8.ラムセス師匠の有名税
森の中に、赤い光が舞う。
ふわふわと風に揺れながら、光の粒は周囲へと拡散していった。
光の中心にいるのは、既に地上から姿を消したはずの竜神。
竜の輪郭は次第にぼやけ、体は赤い光となって消えていく。
赤い鱗の火竜将は、自分よりずっと小さな青年へ厳かに告げる。
『最期に……若君様のお力になれようとは。長き眠りの時を経て、まさかこのような終わりを迎えられようとは思いもせなんだ。我が身には、勿体無いくらいに良き終わりだ』
「いや、力になるっつか……あんたが原因で今まさにリュークのヤツ苦しんでるけどな? 目ぇ見えてねーけどな? ほんとにこれ一時的なんだよな? ちゃんと目ぇ治るよな?」
「アッシュ……! そんな言い方をされたら俺の目がまるで治らないみたいじゃないか! 目が見えないって精神的な負担が大きいんだぞ……不安を煽らないでくれ」
静かに最期を告げる竜。
それに対して、幼馴染でもあるリュークの体を支えながらアッシュ青年が口を挟んだ。
何しろアッシュ君はガキ大将気質(=アドルフ君の同類(=世話焼き系ツッコミ))なので。
自分の好敵手と目しているリュークがえらい目に遭っているのだ。口を挟まずにいられないのだろう。
『だが、光栄であると同時に無念でもある。せっかくお会いすることが叶ったというのに……若君様の行く果てを、命の消えかかったこの身ではお供すること叶わぬのだから。この上はせめて、魂だけでも……若君様に従うことが叶えば良いのだが』
「お、無視か? 俺のことはスルーですかこの野郎。リューク、この竜マジでお前のことしか見えてねぇのにお前の惨状については言及しねえつもりだぞ。酷くね?」
「正直、あの竜が何を言っているのか俺にはわからない……話が、噛み合ってないことはわかるが」
「なんかアレだよな。ひとりの世界に入っちまってるよな」
「思うんだが……俺がここにいる意味はあるんだろうか」
『若君様』
竜が、リュークに呼びかける。
今までの経緯からなんとなくその呼び名が自分を指すらしいと、リュークが顔を上げる。
その目は未だ『光る贈答品目録』に覆われ、開かれることはない。
伝説である竜という存在を目の前にしながら、姿を見ることは叶わない。
それを僅かに歯がゆく思いながら、リュークは竜の言葉に耳を傾けた。斜め45度に。
『この巡り合わせに導いた、ことは確かですが……あの娘を巫女に、とされたのは……なんと申しますか』
「え? みこ……?」
『見目は悪くない、が……素直で方向性はアレですがまっすぐ、なこともわかりますが。うむ、ん………………若君様の巫女となるくらいなのだから、我が浅慮などでは計り知れない深いお考えがあってのことやもしれませぬが。……竜の鱗を、50枚も剥ぎ取るような礼儀のなっていない娘ですぞ』
「は? うろこ? え、剥がれたの?」
『若君様にどのようなお考えがあってあの娘を選ばれたのかはわかりませぬが、まあ、うむ……若君様とのお目通りに導かれたこと、は、感謝せぬわけでも………………どうか、あの娘にもよろしく言っておいてくだされ』
「え、と……話が全く読めないんだが……あの娘? もしかして……」
め、い? と。
リュークの口が動く。
声を発さず、口の形だけで。
竜は、それを見届けることもなく完全に消え去った。
ひときわ赤い光の中に、音の形をなさなくなった『声』だけを残して。
『――永劫の果て、いつか我が魂が復活を遂げた際には……またお会いしましょうぞ』
「……って、滅ぶんじゃなかったのかよ!?」
神は死んでも、完全には滅びない。
神である限り、いつかは復活する。
そんな事情を知らなかった下界の民代表、アッシュの叫びが竜の声の余韻を完全に掻き消した。
同時に、あまり大したことはしていないものの割と体力の限界まで消耗していたらしいリュークが地面に崩れ落ちた。どうやら竜の力を託される(※強制)というのは、そこそこ肉体に負荷をかける行いだったようだ。
倒れて意識朦朧とした状態に陥ったリュークの姿に、お仲間一同は盛大に慌てふためいた。
今、この場で起こったことを細かく分析する暇も惜しみ、リュークを担いで一路宿場町を目指すくらいには。
その宿場町に、先にメイちゃんが待ち受けていることを彼らは知らない。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
そこは王都から距離にして徒歩数時間の距離にある宿場町。
大体の目安として、人間が1日歩いて丁度いい距離にそこはある。
夜が来る前に、王都から出発した人々はそこで足を止め、王都を目指す人々もまた宿を求める。
新年の祝いで王都を訪れる人は多く、大勢の旅人で宿場町は賑わっていた。
今年は特に最強を決める武闘大会や『再生の使徒』に関する式典などが予定されていた為、例年よりも人の姿は多い。――魔物の王都襲撃や、早々に『再生の使徒』が見つかったことにより予定されていた式典が幾つか潰れたことにより、混乱や不安もまた多く漂っていたのだが。
しかしそれでも、宿場町の人々にとっては人の往来がある限りかき入れ時に変わりはない。
宿場町の肩書に相応しく、多く軒を連ねた宿からはお客を呼び込む威勢のいい声が飛び交っていた。
そんな、立ち並ぶ宿と宿の間にある細い路地裏で。
我らが羊っ娘ストーカーのメイちゃんは宿場町の門前を注意深く監視していた。
呆れた眼差しを隠しもしない、師匠と。
そして考え深そうにメイちゃんを見守っている幼馴染のミヒャルトを背後に従えて。
「おい、メイ? そろそろ宿決めねぇと、部屋が取れなくなるぞ。マジで」
「この賑わいだからね……下手すれば見知らぬ他人と大部屋に押し込まれることになるかもしれない。部屋の確保は急いでおいた方が良いと、僕も思うよ」
全くそこから動こうとしない、メイちゃん。
行きかう人の多さに不安げな目を向けて、ミヒャルトは困惑気味に意見を述べる。
その言い分は、メイちゃんにも通じるもののはずなのだけど。
「――大丈夫、お部屋自体はスペードに押さえてもらってるから!」
「いつの間に?」
「あー……姿が見えねぇと思ったら、それでいねえのか。アイツ」
「押さえるって、宿の目星はつけてたの? スペードに選ばせるつもりなら不安しかないんだけど」
「ああ、基本的に寝られりゃ良いとか思ってそうだからな、アイツも。けどメイもいるんだ。そこそこ配慮はするだろ」
「お宿は指定してあるの。『薔薇姫のゆりかご亭』202号室」
「宿どころか部屋まで決まってんのかよ」
「この宿場町は初めて来るところの筈だけど……何かその宿にしたい理由でも?」
「大した理由じゃないんだけねー」
うん、ミヒャルトやヴェニ君的には大した理由じゃないよ。
私にとっては情報収集と分析を重ねた結果の、大した理由だけどね!
