23.まぼろしの蝶
時間は瞬く間に過ぎた。
噴水から聞こえる水流の音に交じり、テンポよく響く打撃音。
互いに相手へのダメージを可能な限り抑えて無力化しようと共通の思いを胸に、鋭い応酬が続く。
受けてはいなし、避けられては次の拳を蹴りを繰り出して。
時間と共に動きが、息が合い、2人の演武は洗練されていく。
そんな2人を、月と星と、草叢に潜む襲撃者だけが見守っていた。
「なんか……出るタイミング外したな。いろんな意味で」
「中々スペードが出てこないから。この愚図犬。普段の機動力はどうした」
「仕方ないだろー!? テラスに出て来いとか、たったあれだけの伝言でむしろ早い方だと思ってくれよ。この城、夜会会場の周りにどんだけテラスの出入り口があると思ってんだ。『テラス』の範囲広すぎて軽く迷いかけたわ!」
「そこは気合と根性と嗅覚で何とかしなよ。それが取り柄なんだから」
「俺の取り柄、気合と根性と嗅覚だけ!? ほぼほぼ精神論じゃん!」
「……っ2人の距離が少し開いた。行くよ、s……ペー!」
「えっ今!? ああもう仕方ねえ。やってやる。先行するぞ、ミーヤ!」
今から襲撃するって時に、本名は厳禁。
とっさに出てきたのは、可愛いあの娘が幼少期に2人を指して使っていた愛称だった。
あまり正体を隠せている気はしないが、どうせ見たら彼女にはわかるだろうし。
この夜会の現場で、この愛称から正体に気付く相手なんて2人か3人だ。
王家主催の夜会で襲撃かまそうという大胆不敵な行いに、疑問を差し挟むことなく。
2人は草叢から躍り出た。
「ひゃっはー!」
なんとなく言わなきゃいけない気がして、取り敢えず叫んでみる。
叫んでみて、なんと続けるべきか……ちょっと迷ってスペードは口を開く。
こういう時は、たぶん「武器を捨てろ!」か「手を挙げろ!」だよな!
だけど襲撃ターゲットは手に武器を持っていなかったから、スペードはこう叫んだ。
「腕を前から上にあげて、大きく背伸びの運動から!」
何が言いたいの、ぺーちゃん。
なんだか無性に楽しそうに見えるけど、本当にどうしたの。
メイちゃんは、思った。
そのフレーズ、なんか物凄く聞き覚えがある……と。
……前世で聞いた覚えがある! 気がする!
というかやってた! ヴェニ君との公園での修行前に、体をほぐすストレッチ代わりにメイちゃん毎日やってたよ!
どうやら常に行動を共にしていたせいで、元ネタを知らないにも関わらずスペードの頭にフレーズが刻まれていたらしい。この咄嗟の場面で無意識に出てくるあたり、刻み込まれた爪痕は深い。
突然乱入してきた顔を隠した2人組――しかし明らかに幼馴染――の、これまたいきなりすぎる珍発言に、メイちゃんの顔は真顔になっていた。ミヒャルトも何かおかしなものを感じたらしく、さりげなく片手で額を抑えている。
スペード本人は自分の行動に違和感を覚えなかったらしく、襲撃は続行された。
その手にしっかりと孫の手を握り……意気揚々とスペードは叫ぶ!
リューク様と熱い打撃の応酬を繰り広げていた、メイちゃんに向かって!
「ここは俺に任せて先に行って!」
全体的に、ぺーちゃんは言葉のチョイスがおかしいと思った。
緊張感がみるみる失われる。
彼は闇討ち向けの人材ではなさそうだ。
襲撃犯2人して、手に持っている武器が『孫の手』のあたりからして緊張感は死滅しかけていたけれども!
しかし、スペードの珍行動の数々はリューク様の意表を突く……というか気を引くことには成功したらしい。
面食らった顔で、ポカンと彼はスペードに見入ってしまっていた。
その時間、だいたい5秒くらい。
平常時であれば、それを僅かな時間と評しただろう。
だが刹那の油断が命取りに繋がる、強者との手合わせの最中であれば――
はっきりと見せたリューク様の『隙』を、見逃すメイちゃんではなかった。
ここを勝機と捉え、動き出すことに躊躇いはない。
後を任せろっていうんなら、遠慮なく。
――本当に任せて行っちゃうからね、ぺーちゃん!
そもそも襲撃犯2人からして幼馴染だ。その2人が珍妙な振る舞いを見せたとしても、2人に対する耐性がある分、メイちゃんの動揺はほぼ無いに等しい。
だからこそ。
スペードの意図せず注意を引くような珍言動を好機に変えて。
体の動きを僅かな間、止めてしまったリューク様に対して。
くるんっ
メイちゃんの体が回転し、艶やかな紫色の裳裾が大きく翻った。
それはまるで、はばたく翅のように。
ひらりひらりと光を受けて煌めいて、本物の蝶を連想させる。
あまりに美しい紫色の閃きは、リューク様の目を奪い。
目に、脳裏に刻むように焼き付けられた。
意識の大部分を奪い取り、それは致命的な隙を生む。
体の自由を縛り付け……その反応を鈍らせた。
体は鮮やかに弧を描き、危うげのない着地とともに軽やかに地を踏みしめる音がする。
宙返りに蹴りを組み合わせたその攻撃を、人はこう呼ぶ。
――Somersault Kickと。
……決まった!
