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海桜に雪芒と  作者: 藤泉都理
三巻 おうぎを舞いし染の運命編
58/66

おうぎを舞いし染の運命 二十




 仁の区画、漆黒町、絶滅危惧種『ほの』が地生する森にて。

 俺に『雪芒』しろ。

 紅凪こうし仙弥せんやが戻ってくるのを待つ最中、膝を抱えている氷月ひづきの隣で胡坐を掻いていたトキは言った。


「以前。おまえの自室で言ったな。『雪芒』しろと。おまえは答えた。『分かりました』と。今、俺の依頼を果たしてもらおうか」

「………今の私は『雪芒』ではありません。なので、トキ様の依頼を果たす事も受ける事もできません」

「何もないままでは嫌なのではないか?名称を、地と光を有効に扱える己を欲しているのだろう?おまえは」

「………」

「その腹立ちは自分自身だけに向けられたものではないはず。あっさりと捨てた雪晶ゆきあきを見返したいという気持ちも何処かに持っているだろう?いや。おまえの言葉を借りるならば、認められたい、と言った処か。例えば『扇の舞』を無事に成功させたとして、あまつさえ『扇の舞』でこの国に見舞われている異常現象を収めるという偉業を果たしたとしても、おまえが満たされる事はない。一歩も動けてはいないと思い続ける事だろう。『雪芒』として認められなければ意味がない。この想いがずっと残り続ける」

「………」

「逃げないのだろう。おまえは。ならば、『雪芒』からも逃げるべきではないと思うが?」

「………」

「今のやけっぱちなおまえはどうせ長続きはしない。有効活用しろ。何でもかんでも手を伸ばせ。掴め。引き寄せておまえの中に詰め込めろ」


 上機嫌だ。氷月は思った。トキの口調がうきうきと飛び跳ねている。

 嫌な予感がする。例えば悪戯を図る子どものようなトキに、警鐘音を感じ取った氷月は、けれど対処方法が思い付かず、口を閉ざしたままでいる事しかできなかった。

 口を結んだ氷月を見て、トキはやおら首を振った。


「おまえは本当に外側は重苦しく見せるくせに、中身はがらんどうだな。逃げないという言葉をもう破棄している。俺の言葉が受け入れられないなら、弾き返せ」

「………沈黙が弾き返している事になっていると思いますが」

「はは。確かにそうとも捉えられるな。よしよし。よく弾き返したな。偉いぞ」

「………」


 あまりの上機嫌さに、恐怖さえ感じ始めてしまった氷月。けれど距離を離す事ができず、紅凪と仙弥の帰りを願う中、ふと、或る考えが浮かんだ。

 トキは調子が悪いのではないか。


(具合が悪くなった時に機嫌が悪くなる人もいれば、機嫌がよくなる、陽気になる人もいるって。新聞記事にあった。もしかして、トキ様も具合が悪くて、いつもとはかなり違う様子になってしまったのでは)


 氷月は秘密基地の出入り口に固定していた顔をトキに向けては注視した。顔が赤らんでいたり、蒼褪めていたり、土色になっていたり、白んでいたりはしてはいなかった。けれど。


(………具合が悪いんじゃなくて、お酒を飲んでいる?でも。お酒の匂いはしない。無香臭のお酒かもしれない)


「トキ様。一度『扇晶城』に戻りませんか?医者に診てもらった方がいいと思います」

「俺が上機嫌なのがそんなに心配か?」

「ご自身が上機嫌だという自覚があるのでしたら話が早いです。はい。心配です。なので、『扇晶城』に戻りましょう」


 するりとあっけなく膝を強く抱えていた腕を解いては立ち上がった氷月を見て、トキは胡坐を掻いたまま、やおら、うっそりと微笑を浮かべた。

 トキの匂い立つような妖艶な微笑に、身の毛がよだってしまった氷月。思わず警戒態勢を取ってしまうも、トキは構わず流れるように立ち上がるや否や、大袈裟なまでに両腕を広げて言ったのだ。激白したのだ。

 おまえは俺の娘だ。


「………え?」











(2024.11.15)





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