『薔薇姫のゆりかご亭』……この宿場町では中堅どころの、割と古くからあるお宿。
特筆するような『特別な何か』はないけれど、ずっと続いてきたお宿ならではのノウハウと、温かな雰囲気や清潔感が売りのそこそこ居心地が良さそうな普通の宿屋だけど。
だけど私にとって見過ごせない、重要な要素がそこにはある。
そこ、ラムセス師匠の定宿なんだよね。
ラムセス師匠が有名人……有名な傭兵さんで良かった!
こんな時に戦場で名を馳せたラムセス師匠の御高名に感謝する。
ふと思いついて物は試しと調べてみたら、あっさりと情報が手に入ったんだもん。
強い人に注目しちゃうのは、賞金稼ぎや軍人さんの性だよね。
この宿場町でラムセス師匠が宿を利用した記録は、わかっている限り13回。
その内9回は、『薔薇姫のゆりかご亭』に泊まっている。
あくまで記録に残っている範囲で、だけど。
でも高確率で泊まる可能性が高いのは『薔薇姫のゆりかご亭』だと思うの。
事前調査によると、グループで泊まれるようなお部屋はお宿にある2階のお部屋くらい。
少人数に分かれて個室に入る、って可能性もなくはないんだけど、いつ終わるともしれない旅暮らしなら宿代は少しでも節約しようとするはず。
『薔薇姫のゆりかご亭』2階にあるのは3部屋だから、真ん中の202号室を押さえておけばリューク様ご一行がどっちの部屋に入ってもお隣確保は確実……!
そう考えて、スペードには部屋を押さえに行ってもらったんだけど。
さーて、ぺーちゃんは無事にお部屋を確保できたかなぁ?
そんなことを考えていたら、そこそこ時間が過ぎていたらしく。
宿の確保っていうお使いに出していたスペードが駆け戻ってきた。
……屋根の上から。
「メイちゃん、頼まれてた部屋取ってきたぜ!」
「どこから戻ってきてんだ、お前は」
「え? 道が混雑してたから……屋根の上通った方が早いかなって思ったんだけど。……駄目だったか、ヴェニ君?」
「駄目に決まってんだろうが……非常時でもねえのに、常識外れな行動してんじゃねえ」
「あいたっ!?」
混雑を避けて屋根の上を走るっていう、近道しちゃったらしいスペード。
せっかく路地裏に潜伏してるのに、なんて目立ちそうなことを……!
ヴェニ君が呆れ顔でデコピンしてたけど、もうちょっと厳しい制裁でも良いと思うの!
まったく! まだリューク様達が到着してないから良かったものの……って、あ。
……リューク様達と私達が接触するタイミングって、たまに神がかってるなぁって思うの。
ギリギリセーフ!
たぶん、ギリギリセーフ!
ぎりぎりスペードの屋根上疾駆を見られずに済んだんじゃないかな~ってタイミングで。
どうやらリューク様達がこの宿場町へとご到着したみたい。
でも、だけど、あれ……?
なんでリューク様、ラムセス師匠に背負われてるの……?
一体リューク様の身に、何が……
思いがけないご登場の仕方に、私は動揺せずにはいられなかった。
☆メイちゃん達のお国の、お宿事情☆
一泊のお値段は一人頭いくら、ではなく使用したお部屋で換算。
部屋の広さや設備でお値段は変動。
何人で使っても一部屋は一部屋、なのでお金がない人は一部屋を数人で使って宿代を折半したりする。
ただし、余程の信頼関係を結んでいる相手に限る。
またそれとは別に、お宿には『雑魚寝部屋』と呼ばれる部屋が備わっている。
家具的なモノが何もない、がらんとしたお部屋でまさに雑魚寝用のお部屋である。
宿屋の好意でむしろなり毛布なりが積まれていることもあるが、基本的に何もない。
そちらは一人いくらでお金を払い、居心地は悪いけど屋根と壁はある(雨風をしのげる)場所で全く見ず知らずの赤の他人と雑魚寝することになる。
雑魚寝部屋に泊まるときは、荷物をしっかり管理しておかないと翌朝目が覚めたら「身ぐるみ剥がれて無一文になっていた」という状況に陥る場合があるので気を抜けない。
女子供の場合は盗難以外の憂き目に遭う可能性(人身売買など)があるので、人によってはむしろ野宿の方がマシだったりもする。