最後の最後に、決まっちゃった! 大技が!
なんで、いま!? なんで今、成功しちゃったの!
というかなんでこんな局面で、とっさにこんな技に出ちゃったの、メイちゃん!
好機を掴んだ勢いで、体が勝手に動いていた。
リューク様の顎に華麗にヒットした蹴り足にも、確かな感触。
技は、しっかりと決まっていた。
リューク様は私の力(※物理)でくらくらしている!
着地を決めて見上げると、上体がふらっと揺れて……足元が覚束なく、立っていられなくなったらしく崩れ落ちるリューク様。
頭を打たないかと心配で、倒れる瞬間、ついリューク様の体を支えていた。
「うっ………………な、ぜ? きみ、は……」
「どうかわたくしの暴挙(※ガチ)をお許しになって、どなたとも知れぬお方」
あくまで私とリューク様は初対面ですよ~、貴方の名前も知りませんよ~と小細工たっぷりに優しく声をかけながらリューク様のお体をそっと地面に横たえ……
「じゃ! 後はよろしく!!」
顔を隠していてもわかる、唖然とした空気を出して固まる幼馴染……スペードとミヒャルトの2人に、ぴゃっと手を挙げてみせて。
一方的にリューク様のことを頼むと、私は一目散!
脱兎も負けて引き離す勢いで、ダッシュで現場から脱走した。大脱走だった。
――朦朧としながらも、まだ意識が残っていたんだろうね。
去っていく私の背中に、かすれたリューク様の声が、聞こえた。
「………………め、い……」
どきり、と。
心臓が大きく鼓動した。
何かの比喩じゃなく、マジで。
う……っと呻いて、リューク様が胸を押さえる。
蹲ったまま、身を丸めるように。
そんなリューク様の様子が、気にかかったけど……その原因は、なんとなく知っている気がした。
というか、私の方も。
たぶん、リューク様と同じ感覚に襲われている。
胸、心臓……そのあたりが、ぎゅっと絞られる感覚。
物理的にどうにかなった訳じゃないのに、負荷なんて無い筈なのに。
体がびっくりして、きゅうきゅう言っていた。
それでもここで留まっていたらマズイ!って一念でふらつく足を動かした。
懸命に、ふらふらしながらダッシュした。
後から冷静になって考えると、ふらふらしているのにダッシュするなんて危険極まりないけど。
今この時は、そんなことを気にしている余裕もなくって。
なのに妙に律儀に、招かれて、しかも夜会会場を乗っ取ってゲームバトル大会なんて開催させちゃった身で、無言でバックレるのは駄目だよねって。
せめて一言お招きしてくれた王子様に言うべきだと思ったから、挨拶したら逃走する前提で会場に足を向けたんだけど……
そこには、予想外の光景が待っていた。
「この勝負……っ私の、負けです」
「うおぉぉおおおおお!? 嘘だろう!? 四天王の一角が……崩れた、だと!?」
「まさか魔術師団長がこんなところで無名の相手に敗退するなんて!」
「『カード』発祥の地、アカペラの出身だとは聞いていたが……」
「――さあ、次の相手は誰かな?」
何やってるの、ルイ君。
会場の一方で、きらん☆と爽やかな笑顔を惜しみなく振りまく……元同級生。
どういった経緯でそうなったのか、大会に参加したルイ君はどうやら四天王? とかいう御大層な肩書のおじさんを撃破したらしい。耳にちょっと「魔術師団長」とか聞こえてきたんだけど、それが本当なら社会的地位も御大層なこと確実なんだけど……そんな相手を撃破しちゃって大丈夫なのかな。
いや、『カード』がこの世界に爆誕した時から、元セージ組の皆にとって『カード』は娯楽の最たるものとして定番のアイテムと化してたから、バトル慣れしているルイ君が強いのは当然なんだけど。
接待試合という概念は、どうやらルイ君にはないらしい。
そして、こちらも見過ごせない別の場所で。
「な……っまさか、こんな手が……!」
「まだ足掻きますか? それとも認めますか――負けを」
「くっ……今回は負けを認めよう。だが、次は負けん……!」
「な、なんだ、と……? 殿下が、『偉大なる栄光』殿下が……」
「あの方が負けたというのか……?」
「なんという……英雄殿は、こちらの方面でも敵なしだというのか!?」
「次の試合を早くしてもらおう。『アメジスト・セージ』への質問権は――誰にも譲らない」
なんでこんなとこでバトルしてるの、パパ。
テラスの出入り口から夜会会場を覗き込むと、左方には得意げな顔でカードをシャッフルするルイ君の姿。
そして右方では、ただならぬ覇気を背負いながら腕を組んで次の試合を待つ、パパの姿。
………………うん、なんで?
2人とも、何やってるのかなー???
特に、パパ。
本当になんでバトルに参加しちゃっているの。
貴方の専門は完全物理の近接戦闘だったと思うんだけどなー!?
