般若の面
日本昔話の雰囲気を目指しました。ちょっと淡々としているかも。
小さな村の裏山に小さなお寺がありました。小僧さんが一人おりましたが寺が貧乏なため、お経を読むかたわら二人で毎日畑を耕しています。
「和尚様、和尚様」
「どうした?」
芋や大根がそろそろできるころかと畑でしゃがんでいた和尚様は、うーんと腰を伸ばしてほっこりと笑います。古いお寺と同じように、和尚様もずいぶん年をとっていました。
「村の人が和尚様に見てもらいたいものがあると」
「ほぉ」
和尚様は小僧さんに鍬を渡すと軽く手をはたいて、軽やかな足取りで和尚様を訪ねてきたという村人のもとへ向かいました。
「中で話を聞くから、後でお茶を持ってきなさい」
「おやつに、昨日もらったお饅頭をだしますか?」
「頼んだよ」
のんびり話す和尚様に小僧さんは、はいと返事をすると鍬をしまってからお茶の準備をするために急いで走って行きました。
和尚様は訪ねてきた村人に中に入るように促すと、濃い緑の風呂敷に包まれた平たく四角い箱をこっそりと盗み見ました。村人は和尚様もよく知っている二人の若い夫婦でした。包みを持った男が妻に目配せしてうなづきます。目配せされた妻は不安そうにしながらも夫の目を見てしっかりとうなづきました。
三人が寺の中に入り、あたりさわりのない話をしているとお茶とお饅頭を持った小僧さんが入ってきました。三人にお茶を渡すと小僧さんは掃除があるからと、三人の話を聞きたそうにしながら出ていきます。
小僧さんの足音が遠くに去ってしまってから和尚様が二人に笑いました。
「今日は、一体どうさたのかの」
あたたかな春のひだまりのような笑顔に誘われるように、男が口を開きました。
「これは、俺の母ちゃんの家から出てきました」
「確か少し前に亡くなられましたな」
「まずは、これを見てください」
結び目をするりとほどくと長くほこりをかぶっていたかのような木箱が現れました。
男はためらうようにしてから、両手を木箱のわきにそえて、そっとふたを開きました。中身が何かわかっている夫婦は、箱の中を見てからそろって和尚様の顔を不安そうに見ました。和尚様は、箱の中身をしばらく見てからぽつりと言いました。
「般若の面ですな」
睨み付けるような表情の面が誰のものかわからず、親戚や村の者にも聞いてみましたが誰もが不思議そうに首をかしげるばかりだったと男はため息をつきました。
「母ちゃんの物かも…と思ったんだけど」
「なんだか、気味が悪くて」
面が何かをしたわけではありませんが、どうにも不安になったので和尚様に相談してみようという話になりました。
「では、しばらくの間預かってみましょう」
「そうですか?そうしてもらえると安心です」
明らかにほっとした表情を浮かべた若い夫婦は、しばらくの間和尚様と話して帰って行きました。
和尚様は若い夫婦が帰ってしまった後、般若の面を取り出して隅々まで眺めます。それから、普段寝起きする部屋に行くと柱に飛び出た釘に、般若の面を飾りました。
「ずっと箱の中で窮屈だったでしょう。しばらくゆっくりしていきなされ」
ふふっと笑って、和尚様は部屋から出ていってしまいました。和尚様がどこぞへ去ってしまった後、しんと静まり返った部屋の中で、大きいあくびが聞こえてきました。
「ああ、くたびれた」
誰もいないはずの部屋の真ん中に十五、六の娘が突然姿を現しました。般若の面と向き合うようにして、娘はくすりと笑います。
「あの和尚様、わかってたのかしらね」
袂で口元を押さえてくすくす笑うとそのまま部屋を出ていきました。和尚様や小僧さんに見つからないようにお寺の中を見て回り、畑の様子やお寺を囲む木々の中を物珍しそうに見ています。
日が傾き茜空に変わる頃、娘は面のある部屋に戻ってくるとそのまま横になって眠ってしまいました。
夜になり和尚様が部屋に戻ってきました。先ほどまで部屋の真ん中で寝ていた娘はどこにもいません。和尚様は見知らぬ娘がお寺の中を歩き回り、部屋の中で寝ていたことなどまったく知りません。いつもどおり夜具をしいて体を横たえるとすぐに深い眠りにつきました。
静かな静かなお寺の夜。和尚様は夢の中で美しい娘が舞を舞う夢を見ました。
その翌日のことです。昨日般若の面を持って来た若い夫婦が朝も早くからお寺へと駆け込んできました。
「和尚様!和尚様!」
眠い目をこすりながら急いで身支度を整えてでてきた和尚様と小僧さんの前で、男が嬉しそうに口を開きました。
「和尚様!あの般若の面」
「般若の面なら部屋に置いてありますがの」
「母ちゃんのだったんです!」
和尚様はきょとんとしました。男の家は百姓で、その親もおじいさんおばあさんも、ずっと百姓で般若の面を持つようなことは一切なかったと思っていたからです。
「母ちゃん、美人だったから」
ある時訪れた旅の一座の中に般若の面を使って舞を舞う男がいました。男の母親と舞を舞う男は恋仲になり、一緒に江戸へ行かないかと誘いました。男の母親は般若の面を譲ってくれるならと約束をしました。
男はその後上方に行き、またこの村を通るからその時は一緒に江戸に行こうと約束をしました。
「そんな話、あったかの」
「村で一番年寄りのじい様が思い出したんですよ」
一座の男は約束通り村に寄りましたが、足を怪我して舞を舞うことができなくなっていました。
「母ちゃんはそれでも良い、一緒になろうと言ってたみたいなんですがね」
「怪我をした上に、一座の座長が急な病で亡くなり、江戸で一緒になるどころじゃなくなったんだそうで」
「ほう」
別れるときに般若の面を返そうとしたら、持っていてほしいと言われてもらったものだという話でした。
「母ちゃんからそんな話、聞いたことなかったんだけどな」
「あんたのお父さんに気を遣ったんだわ」
妻の言葉に、男はうなづいて和尚様の方を見ました。
「本当は相手の人に返せたら良いんですが」
「もう、亡くなってるかもしれませんのう」
「で、和尚様。あのお面、このまま和尚様が持っていてくれませんか」
「手元には置かないと」
「供養してしまった方が良いかと話とったんです」
それならばと和尚様は、般若の面をこのまま手元に置くことにしました。
最初は怖がっていた小僧さんもいつの間にか慣れて、般若の面を手拭いで拭ったり埃を払うようになりました。
それからこれは村の人たちの噂話ですが、村人がお寺に用事があって行くと、美しい娘が舞を舞っている姿を見かけたという話がささやかれるようになりました。
不思議に思った村人が、和尚様や小僧さんに一体どこの娘さんかと聞きましたが、二人はきょとんとするばかりでした。見知らぬ娘が舞を舞っている様子を見た村人は、神様の遣いか何かだろうと話すようになりました。
お寺に娘が姿を現すようになってから、古かったお寺を新しく建てかえることになったり、旅の裕福な商人が立ち寄って多額の寄付をしてくれるようになりました。
その上、お寺に一晩泊まらせてほしいと立ち寄った青年が、翌朝知らぬ間に姿を消して代わりに木彫りの観音様を置いていくなどありがたくも不思議なことが起こるようになりました。
それから何百年経った今でも般若の面は、お寺の中に飾られているのだそうです。
怖いとか不気味だとかいうよりは不思議な雰囲気で。最後まで読んでいただきありがとうございました。