6.王立博物館へ
引き続き今回もリューク様視点でお送りいたします。
猫の形の耳を、ぶるりと震わせて。
小柄なサラス君が顔を真っ青に染めて取り乱しだしたのは、俺とミヒャルトとがいざ決着をつけようと武器を構えて向かい合ったあたりでのことだった。
「お、とうさ、ん……おとうさん! 魔物が来るよ! こわいよ!」
「どうしたんだい、サラス。魔物が……って」
いきなりスタインさんの胴にしがみ付いて喚き始めた様子は、明らかに取り乱している。
スタインさんも、息子の取り乱し様に困惑が隠せない、みたいなんだが……
「まさか、この王都に……?」
その困惑振りは、『息子がおかしなことを言い出したこと』に対してというよりは、『王都が襲われること』が信じられなくて、のようだった。
サラス君が言った『魔物が来る』こと事態は何の疑念もなく受け止めているように見える。
「伯父さん? サラスは何を言い出したのさ」
「ああ……ミヒャルト君はサラスとあまり交流もなかったし、知らないかな。この子はね、小さい時から物凄く……なんというか、感覚が鋭い子だったんだよ。それこそ、魔物の気配に敏感過ぎて日常生活に無理が出るくらいにね」
「はあ……?」
「街の外に出没する魔物の気配まで気付くんだ。それで魔物の研究をしている私との同居は難しくてね。何しろ研究の素材には魔物の気配がべったり残っている訳だから。だから普段は、魔物の気配が一切しない上に魔物の対策についても学べる聖都の神殿で預かってもらっている訳なんだけれど……サラス、お前が今になってそこまで取り乱すという事は、ただ事じゃないんだね? 数が多いのか、極端に強いのか……ああ、数が多い方なんだね」
「う、うん、たくさん! とっても沢山!」
確認を取る父親に、サラス君はうんうんと頷いた。
慌てた様子に、じわじわと「ただ事ではなさそうだ」という気がしてくる。
「もうすぐ、来る!」
そう言ってサラス君が指差す方角には、未だ何も見えない。
だけどスタインさんの方は確信している様子で、深刻そうに何かを考えこんでいる。
「あちらは試合場の方角か。今から戻るより……いえ、そうですね。魔物の数が正確に把握できない現状、戻るよりも予防策を発動させた方が良いでしょう」
「え、スタインさん何するつもり」
「伯父さん? 魔物の襲撃が本当だったら方々に警告する義務があると思うんだけど」
「それはもちろん、怠るつもりはないけれど。ですが本当に魔物が来るのであれば、必ず何らかの被害が出てしまう。それを可能な限り防ぐために有効な手段があります」
「そう、何らかの心当たりがあるってことだね。だけど相手は魔物だ。伯父さんが何をするつもりか知らないけれど、本当にそれは有効って言える? 一体何をするつもりなのさ」
いきなり、なんだか急展開だ。
何が起きているのかと、こっちは話についていくだけで精いっぱいなんだが。
きりりとした顔で『有効な手段』があると口にしたスタインさんに、何故かミヒャルトは目を細め……なんだろう。ジト目で見ている。
「正直に言いなよ。何か魂胆があるんでしょ。場合によっては協力しても良いけど?」
「……流石に笑顔では誤魔化しきれませんでしたか。その洞察力、やはりあの2人の子ですね。良いでしょう、正直に言います。この王都のとある博物館には、数百年前……この王都が高い城壁で囲われるようになる前、魔物除けとして高い効果を発揮したという『鐘』が収蔵されていまして。魔物の研究に従事する者の1人として、その『高い効果』とやらを是非一度、この目で確かめてみたいと思っていました。しかし周囲への影響が大きいので今となっては貴重な展示品扱い。でも……このような非常時であれば、緊急措置として実際に鳴らしてみるのも止むを得ない事態だったのだと理解を得ることが出来そうじゃありませんか?」
「つまり、鳴らしてみたいんだね。純粋に」
「鳴らしてみたいんです。物凄く。そして本当に魔物除けとしての高い威力とやらを確かめてみたい」
「……良いよ、その話に乗る」
「え、乗っちゃうのか!?」
「骨董品の鐘ひとつぶっ叩くくらいで魔物の襲撃を未然に防げるって言うんなら、乗らない手はないと思うよ。試すだけ試して駄目だったら、またその時に動けばいい。この場に僕らだけしかいないっていうんなら魔物襲撃に対する責任も重くなるけれど、今の僕らはただの観光客だからね。防災関係の面倒はそれ専門にしている軍人たちに任せれば良い。だけど展示品になるようなブツを叩くなんて立派な暴挙なんだから。後で責任を追及されたら伯父さんに全部背負ってもらうからね」