っていうか『カード』の遊び方知ってたの!?
前に肖像権の使用許可貰ったから、存在は知ってただろうけど!
でもメイちゃん、今までパパが『カード』の話題に触れたところも、バトルしてるところも見たことないよ!? 私的に持ってるかさえ知らなかったよ!
今回、正式に王国最強の男として認められて、夜会に参加していることは知っていたけど……
さすがに実の父親相手に正体誤魔化せる気がしなかったから、顔を合わせずに済むよう全力で避けてたのに。
それがこんな……わざわざバトルに参加して、わざわざ『アメジスト・セージ』への質問権獲得を狙う、とか。家族には全力で意欲を傾けてるけど、基本的にお外じゃパパって淡白な人だったよね? ママともラブラブで……わざわざ見識のない相手への質問の為にバトルする、ってさ。
え? バレてる?
これ、アメジストの正体、バレてるの――!?
今までパパに追及を受けたことはないから、考えられるところとしては、この夜会会場で姿を見て気付いたってこと!? 仮面をしてるし、獣性を完璧に隠蔽しているから確信を得られてはいないだろうけど……予測の段階で、ほぼ間違いないだろうって断定してるよね? それとも怪しいから手を打っておこうってこと???
……これは、パパが勝ち残ったら、間違いない。
絶対に正体について尋問されるーっ!!
その光景がもたらしたあまりの衝撃に、それまで私の体に不調を及ぼす程だった胸の締め付ける感覚だとかなんだとか、今後の心配事やら懸念だとか。
そういったものが、なんか全部木っ端微塵に吹っ飛んだ。
容赦ないくらい木っ端微塵だった。
お陰で体は元気になったけど、精神の方はやりきれないくらいの疲労感に襲われていた。
ううん、疲労感に襲われたのは一瞬。
その次の瞬間には今までにない――焦燥と、戦意が私の心身の隅々にまで満ちるのを感じた。
そう、そうだよ。
こんなところで脱力している場合じゃないんだよ。
だってパパがこのまま順当に勝ち進んだら――マズイ。
それだけは、それだけは……っなんとしても、阻止しないと!
その為には……私自ら、動かなくっちゃ駄目だと思った。
うん、思っちゃったんだ。
パパの追及を封じなくっちゃ。
ただただそれだけを考えて無駄に奮い立った私は――
――――――気づいたら、会場内の強者を軒並み『カード』の勝負で叩き潰していた。
それはもう、手加減という言葉が泣いて逃げるくらいの、本気で。
物言いたげなパパの視線もまるっと無視して。
追及の、ううん、会話の切っ掛けさえ潰してしまえばと、そればっかり考えてた。
どうせ確証はないだろうから、突っつく隙さえなくせば……後はバックレればなんとかなる、筈、と。
その一心で、私はやらかした。
気が付いたらバトル会場は死屍累々、敗者の山がそこかしこ。
悔しそうな視線少々と、尊敬に満ちた崇拝の視線大多数。
私を居た堪れない気持ちにさせてくれることこの上なしな視線に晒されて、さすがに正気になった。
このままここにいては、いけない。
私は今度こそ本当に逃げ出す為、ダッシュに見えない急ぎ足で夜会を離脱した。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
最後の最後に色々やらかしたせいで、頭からすっぽ抜けたけど。
セムレイヤ様にも相談して、後から私は状況を振り返る。
あの時――リューク様が、倒れた(※倒した)とき。
掠れたその声で、リューク様は確かに私を「めい」と呼んだ。
それは私の愛称に、間違いなくて。
リューク様と私の間には、崇拝対象と信者の絆が結ばれている。
リューク様本人はご存じないけど。
これは信者からの信仰心と、神様側からの個別認識が噛み合って初めて成立する。
この世でリューク様が神様だと知っていて、信者となる資格を持っているのは私だけ。
後はリューク様が信者の存在を認識すれば、絆は成立する。
だけどリューク様と私がちゃんと現実に顔を合わせたことはないし、『個』として認識するにしても正式な名前を呼ばれたこともない。
だから絆は仮のもの。
完全に成立した訳じゃなかった。
それを今回、正式名称じゃなかったけど、リューク様は私の愛称を呼んだ。
正式名称で呼ばれた訳じゃないから、まだ仮成立だけど。
それでも個として認識して、呼びかけられた事実は残る。
あの時の胸に襲い掛かってきた、衝撃。
私とリューク様の信仰の絆が、また少し強さを増した。
それが良いことかは、わからない。
私が魂に影響のあるよう攻撃を受けたら、またリューク様に悪影響を及ぼす。
それも絆が強まった分、前よりも一層強い影響を。
取り逃がしちゃったらヴェントゥーラさんの方針を思えば、今後また会わずに済むってことはないと思う。
ううん、きっとまた会うよ。
その時に、博物館での二の舞にならなければ良いけど……
今後は一層、自分の身に気を付けなくっちゃいけない。
そのことを、私はしっかりと意識に刻み付けた。
とっさの場面じゃ、意識すっ飛ばして体が動くなんてこともザラなんだけども。