暴論)。
実力差のある、それも気配に明敏な戦士を相手に隠形する技術に関しては、日々の研究と実体験に基づいた蓄積により、中々のものだと自負していた。
誰かに対し、面と向かって誇れるようなことではなかったが。
自慢できる相手がいるとしたら、それはきっと同類(※高確率で犯罪者)だ。
いつもの相手とは違うので、十全の実力が発揮できるとは限らなかったが……それでも手強く超えるべきハードルとして常に挑戦の対象であり続けたヴェニ君を相手に、今まで培ってきた実力と経験は自信となって胸にある。
大抵の相手には、気配を隠し通せる。
2人は、そう確信していた。
だけど自信があるからと言って、保険を掛けず挑戦する程の無謀さはなかった。
「アッシュっていったかな。あの単純そうな男。アイツを仲間に引き入れよう」
ミヒャルトは、他人を巻き込む気満々だった。
「顔に落書き程度の可愛い悪戯、ある程度の悪ノリ心があれば乗ってくるはず。そしてあのアッシュとかいうのは、話の運び次第で仲間にできる気がする」
「ミヒャルト、お前悪い奴だぜ……無防備に寝てる奴の顔に落書きとか楽しげなこと、誘われたら断り切れねえよ」
「このインクの頑固ささえ気付かれなければイケると思うんだよね」
不審な侵入者相手には警戒心も強くなるだろう武人でも、それが仲間内での可愛い(?)子供心溢れる悪戯の現場であれば、目溢ししてくれる可能性がある。
特にあのアッシュとかいう男は、この手の悪戯をやりそうな顔だったので。
いざという時、責任を擦り付ける相手がいれば離脱も容易い。
追及もアッシュに押し付けてしまえ。
そんな思惑の透ける提案に、否を唱える者はいなかった。
そうして彼らは、宿の隣室に忍び込む。
この時点で既に 犯 罪 だった。
深夜の、寝静まった宿の一室。
ただでさえ昼間は魔物との戦闘の連続だった。
それだけではすまず、仲間が怪鳥に攫われたり竜と遭遇したり……
旅立ち初日からバタバタしていた為か、疲れは大きかった。
安全な宿という先入観もあり、ほとんどの皆さんはぐっすりお休み中だ。
そんな中でも、ラムセス師匠だけは常在戦場の心得的な感じで眠りながらも気配を研ぎ澄ましていたのだが……ヴェニ君に結果的に鍛えられてきたストーカー2人は、すたすたと部屋の中を横切った。
すたすた歩いているように見えるが、恐ろしいことに足音も衣擦れの音も一切しない。
気配の全く感じられない歩行だった。
この技術を正しい方向に活用すれば、どれだけ世界平和に貢献できたことだろう。
しかし彼らは技術を自分の為……自分の欲望の為にしか使わない。
ああ、何故神は彼らにこんな才能を与えたのだろうか?
その時、どこからともなく竜神様の「濡れ衣です。私が才能を与えた訳ではありません。本人の素質と習練の賜物です」という声が聞こえたような気がした。気がしただけなので、おそらく錯覚だろう。
神の御加護もなしに、不法侵入を果たした2人はひっそりと忍び進む。
鋭敏な聴覚は、微かな寝息から標的の場所を容易く割り出した。
最終目標は、真の意味での標的……リューク。
だけど彼の顔面を襲撃する前に、第一の目標として設定した……アッシュを捕獲せねばならない。
気配を微塵も悟らせることなく、ストーカー共はすよすよとヒヨコの鳴き声を連想させる寝息を響かせて安眠貪るアッシュ青年の脇へと辿り着く。
眠るアッシュ君の、右と左。
アッシュ君を間に挟むように、侵入者は立っている。
どうして今この時、誰も起きてはくれないのだろう?