「ふふ……望むところです。自分の行動の、研究の責任くらい私1人で背負って本望」
………………スタインさん、優しそうな『お父さん』に見えたんだが。
なんだかここにきて急速に、『マッドサイエンティスト』的なイメージがついてきたな……。
「おいリューク、なんだか訳のわからんことになってきたが、どうする?」
「……あの人達を放っておくのはマズイ気がするな」
「なんか俺もそんな気するわ。っていうか、あのチビが怯えてるのはガチっぽいけど、大量の魔物がマジで襲撃してくるって大前提で話進んでるけど」
「どこまで、あのお話を真に受けたら良いのかな……? 魔物が襲ってくるって事前にわかるものなの?」
「ちょっと信じ難いよな。けどマジだったら大事だし。1回、師匠に相談に行くか?」
「そうしたいのは山々だが、その間に見失うのも問題なような」
「ああ……そうだよな。見失うのは問題だよな」
スタインさんの発言は、事情をよく知らなくても問題発言が多いように思えた。
博物館で展示されるような貴重な資料を云々というのは、魔物が襲ってくるという非常事態が現実味を帯びてこそ許されるんじゃないだろうか。
現時点では魔物の影も形も見えない。
この状況で、展示品を無断で使おうとすれば……下手すれば犯罪者だ。
それを見過ごして、放っておくのはやっぱり問題だろう。
俺が口で言って止められる気はしない。
いざという時は、アッシュやエステラと3人がかりで止めるしかない。
だけど事前に師匠に相談できるなら、それに越したことも無いな……
「1度、試合場に戻ることは出来るか? 師匠がまだあそこに」
「それは出来ない相談ですね」
「出来ないのか……」
即座に却下された。
「私達の目的地からは正反対の方角ですし、魔物は試合場のある方角から向かってきているようですから。恐らく試合場は状況的にも、居合わせた人員の面子的にも、王都に魔物が到達するのを阻む防波堤の役割を持つことになるでしょう。そうなれば、あの人には試合場にいていただいた方が好都合です。私達は魔除けの鐘を鳴らしに行くだけ、魔物と無理に戦う必要はありません。ですが我々が間に合わず魔物がやって来てしまった時は、時間稼ぎの為にも少しでも多く王都の手前で足止めしていただかなくてはいけませんから」
何の相談もなく、師匠を足止め役にされてしまった。
いや、あの試合場にいる全員にそれは言えるんだろうが……
だが無力な一般人も、今の試合場には多い。
それを放っておいて良いのか……?
というか口で上手いことを言っているが、自分の目的(文化財の強制起動)の邪魔になりそうな人員との合流を避けようとしているだけに聞こえるのは、俺の気のせいか?
「何の連絡も取らない、とは言っていませんよ」
「……そうなのか?」
「取敢えず、まだ距離があるのであれば大丈夫でしょう。伝令を飛ばします」
全くの無断で行動するのかと思った。
だが一応、スタインさんも大人だった。
魔物が本当に襲ってきた時に関係するだろう部署複数と、試合場、それから王宮にいるというスタインさんの上司に向けて伝令を飛ばすという。
上司には『魔物除けの鐘』を鳴らすことの許可を求める意味でも事前に一報しておく必要がある、と言っていたが……その必要がなければ、連絡しないつもりだったんだろうか。
「一応、事前に許可は求めたという体裁も必要ですからね」
「体裁ってハッキリ言っちゃったよ」
「だけどよ、伝令って言ってもどうするんだ。俺らがバラバラに分かれて走るのか?」
「いえ、魔法を使います」
「え?」
アッシュの疑問はもっともだった。
それにスタインさんは何でもないことのように、魔法を使うと口にする。
そんな便利な魔法があっただろうか。
俺がかつて先生に習った魔法は、戦闘に有利に働く系統の魔法が多かったからな……
俺達が見ている前で、スタインさんは懐から何かを取り出した。
鳥の形をした紙人形、に見えるが。
スタインさんが使った魔法は、紙人形に彼が息を吹きかけることで発動した。
一見地味に見える。だけど、すぐに発動するような簡単な魔法じゃない。
俺には原理がよくわからなかったが、動き出した紙人形は本物の鳥そっくりになって方々へ飛んで行った。
あれ、一体どうやるんだ?
