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海桜に雪芒と  作者: 藤泉都理
一巻 天と地のせいめい編
9/66

天と地のせいめい 八

「何だか、機嫌がいいですか?氷月さん」

「……仕事に支障をきたして申し訳ありません」

「いえいえいえ。そんな事はありませんよ」


 氷月に深々と頭を下げられた虹は手と頭で以て必死に否定した。


「ただ氷月さんの周りにお花が舞っているように見えたので、何かいい事があったのかな~なんて」



 氷月は虹に向けていた身体を水処へと向き直し、食器洗いを再開し始めた。

 もう会話は終了かなとほんの少し残念に思った虹はけれど、ほんの少し会話できた事を嬉しく思った。同じ年齢同士同じ職場なのだ。仲良くなりたい。口角を上げて、洗い終えた食器を布巾で拭い直し続けるも、どうにも集中できずにこれを機にと、意を決し口を開いた。



「氷月さんは『雪芒』なんですよね?」

「はい」

「その『雪芒』は忘れている風景を思い出せて、尚且つ扇に映し出せるって聞きました」

「はい」

「でも、人間や文字は含まないって」



 そう。『雪芒』の例外として、人間と文字は思い出させられないし、白扇に映し出す事もできないのだ。



「はい」

「……そっかぁ」


 虹は落胆を声音に滲ませてしまった。


「何かご依頼でもあるのでしょうか?」

「あ。えっとね」


 虹は急に身体を向けて来た氷月に驚いてしまい口ごもるも、気まずげに口を開いた。


「うん。祖母のね。顔がぼんやりし始めちゃって。すごく大切な人なのに。絵師に似顔絵でも描いてもらったら良かったんだけど。依頼料が高額だからできなくて。だから、『雪芒』に頼めたらなーってちょっと思い付いただけだから、気にしないでね」

「…お役に立てず申し訳ありません」


 再び頭を深々下げる氷月に、虹は大変なのだと殊更明るくした。


「頭を下げなくていいよ」


 無言で頭を上げた氷月は食器洗いを再開し、虹もまた食器拭きを再開した。

 カシャカシャと食器同士がぶつかる音や食器の泡や汚れを流す音だけが占めていた。

 氷月が口を開いたのは全てを洗い終え、拭き終わり、食器類を棚に直し終えた時である。


「………いい事、ありました」

「え?」

「いい事があって、浮かれて、本分を弁えられませんでした」


(あ。さっきの続き?)


「虹様は「様!?」


 虹は一生縁のない敬称を、しかも同じ年の女の子に口に出されるとは想像だにできずに、仰天の余り盛大に咳き込んでしまった。


「様、なんて。同じ年だし、さんでいいよ」

「……虹さんは、何故官吏を目指したのでしょうか?」


 ぱちくりと、目を瞬かせた虹は苦笑を浮かべた。



「私の志望先って本当は国土交通省だったの。その中の緑化部。食べたり薬にできたりできないけど。見ているだけで休めたり力を貰ったりする植物を国中のあちこちに植えたら、もっともっと国が元気になれるかなーって」

「…御祖母様に何か縁のある植物はありますか?」



 虹は目を丸くし、次に目を細ませては胸に片手を置き大丈夫だと告げた。



「祖母がね。私の為に植えてくれた植物があるの。数が少ないとか特定の条件でしか育たないとか、特殊なものじゃなくて何処にでも生えているんだけど。私にとっては、とても特別な植物。顔は忘れたのにね。それはちゃんと覚えている」

「…出番は、ないようですね」



 氷月の微笑を見て息を吞んでしまった虹は、印象を統一化させないと思った。

 見た目も言動も所作も年の割には大人びて見せていると思ったら、無邪気な子どもの一面を覗かせ、今は、想像以上に大人びた雰囲気でここに立っている。



(あれ。何だろ)



「あ。そろそろ、私はお庭掃除に行ってきます」


 同性相手に初めてときめきを覚えた虹は、落ち着かずにその場を去って行った。


「……すごい」


 己が成し遂げたい事を笑顔で話せる虹を、氷月は眩しいと思った。









紗世さよは薬剤師になりたいのですよね」

「うん」



 氷月は午前最後の仕事として庭の東側に設置してある薬草育成処を訪れた。そこで常備薬を受け取っては二の丸へ戻って医師に渡し終えた処で丁度昼休みを迎えたので、同じ処へ赴き、一人の少女と会って昼食を一緒に食べていた。


 紗世の名を持つ少女の姓は漣。朱希の妹で、氷月と同じ十五歳の総務省薬学部の官吏である。切り揃えられた前髪に肩に付かない程度に藍色の髪を伸ばし、凛とした姿勢と涼しげな目元、冷ややかな声音、無表情ながらまだあどけなさを残す顔立ちから、秘かに『氷の姫様』との愛称で呼ばれており、男性官吏の付き合ってみたい女性順位上位者であった。


 薬剤師は官吏になってから五年間、薬草の世話を主として実践学習を経なければなれない狭き門の職業であり、薬剤師を目指す紗世は十三歳で薬学部に入官したので、まだ三年研鑽を積まなければならなかった。



「…落ち込んでいる?」

「………いえ」

「紗世。一緒に昼食を食べ…お。珍しい。氷月じゃん」

「漣朱希官吏。今は取り込み中ですので外してください」


 紗世は毎度お馴染みの乱入者を例の如く容赦なく切り捨てた。


「…ま、あ。女子同士の話……いや。お邪魔する」



 朱希は常なら照れているのだと鼓舞して居座るも、珍しく訪ねて来ている氷月に、流石に席を外すかとの考えが過ったが。



(女子同士で花を咲かせる会話と言ったら恋愛だろ。聴かねば)



 この二人ではあり得ないと彼の仲間なら盛大に突っ込んだだろうが、兄である朱希の思考の中ではあり得ない事もあり得るのだ。加えて、昼休みと言う絶好の機会を逃すまいとする男どもから妹を護る意味でもやはり留まらなければならないのである。と結論付けた。



 朱希は端に置いていた椅子を見つけ出しては同じ卓に入り込んで、堂々と弁当箱を広げた。

 紗世は片眉を跳ねさせた。


「漣朱希官吏」

「俺は空気だと思え。空気」


 いないものとして扱えと言われてもできるわけがない。紗世は兄の珍行動に頭が痛くなった。

 二人だけの兄妹なのだし嫌われるより好かれている方がいい。しかし、度が過ぎている。


「毎度毎度休みの度に訪れて、何を考えているのですか?」

「顔を見て活力貰って今日も一日頑張れそー」


 誰かこの妹莫迦を治す薬を開発して。否、己が薬剤師になって。でもまだ三年ある。

 暖簾に腕押しの状況だが、腕を押す方の気持ちも考えてほしい。疲労を覚えるのも莫迦莫迦しいのに。


「うん。紗世の玉子焼きも絶品だ」


 漣家では母親が弁当を作ってくれているのだが、毎回入っているおかずの中でも玉子焼きだけは紗世が作っていた。

 ここ一番の笑顔を向けられて反射的に眉を寄せた紗世は、耳に蛸ですと毒を吐いた。


「…氷月。ごめんね」

「いいえ」



 美味い、美味いと連呼しながら豪快に食べる朱希を、煙たがっているように振る舞う紗世の、時折見せる柔らかい目元に、氷月はいいなと心中で呟いた。


 目に見えて分かるほどに支え合っている二人の関係性を、夢を笑顔で語っていた虹同様に、その眩しさに、ちくりと痛みが走った。








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