起きて、目撃してくれたのならば……さぞかし不思議な光景を目にすることになっただろうに。
部屋に招き入れた覚えもない顔見知りレベルの青年が、眠る仲間を無言で左右からじっと見下ろすという、ある意味で恐怖体験こんばんは! な光景を。
だけど誰も起きてはくれなかったので、そんな驚き体験で心臓を鍛える機会は訪れなかった。
ミヒャルトとスペードはアッシュの眠るベッドから窓まで、そしてベッドからドアまでの目測を計り、無言のまま身振り手振りで何かしらの相談を重ねると……結論が出たのだろうか。
唐突に彼らは眠るアッシュ君を担ぎ上げ、音もたてずにそろりと部屋から出ていった。
アッシュ君を仲間に迎えるべく、さあ説得のお時間です。
そうして健やかに温かなベッドで眠っていたはずのアッシュ君は。
知らぬ間に寝床から連れ出され、見知らぬ場所で目を覚ますことになる。
見知らぬ場所とは言っても、そこは彼らが安らかな眠りを得ていた宿の裏手の、小さなお庭だったのだけれど。
「まずは起こさねえとな。ひとまずは穏便に」
「穏便に、ね……。受け身の姿勢が悪いとは言わないけど、時と場合と相手について考えた方が良い」
今はアッシュを穏やかに目覚めさせてやるよりも、混乱を狙って畳みかけていく方が巻き込みやすい。
そう判断して、ミヒャルトは。
まずは何の手加減もなしに、遠慮容赦のない手刀をすやすや眠るアッシュ青年の脳天に直撃させた。
「!!?」
飛び起きる、アッシュ青年。
「おはよう、グーテンモルゲン」
「ぐ、ぐーてんもるげん……? いや、まだ朝じゃねえだろ!!? 一番鶏すらまだ鳴いちゃいねえぞ!? 朝日すらまだ全然昇ってねえじゃねーか!」
「ははは。何を言っているんだか。日付は既に変わっているんだから区分的には早朝だろう? だったらおはようで合ってる」
「俺が言いたいのはそういうことじゃねーよ!」
全く悪びれない、ミヒャルト!
起き抜けに叫ばせられて、アッシュ君は息も絶え絶えだ。
そんなアッシュ君に、心配そうな顔でスペードが声をかける。
「おい、アッシュ……アッシュだったよな? みんな寝てるんだぜ? 深夜に叫ぶのは止めた方が良いんじゃね?」
「なんか常識人っぽいこと口にしてるが、やらかしてることは全然常識的でもなんでもねーからな? なんでこんなことになってんのか知らねえけど、どう考えても俺のこと拉致してんだろお前ら。ってか拉致しておいて俺の名前すらうろ覚えなのかよ! ほんとなんなの、お前ら」
「心外だね、拉致だなんて。僕らはただ、ちょっと素敵な悪いことのお誘いに来ただけだっていうのに」
「はあ? 悪いこと? え、なに、お前らが『悪い』っつうレベルの何に誘いたいって?」
怪訝な顔で頬を引きつらせるアッシュ君に、問いかけられて猫と狼の2人は異口同音にこう言った。
「「 寝ているリュークの顔に落書き 」」
ごくり。
アッシュの喉が唾を嚥下する音が、不思議と響いた。
目を見張り、ぎこちなく口を開く。
「そ、それは……やべぇな。なんて楽しそうなんだ」
楽しそう。
そう言っちゃった瞬間に、彼が『共犯』へと引きずり込まれる道が確定した。
楽しそうに嫣然と微笑むミヒャルトが、その手に自分達の持つ物と同様のペンを握らせる。
インクの色は、目に眩しいショッキングピンクだ。
「これは……?」
「アメジスト・セージ商会謹製のペンの一種だ。中にインクが内蔵されていて、これ単品で文字を書くことができる」
「え、マジで。インク壺とかいらねえの?」
「いらないいらない。正直、俺にはどういう仕組みかよくわかんねーけど、中にインクを浸したスp……」
「スペード、ストップ。それ以上は企業秘密」
「あ、そうだっけ」
「まあ購入して分解されたら、仕組みはすぐバレるんだけどね。敢えて教えてあげる必要はないんじゃないかな? それに、今夜のメインはアイデア文房具の仕組みなんかじゃなくって……これから重い使命と向き合う『再生の使徒』様のご面相を、素敵にデコレーションしてあげることだよ」
「……なんでお前ら、そう親しくねえはずのリュークの顔に落書きすることにそんな腐心してんの?」
「僕、余計な恋のライバルは陥れて排除するタイプなんだよね」
「そして俺はそれに便乗するタイプだ」
「なんでそこでいきなり恋のライバルなんて話になんの!?」
「良いからいいから。夜の時間は限られている。さあ、存分に面白おかしい顔を演出する為に……」
「……そんじゃ、改めてお前らの部屋に忍び込むと致しますかね」
そうして、彼らの真の狙いなど知る由もなく。
成り行きとどさくさと勢いで、アッシュ青年は悪いたくらみに加担させられつつあった。
リューク様の顔は、いったいどうなってしまうのか。