「この魔法は、いわば魔力の塊を鳥の形に見立てて飛ばしているだけに過ぎません。そして魔物は魔力に引き寄せられる性質がある」
「つまり?」
「魔物の近くでこの魔法を使うと、高確率で破壊されるか追いかけられます。伝言を届けたい相手の元まで魔物を案内することになりますし、破壊されては伝言も消え失せます」
「かえって危険を引き寄せる上に警告が無効になるってことか。そりゃ確かに魔物の近くじゃやれねえな」
「そもそもこの魔法自体、魔力に伝言を込められる者が少ないので普及していませんしね。まともに使えるのは、魔法への適性が高い魔人くらいじゃないでしょうか。ちなみに私は仕事の関係で習得しました。研究がはかどると移動が面倒で……諸所の連絡に便利なんですよね」
にこりと爽やかに微笑む、スタインさん。
だが、何故だろう……彼の笑顔は、初めて顔を合わせた数時間前と変わらないものの筈なのに。
何故かその印象は、随分と変わってきたような気がする。
「そうと決まれば、さっさと行くよ。僕達がここでぐずぐずしていれば、その分だけ試合場は……あそこに残っている人が魔物の襲撃に晒されることになるんだから」
「……そうだよな! 試合場に詰めてる一般のお客さん達の事、心配だよな。なんだよ、冷たい奴かと思ってたけど、ミヒャルトって言ったよな? お前、結構良いヤツじゃん」
「は? 何言ってるの?」
「え、なにその心底嫌そうな顔」
「勘違いしないでよね。別に誰も観客その他大勢の心配なんてしてないよ。ただ、あそこには……今、僕達の大切な人がいるから」
「ミヒャルト……」
お前、口では敵だとかなんだとか言っていたのに。
本当はそんなに、シュガーソルトさんの事……慕ってたんだな。
「………………うわ。なんか今、物凄くうすら寒い勘違いされた気がする」
「ミヒャルトの言い方がなー……勘違いを誘うっつか。あ、俺らの指す『大事なひと』って観客席にいる側の人だから」
「そう、彼女にいつか告白する為にも……僕達はシュガーソルト・バロメッツを打倒しなくちゃいけないんだ」
「ミヒャルト、伯父からの忠告ですが……略奪愛は感心しませんよ?」
「誰もあのオッサンの嫁を奪いたいなんて言ってないよ!」
「ちょ、その勘違いは勘弁してくれ! 俺もミヒャルトも、そこまで過剰な年上趣味は持ってねーぞ!?」
「母親程も年の離れた相手に、甘酸っぱい憧れを抱く。少年にはままあることです。思春期って言うんですよ、それ」
「………………伯父さん、それ以上はちょっと黙ってくれないかな? もしかしたら僕達のことを揶揄っているつもりなのかもしれないけど……それ以上は、伯父さんの職場に不倫疑惑の噂を流すよ」
「とっさに出てきた脅し文句がえげつないですね!? それ社会的信用消えるヤツじゃないですか!」
「え、あ、じゃあ俺はご近所さんに息子と同居できないのは実は、夜な夜な小動物を贄に血腥い儀式を繰り返していて、それを世間に隠す為だっていう噂でも……」
「スペード君からまで本人の気風とは程遠いえげつない脅しが!? ちょっと君達、一体どこでそんな脅し文句を覚えてきたんですか!」
「「 学校で 」」
「最近の教育ってどうなってるんですか!?」
「いやいや語彙の豊富な奴がいてなー……俺の隣に」
「ううん、僕こそ色々と参考にさせてもらったよ。隣のクラスのむかつく学級委員長さんに」
「学校の教育問題って、どこに問題提議したら良いんでしょうか……」
悩まし気な顔をして甥御さん達の言動を嘆きつつ、スタインさんの足取りは軽い。
意気揚々と、俺達を牽引して一路博物館の有るらしい方向へ小走りで向かうスタインさん。
その後を慌てて負うサラス君に、何を考えているのかわからないミヒャルトとスペード。
……やっぱり、彼らを放っておくのはまずい気がする。
少なくとも俺の直感が、ひしひしと危機感を訴えていた。
どうあっても放っておくのは無理そうだ。
師匠にやっぱり報告をした方がいいんじゃないか、とも思いはしたが……
思案の末、俺達もスタインさんと共に博物館を目指して駆け出した。
魔物を退ける力があるという、魔物除けの鐘を鳴らす為に。